The Hypocrite's Archive 作:Xelphyr
誤字脱字報告も同じく励みになります
「う……うぅ……」レイナ
執務室、来賓用のソファの上でうつ伏せになったまま呻くレイナ。彼女の傍らには、空になった胃薬の瓶が幾つも転がっていた。
「大丈夫か、レイナ」隆一
「た、大丈夫です……多分……救急箱の正露丸、ほとんど頂いちゃいましたけど……」レイナ
「いや、それはいくらでも補充が効くから別に良いが、そんなに酷いのか……まんまの意味で道草でも食ったのか知らんが、どんだけだ?」隆一
「お、お腹の中で戦争が起きてます……」レイナ
「…戦況は?」隆一
「下痢…じゃなくて、劣勢です……援軍を、お待ちしております……」レイナ
「敵の数は?」隆一
「わ、分かりません……無数、です……胃薬の援軍だけが頼りです……」レイナ
「援軍っつっても、胃薬以外に俺が出来る事なんて……病院?救護騎士団呼ぶか?」隆一
「せ、先生の温かい言葉だけで、十分です……」レイナ
「温かい言葉ね……大丈夫、絶対良くなるから」隆一
「あ、ありがとう、ございます……」レイナ
やつれた声を絞り出しながら、レイナはシーツに顔を埋める。隆一は苦笑しながら布団を一枚、彼女の背中に掛けてやった。
「無理せず休んでな」隆一
「はい……申し訳ございません……」レイナ
そんな折、控えめなノックが響いた。
「失礼します、先生」ヒフミ
「あぁ、ヒフミか、どうぞ」隆一
いつもの時間、いつもの訪問者。ヒフミは部屋に入るなり、ベッドで蹲るレイナの姿に目を丸くした。
「あ、あの、レイナさん、大丈夫ですか……?」ヒフミ
「うぅ……大丈夫、です……」レイナ
「昼間は元気そうだったんですけど……」ヒフミ
「まぁ、環境やら云々だろう。色々あるんだよ」隆一
隆一は苦笑しながら、テーブルにヒフミの分のココアを注ぐ。湯気が、静かな部屋にほんのりと甘い香りを漂わせた。
「それで、今日は模試の結果について、少し相談したくて」ヒフミ
「ああ、二回目の模試だったな」隆一
「はい、正直、結果を見るまで少しドキドキしていました」ヒフミ
二人はテーブルに向き合い、先日の第二次補習授業部模試の結果表を広げた。
「アズサちゃんとコハルちゃんは、随分と伸びましたよね」ヒフミ
「あぁ、あと一歩ってところまで来た、コハルは特に伸び代が凄い」隆一
「はい、この調子で行けば、次こそ3人とも合格圏内に届くと思います」ヒフミ
「コハルは、最初はあんなに苦戦していたのにな……人は変わるものだ」隆一
「コハルちゃんが聞いたら、きっと得意げになりますね」ヒフミ
「うーん……」隆一
隆一は腕を組み、紙面の数字を睨みつける。理屈としては筋が通っている様で、どこか信用しきれない──そんな微妙な顔だった。二人が難しい顔で紙面を見つめていると、再びノックの音が響いた。
「し、失礼します、先生」ハナコ
声と共に開いた扉、そこに立っていたのは水着姿のハナコだった。
「あら、ヒフミちゃん、先客がいらっしゃったんですね」ハナコ
「ハ、ハナコちゃん……?ど、どうしてその恰好……」ヒフミ
「あぁ、これはパジャマです、お気になさらず」ハナコ
「パジャマ、なんですね……」ヒフミ
「はい、パジャマです」ハナコ
「……もう一度聞いても、同じ答えが返ってきそうですね」ヒフミ
「ふふっ、正解です」ハナコ
ヒフミは何度目かの困惑を隠せない様子で、視線を彷徨わせる。隆一はレイナの様子を横目に確認しながら、二人を座らせた。
「それで、ハナコも相談があるんだよな?」隆一
「えぇ、アズサちゃんの事について、少し」ハナコ
「アズサちゃんの……?」ヒフミ
「実はアズサちゃん、毎晩のように何処かへ出かけては、夜明けまで戻って来ない事が続いているんです」ハナコ
「えっ、よ、夜明けまで、ですか……?」ヒフミ
「はい」ハナコ
そうしてハナコが語って聞かせた内容は、凡そアズサが睡眠をとっているとは思えないという事。そして、自身が目の届く範囲で彼女が眠った姿を殆ど見た事が無いという事であった。
「それは……まあ確かに心配だな。仮にその『出かけた先』で睡眠を取ってるとしても、取れてまあ4時間5時間と言った具合か?」隆一
隆一は静かに相槌を打ちながらも、その表情には僅かな翳りが差していた。何か思う所があったのかもしれないが、それを口にする事はなかった。
「そうなんです、私は、アズサちゃんが夜にちゃんと眠っているところを殆ど見た事がありません」ハナコ
「そういえば私も……アズサちゃんはいつも誰よりも先に起床していますし、私より早く寝ている事もなかった様な──」ヒフミ
「……アズサちゃんが一体何をしているのかは分かりません、ですがそろそろ多少無理矢理にでも寝かせて休息をとらせてあげないといけないのでは、と」ハナコ
「それに何だかアズサちゃん、どこか……凄く不安そうで」ハナコ
「どんな事情なのかは分かりませんが、補習授業部の仲間として、友人として、どうにかその不安を少しでも軽減してあげたいんです、きっと、このままだと倒れてしまいます」ハナコ
「それは、確かにその通りですね……」ヒフミ
「それに、もし本当に無理をさせ続けて、アズサちゃんが倒れてしまったら……試験どころではなくなってしまいますし」ヒフミ
「はい、まさにその通りです」ハナコ
「それと、先生とヒフミちゃんも、ちゃんと寝ないと駄目ですよ?毎日こうやって夜に集会をして、明日に備えるのは立派だと思いますが、疲労は蓄積しますから」ハナコ
「あ、あはは……その、仰る通りで」ヒフミ
「せ、先生も、一体いつ寝て……」ヒフミ
「あぁ、俺は別に大した問題じゃない。補習授業部のみんなに比べりゃ、影響なんて屁でも無い」隆一
「確かに試験も大切ですが、ただ落第というだけです、身体の健康と比べられるようなものではないと思いませんか?」ハナコ
「それは──」ヒフミ
ヒフミはその言葉に思わず、隆一に視線を向けた。そして、隆一がそっと一つ頷きを返せば、唇を噛み締め、唸るような声で口を開く。
「普通であれば、そうだったのかもしれません、でも……今回は、違うんです、今回だけは……!」ヒフミ
「──ヒフミちゃん……?」ハナコ
「ただ、ただ落第で済む話ではないんです……!あと二回、どちらの試験も不合格だったら……!」ヒフミ
「──退学なんですっ!私達は、トリニティを去らないといけないんです……ッ!」ヒフミ
「え……退学?ヒフミちゃん、それはどういう……いえ、まさか、その様な事、校則上成り立ちません」ハナコ
「………」隆一
「……先生?」ハナコ
ハナコの視線が、真っ直ぐに隆一へと向けられる。冗談であって欲しい──そう願う様な、僅かな縋りが、その瞳の奥に見えた。
「まさか、本当に──?」ハナコ
「……あぁ、これは、嘘でも何でもねぇ。こういう情報こそ、昼間のコハルが言ってた『真偽不明の情報』であって欲しかったんだがな」隆一
「──詳しく、聞かせて頂けますか?」ハナコ
部屋の隅で、レイナがそっと呻き声を漏らす。
「う、うぅ………」レイナ
「あ、レイナさん、大丈夫ですか……?」ハナコ
「だ、大丈夫です……皆さん、続けて……下さい……」レイナ
「無理すんなよ、レイナ」隆一
「はい……胃薬さえあれば、私は、どうにか……」レイナ
「そこまで胃薬に頼られると、逆に心配になってくるな……」隆一
その健気な返事に、ヒフミとハナコは思わず顔を見合わせ、小さく笑みを零した。深刻な話の合間にも、この部屋にはどこか温かい空気が流れている。
窓の外はとうに真っ暗で、時計の針は既に日付を跨ごうとしていた。それでも、この部屋の四人──いや、ソファに蹲るレイナを含めた五人は、誰一人として眠る気配を見せない。
ハナコの真剣な声が、深夜の部屋に静かに響き続ける。今夜もまた、補習授業部の秘密の会合は、長く続きそうだった。