前向きな乙骨憂太   作:あばなたらたやた

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五話:挨拶

 

 乙骨憂太の朝は、いつも静かで規則正しいものだった。まだ外が薄暗い時間に目を覚ますと、部屋の中央に人型状態のリカが優しく待っていた。二人は並んで軽くストレッチを始めた。

 

 腕をゆっくり伸ばし、背筋を反らし、肩を回し、互いの体を軽く支え合うように動きを合わせる。ストレッチの合間には、自然と指と指が絡み合い、頰を寄せ合うような優しいスキンシップを交わした。

 

 その温もりは、言葉以上に二人の深い絆を確かめ合う瞬間だった。リカの存在は魂のみとはいえ、憂太にとってはかけがえのないパートナーであり、毎朝のこの時間は互いの愛情を静かに育む大切な儀式となっていた。ストレッチを終えると、二人は一緒に浴室へ向かった。

 

 お湯を適温に張り、丁寧に体を洗い流す。湯気の中で、リカは憂太の背中を優しく流し、憂太はリカの長い黒髪をそっと梳いた。泡が流れる音と、二人の穏やかな息遣いが部屋に響く。

 

 お風呂から上がると、乙骨憂太は鏡の前に座り、髪を根元からしっかりと乾かした。次に爪を一本一本丁寧に切り、形を整え、顔や首筋、腕や手全体にスキンケアを施していく。化粧水を優しく馴染ませ、乳液を塗り、最後に軽くパックまで済ませた。

 

『うん、教えた通りにやってるね。素直な憂太も大好きだよ』

 

 リカが満足げに微笑みながら、優しい声で言った。

 

「これ、本当に意味あるのかなぁ? 僕はそんなに効果を感じないんだけど」

 

 リカは少し呆れたような、でも心からの優しさを含んだ笑みを浮かべて首を軽く振った。彼女は乙骨憂太の隣に腰を下ろし、丁寧に、しかし熱を込めて説明を始めた。声は落ち着いていて無邪気な淑女らしさを保ちつつ、時折熱がこもる。

 

『憂太、甘いわよ。本当に甘い。女の子ならみんなやってるし、男の子だってやって損はないの。これはただの見た目を良くするためじゃなくて、自分自身を大切にするための基本中の基本よ』

「そうなの?」

『まず髪をしっかりと乾かすこと。これを怠ると頭皮が湿ったままになって菌が繁殖しやすくなるし、髪自体が傷んでパサパサに弱ってしまうの。戦う時や日常で集中力が落ちる原因にもなるわ』

(そうかな? そうかも)

『髪が健康だと、頭皮の血行も良くなって脳への酸素供給が安定するから、判断力や反応速度も少しだけど確実に上がるのよ』

「それは大切だね。命かかってるし」

『次にスキンケア。これは一番大事な部分ね。肌は体で一番大きな器官で、毎日外の埃、紫外線、呪力の残滓に晒されてるの。ちゃんと保湿してバリア機能を整えておかないと、乾燥や炎症が起きて体調全体に悪影響が出る』

「そうすると?」

『特に憂太たちのような特殊な力を持つ人間は、肌の状態が呪力のコントロールに直結しやすいの。肌が弱ると呪力の流れが乱れやすくて、細かい操作ができなくなっちゃう。化粧水や乳液でしっかり潤すことで、肌のターンオーバーが整い、老化のサインも遅らせる効果があるわ。実際、毎日続けている人は肌のキメが細かくなって、見た目も明るく若々しく見えるし、自信にもつながるの』

「それも大切だね」

『それから爪。爪はただ切るだけじゃなくて、形を整えて清潔に保つことで、手全体の感覚が鋭くなるの。憂太が戦う時、指先の微妙な動きが命取りになるでしょ? 汚れたままや伸びたままじゃ集中できないし、相手に無意識の隙を見せることになる。手や爪のケアは皮膚の健康にも直結するわ』

「確かに。乾燥した手はひび割れやすくて、武器を掴む時にひび割れの痛みが集中を裂くこともあるだろうし。あとは傷や感染のリスクが高まる、とか?」

『そう!! ちゃんと保湿すればそんなトラブルを防げる。手が綺麗で快適だと、日常の動作もスムーズになるし、心理的にも自分をきちんと管理できているという安心感が生まれるの。身嗜みを整える全体の話も同じよ。清潔で整った姿は、自分に自信を持てるだけでなく、周りにもこの人は自分をちゃんとコントロールできる人だって印象を与える。これは心理的な武器にもなるわ。負のエネルギーだらけの世界で生きる私たちにとって、朝のこの時間は自分をリセットして、新しくスタートする大切な儀式なの』

「儀式! 自分を大切にすることで性能を上げる縛りみたいな!」

『それ捉えても良いわ。情報収集は欠かしてないから知ってるけど、実際のデータでも、身嗜みをきちんとしている人はストレス耐性が高くて、長く戦い続けられるし、精神的な安定感も強いって結果が出てるの。毎日少しずつ自分を労わることで、自己肯定感が上がって、苛立ちや後悔みたいな負の感情もコントロールしやすくなるわ。要するに、これは常識じゃなくて自分を愛する最低限の投資なの。憂太が綺麗で健康でいてくれると、わたしも安心して守れるし、二人で一緒にいられる時間がもっと輝くでしょ?』

「うん」

『わたしは憂太のことが大好きだからこそ、こんな風に毎日アドバイスしてるの。憂太が自分を大切にしてくれる姿を見るだけで、わたしも幸せな気持ちになる』

「常識だと思ってたけど、常識以上の意味があったんだね。そこまで深い意味があったなんて。そっかぁ。リカちゃんは本当に頼りになるよ、ありがとう」

『うん。今だって情報収集は欠かしてないからね。負のエネルギーはどこにでもあるから、それを支配すらばすぐに調べられるわ』

「そのバイタリティ、僕も見習わないと」

 

 憂太は素直に頷き、リカのアドバイスを一つ一つ丁寧に実行した。その朝の儀式は、単なる身嗜みではなく、二人が互いを深く愛し、思いやる愛情表現そのものだった。

 

 リカを大切に思い、リカも憂太を大切に想う——そんな静かで温かい時間が、毎朝のルーティンになっていた。身支度を終えた乙骨憂太は、割り当てられた和式の寮の入り口に立った。

 

 黒髪を軽く整え、童顔の顔にいつもの穏やかな表情を浮かべる。

 

「さぁ、行こう。一緒に」

『うん』

 

 リカはすでに死んでいて、今は魂のみの存在だった。

 

 それでも憂太は彼女を生きているように扱うことを何より重視していた。

 死んだように扱わず、共に在ることを認め続ける——それが、二人が強く繋がっていられる理由だった。

 リカがいないように振る舞うことは、できるだけ避けていた。

 二人は並んで校舎へと向かった。教室の前まで来ると、中から五条悟の明るく大きな声が響き渡っていた。

 

「これからハッピーなお知らせがあるよ! なんと新しいお友達がやってきます!! 拍手!!」

 

 教室の中は明らかに白けた雰囲気が漂い、拍手の気配はほとんどなかった。

 

「じゃあ、入ってきて!!」

 

 乙骨憂太は心の中で(入りたくない、けど、行け!!)と思いながらも、深呼吸をして扉を堂々と開けた。

 

「おはようございます、乙骨憂太です」

 

 名前を言い終わるより早く、状況が一変した。

 クラスメイトのパンダと、男子生徒、女子生徒の三人が、即座に攻撃の構えを取ったのだ。憂太の危機を察知した瞬間、リカの自動防御システムが作動し、白い影が憂太を守るように顕現しかけた。その瞬間、乙骨憂太が鋭く叫んだ。

 

「止まれッ!! 100%だ!」

 

 次の瞬間、莫大な呪力が全方位へ波及した。

 それは呪言に似た力だったが、より原始的で力技に近いものだった。呪力というエネルギーをそのまま叩きつけることで、相手の肉体を強制的に麻痺させる。

 

 言葉による指向性はなく、全方位呪力の津波で五条悟を除いた教室にいた全員が一瞬で動きを止められた。呪力の塊であるリカも影響を受け、ぴくりとも動けなくなった。

 これにより、戦いは未然に回避された。

 

 一連の行動を冷静に見ていた五条悟が、楽しそうに手を叩いた。

 

「いいね! 戦いになる可能性を予期して、自爆技で解決した。呪力操作こそまだ雑だけど、呪力の使い方について頭が回る! 呪力干渉とも言うべきかな? それら極めて高い」

 

 仕切り直しとなった。五条悟が明るい声で紹介を始めた。

 

「はい、乙骨憂太くんです。彼を愛するリカちゃんと共に戦う優等生だよ! 愛と絆と勇気という光で周囲を焼き尽くすから、みんな仲良くしてあげてね!」

 

 乙骨憂太は静かに一歩前に出て、穏やかな声で挨拶した。

 

「改めまして乙骨憂太です。そしてこっちがリカちゃんで、僕の自慢の恋人です。過保護だけど優しい子です。今の目標は、自分のやってしまった罪を上回る為に、悲しみや絶望といった負の存在を光で消し飛ばすことです!」

 

 彼の罪——それは意図しないヒューマンエラーによる、数百万人の命を奪った大惨事だった。それを上回る方法として、世界から負の感情や絶望そのものを消し去ることを目指していた。

 

「僕は360日24時間、誰からの相談も受け付けます。もし困ったことがあったら僕に声をかけてください。自分にどうこうできる範囲なら解決を目指しますし、無理でも話を聞く相手にはなるので」

 

 五条悟が満足げに笑いながら言った。

 

「いいね! イカれてるでしょ! これは強くなるし生き残れるよ! ではリカちゃんも、どうぞ」

 

 リカは高校生の姿で静かに一歩前に出て、軽く頭を下げた。

 

『初めまして。憂太に憑いている特級加呪怨霊のリカです。憂太に危害を加えたら殺す。覚えておけよ、カスども……なーんちゃって。私の憂太ともどもよろしくお願いします。えへっ』

 

 五条悟が手を叩いて大喜びした。

 

「茶目っ気があって良いね!! かわいい!」

 

 その言葉を聞いた瞬間、クラスメイトの三人の心は完全に一つになっていた。

 

『五条悟が三人に増えた』

 

 教室に、微妙で重い沈黙が流れた。

 乙骨憂太とリカは、ただ穏やかに並んで立っていた。

新生活の始まりは、予想以上に波乱に満ちたものになりそうだった。

 

 

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