The Hypocrite's Archive 作:Xelphyr
第十九分館へと向かう補習授業部の一行、その道中。
早朝のトリニティの街並みは、まだ静けさを残していた。だが、そこかしこに漂う空気には、僅かな緊張が滲んでいる。
「ねぇ、聞いた、あの話......?」トリニティモブA
「あぁ、ナギサ様が捕まったって話でしょ?」トリニティモブB
通りすがりの生徒達の会話が、ふと耳に届く。ヒフミが思わず足を止め、その声の方向へ視線を向けた。
「──ッ!」ヒフミ
「今の......」アズサ
「聞き間違い、じゃ、ないよね......」コハル
コハルの声にも、隠しきれない動揺が滲んでいた。
補習授業部の面々は、互いに顔を見合わせる。ミヅホが素早く動き、その生徒達の元へと歩み寄った。
「失礼します、今の話、詳しく伺えますか?」ミヅホ
ミヅホは丁寧な物腰で、しかし有無を言わさぬ速さで生徒達に近付く。突然の事に、生徒達も戸惑いを隠せない様子だった。
「ティーパーティーの...え、あ、うん......別に、隠す事でもないし」トリニティ生徒B
「何でも、中央区の混乱に乗じて......ナギサ様が、反対派に捕まったらしいんだ」トリニティ生徒A
「反対派、というのは?」ミヅホ
「サンクトゥスとかフィリウス、その辺の学派の連中だって話だけど......詳しくは分からない」トリニティモブB
「そう言えば、正義実現委員会の一部も、何か揉めてるって話も聞いたし......」トリニティ生徒A
「あぁ、なんかティーパーティー内部でも、色々あるみたいだよね」トリニティモブB
「私達には関係ない話だけど......何だか、物騒だよね」トリニティ生徒A
「まぁ、まだティーパーティー側から発表はないけどな、みんなもう知ってるっていうか...」トリニティA
「へぇ、そうなんだ......何にせよ、大事にならなきゃいいけど」トリニティモブB
その言葉に、ミヅホは礼を告げ足早に一行の元へ戻る。息を切らしながら、しかし表情には確かな緊張感が滲んでいた。
「聞きましたね......」ヒフミ
「はい、公には発表されていませんが、既に生徒達の間では公然の秘密状態のようです」ミヅホ
「情報統制も、もう限界に近いという事でしょうか」ヒフミ
「という事は、思っていたより早く、事態が動いているという事だな」アズサ
「アリウスに気付かれない様に隠していた筈なのに......もう、これだけ広まってしまっているとは」ハナコ
「噂というのは、こういう時に限って、足が早いものです」ミヅホ
その情報に、皆の表情が一層深刻さを増す。ナギサが確かに囚われている──その事実が、少なくとも一つの裏付けを得た。
「──方向を変える」アズサ
不意に、アズサが足を止め、合宿場のある方向を睨む。
「え......?」ヒフミ
「アズサちゃん、急にどうしたの......?」コハル
「まさか、また何か......」コハル
コハルが戸惑いながら、アズサの横顔を見つめる。
「アズサちゃん、試験時間が──」コハル
「時間なら、まだ多少の余裕はある筈だよ」コハル
「分かっている、けれど、これは無視できない」アズサ
アズサは険しい表情のまま、一同に向き直った。
「聞いてくれ、まだ確証はないけれど──重要な事だ」アズサ
「アリウスは、恐らく既にナギサが利用不可能になっている事を悟っている」アズサ
「利用不可能......?」ヒフミ
「あぁ、アリウスにとって、ナギサ暗殺は目的そのものではない、あくまで、混乱を引き起こす為の手段の一つに過ぎなかった」アズサ
「という事は、既に目的の一部は、達成されているという事ですか」ハナコ
「そうだ、暗殺者としての役目が果たせないなら、彼らは次の一手に移るだろう」アズサ
「では、次の標的は......」ミヅホ
「ナギサを暗殺する意味がなくなった、という事だ、既に何者かに捕らえられているのなら、私達が動く前にターゲットが変わる可能性が高い」アズサ
「変わるって......」コハル
「まさか、私達の合宿場が......」ヒフミ
ヒフミの声が、僅かに震えた。
「──次は、裏切り者である私の身柄を捕えに、補習授業部の合宿場へ、針路を変えるだろう」アズサ
その言葉に、全員が息を呑んだ。
「そ、それは......」ヒフミ
「もし、本当にそうなったら......他の皆は」コハル
コハルの声には、隠しきれない焦りが滲んでいた。
「勿論、杞憂の可能性もある」アズサ
アズサは、静かに、しかし確固たる意志を込めて続けた。
「けれど、もしそうでなかったら──私達が築いてきた思い出も、絆も、何もかもが、失われてしまう」アズサ
「そんな事、絶対にあってはならない」アズサ
補習授業部の面々の脳裏に、これまでの日々が過った。掃除をして、勉強をして、水着で悪戯をして、夜の街に飛び出して、模擬試験で泣いたり笑ったりして──積み重ねてきた、あの黄金色の時間。
それは、誰かに与えられた課題でも、義務でもなかった。自分達自身の手で、一日一日、少しずつ積み上げてきた、かけがえのない時間。それを守る為に、今、進むべき道を選ぶ。迷う余地など、どこにもなかった。
「例え、試験に間に合わなくて、退学になったとしても」アズサ
「これまで積み上げてきた地位も、将来も、全て失うかもしれない」アズサ
「それでも──」アズサ
「私には、それでも代えられないものがある」アズサ
その瞳には、迷いがなかった。
「......行きましょう」ヒフミ
ヒフミが、静かに、しかし力強く頷いた。
「私達は、補習授業部です、部員が危ないかもしれないのに、見過ごす訳にはいきません」ヒフミ
「試験も大切です、でも......アズサちゃんの言う通り、それ以上に大切なものが、私達にはあります」ヒフミ
「うん......そうだよ、みんなの為に頑張って来たのに、みんなが危ない目に遭うのは絶対に嫌」コハル
「私だって、みんなの事を放っておけないよ」コハル
「みんな一緒にいるのが、私にとっての、一番大事な事だから」コハル
「同意します、優先順位を間違えては本末転倒でしょう」ハナコ
「試験の点数は、後からいくらでも取り戻せますが──」ハナコ
「失ってしまったものは、二度と戻りません」ハナコ
「試験は、また受け直す機会もあるでしょうけれど、皆さんの安全は、何にも代えられません」ハナコ
「私も、皆さんに賛同致します」ミヅホ
「これまで、皆さんと過ごした日々は、私にとっても掛け替えのないものですから」ミヅホ
「──それに、私自身も、ここまで一緒に過ごしてきた時間を、簡単に手放したくはありません」ミヅホ
「わ、私も行きます!」レイナ
「皆さんが行くところなら、私も、一緒に」レイナ
「私も、皆さんと一緒にいたいです」レイナ
全員が、迷いなく頷きを返す。
「──ありがとう、皆」アズサ
「礼を言うのは、こちらの方です」ハナコ
「アズサちゃんが正直に言ってくれたから、私達も本当の気持ちで応えられたんだから」ハナコ
アズサの表情に、僅かな安堵と、深い決意が浮かんだ。
「一路、合宿場へ!」ヒフミ
「みんな、離れずに付いてきて下さい!」ヒフミ
その号令と共に、補習授業部の一行は身を翻し、駆け出した。今は試験は、二の次だ。それよりも大切な、絶対に守り抜きたいものが──今、彼女達の目の前にあった。