The Hypocrite's Archive 作:Xelphyr
「──ご無沙汰しております、先生」ナギサ
「やぁ、ナギサ」隆一
麗らかな日差しが差し込む正午。大抵、此処に来る時は夜だったなと、隆一はふとそんな事を想った。ティーパーティーのテラス、目前にはいつも通り、優雅に紅茶を嗜み綺麗な笑顔を浮かべるナギサがいる。風もなく、穏やかな昼下がりだった。
「あれからお変わりはありませんか?合宿の方は如何でしょう、何か困った事などあれば遠慮なく仰って下さい」ナギサ
「お陰様で何とか、今のところ順調だ」隆一
「……なんだこれは、凄く良い香りだな。どこ産だ?」隆一
「えぇ、此方はトリニティでも中々手に入らない、トワイライト社の高級茶葉を使用しておりますので」ナギサ
「それは……果たして俺が飲むに値するのかな?」隆一
「勿論です、先生の為に用意したものですから、香りも味も、素晴らしい一品ですよ──さぁ、どうぞ」ナギサ
「……まあ、頂くとするよ」隆一
促され、隆一は恐る恐る口を付ける。爽やかな香りの奥に確かな甘みがあり、その中にほんの僅かな酸味が潜んでいた。香り、コク、渋み──三拍子揃ったその味わいに、思わず舌を巻く。
「これは……うん、凄く美味しいね」隆一
「ふふっ、気に入って頂けたのなら何よりです」ナギサ
ナギサが嬉しそうに微笑み、自身のカップにも口を付ける。しばらくそうして紅茶を嗜んだ後、隆一はカップの中身が半分程に減った辺りで、本題を切り出した。
「……それで、今日はどんな用事だ?」隆一
「ふふっ──この合宿はいうなれば元々、生徒達を良く観察できるようにという配慮でしたので──如何でしたでしょうか?合宿中、何か判明した事などはありましたか?」ナギサ
「………」隆一
「あぁ、もっと直接的に言いましょうか、先生──トリニティの裏切者は、どなただと思いました?」ナギサ
その問いに、隆一はカップを静かにソーサーへ戻した。柔らかな笑顔の下に潜む、確かな探りの色。それを見逃す程、隆一も鈍くはなかった。
「……ナギサ、俺の言った事を忘れたのか?俺は、俺のやり方で始末する──と」隆一
「……そうでしたね」ナギサ
聞き届けたナギサは、そっと溜息を一つ零す。落胆は見えない──いや、見せていないだけかもしれない。彼女は背筋を正すと、淡々とした口調で続けた。
「ただ、第二次特別学力試験を目の前にして、改めてそこを確認しておきたかったのです、先生に心変わりはないか、気になる点はなかったのか──……恐らく、ミカさんも接触して来ましたよね?」ナギサ
「………」隆一
返答はなかった。しかしその沈黙こそ、どんな言葉よりも雄弁な肯定だった。ナギサは僅かに身を乗り出す様にして、問いを重ねる。
「ふふっ、ミカさんと何をお話しになったのか──よろしければ、教えて頂けませんか?」ナギサ
「……生憎こちらにも守秘義務があるのでな」隆一
隆一ははっきりと拒絶を返した。生徒個人の秘密を漏らす事はしない──それは、人としての最低限のルールだ。
「ナギサ、俺は誰かに疑心暗鬼になる事に時間を費やすつもりはない……俺に出来る事はただ一つ、
その言葉に迷いはなかった。何度問われようと、答えは変わらない──そんな確信が、隆一の声には滲んでいた。暫し、二人の視線が交わったまま静止する。やがてナギサは肩を竦めると、言葉を切り替えた。
「……一度改めて説明しましょうか、何故彼女達が選ばれたのか、私としても先生と対立する事態は避けたいのです」ナギサ
「私がそれで、納得すると?」隆一
「何事も話さねば始まりません、私達は理解し合える存在だと信じております──先生の方にも情報網はあると思いますが、一先ず、順番にお話ししましょう」ナギサ
そう前置きして、ナギサは一人ずつ、淡々とした口調でその名を挙げていく。
「……まずコハルさん、彼女はハスミさんを統制するための存在です、ハスミさんはゲヘナの事を酷く嫌悪し、いつ何をしでかすか分からない時限爆弾の様な存在ですから、それをある程度コントロールする手段が必要でした、
「そしてハナコさん、彼女は本来誰よりも優秀な才能を持っていたにも関わらず、今はわざと試験で本気を出していません……今は何を企んで、何を考えているのか、全く理解出来ない状態です」ナギサ
「アズサさんは、そもそも存在自体が色々と怪しいところばかりです、他の生徒達と何度も暴力事件を起こしている統制不能な存在ですし……まぁ、私でなくとも疑念を抱くでしょう」ナギサ
淡々と、まるで報告書を読み上げるかの様に語られる三人分の理由。だが、最後の一人の名を口にする段になって、その口調は僅かに詰まった。
「ヒフミさん、は──」ナギサ
「………そういや、ナギサは、ヒフミと仲が良いんだってな」隆一
「………」ナギサ
数秒の沈黙の後、彼女は目を伏せたまま答えた。
「……はい、そうですね、ヒフミさんへの想いは、かなり特別です。私は一個人として、ヒフミさんの事をとても大切に想っています、私は、彼女の事を好いている──そのことは、間違いありません」ナギサ
「なら、そんな人質やら容疑者だらけの場所に何故彼女を巻き込んだんだ?」隆一
「──あの子の正体が、実は恐ろしい犯罪集団のリーダーである、という情報がありました」ナギサ
その一言に、隆一は静かに息を呑んだ。ヒフミの顔を思い浮かべながらも、彼はそれ以上口を挟まず、ナギサの言葉の続きを待った。
「こういったお話が、かえって一番恐ろしいのです、信じていたからこそ何かが見えなくなっている──盲目な状態になっているのでは、と」ナギサ
「どれだけ注意を払って築いた塔も、小さな亀裂から簡単に崩れてしまうもの……私はちゃんとヒフミさんの事を理解出来ているのか、それともやはり私が知らない真実があるのか──今の私には、分からないのです」ナギサ
「……ヒフミは、そんな子じゃねぇ、あいつは善性の塊だ」隆一
「──何故、そう言い切れるのですか?」ナギサ
声が、鋭く突き刺さる。彼女の指先が、膝の上でぐっと握り込まれた。先程までの柔らかな物腰は、既に鳴りを潜めている。
「ヒフミさんの感情を、思考を、気持ちを、証明出来るのですか?その本心を、本音を、心を──一体、どうやって証明するというのです?そんな子ではない、誤解だ、事情がある……そんな言葉に、どれだけの意味があるのですか、どれだけの真実性が含まれているのですか」ナギサ
「先生、あなたは疑う事を悪しき行為だと、そう考えている節が見られます──しかし、私の考えは異なります、疑う事は決して悪しき行為などではありません」ナギサ
「信頼というものは心地良きものでしょう、けれどそれは時に枷となります、人を信じ、盲目となれば、いつかその信じた人が疑って欲しくないものを持ちだした時──あなたはきっと、疑う事すらしないでしょう……信頼を盾に、見過ごすに違いありません──
──心の中身など、証明出来るものではないのですから」ナギサ
結局のところ、彼女の言葉はそこに尽きる。目に見えるものだけが、信じるに値する──そう言わんばかりの、確固たる論理だった。
「ヒフミさんは優しい子、えぇ、良く理解していますとも──彼女の優しいところも、礼儀正しいところも、友人想いなところも、それらを痛い程知って尚、その本音を知る事は叶いません、当然です、どう足掻いたって私達は所詮……他人なのですから」ナギサ
突き放す様な物言いの奥に、隆一は僅かな痛みの色を感じ取った。それでも、ナギサはその歩みを止めない。
「だから──退学させると?」隆一
「えぇ、エデン条約──その成功の為に」ナギサ
「大義の前の小事……そう片すんだな、ナギサは」隆一
「はい、それがティーパーティーとしての責務です」ナギサ
「たとえそれが、無辜の生徒だとしても?」隆一
ナギサは僅かに口を結び、俯いた。数秒の間があった。それが罪悪感の発露なのか、覚悟を固める為の逡巡だったのか、傍からは窺い知れない。
「はい、それが無辜の生徒だったとしても、僅かな可能性があるのならば、私は──」ナギサ
再び顔を上げた彼女の瞳には、鋼の如き覚悟が宿っていた。テラスに満ちていた穏やかな空気は、既に跡形もなく消え去っている。
「私の大切な友人すら、切り捨てましょう──このトリニティの為に」ナギサ
その声は静かで、けれど確かな覚悟に満ちていた。テラスに差し込む正午の光だけが、変わらずそこにあった。