The Hypocrite's Archive 作:Xelphyr
誤字脱字報告も同じく励みになります
天幕の内側では、六人が地図代わりの瓦礫を取り囲んでいた。古い聖堂の崩れ跡になぞらえて並べられた小石が味方の位置を、折れた枝が"トフー"の進路を示している。
外では雨が絶え間なく幕を打っている。奥の寝台からは、負傷者の浅い寝息と、衛生兵がひそめる声が漏れてきた。
片隅の寝台には、意識を失った隆一の肉体が横たえられている。胸は一定のリズムで上下し、顔色も悪くない。だが、その瞼だけは一度も動かなかった。
「……先生、本当に、此処に居るんですよね?」ヒフミ
「あぁ、居るさ、ちゃんと聞こえてる」隆一
「声だけ聞こえるのは、やっぱり、少し不思議な感じです」ヒフミ
「慣れてくれ」隆一
「…作戦を、整理しましょう」ハナコ
そう言ってハナコは膝をつくように身を乗り出し、小石を一つつまんで図の前面へ置いた。
「まず一つ目」ハナコ
「動員出来る全ての戦力を正面に出して、"トフー"の意識をそちらへ逸らします」ハナコ
「陽動の本隊、って訳だね?」ミカ
「はい、『派手に』、『大きく』、です、此処で意識を引き付けられなければ、その先が全て崩れます」ハナコ
「次に、私達とミカさん、五人で動きます」ハナコ
「ミカさん、レイナちゃん、ヒフミちゃん、私、コハルちゃんで、ある程度まとまって動きつつ、徐々に散開します」ハナコ
「散開、ですか?」レイナ
「一箇所に固まっていると、纏めて狙われますから、少しずつ間隔を空けて、的を絞らせないんです」ハナコ
「そうして、"トフー"の意識を、正面から私達へ移すんだね!」ミカ
「はい」ハナコ
「つ、つまり、私達が囮という事ですよね……」ヒフミ
「ふ、ふん、上等よ、やってやろうじゃない!」コハル
「コハルちゃん、膝が震えていますよ?」ハナコ
「震えてない!武者震いよ!」コハル
張りつめていた空気が、ほんのわずかに和らいだ。
「三つ目、その隙に、アズサちゃんが急接近して、なるべく短い距離で、銀の弾丸を撃ち込みます」ハナコ
「……分かった」アズサ
アズサは愛銃を膝に置き、静かにうなずいた。指先は銃身を強く握りしめている。
「距離は、どれ位まで詰めれば良いかな」アズサ
「出来るだけ近く、です、外せば次はありませんから」ハナコ
「撃てるのは、一発だけって事だね」ミカ
「いえ、鋳型で作れる弾数には余裕があります、ですが、"トフー"が再生する以上、最初の一発で動きを止められなければ、二発目を撃つ機会は、恐らく訪れません」ハナコ
「……分かってる」アズサ
大まかな筋書きは、こういうものだった。
「シンプルだけど、筋は通ってるね」ミカ
「えぇ、ただし、全てが理想通りに運んだ場合の話ですが…」ハナコ
「問題が、一つある」隆一
低い声が響く。意識へ直接届くその響きに、六人は思わず背筋を伸ばした。
「二つ目の段階で、あの鞭を、まともに受けたらどうなる?そして受けたやつはどうなった?」隆一
「……ハスミ先輩が、一撃でやられました」レイナ
その声には、わずかな沈みがあった。
「そうだ」隆一
「あの正義実現委員会の副委員長が、反応する間もなく落とされた、俺達の誰が受けても、同じ結果になる」隆一
「その状態で、アズサが一人で攻撃を避けながら強行突破して、ほぼゼロ距離で撃つのは、ほぼ不可能に近い。良くて戦闘不能、悪けりゃ肉片だ」隆一
「……っ」アズサ
誰も反論しなかった。目の前にその光景が浮かんでしまったからだ。
沈黙が落ちる。雨音だけが、やけに大きく耳に残った。
「陽動の段階で、"トフー"の鞭を封じる方法はありませんか」ハナコ
「俺の記憶にある限り、封じる手段はない、あれは魔法で編まれた、実体の曖昧な鞭だ」隆一
「では、鞭の届かない距離から、遮蔽物を使って近付くのは…」レイナ
「遮蔽物ごと薙ぎ払われる、実際に、古聖堂の瓦礫が、紙みたいに吹き飛んだのを見ただろ?」隆一
「……っ、そうでしたね」レイナ
「じ、じゃあ、時間を掛けて、作戦を練り直すのは…」ヒフミ
「出来ない、前線ではヒナやマコトが、まだ戦ってる、ここで時間を浪費するのは、あいつらを見捨てるのと同じだ」隆一
「……そう、ですよね」ヒフミ
「じゃあ、イチカ先輩を呼べば!」コハル
「イチカは本部の留守番だ、これ以上動員して幹部に傷を負わせたら、トリニティの治安維持が回らなくなる」隆一
「ヒナさんを、呼び戻す事は……」ヒフミ
「ヒナが抜ければ、前線が崩れる、そうなれば"トフー"は、無防備な市街地へ向かう」隆一
「ミレニアムなど、他の学園から戦力を募るのは……」コハル
「時間的にも厳しい」隆一
「それに他校の戦力をトリニティの内側へ呼び込めば、今度は別の火種になる、そもそも、今から呼んでも間に合わない」隆一
「シスターフッドや、救護騎士団は?」アズサ
「戦闘経験が乏しい、文官肌の生徒が多い、加勢しても焼け石に水だ」隆一
「それに救護騎士団は貴重な医療スタッフ、前線に出せば傷口に塩を塗るようなもの」隆一
「医療が回らなくなったら、此処に居る負傷者の皆さんも……」コハル
「そうだ」隆一
「それに、ミネとサクラコは合同生徒会の重要ポストだ」隆一
「二人が重傷を負えば、俺という蓋で押さえつけてる政治的な内紛が噴き出してエデン条約どころじゃなくなる」隆一
「先生が居なくなった途端に、箍が外れる、という事ですね」ハナコ
「あぁ、俺が此処で寝てる現状で既にギリギリだ」隆一
一つ、また一つと、選択肢は潰れていく。つまり、先ほどの案がすべて失敗する前提で進めなければ、勝ち筋はないということだ。
絶望的な戦局だった。ヒフミは唇を噛み、コハルは膝の上で拳を固める。ハナコは配置図を見つめたまま、答えを求めて小石を指先で転がしていた。アズサは何も言わず、銃を見下ろしている。
誰も言葉を発しないまま、数十秒が過ぎた。
天幕を叩く雨は、時計の秒針のように時間を刻んでいく。遠くでかすかな爆発音が響いた。前線では今も、誰かが戦っている。
その音に、ミカがゆっくりと目を伏せた。
「……私が、やる」ミカ
静かな一言だった。全員の視線がミカへ集まる。
「アズサちゃんの代わりに、強行突破して、銀の弾丸を撃ち込む役、私が引き受ける」ミカ
「ミカさん……!?」ヒフミ
「私なら、多少の攻撃じゃ止まらないし、こう見えて、そういうの得意なんだ?」ミカ
「そうすれば、補習授業部の生還の確率は、ぐっと上がる!」ミカ
「駄目です!そんなの、特攻じゃないですか!」コハル
「そうだ、ミカ、それは危険過ぎる!」アズサ
「反対です!ミカさん!」レイナ
「他にも、きっと方法がある筈です、もう少しだけ、考えさせて下さい!」ヒフミ
補習授業部は強く反対した。それでもミカは笑う。
「ありがと皆、優しいね」ミカ
「でも、他に方法があるなら、もう先生が言ってる筈だよ?」ミカ
「先生、何か言ってよ!このままじゃ、ミカさんが……!」コハル
「……」隆一
隆一は答えなかった。否定できる材料が、一つもなかったのだ。
「……アズサちゃんの役目、じゃ駄目なんですか?」ヒフミ
「アズサちゃんは、補習授業部の皆を守る子でしょ?」ミカ
「それに、ゼロ距離まで辿り着いても、撃ち損じたら終わり、だったらせめて、一番頑丈な私が行くべきだよ」ミカ
「頑丈、って……」コハル
「そこは、褒めてくれても良いんだけどな〜」ミカ
軽く茶化すような笑い声が、今は痛かった。
「ミカさん、貴女が受ける攻撃は、アズサさんが受けるよりも、ずっと重くなります、無傷では済みません!」レイナ
「うん、分かってる」ミカ
「私の計算では、ミカさんが最後まで辿り着ける確率は、決して高くありません、例の鞭を一度でも受ければ、そこで終わる可能性も十分にあります」レイナ
「それでも、アズサちゃんが一人で行くよりは、ずっと高いでしょ?」ミカ
「……そ、それは、……」レイナ
「分かっているなら、どうして……!」コハル
「……だって、これ以上、誰かが傷つくのを、此処で見てるだけなんて、嫌なんだもん!」ミカ
先ほどまでの軽さが嘘のように、その声はまっすぐだった。
「私ね、ずっと、何をしても取り返しがつかない気がしてたんだ」ミカ
「でも、今なら少しでも、取り返せるかもしれない」ミカ
「そんな……取り返すとか、そういう事じゃ、ないです……」ヒフミ
ヒフミの目に、じわりと涙がにじむ。ミカは困ったように笑い、その頭にそっと手を置いた。
「泣かないで、ヒフミちゃん、まだ何も終わってないんだから」ミカ
「……はい」ヒフミ
「それに、死ぬつもりで行く訳じゃないよ、ちゃんと、帰ってくる気で行く」ミカ
「でも、帰れなかった時の覚悟も、しておくだけ」ミカ
「それを、特攻って言うんです」コハル
「あはは、手厳しいなぁ」ミカ
アズサが、静かに口を開いた。
「……私は、補習授業部の皆を守る為なら、どんな事でもするつもりだった」アズサ
「でも、守られる側になるのは、慣れてないんだ」アズサ
「あはは、そうだよね、でも、今回は譲れないな」ミカ
「アズサちゃんには、アズサちゃんにしか出来ない事があるよ、皆を、連れて帰って来て」ミカ
「……ずるい」アズサ
「うん、ずるい大人みたいでしょ」ミカ
「それに、アズサちゃんの銃は、この弾丸を撃つ為の大事な銃、壊れたり、撃てなくなったりしたら、困るのは皆だよ」ミカ
「……それは、そうだけど」アズサ
そこでハナコが、配置図から顔を上げた。
「……合理的、ですね」ハナコ
「ハナコ!?」コハル
「合理的です、だからこそ、反対したいんです」ハナコ
絞り出すような声だった。冷静に状況を見極める彼女だからこそ、ミカの案が最善に近いと分かってしまう。それを否定できない。
「ハナコちゃんは、賢いね」ミカ
「ミカさん、本当に、分かっていますか、これは──」ハナコ
「分かってるよ」ミカ
やわらかいのに芯のある声が、ハナコの言葉を遮った。
「アリウスの兵を、この学園に雪崩れ込ませたのは、私の責任だから」ミカ
「その責任は、命に代えてでも、私が取る」ミカ
「ミカさん……」ハナコ
ミカの瞳には、迷いがなかった。
彼女に止まる気はなかった。
再び、天幕の中に沈黙が落ちる。誰も、その覚悟の重さをどう受け止めればいいのか分からなかった。
寝台のほうへ視線を向けたミカが、かすかに笑う。
「先生、聞こえてるよね?」ミカ
「……あぁ」隆一
「怒らないでね、これは、私が決めた事だから」ミカ
「怒らないさ、怒れる立場でもない」隆一
隆一の声は、わずかに震えていた。
「ただ、死ぬな、これだけは、頼む」隆一
「……善処するよ、先生」ミカ
その返答に嘘はなかった。だが、約束でもなかった。
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