The Hypocrite's Archive 作:Xelphyr
結局、後片付けと事情聴取は想定以上に長引いた。正義実現委員会への説明、シスターフッドとの調整、拘束されたアリウス生徒の引き渡し──その全てが片付いた頃には、第三次特別学力試験の開始時刻はとうに過ぎ去っていた。窓の外に広がる空は、既に真昼の明るさを取り戻していた。
「ど、どうしましょう……!試験、もう始まってます……!」ヒフミ
「わ、私達の分だけ、後から個別試験にしてもらうとか……」ヒフミ
「そんな制度、あるのかな……」ヒフミ
「あぅ……私達、これで退学とか……そんなの、嫌だよぉ……!」コハル
慌てふためく二人を前に、ハナコもまた顔を強張らせる。此処まで乗り越えて来たというのに、最後の最後で躓くわけにはいかない。そんな焦燥が、補習授業部の間に漂っていた。アズサとミヅホの不在も、その不安に拍車を掛けていた。
しかし、その心配は杞憂に終わる。試験会場に駆け付けた補習授業部を待っていたのは、既に着席していたミカと、書類片手に佇むハスミの姿だった。慌ただしく駆けて来た四人の姿に、二人は特に驚いた様子も見せなかった。
「あ、来た来た!遅かったね、皆」ミカ
「随分、疲れた顔してるじゃん」ミカ
「待ちくたびれちゃったよ」ミカ
「ミカさん……!席に、着いてます、けど……」ハナコ
「うん、まぁ色々あってさ、先生から聞いてると思うけど」ミカ
「詳しい話は、後でゆっくりね」ミカ
ミカは肩を竦め、悪びれる様子もなく笑う。その傍らで、ハスミが一歩前に出た。
「今回の一件、実質的にはトリニティ全体を巻き込んだ非常事態でした、独立連邦捜査部及び正義実現委員会の連名で、試験時間の特例延長及び、当該生徒の成績評価に関する調整申請を提出しています」ハスミ
「既に、暫定総会の承認も得ています」ハスミ
「え、あ……」ヒフミ
「い、いつの間に、そんな手続きを……」ヒフミ
「凄いですね、対応が速い」コハル
「──結果から言うね、皆、満点だよ」ミカ
「……え?」コハル
呆気に取られる補習授業部の一行。ミカはにっこりと笑い、その場でくるりと一回転して見せた。手を広げたその仕草には、堂々とした余裕が漂っていた。
「試験どころじゃなかったのは事実だし、それにこの騒動の収拾に、皆が大きく貢献したのも事実、なら相応の評価があって然るべきでしょ?──まぁ、次期ホストの最初の仕事、こんな形になるとは思わなかったけどね」ミカ
「これくらいの融通、利かせられなかったら、ホスト失格でしょ?」ミカ
「あ、ありがとうございます……!」ヒフミ
「本当に、ありがとうございます……!」ヒフミ
「退学、回避……本当に、回避できたんですね……!」コハル
安堵からか、コハルの目に涙が滲む。ヒフミもまた、へなへなとその場に座り込みそうになるのを、慌てて堪えていた。長かった夜と、その後の緊張が、一気に緩んでいくのが分かった。
「良かったですね、二人とも」ハナコ
「本当に、良かった……」ハナコ
「これで、やっと一安心です」ハナコ
「は、はいぃ……!」ヒフミ
そんな和やかな空気の中、ふと、ハナコは辺りを見渡す。
「……そういえば、ミヅホさんとレイナさんの姿が見えませんね」ハナコ
「えぇ、ミヅホさんなら……トリニティの混乱を収める為に、もう動いています。レイナさんは、一旦独立連邦捜査部に戻ったようです」ハスミ
「彼女らしい判断ですね」ハナコ
「そして、今回の一件で、シスターフッドや自警団の発言力が急激に高まりました、パテルとフィリウスの対立も含めて、これから暫くは不安定な状況が続くと推測されるので……その調整役として、ミヅホさんには一足先に現場に戻って頂きました」ハスミ
「彼女の分析力は、こういう局面でこそ、真価を発揮するのです」ハスミ
「……そう、ですか」ハナコ
どこか名残惜しそうな表情を見せるハナコに、ハスミは小さく頷いた。補習授業部を離れる事になったミヅホ、けれどそれは、彼女が今のトリニティに必要とされている証でもあった。会えなくなる訳ではないと、頭では分かっていても、寂しさは拭えなかった。
その日の放課後。分館の一室に、レイナの姿があった。彼女の前には、黒色のスーツに身を包んだ"老紳士"──そして
「──それで、話とは何でしょう?」"老紳士"
「わざわざ私に会いに来るとは、珍しい事もありますね」"老紳士"
「……私は、補習授業部に残りたい」レイナ
真っ直ぐに、レイナは告げる。その瞳に、迷いの色は無かった。この日の為に、心を決めて来たのだろう、その姿勢からは確かな覚悟が滲んでいた。
「私が今まで、OMNISの活動にどれだけ関わって来たかは、あなたが一番よく知っている筈です」レイナ
「監視も、情報収集も、貴方に命じられるがまま、果たして来ました」レイナ
「えぇ、君の献身なくして、今回の目的は達成することができなかったでしょう」"老紳士"
「なら……普通に考えれば、私が補習授業部に残り続けるのは、都合が悪いんじゃないんでしょうか?」レイナ
「もし…私の素性が知れ渡ってしまえば、皆との関係にも、遅かれ早かれ、綻びが生じます」レイナ
「左様です」"老紳士"
あっさりと肯定する"老紳士"に、レイナは僅かに息を呑む。それでも、彼女は退かなかった。
「それでも、残りたい」レイナ
「何故、そこまでして」"老紳士"
「理由なんて、単純です……私は、補習授業部のみんなが大好きだからです」レイナ
「私はもう、ブラックマーケットで物乞いをしていたあの時の私とは違います。人に頼ること、そして『友情』と言う本当に大切なものを知ったのです!」レイナ
"老紳士"はしばし、レイナを見据えたまま沈黙する。やがて、静かに口を開いた。
「良いでしょう、しかし一つだけ、条件があります」"老紳士"
「飲めるかどうかは、君次第ですがね」"老紳士"
「……条件?」レイナ
「君がOMNISの活動に関わって来た記録──その一切を抹消させて頂きます」"老紳士"
「っ……」レイナ
「代わりに、君は最初から『表側』──独立連邦捜査部の一員として勤めて来た、そういう経歴にすり替えるのです」"老紳士"
「表向きには、それで全て筋が通りましょう」"老紳士"
告げられた内容に、レイナは言葉を失う。それは即ち、自分の過去の記憶──OMNISとして過ごした日々の記憶を、失うという事に他ならない。
「……記憶が、消える、という事か」レイナ
「他に、方法は無いのか」レイナ
「無い、それが唯一の条件だ」"老紳士"
「あぁ。君がこれまで積み重ねて来たOMNISとしての経験、知識、そして記憶──それら全てが、書き換えられる」"老紳士"
「都合の悪い記憶だけ、丁寧に消し去られる、という訳だ」"老紳士"
「それでも、構わないかい?」"老紳士"
静かに問い掛ける"老紳士"。レイナは目を伏せ、ゆっくりと、その意味を噛み締める。 彼への恩、OMNISの皆と笑い合った記憶──それすらも、失う代償を払ってでも。
「……構いません」レイナ
迷いなく、レイナは答えた。彼女にとって、それは決して軽い選択ではなかった。それでも、天秤に掛けるまでもなく、答えは既に決まっていた。
「補習授業部に、トリニティに残れるなら、それで構いません!」レイナ
「それだけの価値が、あそこにはあので」レイナ
その返答に、"老紳士"は小さく頷く。
「──いいでしょう」"老紳士"
「その代わり、二度と後戻りは出来ない、覚えておく事です」"老紳士"
そう告げ、"老紳士"は静かに席を立つ。窓の外には、夕暮れの茜色が広がっていた。レイナは暫くその場に座ったまま、静かに目を閉じる。次に目を開けた時、自分の中から何が消えているのか、それすら分からないまま──それでも、彼女は確かに、望んだ未来を選び取ったのだった。