The Hypocrite's Archive 作:Xelphyr
誤字脱字報告も同じく励みになります
電話を切った後──シャーレの外套を纏った隆一は、"老紳士"の私室、その一角に佇んでいた。
「──さて」隆一
隆一は外套の裾を軽く払い、部屋の奥へと歩を進める。窓の無い、閉ざされたその空間には、外の喧騒など一切届いてこない。
"老紳士"が設置したモニターの群れ、そこには複数の映像が並んで映し出されている。トリニティ、その街区の一角、爆破された建物の残骸。噴煙を上げる瓦礫。逃げ惑う生徒達の姿。
「──中々の景色だ」隆一
「お気に召しましたか」"老紳士"
「あぁ、期待以上だよ」隆一
「損害の規模は、想定内に収まっているか?」隆一
「はい、中央駅の天井が爆風で崩落する懸念はありましたが、幸い高さもありましたので。」"老紳士"
「結構、必要なのは犠牲の数ではなく、混乱の質だ」隆一
隆一はモニターに近付き、その一つを指先でなぞる。
「予定通りですね」"老紳士"
仮面越しの声が、静かに応じる。
「爆発の規模も、範囲も、寸分違わず、と」"老紳士"
「流石だ、あの時から、君の計算にはいつも狂いがない」隆一
「勿体無きお言葉です」"老紳士"
「後は、この混乱をどう料理するか、だな」隆一
「それも、既に絵図はお有りなのでしょう」"老紳士"
「無論」隆一
「ナギサの身柄は?」隆一
「既に、反ナギサ派の生徒達へと『情報提供』の一環として引き渡しました」"老紳士"
「反応は、上々かと」"老紳士"
「反ナギサ派の連中、随分と乗り気の様だな…」隆一
「元々、燻っていた不満です。火種さえ与えれば、後は勝手に燃え広がります」"老紳士"
「ふふ、良い燃料だ」隆一
「彼女達には、ナギサが陰で何を企んでいたか、という『証拠』もお渡ししております」"老紳士"
「勿論、全て偽造ですが」"老紳士"
「上出来だ、そういう細部にこそ、真実味が宿る」隆一
「どうなっているだろうね…想像するだけで、心が躍るよ」隆一
隆一は口元に薄い笑みを浮かべ、別のモニターへと視線を移す。そこには潜入工作員──GLADIUS、あるいはDOLUSの人間が撮影しているであろう、生々しい光景が映し出されていた。
「この映像、格別だな」隆一
「はい?」"老紳士"
「自分の正義を、疑いもせずに信じ切っている連中を見るのは、な」隆一
「彼らは、自分達が誰かに都合良く動かされているとは、微塵も思っていないでしょうね」"老紳士"
「それでいい、いや、それがいい」隆一
「疑いを持たれては、この計画は成り立たない」隆一
「肝に銘じておきます」"老紳士"
映像の中で、正義実現委員会の一部が声を荒げ、拳を振り上げている。彼らが糾弾しているのは──かつて自分達を統率していた、ティーパーティー。矛先は敵味方の区別すら曖昧になり、ただ怒りだけが増幅していく。
「見ろ、あの純粋な目を」隆一
「自分こそが正義である、そう思って微塵も疑っていない」隆一
「哀れなものです」"老紳士"
「いいや、これでいいのさ」隆一
「元々、争いの種など、掘り起こせばどこにでも転がっている」隆一
「人の心の奥底には、誰しも、多かれ少なかれ不満の種を抱えているものです」"老紳士"
「両者の間に、僅かな不信という楔を打ち込むだけで、後は放っておいても勝手に増幅していく」隆一
「人という生き物は、本当に扱いやすい」隆一
「疑いの矛先を、他者にばかり向ける」隆一
「自身と異なる思考を持つ相手を、悪魔だと見下す」隆一
「そして、その正義とやらを、鈍器の様に振り回す」隆一
隆一の声は、静かに、しかし確かな愉悦を孕んでいた。
「衆愚だな」隆一
「……閣下は、そういう光景がお好きなのですね」"老紳士"
「あぁ、好きだね」隆一
「何より、見ていて飽きない」隆一
「感情という奴は、実に便利な燃料だ、理屈で動かぬ者ほど、感情で動かすのは容易い」隆一
「なるほど、恐怖、怒り、正義感……それら全てが、閣下の道具という訳ですね」"老紳士"
「その通り。じゃあ何故だと思う?」隆一
「……見当も付きません」"老紳士"
「単純な話さ、御しやすいからだよ」隆一
「己の正義を疑わぬ者は、少し情報を与えるだけで、思い通りの方向に走ってくれる」隆一
「逆に、疑い深い者ほど、扱いに手間が掛かる」隆一
「では、ナギサという少女は──」"老紳士"
「あぁ、あの子は少し、厄介な部類だったね」隆一
「厄介、ですか」"老紳士"
「あぁ、他の生徒達と違って、周りに流されない芯を持っている……だからこそ、御しにくい」隆一
「周囲を扇動する事は容易くとも、本人を直接動かすのは難しい、と」"老紳士"
「その通り、だからこそ、外堀から埋める必要がある」隆一
「そういう手合いは、真っ向から潰すより、周囲ごと巻き込んで孤立させる方が、手早い」隆一
「今回の絵図は、正にそれですね」"老紳士"
「だからこそ、面白い」隆一
隆一は暫し、映像を眺め続ける。正義実現委員会とティーパーティー、かつては同じ学園の秩序を守る為に手を組んでいた二つの組織。それが今、理性を失った獣の様に、互いの縄張りを主張し、争っている。
「理性なき獣同士の縄張り争い、か」隆一
「ですが実際には──」"老紳士"
「ああ、全て掌の上だ」隆一
「双方とも、そう気付いてすらいない、という訳ですね」"老紳士"
「あぁ、それがいい」隆一
「気付いた時には、もう遅い……それが一番、美しい」隆一
「閣下は、本当に人の心の機微に詳しい」"老紳士"
「褒め言葉として受け取っておこう」隆一
告げる隆一の瞳には、何の罪悪感も、迷いも見当たらなかった。生徒達が信じる『正義』、その全てが、彼にとってはただの駒、そして生徒達の起こす『正義の裁き』は、彼にとってに過ぎない。
「これも全て、閣下の望んだ光景ですか」"老紳士"
「うん、そうだよ」隆一
「良く出来た舞台だ、脚本も、演者も、演出も──全部さ」隆一
「観客は、まだこれが舞台だとすら気付いていない、という訳ですね」"老紳士"
「その通り、それでこそ舞台だ」隆一
「幕が下りる頃には、誰もが台本通りに動いていた事にすら、気付かないだろう」隆一
「では、幕はまだ、上がったばかりと」"老紳士"
「あぁ、これからが本番だ」隆一
「次の一手は、どうなさるおつもりで?」"老紳士"
「焦る必要は無いさ、混乱が十分に熟すまで、暫くはこのまま眺めていよう」隆一
「承知しました、では、次の指示があるまで、このまま監視を続けます」"老紳士"
「頼んだよ」隆一
「かしこまりました」"老紳士"
「一つ、良いか」隆一
「何なりと」"老紳士"
「トリニティの連中は、どこまで気付いている?」隆一
「表向きは、まだ何も。ただ、幹部の一部には、勘の良い者もおります」"老紳士"
「ほう、名は控えておいてくれ」隆一
「承知致しました」"老紳士"
「目立った動きがあれば、すぐに報告を、確りと
「承知しました」"老紳士"
隆一はモニターの前で腕を組み、その光景を暫く眺め続ける。
「……そう言えば」"老紳士"
「ん?」隆一
"老紳士"が、ふと過去を懐かしむ様な口調で呟いた。
「こうして、閣下と並んで盤面を眺めるのは、何時ぶりでしょうか」"老紳士"
「ミレニアムじゃないか?あの時も、リオを上手い事操る為にやったではないか」隆一
「あの頃の閣下は、まだ今程、キヴォトスでは多くの駒を持ってはいらっしゃいませんでした」"老紳士"
「そうだったな、あの頃はまだキヴォトスに来て日も浅い、盤面も随分と小さかった」隆一
「ですが、閣下の目だけは、何一つ変わっておりません」"老紳士"
「それでも、閣下は既に、勝ち筋しか見ていらっしゃらなかった」"老紳士"
「褒めているのか、それは」隆一
「勿論です」"老紳士"
「閣下は、いつも駒を動かす前に、盤面を隅々まで観察されていました」"老紳士"
「今と、何も変わっておられません」"老紳士"
「そうかもしれないな」隆一
「やっている事は、あの時から一つも変わっていない」隆一
「駒を並べ、綻びを探し、崩す──それだけだ」隆一
「シンプルですが、それ故に、決して破られない」"老紳士"
「あぁ、単純明快な理には、複雑な嘘よりも強い力がある…人の怒りを増幅し、暴力へと駆り立てる力がな」隆一
「それが、閣下の流儀という事なのでしょう」"老紳士"
「そうだな、他に呼び様も無い」隆一
「長年、傍で見て参りましたが、閣下のやり方は、一度たりとも揺らいだ事がありません」"老紳士"
「揺らぐ理由も無いからな」隆一
「では、次にお会いする頃には、また新しい盤面が出来上がっている、という事ですね」"老紳士"
「あぁ、期待していてくれ」隆一
彼はそう言い残し、部屋を後にした