The Hypocrite's Archive 作:Xelphyr
誤字脱字報告も同じく励みになります
トリニティ、ティーパーティー執務室。
窓の外から、微かに怒声が届く。夜が更けてもなお、その声は途切れる事なく、まるで街そのものが低く唸っているかの様だった。
爆弾テロから数日、事態はナギサの望む方向とは、真逆へと舵を切っていた。
「──また、ですか」ナギサ
報告書を受け取ったナギサは、そっと目を伏せる。
パテル、フィリウス両派の分裂は、既に修復不可能な域にまで広がっていた。「爆弾はフィリウスの自作自演」「爆弾の件はパテルが仕組んだ行為」──矛盾した告発が同時に拡散された結果、両陣営の対立は理性を失った憎悪へと変質している。
「本日も、街中で集団暴力が三件……生徒会の公的な場でも、殴り合いが……」ハスミ
「怪我人は?」ナギサ
「軽傷者が十数名……幸い重傷者はまだ出ていませんが、重傷者が出るのも時間の問題かと」ハスミ
「主に、どの区画で?」ナギサ
「フィリウス、パテル両陣営の生徒が多く住む、マンチェスター区とブリストル区の境界地域の駅広場に集中しています……あの辺りは元々、両派の生徒が入り混じって暮らしていた場所です」ハスミ
「よりにもよって、一番近くで暮らしていた者同士が、憎み合う羽目になっている、という事ですか」ナギサ
「はぁ……」ナギサ
怒りは力へと変換され、街を焼く。それはもはや言葉による対立ではなかった。
「一般生徒達は、何が起きているのかすら理解していません」マシロ
「何故取っ組み合っているのか、そして何よりも──何故、こんなに荒れているのか、その根本を知らないまま、憎悪という感情だけが蔓延している」ナギサ
「SNS上でも、双方の告発を巡って言い争いが絶えません。情報局と手を組んで削除しても削除しても、次から次へと湧いてくる状態です。寧ろ削除したら同様の発言が増えるばかりで…」マシロ
「発信元の特定は?」ナギサ
「複数のアカウントが同様の発言を行なっていますが……時間帯や発言、発信源から恐らく、グループではない散発的なものかと。それに、削除する端から新しいアカウントが立ち上がる有様で……追いつけていません」マシロ
「まるで、消せば消すほど燃え広がる火の様ですね」ナギサ
「ええ、その通りかと。まさにストライサンド効果*1がここで牙を剥く形になりましたね」マシロ
ナギサは静かに呟いた。それは、最も恐ろしい形の混乱だった。理由を知らないまま、ただ憎悪だけが冬の風邪の様に人から人へと伝染していく。
「──全土戒厳令を」ミカ
ミカが、珍しく真剣な声で切り出した。
「情報局と正実以外の全部の部活を、一旦止めるべきだと思う」ミカ
「……過去二度しか発令されたことがない、あの戒厳令をですか」ナギサ
「分かってる!でも──かといってこのまま部活も授業も普段通り続けていたら、ナギちゃんやハスミちゃんに、暴力の矛先が向いても…!」ミカ
「各部活の活動停止には、生徒会内でも反対の声が多いでしょう」ハスミ
「それに、何も知らない一般生徒からすれば…」ナギサ
「このまま何もしなければ、もっと酷い事になっちゃうし!」ミカ
「分かっています……でも」ナギサ
ナギサは唇を噛んだ。
「これは、生徒会への怒りを更に募らせるだけの結果になりかねません、下手をすれば──反エデン条約、いえ、トリニティの裏切者と結託する大義名分にすら、なりかねない」ナギサ
「……じゃあ、ナギちゃんはどうしたいっていうの!?」ミカ
「──今は、まだ分かりません」ナギサ
「………」ミカ
沈黙が、執務室を支配した。誰も、次の言葉を継げなかった。窓の外の怒声だけが、その沈黙を埋める様に、いつまでも低く響き続けていた。
深夜、ティーパーティー執務室──ナギサの自室。
「……っ、う……」ナギサ
込み上げる吐き気を堪えながら、ナギサは机に手をつく。胃の奥から突き上げる痛み、それを堪える様に、彼女は震える手で胃薬の瓶を取った。手元がひどく覚束なく、蓋を開けるだけで数秒を要した。
「げほッ……」ナギサ
コンコン、と控えめなノックの音が扉の向こうから響いた。
「ナギサ様、まだ起きていらっしゃいますか?お飲み物をお持ちしたのですが……」ハスミ
「──大丈夫です、今日はもう休みますので、お構いなく」ナギサ
「……はい、承知しました。お大事に」ハスミ
「(弱さは、見せられません……私が崩れれば、皆も崩れる)」ナギサ
喉の奥まで込み上げるものを、辛うじて呑み下す。それでも痛みは消えない。錠剤を数粒口に含み、水道水で無理矢理体の中へと流し込んだ。
「──確りしなさい、桐藤ナギサ」ナギサ
自身に言い聞かせる様に呟き、額に浮いた汗を拭う。
夜が更ける度、彼女の思考は堂々巡りを繰り返していた。
「(トリニティの裏切者は、確実に補習授業部にいる)」ナギサ
「(それなのに、先生は……)」ナギサ
依頼から数日、進捗の報告は一切ない。生徒を疑いたくないという、その言葉自体は理解出来る。だが、この非常事態にあって尚、彼が動いていないという事実は──。
「(怠けている、いえ……もしかして──)」ナギサ
「(いいえ、先生に限って、そんな事……)」ナギサ
ふと、脳裏を過るのは、以前彼と交わした何気ない会話。生徒達の成長を、まるで我が事の様に喜んでいた、あの穏やかな横顔。あの人が、悪意を持って何かを企むとは、到底思えない。
「(でも、もし本当にそうだとしたら──)」ナギサ
「(あの先生は、既に裏切者を特定していながら──匿っている、可能性がある)」ナギサ
そう考えた瞬間、胃がまた激しく痛んだ。
「うっ……げほ……」ナギサ
口元を押さえ、暫し蹲る。あの穏やかで、誠実で、生徒思いに見えた大人。しかし彼は、独立連邦捜査部という──トリニティの手が届かない、外部の権力を持つ者でもある。
「(もし、彼が裏切者を匿っているとしたら……)」ナギサ
その場合、事態は取り返しのつかない所まで来ている。トリニティ内部の問題であった筈のものが、今や外部の組織を巻き込んだ、より複雑な陰謀へと変質している可能性がある。
「(先生を、信じ切っていた私が──愚かだったのかもしれません)」ナギサ
「(では、どうすれば良いのか)」ナギサ
戒厳は発令出来ない。
「(説得を試みる、それとも情報局に全面協力を要請する……いえ、どちらも、時間がかかり過ぎます)」ナギサ
「(他に、方法は……いえ、もう時間がありません)」ナギサ
ならば──もっと、根本的な解決策が必要だ。
「(この混乱の元凶を、断つ)」ナギサ
パテルとフィリウスの分断、街中の暴力、そして裏切者を巡る調査の停滞──その全てを、一挙に解決する方法。
「(先生を、捕える)」ナギサ
その考えが浮かんだ瞬間、ナギサの背筋に冷たいものが走った。あまりにも危険な発想。だが──同時に、あまりにも合理的な発想でもあった。独立連邦捜査部の持つ超法規的権限、それがトリニティの現状を打開する鍵になり得る。だが、その権限を持つ者が非協力的、あるいは裏切者を庇っているというのなら──話は別だ。
「(独立連邦捜査部の権限、それを──私が、先生に成り代わって使う)」ナギサ
「(先生を無力化し、権限だけを継承する)」ナギサ
人ではなく、権限そのものを奪う。人道的とは言い難い、危険な賭け。しかし──今のトリニティに残された猶予は、あまりにも少ない。
「……それしか、ないのかもしれません」ナギサ
ナギサは椅子から立ち上がり、窓の外を見つめた。パテルとフィリウス、両陣営の明かりが、まるで対立する二つの炎の様に、夜のトリニティを赤く照らしている。
「(この光景を、これ以上広げさせない為に──)」ナギサ
「──ごめんなさい、先生」ナギサ
彼女は静かに、しかし確固たる決意を込めてそう呟いた。
「もし貴方が本当に、生徒を守ろうとしているだけの人ならば……どうか、私を恨まないで」ナギサ