ウマ娘競バ史 1968 ~winning post 10 2026プレイ記~   作:geko

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1969年
第十話 白い恋人


 一月下旬。年末にハクセツを見送った時と同じ、喧騒に包まれた新大阪駅。

 底冷えするような寒さは未だ健在だが、吐く息の白さに混じる空気の匂いに、ほんのわずかな冬の終わりを感じていた。

 改札口の前に立ち、帰省から戻ってくる担当ウマ娘の姿を探す。

 

 やがて、人の波をかき分けるようにして、見慣れた白銀の髪が現れた。

 厚手のコートに身を包み、大きなボストンバッグを提げたハクセツだ。休養を経て少しは柔和な顔つきになっているかと思ったが、眉間に皺を寄せたその鋭利な雰囲気は相変わらずだった。

 俺は小さく息を吐き、彼女に向かって歩み寄ろうとした。

 だが、次の瞬間、俺はわずかに歩みを止めることになった。

 

 ハクセツの後ろから、もう一つの影がひょっこりと顔を出したのだ。

 ハクセツと同じ、見事な白銀の髪。しかし、小柄で華奢なハクセツに比べると、その背丈や体格はごく標準的なウマ娘のそれだった。

 なによりも決定的に違っていたのは、その身に纏う空気だ。

 

「ほら、さっさと歩きなさい。邪魔になるでしょ」

「えへへ、お姉ちゃん歩くの早いんだもん。あっ、あの方がもしかして……」

 

 常に周囲を威嚇しているようなハクセツに対し、後ろを歩く少女の表情には、春の陽だまりのような柔らかい笑みが浮かんでいた。

 二つの白銀の髪が並んで歩いてくる視覚的なインパクトは大きく、行き交う人々が思わず振り返っている。

 

 俺の前までやってきたハクセツは、呆れたようにため息をついた。

 

「……わざわざ迎えに来るなんて、本当に物好きね」

「体調管理はトレーナーの義務だと、出発の時にも言ったはずです。……それより、その後ろの方は」

 

 俺が視線を向けると、少女はぱっと花が咲いたような笑顔になり、ボストンバッグを足元に置いて丁寧にお辞儀をした。

 

「初めまして! 姉がいつも大変お世話になっております。ハクセツの妹の、ジョセツと申します」

「妹さん……なるほど」

 

 礼儀正しく社交的な挨拶。

 俺は手元の鞄を小脇に抱え直し、彼女を静かに観察した。

 姉妹というだけあって目鼻立ちは似ているが、醸し出す雰囲気は正反対だ。常に抜き身の刃を突きつけているようなハクセツに対し、ジョセツの態度は驚くほど素直で、他者との垣根を一切感じさせない。

 

「……ついてきちゃったのよ。実家で色んな話を聞かせてあげていたら、自分も絶対に行くって聞かなくて」

 

 ハクセツが面倒くさそうに吐き捨てる。

 

「仕方ないじゃない、お姉ちゃんが春日さんとの話をいっぱい聞かせてくれたんだから。それでわたしも気になっちゃったんだよ?」

「うるさいわね。……ほら、寒いんだから早く行くわよ」

 

 ハクセツは素っ気ない口調でジョセツを急かしたが、その手は自然と妹の荷物の持ち手に伸び、重さを半分引き受けるように持っていた。

 面倒だ、ペースが狂うと言いながらも、その視線の端には、妹への確かな愛情が滲んでいる。

 

「……そういうことでしたか」

 

 俺は静かに納得し、前を歩き始めた姉妹の背中を追った。

 予定外の同行者。だが、彼女の持つ柔らかく社交的な気配は、俺の観測範囲にどのような影響を与えるのか。

 揺れる二つの白銀の髪を見つめながら、俺は脳内で新たな情報の整理を始めていた。

 

 

 新大阪駅から電車を乗り継ぎ、冬の陽光が降り注ぐ阪神校の正門をくぐる。

 年末年始の静寂が嘘のように、新学期を控えた校内には学生や関係者たちの活気が戻りつつあった。

 

「おはようございます!」

 

 すれ違う警備員や関係者に対し、ジョセツはその都度立ち止まり、明るく丁寧な声で頭を下げていた。

 これまで、ハクセツが自ら他者に愛想を振りまくことなど皆無だった。彼女は常に周囲を威嚇するか、あるいは無関心を貫くかのどちらかだ。

 だが、ジョセツが花が咲くような笑みを向けると、挨拶をされた相手は一様に表情を綻ばせ、温かな声を返してくる。

 

 ただ礼儀正しいというだけではない。彼女の笑顔や、ふとした物腰の柔らかさには、周囲の警戒心を解き、自然と好意を抱かせるような天性の引力があった。

 人を遠ざけることで自身を研ぎ澄ます姉とは正反対の、人を惹きつけることで輝きを増す特異な資質。

 

「……それにしても、驚きました。どうして中山校から阪神校へ転校しようと思ったのですか?」

 

 歩きながら俺が尋ねると、ジョセツはえへへと照れたように笑った。

 

「お姉ちゃんが地方でずっと頑張っているのも、中央に移ってきて走ってきたのも、ずっとテレビで見てましたから。それで秋華賞の走りを見た時、わたしも絶対にお姉ちゃんのいる阪神校に行きたいって、心が決まったんです」

「……この子、お正月に実家へ帰った時、ずっとその話ばっかりだったのよ」

 

 ハクセツが呆れたようにため息をつき、横から口を挟んだ。

 

「こたつに入ってゆっくりしようと思ったら、阪神校の設備はどうだとか、芝の感触はどうだとか、他のウマ娘はどんな走りをするのかとか、ずーっと質問攻め。おかげでちっとも休まらなかったわ」

「だって、気になっちゃったんだもん。それに……」

 

 ジョセツは少しだけ歩調を緩め、俺の方を真っ直ぐに見上げた。その瞳には、一切の疑いや淀みのない、純粋な好奇心と信頼が浮かんでいた。

 

「お姉ちゃんのあんな凄い末脚を引き出してくれた、春日さんのことも、すごく知りたくて。どんな魔法を使ったら、あのお姉ちゃんが誰かの言うことを素直に聞くようになるんだろうって」

「魔法なんて使っていません。俺はただ、彼女の刃を最適化するための理屈を提示しただけです」

「ほら、言ったでしょ。この男は隙あらば理屈とデータばっかり並べるのよ。……あなたも妙な影響を受けないように気をつけなさい」

 

 ハクセツは顔を背けながら、わざとらしく棘のある声を出した。

 

「ふふっ、でもお姉ちゃん、春日さんの話をする時、すごく楽しそうだったよ? 『本当に細かい男で面倒くさいのよ』って言いながら、全然嫌そうじゃなかったし」

「なっ……! ば、馬鹿なこと言ってないで早く歩きなさい! 恥ずかしいでしょ!」

 

 顔を真っ赤にして妹の背中をバシバシと叩くハクセツと、「あはは、ごめんなさい」と全く堪えた様子のない笑顔でかわすジョセツ。

 

 俺はそのやり取りを静かに観察しながら、脳内で二人のデータを並べていた。

 小柄で華奢な体躯から、圧倒的な破壊力を生み出す姉。

 そして標準的な体格で、しなやかなバネを感じさせる妹。集団の中で立ち回りながら前を狙うであろう、バランスの取れた走りの気配。

 

 全く対照的な二人だ。だが、彼女たちの根底には、同じターフへの渇望と、互いへの深い信頼が確かに通じ合っている。

 

「……呆れたわ。結局、お正月の間に勝手に書類を揃えてたんだから」

 

 ようやく妹への反撃を終えたハクセツが、やれやれと肩をすくめた。

 呆れたような口調だが、その横顔には、妹の行動力と実力を認めている確かな誇らしさが滲んでいた。

 

「よろしくお願いしますね、春日さん!」

 

 ジョセツが振り返り、冬の終わりの陽光を背に受けて眩しそうに笑う。

 その無垢な笑顔を見た瞬間、俺の脳裏に、彼女が春のターフで数多の観客を魅了する姿が、単なる予測を超えた鮮明なビジョンとして浮かび上がっていた。

 

 彼女には、人を惹きつける天性の何かがある。勝負の世界で、それは強力な武器になるだろう。

 そんな理屈を超えた直感を覚えながら、俺は静かに頷きを返した。

 

 

 管理棟での事務手続きを終え、俺たちは連れ立ってトレーナー室へと戻った。

 

 ハクセツの帰省報告と、ジョセツの編入受理。

 そこまでは滞りなく進んだのだが、一つだけ、書類の上に空白のまま残された項目があった。担当トレーナーの欄だ。

 通常、編入試験に合格したウマ娘には、学校側から空きのあるトレーナーが割り振られる。あるいは、事前にスカウトを受けているのが通例だ。

 だが、ジョセツの場合は姉を追っての急な志願だったこともあり、担当がまだ確定していなかった。

 

「……それで。ジョセツさんの担当については、どう考えているのですか」

 

 トレーナー室のソファに腰を下ろした姉妹を前に、俺はデスクの椅子に深く腰掛け、淡々と問いかけた。

 ハクセツは腕を組み、不機嫌そうに窓の外を眺めている。だが、その耳はぴくりとこちらを向いており、妹の今後を誰よりも案じているのは明白だった。

 

「わたし……」

 

 ジョセツが、膝の上で手をぎゅっと握りしめた。

 先ほどまでの天真爛漫な笑顔は影を潜め、その瞳には強い決意の色が宿っている。

 

「できれば、春日さんにお願いしたいんです。お姉ちゃんの足をあんなに大事にしてくれて、あんなに強くしてくれた春日さんに、わたしの走りも見てほしい。……身勝手なお願いだってことは、分かっていますけど」

 

 丁寧な言葉の中に、退かぬ意志が込められていた。

 俺は視線を落とし、手元のバインダーの表紙を見つめた。

 

 内心の葛藤が、静かに波紋を広げる。

 俺のトレーナーとしての理想は、一対一の対峙にある。ハクセツという、未だかつてない鋭利な刃。その切れ味を極限まで高めるためには、俺の思考と時間のすべてを彼女一人に注ぎ込むのが最適解であるはずだ。

 複数担当という選択は、その純度を薄めるリスクを孕んでいる。

 

 だが。俺は脳内で、別のロジックを組み立て始めていた。

 

 まず、ジョセツ自身が俺を信じている。彼女を他のトレーナーに預けることは、彼女の素質を観測する上で最良の選択ではないだろう。

 そして何より、ハクセツの孤高すぎる鋭さに、ジョセツの柔らかな引力が混ざり合った時――俺の知らない新たな現象がターフに生まれるかもしれないかという、観測者としての純粋な知的好奇心が、俺の背中を押していた。

 

 沈黙が、時計の秒針の音とともに流れていく。

 やがて、俺はバインダーを一度叩き、静かに顔を上げた。

 

「分かりました。ジョセツさん、あなたの担当は俺が引き受けます」

「……本当ですか!?」

 

 ジョセツの顔に、ぱあっと光が差したような明るい笑顔が戻った。彼女は勢いよく立ち上がり、深々とお辞儀をする。

 

「ありがとうございます! 精一杯頑張ります、よろしくお願いします!」

「勘違いしないでください。俺が引き受けるのは、それがハクセツを勝たせるためにも、そしてあなたの素質を正確に観測するためにも、論理的に正しいと判断したからです。……ハクセツ、あなたに異論はありますか」

 

 水を向けられたハクセツは、鼻で笑うようにして顔を背けた。

 

「……勝手にすればいいわ。トレーナーがそう決めたんなら、文句なんてないもの。せいぜい、二人まとめて面倒見きれなくて泣きつかないことね」

 

 素っ気ない、突き放すような物言い。

 だが、俺は見逃さなかった。窓硝子に微かに映る彼女の口元が、ほんの少しだけ、安堵したように緩んだのを。

 

 妹を、信頼しているトレーナーに任せられる。その安心感が、彼女の鋭い警戒心を一時的に解いている。俺を『信頼している』と彼女が認めることはまずないだろうが、その事実は、彼女の眼差しの奥にある静かな凪が証明していた。

 

 俺はすぐに事務机に向かい、ジョセツの担当着任に関する書類を整え始める。必要な署名をすべて終えるのに、十分もかからなかった。

 ペンを置き、完成した書類を提出用のファイルに収める。その簡素な音は、俺のトレーナー人生における、一つの大きな転換の合図でもあった。

 

「明日から、二人のトレーニングを開始します。ハクセツは四月の阪神ティアラステークス、そして五月のヴィクトリアマイルへ。ジョセツは、まずは阪神校の環境に慣れ、適性を見極めることから始めましょう」

 

「はいっ!」

 

 ジョセツの元気な返事が、冬の終わりのトレーナー室に響き渡った。

 

 

 手続きを終えた俺たちは、そのまま連れ立ってターフへと足を向けた。

 視界の先には、広大な枯れ芝のコースが広がっている。肌を刺す風の冷たさは未だ残っているものの、空から降り注ぐ陽光には、春の気配が微かに混じり始めていた。

 

「ここが、お姉ちゃんがいつも走っている阪神のコース……」

 

 コースの柵に手をかけ、ジョセツが感嘆の息を漏らす。彼女の瞳は、これから始まる新しい日々への期待で真っ直ぐに輝いていた。

 ひとしきりターフを見渡した後、ジョセツは改めてこちらへ向き直り、深々と頭を下げた。

 

「春日さん。わたしを受け入れてくださって、本当にありがとうございます。わたし、お姉ちゃんみたいに、この芝でいっぱい勝てるように頑張りますから!」

「……調子のいいこと言って」

 

 その純粋な感謝の言葉を遮るように、ハクセツが腕を組んでそっぽを向いた。

 

「あなたの今のぬるい走りで通用すると思ったら大間違いよ。せいぜい、わたしの背中を見て基礎からやり直すことね」

「えへへ、お姉ちゃん厳しいなぁ。でも、ちゃんとお姉ちゃんの背中、追いかけるからね」

 

 突き放すようなハクセツの物言いに、ジョセツは全くめげることなく、むしろ嬉しそうに笑い返した。

 容赦なく刺々しい姉の言葉。だが、俺の眼は正確に見抜いていた。ハクセツが柵に寄りかかる位置は、無意識のうちに妹を冷たい風から庇う風上に置かれていることを。

 ジョセツもまた、姉の不器用な優しさを本能で理解しているからこそ、その毒舌を心地よさそうに受け止めているのだ。

 

 対照的で、けれど深く結びついた姉妹。

 俺は手元のバインダーを小脇に抱え直し、彼女たちの横顔と、その先に広がるターフを見つめた。

 

 これからの日々は、これまでとは全く異なる軌道を描くことになる。

 四月の阪神ティアラステークス、そして五月のヴィクトリアマイルへ。ハクセツの絶対的な刃を極限まで研ぎ澄まし、ライバルたちを撫で斬りにするための苛烈な日々。

 それと同時に、この柔らかく人を惹きつけるジョセツという未知の原石を磨き上げ、いずれ訪れるデビュー戦のターフへと送り出すための、新しい日々が始まる。

 

 相反する二つの才能。一対一の純度という理想を捨ててでも、俺はこの二つの可能性を同時に統率し、それぞれの最適解を導き出さなければならない。

 それはトレーナーとしての真価が問われる、重く、しかしひどく知的好奇心を刺激される挑戦だった。

 

 吹き抜ける風が、ターフの枯れ芝をかすかに鳴らす。

 小柄で鋭利な姉と、柔らかく微笑む妹。

 

 阪神校のターフの上に、対照的な二つの白銀の髪が、冬の終わりの陽光に静かに揺れていた。




 作中の阪神ティアラステークスは、史実の阪神牝馬ステークスのことです。
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