The Hypocrite's Archive 作:Xelphyr
誤字脱字報告も同じく励みになります
「あっ、先生!おかえりなさい!」ヒフミ
教室に戻った時、隆一を迎えたのはヒフミの爽やかな笑みだった。隆一は胸内に燻る感情を微塵も感じさせず、微笑みと共に片手を上げる。窓の外はすっかり夕暮れに染まり、教室には橙色の光が差し込んでいた。
「やぁ、ごめんねヒフミ、皆も、遅くなって申し訳ない」隆一
いつも通りの光景、いつも通りの温度感。ただそれだけの事だが、今の隆一には少しだけ、ありがたく感じられた。
「いえいえ、先生がお忙しいのは知っていますし──あら?」ハナコ
「先生、首元に何か、赤い線の様なものが……」ハナコ
「あれ、ホントだ」ヒフミ
「え、どこ、どこ?……あ、ホントだ、何これ」コハル
コハルも身を乗り出す様にして、隆一の首元を覗き込む。
「むっ、先生、まさか背後からカッターか何かで首を切られ──」アズサ
「なわきゃねぇだろ!?」隆一
「アズサちゃん、発想がいきなり物騒すぎます……!」ヒフミ
「でも、確かに気になりますね、先生、一体何があったのですか?」ハナコ
「これは大した事じゃない、ちょっとした事故みたいなものさ」隆一
「事故……ですか?」ヒフミ
「あぁ、ちょっとした不注意でね、大した怪我じゃないから、皆は心配しなくて良いよ」隆一
誤魔化す様に笑う隆一を前に、コハルは尚も納得のいかない様子で首を傾げていたが、それ以上追及する事はしなかった。
「あっと、そうでした!先生、こちらをご覧ください!」ヒフミ
「うん?」隆一
「先程受けた模試の結果です!」ヒフミ
「……あぁ!今日の分を先に済ませていてくれたんだね、ありがとう」隆一
隆一は差し出された紙を受け取り、目を通していく。
第二次補習授業部模試、結果──
ハナコ──40点、不合格
アズサ──56点、不合格
コハル──54点、不合格
ヒフミ──72点、合格
「……紙一重の差だった」アズサ
アズサは自身の解答用紙を見つめながら、悔しそうに眉を寄せた。
「はい!今回は本当に紙一重でした!あとたったの一問で合格点ですよ!?アズサちゃん、すっごく惜しかったんです……っ!」ヒフミ
「次こそは、必ず」アズサ
「アズサちゃんの伸び率も、地味に凄いんですよ、先生」ヒフミ
「そうだね、この調子なら次は確実だ」隆一
「ひ、ヒフミ!私のも見て!私だって、結構上がったよ!?」コハル
「はい、確りと見ましたよ!コハルちゃん、前回は46点だったのが一気に54点まで……凄いです!」ヒフミ
「ふっ、ふふーん!言ったじゃない、本当は実力を隠していたんだってっ!」コハル
得意げに胸を張るコハルを見て、隆一も思わず頬を緩めた。
「そして、ハナコちゃんは……40点、ですね」ヒフミ
「あら、私、頑張ったと思うのですけれど」ハナコ
「え、えぇと、前回よりは上がってはいますけど……ハナコちゃん、大丈夫ですか?」ヒフミ
「大丈夫ですよ、点数なんて所詮ただの数字ですから」ハナコ
「そ、その達観、逆に心配になってきます……」ヒフミ
「ふふっ、ヒフミちゃんは真面目ですね、でも大丈夫、次はちゃんと結果を出しますから」ハナコ
「そ、そう仰るなら、信じますけど……」ヒフミ
その言葉とは裏腹に、ヒフミの表情には拭いきれない不安がまだ残っていた。
「皆よう頑張ったな、このペースなら第二次特別学力試験は大丈夫そうだ」隆一
「は、はい!この調子でしたら、思ったよりも早く目標に届くかもしれません!」ヒフミ
「うん、必ずや任務を成功させて、あの可愛い奴を受け取ってみせる、それが私が此処に居る理由で在り、戦う目的だ」アズサ
「え、あ、アズサちゃん!?私達が此処に居る理由は試験と勉強であって、目的は落第を免れる事ですよ!?目的がすり替わっていませんか……!?」ヒフミ
「ん?……あぁ、そんな事もあったな、ついでにそれもやっておこう」アズサ
「ついで!?あうぅ……も、モモフレンズファンとしては嬉しくもあるのですが……」ヒフミ
「ん?何か問題があるのか?」アズサ
「問題しかないですよぅ!私達、本業は勉強なんですからね!?」ヒフミ
「大丈夫だ、両立させる、私は優秀だからな」アズサ
「その自信は、模試の結果と釣り合っていない気がしますけど……」コハル
「む、耳が痛い」アズサ
「た、耳が痛いなら、まずは勉強の方を優先してくださいっ……」ヒフミ
「善処する」アズサ
全く善処する気配のない返事に、ヒフミは深く溜息をついた。
「……?」ヒフミ
ヒフミがふと、廊下の方へ視線を向ける。微かに、足音の様なものが聞こえた気がした。
「あら?」ハナコ
「来客でしょうか?」ヒフミ
「みたいですね、食材の配達は頼んでいませんし、一体……」ハナコ
「あっ」隆一
「アズサ……」隆一
「うん?」アズサ
「あぁ、心配するな先生──侵入者対策に、ちゃんとトラップは仕掛けてあるぞ」アズサ
「ト、トラップ!?そんなの仕掛けてたの!?いつの間に!?」コハル
「昨晩、皆が寝静まった後にな」アズサ
「私達の知らない所で物騒な準備しないでよぉ……!」コハル
「──えっ?」ヒフミ
ヒフミが聞き返すのと、扉の外から声が響くのは、ほぼ同時だった。
「し、失礼致します……あの、どなたかいらっしゃいますか?」???
「あら、この声は──」ハナコ
その声に、ハナコだけが何かに気付いた様に、僅かに眉を動かした。
「へっ?きゃあぁああッ!?」???
教室の外から、けたたましい悲鳴が響き渡った。あまりの声量に、コハルは思わず肩を跳ねさせる。
「な、なに今の悲鳴、心臓に悪いんだけど……!」コハル
「うん、ちゃんと起動したみたいだ、良かった」アズサ
「あ、アズサちゃん、一体何を!?」ヒフミ
「前に言われた通り、殺傷性のないトラップにしてあるぞ?前に先生が掛かったタイプと同じ、ワイヤーを利用して足を絡め捕るタイプのものだ、さぁ、鎮圧に行こう」アズサ
「な、鎮圧って、相手はただの来客かもしれないんですよ!?」ヒフミ
「安心しろ、鎮圧してから確認すれば良い」アズサ
「順番、逆じゃないですか!?」ヒフミ
「こ、これは一体……!?と、取れなっ、う、動きが……」???
「さぁ、標的が逃げる前に続け!」アズサ
「あ、アズサちゃんんんッ!?」ヒフミ
「せ、先生、止めなかったの!?」コハル
「いやぁ、駄目って言うと露骨にしょんぼりするからさ……」隆一
「──うん、先生、生徒の笑顔には弱いんだよね」隆一
「いや、今そういう話してないから!?」コハル
「ま、まだ動けているという事は、大した怪我ではなさそうですけれど……先生、本当に良いのですか、あれ?」ハナコ
「まぁ、いつもの事だから」隆一
「先生がそう言うなら、そうなんでしょうね、多分」ハナコ
「いつもの事にしていいレベルじゃないと思うんですけど……」コハル
「まぁまぁ、コハルちゃんも慣れると案外楽しいものですよ?」ハナコ
「慣れたくない……」コハル
コハルの呟きに応える者は、もう誰もいなかった。教室の外では、アズサが嬉々として駆け出し、ヒフミがその後を慌てて追いかけていく足音が響いていた。残されたハナコは、くすくすと笑いを堪えながら、その様子を眺めている。夕暮れの教室に、賑やかな声だけが、いつまでも響き続けていたのだった。