The Hypocrite's Archive 作:Xelphyr
誤字脱字報告も同じく励みになります
「………」ナギサ
「………」隆一
二人の視線がぶつかる。互いに、鋼と鋼を孕んだ瞳が。テラスに満ちていた穏やかな空気は、既に張り詰めた糸の様に強張る。差し込む陽光さえも、どこか冷たく感じられる。
「──分かった、ナギサ」隆一
その声は、静かでありながら確かな重みを持っていた。ナギサは、その一言に僅かな安堵を覚える。
「っ、先生──」ナギサ
その一言に、ナギサの表情が僅かに緩んだ。ご理解頂けたのですね──そう続けようとした矢先だった。長い睫毛の奥で、彼女の瞳が微かに揺れる。
「その考えには、やはり賛同出来ない」隆一
「───」ナギサ
緩みかけた表情が、瞬時に凍りつく。左右に揺れる瞳が、彼女の動揺を如実に物語っていた。
「先生……本気で仰っているのですか?今の言葉」ナギサ
「あぁ、本気だ──ただ信じるだけではいけない、それに関しては概ね同意しよう、これは単なる俺の我儘だからね、俺も、他者を疑るという行為全てを否定する訳じゃない」隆一
「では、何故……?」ナギサ
問い返すナギサの声には、僅かな苛立ちが滲んでいた。理解し合えると信じていた分だけ、その裏切りにも似た拒絶は、彼女の胸に深く突き刺さる。握り締めた拳が、僅かに震えていた。
「俺はな、ナギサ──最初から全員が笑える可能性を切り捨てて他者の犠牲を容認し、誰かを犠牲にしようとしている理想をハナから諦めているその姿勢が認められないんだ」隆一
「俺は、たとえ這い蹲って汚れ切っても、どれだけ血反吐を吐いて苦しんでも、生徒全員が笑って迎えられる──そんな奇跡みたいな明日を生徒達に届けるために、このキヴォトスで先生をやっている」隆一
「……それは、理想論に過ぎません」ナギサ
「その通りだ」隆一
あっさりと肯定する隆一に、ナギサは思わず眉を寄せた。
「認めるのですか?それが荒唐無稽な話である、と」ナギサ
「あぁ、荒唐無稽で結構だ、それでも俺は諦めるつもりはない」隆一
「大人が語る事ですか?それが」ナギサ
「大人が理想を語らなければ、子供達が理想を語れなくなるだろう」隆一
「随分と、身勝手な理屈ですね」ナギサ
「身勝手で結構だ、それが俺の在り方だからな」隆一
「まるで、子どもの出鱈目な夢物語ではありませんか」ナギサ
「理想も夢も、出鱈目であれなんであれ抱かなければ始まらないだろ?」隆一
「そんな事──出来るとでも?」ナギサ
「その為に俺は、此処キヴォトスに居る」隆一
言い切った隆一の瞳に、迷いの色は欠片もなかった。その返事は、まるで会話そのものに幕を引くかの様に、静かで確固たるものだった。
「……先生は、本当に変わりませんね」ナギサ
その声には、呆れと、それでいてどこか羨む様な響きが混じっていた。
「変わらない、か……悪い事とは思わないけどな」隆一
「えぇ、悪い事とは申しません、ただ──羨ましいだけです」ナギサ
「羨ましい?」隆一
「先生の様に、迷いなく理想を語れる強さが、私にはありません、私はいつも、最悪の事態を想定してからでなければ、一歩も動けないのです」ナギサ
「それも、ナギサなりの強さだと俺は思うけどな」隆一
「……お上手ですね、先生は」ナギサ
「お世辞だと思うか?」隆一
その言葉には、初めて彼女自身の弱さが滲んでいた。だが、それも一瞬の事だった。ナギサはすぐに、いつもの冷静な仮面を被り直す。仮面の下に何を隠していようと、それを誰かに見せる訳にはいかない──それが、彼女の生きてきた道だった。
隆一とナギサは口を一文字に結ぶ。それ以上の問答は、不毛であった。ナギサは疑う事を説き、隆一は信じる事を説いた。それが、二人の決定的な分水嶺だった。
「……そう、ですか」ナギサ
その声は低く、感情の抜け落ちた様な響きを帯びていた。膝の上で握り込んだ拳を、彼女は数度深呼吸を挟んで解いていく。
「……えぇ、理解しました、理解しましたとも──つまりは、お話がシンプルになったという事です」ナギサ
その声色に、隆一は一瞬だけ違和感を覚えた。だがそれを言葉にする間もなく、事態は動き出す。そこまで言い終わると、ナギサは突然、
ホルスターから拳銃を取り出し、銃口を隆一に突き付ける。
「なんの悪戯だ!?今自分がやっている事を見返してみろ!?」隆一
「──どうあっても、その在り方を曲げられないのですね、あなたは」ナギサ
「──その話をしているのではない!何故俺に銃口を向けっ…!?」隆一
──そしてすぐに、彼の勘がそれを掴んだ。後ろに武装した侍従三人、明確な挑発だ。テラスを囲む様に展開したその陣形は、初めから用意されていたものだった。逃げ場はどこにもない。それどころか、そもそも逃げる気すら、隆一にはなかった。
「……先生…いえ。独立連邦捜査部顧問、天音隆一!」ナギサ
「何の真似だ!答えろ!」隆一
「貴方を、テロ行為幇助の容疑で拘束する!」ナギサ
その言葉が耳を打ち、隆一はきびすを返しテラスを後にしようとする。しかし侍従の女は手首を掴み、彼の両手と両腕をロープで縛る。
「こんな真似をして、ただで済むと思っているのか!?血迷ったなナギサ!」隆一
「済むかどうかは、これからの貴方次第です」ナギサ
抵抗虚しく、隆一の両腕は確りと拘束された。振り解こうと身を捩るが、侍従の拘束は思いのほか堅牢で、僅かな隙間すら生まれない。それを見届けたナギサは、静かに椅子から立ち上がる。
「アズサやコハル、ハナコとヒフミには、指一本触れさせない──良いな、ナギサ」隆一
拘束されてなお、隆一の声には確かな凄みがあった。ナギサは、その眼光から視線を逸らさずに答える。
「貴方がそうやって睨みを利かせずとも、私だって鬼ではありません」ナギサ
「それなら良いんだけどな」隆一
「補習授業部の皆さんに危害を加えるつもりはありません、私が求めているのは、あくまで真実だけです」ナギサ
「真実、ね……なら、ちゃんと自分の目で見て確かめる事だな」隆一
「言われるまでもありません」ナギサ
拘束された両腕のまま、隆一は静かにナギサを見据えた。その瞳には、屈する事のない強さが宿っている。ナギサは一瞬だけ視線を逸らしかけたが、すぐに己を律する様に姿勢を正した。
「──さようなら」ナギサ
「……あぁ」隆一
短く応じる隆一の声に対し、彼女には抗いようのない諦観と、それでも消えない強い意志が同居していた。
「とても──とても、残念です」ナギサ
「──俺もだ、ナギサ」隆一
その一言に、ナギサの喉が僅かに詰まった。だが、彼女はそれを表情には出さなかった。感情を殺す事にかけては、彼女もまた、相応の場数を踏んでいる。
「あなたとは、可能ならば敵対などしたくなかった……けれど、物事には優先順位があり、個人的な友好や信頼を優先してはティーパーティーとしての資格を失います、私は、あくまでトリニティの長、このティーパーティーのホスト、そこに、理想が入り込む余地はありません」ナギサ
「──ナギサ、2度と、その汚い手を生徒につけるなよ?」隆一
「それは、貴方の態度次第です」ナギサ
彼はそう言い残し、侍従に連れられテラスを後にする。連行されていくその背中に、最後まで卑屈さは見られなかった。むしろ、まるで自分の意志で歩いているかの様な、堂々とした足取りだった。その足取りに、一切の迷いは見られなかった。扉が閉ざされ、辺りには再び静寂が戻る。
「……
ナギサは一人、盤上に残されたチェス盤の前で立ち尽くしていた。指先が、キングの駒をそっとなぞる。誰もいなくなったテラスに、彼女の呟きだけが静かに響いていた。
「(本当に、これで良かったのでしょうか……)」ナギサ
いくら自問しても、答えは返らない。迷いを振り払う様に、ナギサは強く目を閉じた。感情に流されれば、全てが瓦解する。それだけは、絶対に避けなければならなかった。
「──もう、私は選んだ後なのですよ、先生」ナギサ
その呟きは、誰に届く事もなく、静かにテラスの空気へと溶けていった。
──その指先が、静かにキングを弾く。カコン、と乾いた音が響き、駒は倒れたまま、二度と動く事はなかった。