アビドス襲撃に失敗した私たちの事務所には、今も重苦しい空気が流れている。社長のデスクの上に置かれた黒電話が、けたたましく着信音を鳴らし続けていた。
「アルちゃん、何してんの? 電話出ないの?」
ムツキが小突くが、アルは電話機を睨みつけたまま固まっている。
表情が暗いアルを見て首をかしげているムツキの肩をカヨコはとんとんと叩く。
「たぶん今回のクライアントからの電話だからだとおもうよ」
「……うわ、そりゃそんな顔にもなるわ。失敗したって報告しなきゃだもんね」
ムツキの言葉に、ハルカが小動物のように怯えながら社長を見つめる。社長は深呼吸を一つし、意を決した様子で受話器を手に取った。
「……はい、便利屋68です」
彼女は震える声で、クライアントに昨日の失敗を報告する。
しかし、電話の向こうの反応は意外なものだった。
『ふむ……興味深い報告だ。ここまでの練習は拝見したよ。で? 実戦はいつだ―?』
カイザーPMC理事室
キヴォトス某所、高層ビルの最上階。
カイザーPMCの理事は、深々と腰を下ろしたデスクのモニターで、アビドスとの戦闘データを見つめていた。
電話越しにアルが動揺しているのが伝わってくる。だが、理事の冷徹な問いかけに乗せられるように、彼女は次の襲撃を誓った。
理事が受話器を置くと、モニターの数値に視線を戻し、不満げに眉をひそめる。
「やつらのデータ自体は正確なものだったはず。計算ミスか? いや、しかし……あの力は明らかに……」
何かが、計算式を狂わせている。そう呟きかけた時、部屋の扉が重厚な音を立ててノックされた。
入ってきたのは、理事や他の社員のような無機質なアンドロイドの容姿ではない。
一人は、洗練されたスーツを纏っているが、その顔はインクで塗りつぶされたかのように黒く、至る所に亀裂が走っている謎の男。右目にあたる部分が青白く虚無的な光を放ち、口元には不気味な笑みが刻まれている
そしてもう一人は、山海経の伝統を色濃く残した端正な軍服に身を包んだ、凛とした"生徒"。艶やかな黒髪を揺らし、室内にもかかわらず真っ黒な丸サングラスをかけている。その奥に隠された眼差しを読み取ることはできないが、口元には薄く、優雅な笑みが浮かんでいた。高貴な令嬢か、あるいは冷徹な学徒を思わせる、洗練された空気が漂っている。
「お困りのようですね?」
男がそう言うと、理事は少し黙り込んだあと、彼に向き直る。
「……いや、困ってはない。ただ、計算に少しエラーが生じただけだ。アビドスの連中が、データより遥かに強かっただけのこと」
理事の強がりを聞き流すように、軍服の生徒が涼しげな声で口を挟んだ。
「おや? 私の記憶では……件の『ヘルメット団』に対し、データ上の数値を圧倒的に上回る支援を行うよう命じていたはずですが? それでもこの結果ということは、貴方の計算には、根本的な前提が欠けていたようだったとお見受けいたしますが?」
軍服に身を包んだ生徒のその指摘に対して、PMC理事は明らかに不満をあらわにするかのようにその生徒をにらむ。
「おや? 失言でしたか……これは失礼」
彼女の淡々とした指摘に、理事は明らかに不快感をあらわにし、鋭い視線をその生徒へと向ける。
対する生徒も動じる様子はなく、わざとらしく肩をすくめた。
冷え切った空気が流れる中、黒服の男は先ほどのやり取りなどなかったかのように、淡々と本筋へと戻す。
「いいえ、データに間違いはありません」
理事の眉がピクリと動く。黒服は感情の欠落した声で続けた。
「これは単に、アビドスの生徒たちが……我々の予測を超えてさらに強くなった、と解釈すべきかと」
「それは一体……」
予測不能な事態。しかし、黒服の男には何らかの確信があるようだ。なぜ、アビドスがこれほどまでに短期間で強化されたのか―。
「アビドスにどのような変化要因があったのか、確認してみましょう。では」
黒服の男は、それだけを残してスタスタと部屋を去っていった。
「それでは…またのご連絡をお待ちしておりますよ」
軍服の生徒もまた、残された理事を品定めするように一瞥すると、優雅な足取りで男の後に続く。
広大なオフィスに、理事の影のみが残されていた。
カイザーPMCの高層ビルを後にする、重厚な廊下。
二人の足音は、まるで示し合わせたかのように寸分違わず響き、その静寂が彼らの冷徹さをより一層際立たせていた。
「つまらない余興でしたね、黒服」
軍服の生徒は、サングラスの奥で目を細めたような気配を漂わせ、淡々と口を開いた。その声には、先ほど理事の前で見せた丁寧な調子など微塵もない。
黒服は、相変わらず不気味な笑みを浮かべたまま、廊下の先を見据えて答える。
「ええ。ですが、彼も『企業』という枠組みの中では優秀な駒です。駒が盤上の変化に驚くのは、至極当然の反応……観測者としては、むしろ好ましい光景と言えるでしょう」
「……随分と余裕ですね。あなたの『研究』対象が、当初の予測を大幅に逸脱しているというのに。…いえ、愚問でしたね。我々研究者にとって逸脱とは、望むべき反応なのですから」
黒服は楽しげにその黒い顔に刻まれた亀裂のような口元をさらに歪ませた。。
「予測通りに進む物語など、面白みに欠けます。……アビドスの強化。いいえ、あの場所で起きていることは『強化』という言葉では生ぬるい」
黒服は一瞬、足を止め、黒い顔を彼女の方へ向けた。青白い右目が、闇の中で妖しく光る。
「あの『先生』と呼ばれる異邦人。彼こそが、停滞していたアビドスの時を、強引に回し始めた『特異点』なのです」
軍服の生徒は、その言葉を聞いても眉一つ動かさない。ただ、指先で軍服の襟元を整え、冷ややかに言い放つ。
「特異点……ですか。あなたの渇望する『暁のホルス』にも影響を与えかねないともなれば、あなたとしてもこのまま野放しにするのは得策ではないかと思いますが?」
黒服は、愉悦を隠そうともせず、音もなく肩を震わせた。
「クックックッ……なるほど。では、貴女は彼を“排除”すると?」
黒服の問いかけに対し、彼女はサングラス越しに、獲物を値踏みするような鋭い視線を向けた。不敵な笑みが、優雅に口元に浮かぶ。
「排除?……まさか。これほど魅力的な『
彼女は一歩踏み出し、廊下の窓からキヴォトスの夜景を見下ろした。
「まずは『観察』が必要です。この閉塞したキヴォトスという盤面において、彼がどのような波紋を広げ、どんな景色を見せてくれるのか。その過程こそが……私たちのような者にとって、最も価値のある『収穫』なのですから」
「なるほど……。あなたらしい、科学者的な価値観ですね」
黒服はわざとらしく拍手を送るような動作を見せ、クックックッ、と喉の奥で乾いた笑いを漏らした。彼にとって、彼女が口にした『
「ええ、その通りです。ただ破壊しては、美しい結末(データ)は得られません。彼という“外部因子”が、アビドスという閉じた世界にどのような化学反応を起こすのか。その過程こそが、我々にとっての甘美な果実なのです」
黒服は歩みを止め、エレベーターの扉に映る自分の影――裂け目が走った黒い顔を眺めた。
「『暁のホルス』……あるいは、それ以上の何か。彼が導く未来が、キヴォトスの既存の法則をどこまで粉砕できるか。非常に楽しみではありませんか?」
軍服の生徒は、サングラスの奥で冷ややかに目を細めると、黒服に背を向けた。彼女の背中は、まるで一枚の巨大な屏風のように、一切の隙を見せない。
「……もし彼が、我々の退屈を紛らわせるだけの価値すら証明できぬまま朽ちるのなら、その時は私たちが、その幕を引いて差し上げればいいのですから」
エレベーターの扉が開く。静かな電子音が鳴り響き、二人はそれぞれの目的地へと向かうために分かれる。
軍服の生徒は、最後に一度だけ振り返り、言葉を紡いだ。
「――くれぐれも、あの大人が我々への『理解者』以上の存在に化けないよう、慎重に。……我々の『探求』が台無しにならないようにね」
「忠告、感謝しますよ。ですが……今の彼が、どこまで羽ばたけるか。せいぜい、最前列の席で楽しむことにしましょう」
エレベーターの扉が閉まり、互いの姿が遮断される。
残された廊下には、再び静寂が満ちた。
一方、受話器を置いたアルは大きなため息を吐き出す。
「+やつれたねぇ、アルちゃん」
「社長、一体どういうこと……? まさか、また戦うの?」
アルは意を決したように口を開く。
「……あのクライアントは私も詳しくは知らないけど、超大物なのよ。この依頼、失敗するわけにはいかないわ」
事務所内が静まり返る。
「……だけどアビドスの連中、思ったより強かったじゃん。それに、あの『シャーレ』の先生が一緒だよ? 私たちだけじゃ無理だって。お金も全部使い果たしちゃったしね。どう戦うのさ?」
ムツキの指摘は正論だ。ハルカが「バイトでもしてきましょうか?」と健気に提案するが、カヨコに即座に却下される。
「こんな高いオフィスなんか借りてるから、無駄にお金ばかりかかってるんじゃ……」
「う、うるさいっ! ちゃんとした会社なら、事務所は基本でしょ! その方が仕事の依頼も増えるんだから!」
カヨコの図星を突く指摘に、アルは必死に言い訳を並べる。
「黙りなさいよ! みんなうるさい! 静かに!!」
涙目で叫んだ後、アルは必死に思考を巡らせる。そして、一つの強硬手段を思いついた。
「……融資を受けるわ」
「は? アルちゃん、ブラックリスト入りしてるでしょ?」
「違うわよ! 私は指名手配されて口座が凍結されただけ!」
「そうだっけ? ……あ、そうだった。風紀委員会にやられたんだったよね」
風紀委員会にボコボコにされた苦い記憶が、アルの脳裏をよぎる。その悔しさのあまり、奥歯をギリッと噛み締めた。
「見てなさいよ、アビドス。このままじゃ終わらせないんだから……」
そう言いかけた時、再びデスクの黒電話が鳴り響いた。
「え? またクライアントからクレーム?」
「もしかしたら……次はホントにヤバいかもね……」
慌てるメンバーを沈め、アルは震える手で受話器を取る。
「……もしもし、便利屋68です」
『……どんなことでも金さえ払えばしてくれる……それであってるか?』
今度は女性の声だった。アルは少し安堵し、いつもの強気な調子を取り戻す。
「えぇ、金さえもらえれば何でもする、それが私たち便利屋68よ!」
高らかにそう宣言するアルだったが、電話の主は一切動じず、淡々と用件を切り出した。
『金は前払いで20万、プラスで依頼に使用する用途で10万用意している。そちらのオフィスの前に置いたショーケースの中に用意してある。確認するといい』
「にじゅ、二十万……!? それに、依頼用にもう10万……!?」
アルの指示で、カヨコが慌ててオフィスの扉を開けて外を確認しに行く。数分後、戻ってきたカヨコの手には、確かに銀色のショーケースが握られていた。中には二つの札束が整然と並んでいる。
「間違いなく合計20万あるよ…。……でも、依頼用っていうのは?」
そうカヨコが疑問を呈すが、それに電話の相手はすぐさま返答する。
『それが今回の報酬であり、使用してもらう金だ』
「し、使用?いったい何に…?」
『……ブラックマーケットにある“Deathpot(デスポット)”――。そこで10万を賭けてくることだ」
「「ッ!?」」
その依頼内容にその場にいるアルたちは全員目を見開く。
だが、それでもなお電話の相手は話を続ける。
『勝てばそちらの純利益、負けてもそちらに損はないはずだ』
「ちょっと、どういうこと……なっ…た…ただのギャンブルじゃない!」
『ハッ、ただの賭け事であればいいがな?…では…頼んだぞ』
「ま、まって! 最後に、クライアントの名前を教えていただけるかしら」
呼び止めるアルに対し、その電話の主は静かに告げた。
『…"魔女"、そう呼ぶといい。では、検討を祈る』
一方的に切られた電話を見つめ、事務所には受話器の電子音が虚しく響いた。
「なんだったのよ、あの依頼。イレギュラーだけど……とりあえず報酬10万はデカいわ!」
アルは高笑いしてみせるが、その表情は少しだけ引きつっている。
「やったね、アルちゃん!!これで融資を受けなくてもよくなるんじゃない?」
そういわれたアルは、ニヤリと口角を吊り上げ、ショーケースを抱きしめる。
「ふふん、当然よ! 私たち便利屋68、まさに飛ぶ鳥を落とす勢いね! これでアビドスの連中も、まとめて片付けてやるわ!」
「おー! さすがアルちゃん、頼りになる~!」
ムツキが嬉しそうにぴょんぴょんと飛び、事務所内には平和な雰囲気が流れる。
だが、当然これはアルの強がりに過ぎない。
(食費、光熱費、事務所の維持費、傭兵への依頼料、etc…etc…etc…! 次も失敗したらこのお金はパァ! どっちにしろ、融資は受けなきゃ……!)
アルは必死に冷や汗を拭うのを我慢し、虚勢を張り続ける。
しかし、その場にいた中でただ一人、カヨコだけが深刻な顔をして黙り込んでいた。
「……ん? どうしたの?」
「…いや。なんでも、ない…」
ムツキが尋ねるが、カヨコは答えられない。『魔女』…彼女の脳裏には、ある人物の姿が浮かんでいた。
おそらく…目の前のアルたちは知らないだろう。
かつて、ゲヘナに混沌をもたらした…あの「魔女」を。
「……まさか、本当にアイツなの……?」
カヨコの呟きは、浮かれる仲間たちの声にかき消され、誰の耳にも届くことなく、事務所の淀んだ空気に溶けて消えていった。
〈✱〉
私たちはヘルメット団の武器の出どころを追跡するため、悪名高き「ブラックマーケット」へと足を踏み入れていた。だが、「無法地帯」という前評判とは裏腹に、そこは凄まじい熱気と雑多な喧騒に包まれていた。
「わぁ……すっごい賑わってますね?」
「本当に。小さな裏路地を想像していたけど、街一つ分ぐらいの規模があるなんて……」
シロコの言葉通り、ここブラックマーケットは広大だった。アビドスの自治区とまではいかないまでも、他校の学区に匹敵する広さがあることをアロナが教えてくれる。進めば進むほどディープで危険な香りが漂うのは、肌で感じ取れた。
「連邦生徒会の手が及ばないエリアが、ここまで巨大化しているとはね」
「うへ〜、普段はアビドスに引きこもってるからねー。学区外ってのは、予想以上に変な場所が多いんだよー」
ホシノが珍しく興味深そうに周囲を見回している。普段は省エネモードの彼女が珍しく饒舌なのは、少し新鮮だ。
「へぇ、他の学区にはもっと変なものがあるのかい?」
「あるある! ちょーデカい水族館もあるんだってさ。アクアリウムっていうの!」
「今度行ってみたいな〜。うへ、魚……お刺身……」
……どうやら彼女の関心は、観賞魚よりも食卓に並ぶ魚にあるらしい。
そんな呑気な会話をしていた矢先、アヤネのホログラムがドローンから投影される。
「皆さん、油断しないでください。ここは違法兵器が飛び交う場所です。何が起こっても不思議じゃ――」
その瞬間、遠くから鋭い発砲音が響き渡り、アヤネの悲鳴が重なる。
喧騒は一瞬にして凍りつき、周囲の通行人は蜘蛛の子を散らすように路地裏や反対側へと逃げ惑った。
銃声の方角を視ると、数人のスケバンたちが小麦色の髪をした、白色の制服を着た少女を追いかけていた。
「う、うわぁぁ! まずっ、まずいですー!! つ、ついてこないでください!!」
「そうはいくか!」
追い詰められた少女は、こちらへ向かって一直線に駆け込んでくる。
「わわわっ、そこどいてくださいー!!」
避けきれなかったシロコと少女が衝突し、両者ともその場に転がった。
「大丈夫!?」
「う、うん……私は大丈夫」
「い、いたた……ご、ごめんなさい!」
彼女が立ち上がり、シロコに謝罪している隙に、背後からチンピラたちが現れる。シロコは咄嗟に少女を背後へと庇った。
「何だお前らは、どけ! あたしたちはそこのトリニティの生徒に用がある」
「わ、私の方は特に用はないのですけど……」と、少女は怯えた様子で呟く。
「……思い出しました、その制服。キヴォトス一のマンモス校、トリニティ総合学園です!」
キヴォトスでも三本の指に入る巨大校。シャーレ奪還の際に助けてくれたハスミやスズミの出身校だと気づき、緊張が走る。
「へえ、やっぱり一番金を持ってるお嬢様学校じゃねぇか。拉致って身代金たんまりいただこうってわけさ! これで億万長者だ!」
「拉致って交渉! 賢い財テクだろ? ククク……これならチマチマ稼ぐよりよっぽどいい。お前らも興味があるなら計画に乗るか?」
その軽薄な提案に、シロコとノノミの堪忍袋の緒が切れた。無言のままチンピラに歩み寄り、その腹部へ鋭い一撃を叩き込む。
「悪人は懲らしめないと、です」「うん」
そのあまりの荒々しさに、トリニティの生徒は目を白黒させている。
「みんな、今のうちに逃げるよ!」
私は彼女を保護し、チンピラたちを撒くために、入り組んだ裏路地へと急いで移動した。
ようやく撒けたことを確認し、息を整える。
「あ、ありがとうございました……アビドスの皆さんがいなかったら、学園に大迷惑をかけるところでした。それに、こっそり抜け出してきたので、何か問題を起こしたら……あうう、想像しただけでも……。あ、申し遅れました。私、阿慈谷ヒフミって言います」
トリニティの品行方正なお嬢様……というには、この場所に一人でいるのはあまりにも危うく、どこか浮世離れした怪しさを全員が感じ取っていた。
「ヒフミちゃんだっけ? ……して、トリニティのお嬢様が、なんでこんな危険地帯に?」
ホシノの問いに、ヒフミはあはは……と乾いた笑いを漏らし、背負っていた鳥のようなカバンを漁り始めた。
「実は、どうしても欲しいものがありまして……。もう絶版で、普通には手に入らないものが、この市場では密かに取引されているらしくて……」
(まさか、戦車とか違法な火器じゃないだろうな……?)
(あるいは化学兵器……!?)
緊迫する私たちをよそに、ヒフミが誇らしげに取り出したのは――。
「これです! ペロロ様とアイス屋さんがコラボした、限定のぬいぐるみ! 100体限定のレアアイテムなんですよ!」
……時が止まったかと思った。
差し出されたのは、アイスが口に突き刺さった、不思議な鳥のぬいぐるみ。
ノノミは「かわいい~!」と反応したが、残りのメンバーは呆然とそれを見つめるしかなかった。
(……この子は、熱烈なペロロファンなのか)
ペロロ様が何か私にはわからないが、好きなもののためにこんなことをしたくなる気持ちはわからなくもない。かくいう私もコレクションのためなら…。
その瞬間、なぜか脳裏に冷ややかな表情で電卓を叩くユウカと悪い顔をしているミコトの姿が浮かんだが、今は深く考えないでおこう。命あっての物種だ。
「というわけで、それを買いに来たのですが……皆さんがいなかったらどうなっていたことか。ところで、アビドスのみなさんはなぜこちらへ?」
「私たちも似たようなもんだよ。探しものがあってね」
友好を深めようとしたその時、アヤネの緊迫した声が通信機から響いた。
「皆さん大変です! 四方から武装した連中が向かってきています!」
周囲を見渡せば、まさに四面楚歌。さっきのチンピラの仲間たちが、人数を増やして戻ってきたのだ。
「アイツらだ!! 痛い目に合わせてやるぜ!」
「逃げ場はないぞ!」
多勢に無勢。まともに撃ち合えば消耗戦は必至だ。だが、
「みんな、応戦準備!」
「あうう……わ、私も力不足ですが、手伝います!」
“うん、よろしく、ヒフミ”
四方八方から銃弾が飛び交う激しい銃撃戦が始まった。
わたしたちは 前線を押し返し、突破口を開こうと試みるが、敵は後から後から湧いてくる。
弾薬の残量に不安がよぎる中、チンピラが嘲笑う。
「トリニティのガキごと人質にして、身代金で遊び倒してやる!」
シロコがライフルを構え、さらに踏み込もうとした瞬間、ヒフミが彼女を制止した。
「だ、ダメです! ブラックマーケットで騒ぎを起こすと、治安機関に見つかって本当に大ごとになります! まずは離脱を……!」
「分かった。ヒフミちゃん、道案内をお願い!」
ホシノの号令に続いて私たちは戦闘を一時中断し、ヒフミが指し示す細い路地へと全速力で駆け出した。
しかし、路地の出口は既に敵に封鎖されていた。
「どこへ行こうとしてんだぁ?あぁ?!」
「逃げられると思うなよ!」
――万事休す。
シロコがトリガーに指をかけ、覚悟を決めたその時。
パァンッ!パァンッ!
乾いた発砲音が二回、路地にこだました。
前のチンピラが膝から崩れ落ち、昏倒する。
「まったく……金を稼ぐために拉致とは、感心しないな。必要ならば、金融機関の紹介ぐらいすると言っているだろうに」
声のした方を向くと、そこには黒いフードを目深に被った少女が立っていた。
右手に握られているのはおそらく発砲したと思われるリボルバー、その銃口をこちらに向けつつも敵意のない様子だあることを察する。
その姿を見た瞬間、私の記憶がフラッシュバックする。
この凛とした佇まい、どこかで見覚えがある……。
彼女は銃口を下ろし、私たちに向かって不敵に言い放った。
「こっちだ! 走れ!」
不敵な声に導かれ、私たちは彼女の背中を追って混沌の戦場を駆け抜けていった。
〈✱〉
「……ここまで来れば大丈夫でしょう」
「少なくとも……あのチンピラたちに絡まれるようなことはないはずだ」
"はぁ……はぁ……っ"
銃撃をかいくぐり、死に物狂いで走り抜けた代償は大きかった。運動不足がたたったのか、私はその場にへたり込み、荒い呼吸を繰り返す。肺が焼き切れるようだ。
「ふむ……二人とも、ここがかなり危険な場所だって認識はしているんだね~」
「えっ? と、当然です! 連邦生徒会の手が及ばない場所のひとつですから」
「彼女の言う通りだ。」
全身を黒いコートで覆った彼女は、路地の入り口を警戒しながら、静かに補足を入れる。
「ブラックマーケットの領域、戦力は学園数個分の規模に匹敵する。こんな治安の悪い場所に来るのなら、土地勘は必須だ。……まして、深部に行こうと思えばなおさらね」
彼女はそう言い捨てると、先ほどまで握りしめていたリボルバーを、手際よくコートの内側に収めた。
「それに、様々な『企業』が、この場所で違法な利権を巡って争っていると聞きました。それだけじゃありません……専用の金融機関や治安機関があるほどです…」
ヒフミの言葉に、黒コートの少女は深々とフードを被り直す。
顔の半分が影に隠れ、表情が読み取りにくくなった。
「銀行や警察があるってこと……!? そ、それってもちろん認可されていない違法な団体だよね?」
「はい……そうです」
「スケールが桁違いですね……」
どうやら私が思っていたよりも、ここは遥かにやばい場所らしい。ミコトが「一人で行くな」と忠告していた理由が、今さらながら身に染みて理解できた。
「中でも特に治安機関は、とにかく避けるのが一番です……。騒ぎを起こしたら、まずは身を潜めるべきです……」
ヒフミは今もなお周りを警戒し、おどおどと視線を彷徨わせている。その様子を、ホシノは相変わらずのふわふわとした雰囲気で見つめていた。
「ふ〜ん。ヒフミちゃん、ここのことに意外と詳しいんだね〜」
「えっ? そうですか? 危険な場所なので、事前調査をしっかりしたせいでしょうか……」
ホシノの目は笑っていない。先日の傭兵の権をあるのだろう、ヒフミをそれなりに警戒している様子だ。
「そうだね、私はここが活動拠点だからよく知っているが……ましてトリニティの生徒でここに詳しいのはかなり物珍しいね」
初めて見るよ、と彼女は何かを見定めるような視線をヒフミに向け、フッと笑う。
「……よし、決めた!」
突然ホシノが宣言し、私たちは一斉に彼女を振り返る。
「ヒフミちゃんを助けてあげたお礼に、私たちの探し物が手に入るまで一緒に行動してもらうね〜!」
その言葉に、ヒフミは素っ頓狂な声を上げて動揺する。
「はいっ!?」
驚くヒフミをよそに、アビドスの面々も賛同する。そのコントのような様子に、コートの少女も面白そうに口元をほころばせた。
「あ、あうう……私なんかでお役に立てるかわかりませんが……アビドスの皆さんにはお世話になりましたし、喜んで引き受けます」
「よーし、それじゃあ、ちょっとだけ同行頼むね〜。あと紫髪のおねぇさんも、助けてくれてありがとうね〜」
ホシノが視線を向けると、少女は肩をすくめた。
”私からも、彼女たちを助けてくれてありがとう”
「いやいや、私は特に何もしていないさ。なんなら、君たちの戦闘能力の高さにとても驚かされているよ。あの人数差を相手にアレだけ継戦できるなんて……珍しいものを見せてもらった」
「いや〜それほどでもあるカナ〜」
「ホシノ先輩、そこは遠慮するところだって……」
セリカの鋭いツッコミに、少女は再びくすくすと笑った。
「いや〜君たちは面白いね。どうだい? 君たちが良ければ私も道案内をしようか? もしそのトリニティの子が分からなくなっても、私なら詳しいはずだよ」
彼女が差し伸べた手。ホシノは数秒考え込み、その少女をじっと見据えた後、納得したように頷く。
「そう言ってくれるなら、ぜひお願いしようかな〜。人手は多いに越したことはないしね〜」
「あぁ、よろしく頼むよ」
そういうと、ホシノは差し出された手を握り返した。そのあと、彼女は私にも手を差し伸べてくる。
「うん、よろしく……えぇっと、君の名前、まだ聞いてなかったね」
私が困ったように尋ねると、彼女は「あぁ……」と呟き、ゆっくりとフードを下ろした。
「私はおおっぴらに名前を言える立場ではないからねぇ。そうだなぁ……」
彼女は首を傾げ、少しだけ思案する素振りを見せた。
「『フォン』―とでも呼んでくれ」
そう名乗った彼女の右目――赤紫色の瞳が、まるで私の魂を見定めているかのように妖しく輝いていた。
「よろしく、先生」
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