The Hypocrite's Archive 作:Xelphyr
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「まだ──終わりでは、ありませんよ」トキ
告げるトキの声には、震えが混じっていた。恐怖を押し殺し、それでも尚立ち向かおうとする意志。しかし、それすらも──彼女は今まで、出し惜しみをしていた。
「私の今までの力は、あくまでも……予行演習に過ぎません」トキ
「──おっと」隆一
「トキ……!まさか、その制約を解くつもりなのッ!?」リオ
インカムから響く、悲痛なリオの声。トキの纏う神秘、その根底に組み込まれた枷──彼女はまだ、本当の意味で全力を出してはいなかった。
「リオ様、申し訳ありません」トキ
「駄目よトキ、それを解けば貴女の身体は──!」リオ
「それでも、彼に勝てなければ、リオ様をお守り出来ません」トキ
「トキッ……!」リオ
制止の声を振り切り、トキは自身の内側、深く刻まれた枷へと手を伸ばす。それは彼女自身の演算能力が誤作動を、暴走を防ぐ為に設けた安全装置であった。
「──制約、解除」トキ
瞬間、彼女の周囲を渦巻く冷気が、桁違いの密度を伴って噴き上がる。氷結の粒子が空間を埋め尽くし、アビ・エシュフに刻まれた黒い紋様がより深く、鮮烈に輝きを増した。
「ふ〜〜ん?」隆一
その変貌を前に、隆一は僅かに口角を上げた。感心とも、興味とも取れる表情だった。
「制約を解いたか、それは中々……勇気のいる決断だね」隆一
「これで──貴方を、上回ります」トキ
告げると同時、トキの姿が掻き消える。轟音と共に空間そのものが軋み、隆一の眼前に幾つもの氷の刃が、まるで実体を持つ吹雪の様に殺到した。
「ッ──」隆一
その圧力は、先程までとは比較にならない。しかし──隆一はそれでも、動じなかった。
「うん、確かに強くなった」隆一
「──ならば!」トキ
「けれど、まだ足りない」隆一
告げると同時、隆一の全身から莫大な圧が溢れ出す。
「俺も──外そうか」隆一
その言葉と共に、彼を包んでいた見えない枷が、音もなく解け落ちる感覚があった。
瞬間。
「──ッ!?」トキ
隆一を包んでいた白と黒を基調にした衣服が、まるで墨を垂らした様に漆黒へと染まり変わる。同時に彼の身体から迸る赤い稲妻、それが幾筋も虚空を裂き、周囲のビル群を微かに震わせた。
「な──」トキ
トキの言葉は、そこで凍りついた。
文字通りの意味で。
周囲の温度が、体感で分かる程急激に下降していく。彼女自身が氷を操る者だと言うのに、この冷気は──異質だった。それは単なる寒さではない、空間を満たすエネルギーそのものが、加速度的に静止へと向かっていく感覚。
(──これは、エントロピー……?)
演算が弾き出す結論に、トキは思わず身震いした。周囲の熱が、運動が、あらゆる秩序が急速に均され、死へと向かっていく。まるで世界そのものが、静かに終わりを迎えようとしているかの様な錯覚。
氷結を操る自分でさえ、これ程までの冷気を前にした経験はない。
「ディメンズは──」隆一
静かに、しかし確かに響く声。
「俺が使える魔法の、一つに過ぎない」隆一
「……ッ!?」トキ
告げると同時、隆一の周囲に無数の赤いビットが出現する。宝石の様な輝きを放つそれらは、彼を中心に緩やかな軌道を描きながら回転を始めた。
「──」隆一
隆一はその場から、一歩も動かない。両腕を後ろへと組み、まるで見物客の様な佇まいで、真っ直ぐトキを見つめている。
「(動かない──いや、動く必要がないと、そう言うのか)」トキ
その余裕、その泰然とした様子にトキは奥歯を噛み締めた。侮られている、そんな怒りにも似た感情が僅かに湧く。しかし彼女はそれを押し殺し、地を蹴った。
「行きます──ッ!」トキ
最大加速、彼女の身体が残像を残しながら隆一の懐へと迫る。だが、その刹那。
「──」隆一
回転するビットの内、一つが赤い光を放ち──トキの左肩を貫いた。
「──ぁッ!?」トキ
これまで感じた事のない痛みだった。肉が抉れ、傷口が焼け付く様な激痛。物理的な弾丸とも、氷刃の裂傷とも異なる、何かがそこに焼き付けられた様な感覚。
キヴォトスの生徒が持つ超常的な耐久力、それを以てしても尚、彼女の膝を突かせるだけの威力があった。
「……ッ、これは……」トキ
傷口を押さえ、荒い息を漏らすトキ。演算が警告を発する、この一撃だけで彼女の想定していた被弾許容量を大きく超えている。
「(怯めば、終わる)」トキ
彼女はその事実を、本能的に理解していた。故にこそ、瞬時に決断する。
「──大魔力解放!」トキ
残された全ての神秘を解き放ち、トキは自身に見つかる事、狙われる事を承知の上で最大限の氷結魔法を練り上げる。周囲の建材を、大気中の水分すらも巻き込み、彼女の周りに巨大な氷塊が形成されていく。
「これで──ッ!」トキ
放たれる巨大な氷塊、それは街道を蹂躙する勢いで隆一へと殺到した。
「──」隆一
しかし、隆一は依然として動かない。代わりに、彼を取り巻くビットの内、緑色に輝く四つが空中を滑る様に移動し──隆一の前方に、正確な四角形を描いて静止した。
「これ、は──」トキ
直後、殺到した氷塊がその四角形の境界線に触れた瞬間──消失した。
跡形もなく、粒子の一片すら残さず。
まるで最初から存在しなかったかの様に、彼女が放った全力の一撃は、その領域の中で綺麗に掻き消えていた。隆一の身体には、傷一つ付いていない。
「……ッ、そんな……」トキ
演算が、答えを返してくれない。何が起こったのか、その現象を理解する事すら出来なかった。氷結という物理的な現象そのものが、無かった事にされた──そうとしか表現出来ない結果だった。
「さて」隆一
初めて、隆一がその場から一歩を踏み出す。
「──俺の番だ」隆一
告げると同時、彼の眼前に幾何学模様の描かれた魔法陣が展開する。眩い光がその中心に収束し、瞬く間に膨れ上がった。
「──ッ!?」トキ
防御を、回避を──彼女の脳は瞬時にあらゆる選択肢を演算する。しかし、身体が動くよりも早く、光の束が放たれた。
「ッ──アアアッ!」トキ
着弾。
それは一撃だった。ただの一撃で、トキの纏うアビ・エシュフは装甲の破片すら残さず砕け散り、彼女の身体は勢いのまま後方へと吹き飛ばされる。地面を転がり、幾度もバウンドしながら、彼女はようやく動きを止めた。
「……あ、ぁ……」トキ
辛うじて意識を保ったまま、トキは仰向けに倒れたまま虚空を見上げる。四肢は満足に動かない、纏っていた装備は完全に機能を停止していた。
視界の端に、ゆっくりと歩み寄る隆一の姿が映る。
「……」隆一
彼は何かを口にする事なく、ただ静かにトキを見下ろしていた。その瞳には憐憫でも、怒りでもない、ただ淡々とした色が宿っている。
「……終わり、ですね」トキ
絞り出す様な声。抵抗する力は、もう残っていなかった。
自分と、彼との間にある隔たり──それはもう、埋める事など出来ない絶対的な差だった。四級と一級、その言葉が示す通りの、覆しようのない現実。
「私の、負けです」トキ
声は、震えていた。それは屈辱でも、悔しさでもなく──ただ純粋な、絶望に近い諦観だった。倒れ伏したまま、トキは夜空を見上げる。
その視界の端に、いつの間にか消えていたビット、そして解けていく隆一の異様な圧が映っていた。
「──」隆一
隆一は何も言わず、傍らに膝を突く。手を伸ばし、彼女の傷口へと淡い光を灯した。
夜のエリドゥ、静寂だけが二人を包んでいた。