The Hypocrite's Archive 作:Xelphyr
誤字脱字報告も同じく励みになります
「試験に三回落ちたら……退学!?」コハル
「……成程」アズサ
大まかな事情を説明し終わった後、教室にはコハルの動揺した叫びと、アズサの淡々とした声が響いた。ヒフミは不安げな表情を隠す事も出来ず、呟く。全てを打ち明けた今、彼女の肩からは、少しだけ重荷が下りた様にも見えた。
「か、隠していてごめんなさい……まさか、こんな事になるなんて……」ヒフミ
「ど、どうしよう、どうすれば良いの……!?退学になんてなったら、正義実現委員会に復帰できない……!」コハル
「それは──」ハナコ
ハナコが何かを口にしようとした時、アズサは机の上に背嚢を置いた。その所作には、迷いというものが一切見られなかった。
「……状況は理解した、兎に角今は準備をして、直ぐにでも出発しよう」アズサ
「えっ、今からですか!?でも──」ヒフミ
「──試験時間が、深夜の三時と記載されている、今から出発しないと間に合わない」アズサ
「えっ?あ……ほ、本当だ……!」ヒフミ
ヒフミがもう一度掲示を確認すれば、試験時間は翌日の午前三時とされている。時計を見れば、もう直ぐ十一時を回ろうとしていた。猶予は、驚く程に少ない。
「驚くにせよ、怒るにせよ、絶望するにせよ……それは、試験を受けてからでも遅くない、障害物の多さに文句を言っても現状は変わらない、大切なのは最後まで足掻く事──今は動こう」アズサ
「う、うぅ……」ヒフミ
「……そうですね、アズサちゃんの言う通り、今は兎に角動くしかありません」ハナコ
皆がアズサの言葉におずおずと頷き、各自バッグに筆記用具などを詰め始める。そんな折、レイナが弱々しく声を上げた。
「あ、あの、皆さん……」レイナ
「レイナさん?」ヒフミ
「私……このままだと、駄目かもしれません」レイナ
「どういう事?」アズサ
「先生が居ない今、私がトリニティに居る理由付けが……その、無くなってしまいます、恐らく、このままだと私は先生に協力したスパイとして捕まってしまう、と……」レイナ
その言葉に、皆の顔が一斉に強張った。頼りにしていた先生の不在が、こんな形で影響を及ぼすとは、誰も想像していなかった。
「そ、それって……!」コハル
「私も同じくです」ミヅホ
教室の隅で控えていたミヅホが、静かに口を開く。
「ティーパーティーの命を受けていたとは言えど、ここでは先生の職権を借りて動いていた身です。彼の失脚が確定してしまえば、私も職務不履行で罷免──良くて、それで済めば御の字でしょう。あなた方と同じように、或いは私だけ除籍にされてもおかしくはないです…」ミヅホ
「そんな……!」ヒフミ
「……先生の権限を、代わりに使えるものが、何かないでしょうか」ハナコ
「代わりに、って……そんな都合の良いモノ、そうそう──」コハル
「──探してみましょう」ヒフミ
ヒフミの声に、皆が視線を向ける。彼女は決意を固めた表情で、静かに告げた。
「先生の執務室、まだ荷物が残っている筈です、もし何か手掛かりがあるなら──」ヒフミ
「……確かに、可能性はゼロではありません」ミヅホ
「よし、行こう」アズサ
合宿所、隆一の執務室。
鍵の掛かっていない扉を開け、皆はそっと足を踏み入れた。しかし、そこに広がっていた光景に、全員が思わず言葉を失う。
「……う」コハル
「これは、また……」ハナコ
デスクの上には弁当の空き容器、床には空になったビール缶が幾つも転がっている。ゴミ箱の中は吸い殻とビールの空き缶、空き瓶で溢れかえっていた。普段の穏やかな執務室からは、想像も出来ない有様だった。
「せ、先生、意外とだらしないんですね……」ヒフミ
「……先生も、人だという事だ」アズサ
「今は先生の私生活を評する時ではありません、探しましょう」ミヅホ
ミヅホの一言に、皆は気を取り直し捜索を開始する。書類の山、資料の束、それらを一つ一つ確認していく。
「うぅ……見つからない……」コハル
「こちらの棚も、それらしいものは……」ハナコ
時間だけが過ぎていく中、ヒフミはふとデスクの引き出しに手を掛けた。
「……あ」ヒフミ
二段目の引き出し、その一番上。そこに、一通の封筒が置かれていた。表には走り書きの文字。まるで、誰かがこうなる事を見越していたかの様に、ひっそりと佇んでいた。
「『困ったら使ってね』……?」ヒフミ
「な、何よそれ!」コハル
「わ、分かりません、でも……」ヒフミ
ヒフミは文房具立てに刺さっていたカッターを手に取り、封を丁寧に切り開く。中から出てきたのは、一枚の書類だった。
「これは……」ヒフミ
「全権委任状、ですか?」ハナコ
覗き込んだハナコが、驚いた様子で呟く。書類には、独立連邦捜査部の正式な印章と共に、こう記されていた。──『代理人』の権限行使を、天音隆一が独立連邦捜査部の名において認める。
「こ、これって……!」コハル
「まさか、本当にこんなものを用意していたなんて……」ミヅホ
「……先生らしい、というか」アズサ
ヒフミは手にした書類を、暫くの間じっと見つめていた。
「(──こんな事もあろうかと、先生……)」ヒフミ
こんな最悪の事態すら想定していたのだろうか。あの人の優しそうな笑顔の裏に、こんな備えがあったなんて。ヒフミは込み上げる感情を堪えながら、静かにペンを取った。
「私が……『代理人』になります」ヒフミ
「ヒフミちゃん……」ハナコ
「私が、補習授業部の部長ですから──皆を、守ります」ヒフミ
その声には、普段の彼女からは想像も出来ない、確かな覚悟が滲んでいた。告げ、彼女は書類の代理人欄に、自らの名前を記した。この瞬間だけは──阿慈谷ヒフミは、独立連邦捜査部の一員として、活動する事を決めたのだ。
「よし……これで、少なくとも建前は整いました」ミヅホ
「あとは、この身分証明を使ってどこまで通用するか、ですね」ハナコ
「兎に角、時間が惜しい、今すぐにでも出よう」アズサ
「準備は?」ヒフミ
「私は直ぐにでも」アズサ
「だ、大丈夫よ」コハル
「え、えっと、た、多分!」レイナ
「問題ありません」ミヅホ
「良し……行きましょう、試験会場に」ヒフミ
しかし、事はそう単純ではなかった。
「……車両、悉く貸出不可、ですか」ミヅホ
トリニティの公用車は軒並み使用中、周辺のレンタカーやタクシーも、片っ端から予約済み、あるいは営業時間終了。あからさまな根回しに、ハナコは思わず顔を顰めた。これ程までに徹底された妨害を前に、誰もが敵の周到さを思い知らされる。
「──根回しは完璧、という事でしょうか…」ハナコ
「こうなると地下鉄などの公共交通機関か、最悪徒歩で向かうしかありませんね」ミヅホ
「で、でもこんな時間に地下鉄なんて……」コハル
「辛うじてセントラルラインは動いているかもしれませんが、時間も時間なので終電も近いでしょうし、それにゲヘナ自治区に向かうものは、もう流石に──」ハナコ
「……走るしかない、という事か」アズサ
誰もが、その一言に息を呑んだ。それでも、他に選べる道はなかった。
「兎に角時間が惜しい、行こう」ヒフミ
迷っている暇はなかった。誰からともなく駆け出した一行は、夜の闇の中へと飛び込んでいく。
──ゲヘナ・スラム街。
「はぁ、ふぅ……!ここからはもう、ゲヘナの自治区ですね……!」ヒフミ
先頭を走るヒフミは足を止め、周囲を見渡す。場所はゲヘナ自治区、その郊外であるスラム街。目に悪いネオンの光が其処ら中で点滅しており、路肩にはポイ捨てされた塵や罅割れたアスファルト、落書きなどが散見される。トリニティの整然とした街並みとは、まるで別世界だった。息を切らしながらも、誰一人として足を止める事はなかった。
「ぜーっ、はぁッ、ぜっ……!」レイナ
「レイナさん、大丈夫ですか……?」ハナコ
最後尾を駆け、膝に手を突いて荒い息を繰り返すレイナ。ハナコは心配げに彼女の背中を摩り、問いかける。
「だい、じょうぶ、ですっ!これ……くらい!」レイナ
「だ、大丈夫じゃないよね、それ……?レイナさん、待っていて、そこの自販機でジュース買って来るから──!」コハル
「──コハル、待って」アズサ
コハルが疲労困憊といった様子のレイナを見かねて財布を握り、近場の自販機に駆け出そうとすれば──それを遮る様に近付いて来る影が二つ。
「………」アズサ
「な、何……?」コハル
闇の中から、ゆっくりと歩み寄る人影。ミヅホが素早く前へと出て、皆を庇う様に片手を掲げた。
「……お下がり下さい、皆さん」ミヅホ
その声には、これまで見せた事のない鋭さが宿っていた。夜の闇に紛れた二つの影は、確実にこちらへと近付いて来ていた。緊張が、一同の間を再び走り抜ける。誰もが息を潜め、次の瞬間を待った。