The Hypocrite's Archive 作:Xelphyr
誤字脱字報告も同じく励みになります
合宿所裏手、渡り廊下。
夜風が二人の間を静かに通り抜けていく。月明かりだけが二人の輪郭をぼんやりと照らし、辺りには虫の音すら聞こえない、奇妙な静けさが満ちていた。普段の賑やかな合宿所の空気とはまるで切り離された、そんな場所だった。
「さっきも言ったかもしれないけれど、この中でナギちゃんの言う裏切り者に該当するのは、白洲アズサ……本当は敵対しているアリウスの生徒な訳だからね、でも、あの子は何も知らないまま、私のせいで複雑な政治的な争いの渦中に立つ事になってしまったから……こんな形で、退学なんてさせたくないの」ミカ
「だから、守って欲しい、それは今、先生にしか出来ない事だから──これが今の状況、ちょっと長かったけれど、今私が……話せる事の全部だよ」ミカ
言い終えたミカの表情には、隠しきれない疲労の色が滲んでいた。長く抱え続けてきた秘密を、ようやく吐き出せたからなのかもしれない。
「なるほどな──ありがとうよミカ、凡その事情は把握出来たよ」隆一
隆一は静かに頷きながら、今聞かされた内容を頭の中で整理していく。──尤も、どれもが簡単に飲み込めるものではなかったが。それでも、彼女がここまで打ち明けてくれた事実そのものを、まずは受け止めるべきだと思った。
「……えへへっ」ミカ
安堵した様に、ミカは口元を緩めた。しかし、その笑みはすぐにまた、どこか影を帯びたものへと変わっていく。
「ある意味ではさ、ナギちゃんにとっての裏切者は、私でもあるんだ、私はナギちゃんの進めているエデン条約に賛成の立場じゃないし、それに白洲アズサをトリニティに引き込んだのは、私だから」ミカ
「……確かに、ある側面で見れば、そうかもね」隆一
「でしょう?でも──でもね、先生」ミカ
ミカは一度、夜空を見上げる様に視線を逸らした。それから、意を決した様に再び隆一の方へと向き直る。
「私は、こうも思うの、本当の意味でトリニティの裏切者を考えるのであれば……」ミカ
「──それは、あのナギサでだって言う事も出来るって」隆一
「……………どうして?私が言おうとした事を?」ミカ
問い返すミカの声は、努めて静かなものだった。だが、その奥には確かな緊張が滲んでいる。何気ない世間話の延長ではない、そう肌で感じ取っていたからだ。
「さっきミカが言ってた通り、これまで
淀みなく紡がれる隆一の言葉には、普段の飄々とした調子とは違う、確かな熱と、それ以上の痛みが込められていた。
「──まぁでも、これを含めて全部全部、私からの一方的なお話でしかないよ、立場が変われば見方も変わる、私も、先生も、ナギちゃんもね?」ミカ
「だから、最終的には先生が決めて?キヴォトスの味方である先生が──
「勿論──私の味方をしてくれるのが、一番良いけれどね」ミカ
軽い言葉で締め括られてはいたが、その実、彼女が突き付けているのは決して軽くない選択だった。誰を守り、誰を裏切るのか──隆一は、その重みを静かに受け止める。
「……ミカは」隆一
「うん?」ミカ
「そんだけで、良いのか?」隆一
「あの子の事についてかな?それは、私に責任があるから……ホストでもない私には、ただお願いする事しか出来ないの」ミカ
その物言いには、どこか諦めにも似た響きがあった。まるで、自分に出来る事の限界を、とっくのとうに悟っているかの様に。
「違う違う、そうじゃない」隆一
「えっ?」ミカ
隆一は一度、言葉を選ぶ様に間を置いた。それから、真っ直ぐにミカを見つめる。
「俺はな、今、
「え、あ、うん?あ、う、うーん……」ミカ
予想していなかった言葉に、ミカは分かり易く狼狽えた。視線が忙しなく泳ぎ、頬には僅かに朱が差している。
「わ、私の心配か、そっか……あ、あはは、先生って本当に優しいね?何か、つい勘違いしちゃいそう……」ミカ
「大丈夫だよ先生!私、こう見えても結構強いんだから♪」ミカ
「強いのと、無理をしないのは、別の話だと思うけどな」隆一
「うっ……せ、先生、そういう正論、たまにズルいよ?」ミカ
図星を突かれた様に、ミカは僅かに視線を泳がせた。それでもすぐに、いつもの調子で笑って見せる。
「今、私が先生に頼みたいのはそれくらい!私は、私の出来る範囲で頑張るから!」ミカ
「そっか、偉いね、ミカは」隆一
「……そんな事ないよ!」ミカ
少しむきになった様なその返事に、隆一は思わず口元を緩めた。
ミカは軽く拳を握って見せたが、その仕草はどこか、無理に元気を装っている様にも見えた。隆一は、それ以上追及する事はせず、静かに頷いた。
それでも、何かが引っ掛かっていた。彼女の言葉の端々に滲む、隠しきれない疲労の色。それを見過ごす訳にはいかない、という思いが、隆一の中で静かに固まっていく。
「ミカ、最後にひとつだけ良いかな?」隆一
「えっ、あ、何々?何でも聞いて!」ミカ
軽い調子で応じるミカに対し、隆一の声色は、先程までとは僅かに違っていた。
「話したい事は──本当に、これで全部で良いのか?」隆一
その一言に、辺りの空気が僅かに張り詰めた。ミカの表情から、いつもの緩さが静かに抜け落ちていく。
「───」ミカ
浮べるのは、先程とは異なる──鋭く、強い感情を秘めたる表情。温厚で優しく、太陽の様な気配を纏わせていた隆一のそれが、一瞬で切り替わる。
「わ……──」ミカ
ミカの喉が、僅かに震えた。夜風が、二人の間をすり抜けていく。長い沈黙の後、彼女は絞り出す様に言葉を紡ぎ始めた。
「わ、わたし、ね……先生」ミカ
「……うん」隆一
「わ、私、本当は──!」ミカ
私は、聖園ミカは。先生あなたに、救われても良いのだろうか──と。
【──それは駄目だよ、私】???
「………」ミカ
「──ミカ?」隆一
その一瞬、ミカの表情から一切の色が消えた。隆一が咄嗟に一歩踏み出そうとするが、彼女はすぐに、いつもの笑みを取り戻す。
「ん……ごめん、先生」ミカ
「ミカ?」隆一
「ごめんね、先生、私が今話せるのは……これで全部だよ」ミカ
「……そう、か」隆一
隆一は、それ以上を問い詰める事はしなかった。今はまだ、その時ではないと、直感が告げていた。
「うん……分かった、ありがとう、ミカ」隆一
「ううん、こっちこそ」ミカ
二人の間に、ほんの一瞬だけ、穏やかな沈黙が流れた。
「今日は時間を取ってくれてありがとう先生、先生と話せて、すっごく楽しかった!」ミカ
「……あぁ、俺も楽しかったよ」隆一
嘘ではなかった。だが、それだけでは言い表せない何かが、隆一の胸の奥にはずっと燻り続けていた。
「ふふっ、なら良かった☆あんまり二人でずっといると、変な噂が立っちゃいそうだから、そろそろ行くね?それと、あんまり私に優しくすると取り返しのつかない事になっちゃうかもよ、いいの?……まぁ私は、それでも全然構わないんだけれど!」ミカ
「なんてね♪それじゃあ、先生、またね!」ミカ
その口調は、どこまでもいつも通りだった。けれど、隆一にはもう、それが完全にはいつも通りではない事に気付いていた。
最後にもう一度だけ振り返り、ミカはいつもの調子で小さく手を振った。その笑顔に、先程までの張り詰めた空気は、もう欠片も残っていなかった。彼女は、合宿所の向こう側へと姿を消した。その背中を最後まで見つめ続ける隆一は、強く拳を握り締めながら、呟く。
「──ミカ」隆一
声が、彼女に届く事はない。残されたのは、夜風の音と、彼女の残していった、まだ答えの見えない問いだけだった。