The Hypocrite's Archive 作:Xelphyr
トリニティ某所、廃屋。人気のない、埃だらけの一室。
割れた窓から差し込む月明かりだけが、埃の舞う空気を淡く照らし出している。
隆一は光学迷彩を纏った影と向かい合っていた。
「──バレた」隆一
開口一番、そう告げる隆一の声には、僅かな苛立ちが滲んでいた。輪郭が揺らぎ、"老紳士"の姿が現れる。
「──クリストファーの件、ですね」"老紳士"
「あぁ」隆一
「早晩、こうなるとは思っておりましたが……予想よりも早かった」"老紳士"
「予想より、というと」隆一
「少なくとも、あと半月は保つと踏んでおりました。此度の爆弾騒動、あれが引き金になったのでしょう」"老紳士"
"老紳士"がトリニティの地下で偽名を用い展開していた工作活動、その一端が正義実現委員会かティーパーティー、どちらかに掴まれ、その両方に渡った。詳しい経緯までは分からないが、少なくとも──『クリストファー』という名前が、既に彼らの監視網に引っ掛かっている。
「作戦の変更を、お考えですか」"老紳士"
「いや」隆一
隆一は静かに首を振る。
「変更じゃない、一部の繰上げだ」隆一
「繰上げ、と申しますと」"老紳士"
「予定していた工程を、前倒しにする。本来ならもう少し時間をかけて土台を固めるつもりだったが……こうなった以上、悠長には構えていられない」隆一
隆一は思案するように顎に手を当て、それから言葉を続けた。
「卿に頼みたい事がある」隆一
「はい」"老紳士"
「──
「プロレフィード……なるほど」"老紳士"
仮面越しに、"老紳士"は納得の色を滲ませた。
「刺激的で、かつ低俗な情報の氾濫、ですね」"老紳士"
「あぁ、スポーツの試合、星座占い、立ち読み小説、AI生成の歌、無料のブラウザゲーム──何だって良い」隆一
「既存の媒体を、再度『流行らせる』システムを利用するのですね」"老紳士"
「そうだ、わざわざOMNISの手でゼロから作る必要はない、眠っているコンテンツを掘り起こして、ちょっと後押ししてやるだけで良い」隆一
「手駒は、既存のBOTアカウント群とハッカー達で足りますか?」"老紳士"
「あぁ、十分だ、それと
「あれ、とは?」"老紳士"
隆一は続ける。
「エコーチェンバーってのは便利な仕組みでな。同じ様な情報ばかりを繰り返し提示すれば、ユーザーはそこから抜け出そうとしなくなる、興味関心の外にある情報は──自然と視界から消え…」隆一
「本来伝わってほしくない情報を、システム側が意図的に伝えなくなる、という訳ですか」"老紳士"
「その通り」隆一
"老紳士"は静かに頷いた。
「して、メインの作戦は?」"老紳士"
「トリニティ内部に、告発アカウントを幾つか作ってくれ」隆一
「…告発アカウントですか。」"老紳士"
「一方に、『こないだの爆弾はフィリウスの自作自演』と書き込む」隆一
「もう一方には、『爆弾の件はパテルが仕組んだ行為』と、真逆の内容を書き込む」隆一
"老紳士"は暫し沈黙し、それから小さく笑みを浮かべた声で応じた。
「──相反する二つの告発を、同時に、同じ場所に流す、と」"老紳士"
「あぁ」隆一
「面白い、実に面白い手ですね」"老紳士"
「投稿のタイミングは、ほぼ同じタイミングですか、それとも時間差を?」"老紳士"
「時間差だ、片方が賛否両論で燃え広がった頃合いを見て、もう片方をぶつける、そうすれば──余計に収拾がつかなくなる」隆一
"老紳士"は続ける。
「ただでさえ不安定なトリニティの情勢、そこに矛盾した告発を投下すれば──」"老紳士"
「火に油を注ぐ、いや、両方の陣営に油を撒いて、両方から火を点けるようなもんだ」隆一
「パテル学派もフィリウス学派も、相互が疑心暗鬼に陥る、否定しようとすればする程、相手方の告発の方が真実味を増していく──そういう構図になりますね」"老紳士"
情報が矛盾していればいる程、それを検証しようとする過程で人はより深く、より感情的にその話題へと絡め取られていく。真実を追求しようとする純粋な善意が、結果として炎上の火種を大きくしていくのだ。
「拡散という名の炎上、その勢いを利用し、内部の機能を強引に麻痺させる、という訳ですね」"老紳士"
「そうだ」隆一
隆一は静かに、しかし確信を持って言葉を紡ぐ。
「トリニティの生徒も、職員も、情報局も──皆、この矛盾した告発の真偽を巡って右往左往する事になる、真剣に検証しようとすればする程、時間と労力を吸い取られる」隆一
「その間、プロレフィードの方でも、一般生徒の興味関心はエンタメの方に吸い寄せられ──両方向から、処理能力を飽和させ…」"老紳士"
「あぁ」隆一
「デジタルデトックス、ですか」"老紳士"
「皮肉な話だけどな」隆一
隆一は小さく笑った。
「情報を与え過ぎる事で、むしろ人は情報から離れていく、限界まで水を吸った雑巾は、それ以上何も吸収出来ないだろ?後は絞って乾かす事しか出来ない」隆一
「実に、閣下らしい発想です」"老紳士"
"老紳士"は感心した様子で頷く。
「して、この作戦──名前は、決まっていますか?」"老紳士"
「あぁ」隆一
隆一は少し考え、それから告げた。
「──オペレーション・ノイズフラッド」隆一
「洪水の様なノイズで、真実を押し流す、と」"老紳士"
「その通りだ」隆一
"老紳士"は静かに頭を垂れる。
「では、早速手配致します、GLADIUSとDOLUS、両部隊に指示を」"老紳士"
「頼む」隆一
「──しかし閣下」"老紳士"
"老紳士"が、ふと問いかけるように声を発した。
「クリストファーの正体、これがバレたという事は──向こうも、我々の存在に気付き始めている、という事ですが」"老紳士"
「あぁ、分かってる」隆一
隆一は、少し表情を険しくする。
「ナギサかミカかハスミか、それとも彼女の下の誰かか……いずれにせよ、少しずつ、こっちの影を掴み始めてる」隆一
「対処は?」"老紳士"
「今は放っておく」隆一
「放っておく、と……宜しいのですか、下手をすればこのまま永楽の瓜蔓抄のように、我々の組織構造まで辿られる可能性も」"老紳士"
「あぁ、分かってる。だからこそ、慌てて動けば、それこそ尻尾を掴まれる、なら、こっちはこっちのペースで、粛々とやるべき事をやるだけだ。それに」隆一
「それに?」"老紳士"
「クリストファーの名前は既に用済みだ、切り捨てても痛くも痒くもない、あの名前を辿らせるだけ辿らせて、そこで行き止まりにしておけば良い」隆一
「なるほど、トカゲのように尻尾は差し出す、しかし胴体までは触れさせない、と」"老紳士"
「そういう事だ」隆一
隆一は窓の外──トリニティの夜景を見つめる。
「それと──」隆一
「それと?」"老紳士"
「向こうが焦れば焦る程、こっちの思うツボだ、情報の氾濫が本格化すれば、正常な思考判断なんて誰にも出来なくなる」隆一
告げる隆一の口元に、薄い笑みが浮かんだ。
「さぁ──そろそろ、始めようか」隆一
「畏まりました、閣下」"老紳士"
廃屋の中、二つの影が静かに揺らぎ──やがて、どちらも夜の闇に溶けて消えた。
後には、埃と月明かりだけが、静かにその場に残された。