前向きな乙骨憂太   作:あばなたらたやた

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八話:二人で一つ

 

 乙骨憂太は自らの不利な状況を静かに受け入れた。さっきのリカの様子から、彼女の精神性はかなりマイナス寄りになっていた。いくら特級過呪怨霊と融合した呪霊化状態とはいえ、乙骨憂太の主体性を無視するなど、本来ならあり得ないことだった。ならば、何か例外を誘発する要因があるはずだと、彼は冷静に考えた。

 

(リカちゃんの行動については夜に話し合うとして、問題は何かしらの仕掛けがあることかな)

 

 『何かある』

 倒したはずの巨大な呪霊が、ゆっくりと再生を始めていた。そしてその腹の中に、憂太の体が飲み込まれていく。

 

 このままじっくりと、呪いというマイナスエネルギーによって喰い尽くす算段なのだろう。呪霊の腹の中は暗く、粘つく壁が脈打っていた。

 

 乙骨憂太は周囲を見渡し、大きく息を吐いた。それから気合を入れるように、自分の頰を軽く叩いた。

 

「状況の整理をしよう。真希さんの足は感覚で直したけど、汚染の処理はできていない。これは術式やそれに類する異能が発生している」

 

 気絶している禪院真希の切り裂かれた足は、すでに再生されていた。しかし彼女を苛む呪いは、まだ侵食を続けていた。残された時間は短い。さらにその場には、二人の子供がいる。

 

「僕は三人を助ける。そしてそのためには、この巨大な呪霊を倒す必要がある。だけど再生能力を有している。全滅するには大火力による破壊が必要だ」

 

 乙骨憂太は脳内で段取りを整えていった。自らが持つ能力という手札を一つ一つ確認し、目的を遂行するための方法を丁寧に練り上げていく。

 

「無制限の自爆をする」

 

 リカの声が、すぐに返ってきた。

 

『それ、憂太もただじゃすまないよ?』

「うん。破壊する対象は呪霊のみに限定した呪力の全力炸裂。だけど僕とリカちゃんは融合して呪霊化状態だから、ダメージを負う。ごめんね、痛い思いをさせちゃう」

『こうなったのは私のせいでもあるから大丈夫。それに融合を解けば、呪霊の組成である私は傷つくけど、憂太は平気よ』

「僕達は共に歩むと言ったじゃないか。僕が無傷でいられるとしても、リカちゃんが傷つく必要があるなら、共に傷つこう」

 

 それは無駄な選択だ。

 意味のない、ただの感情論でさえない感傷に過ぎぬものだと。

 そう、分かっていた。理解していた。頭のどこかで、冷めた理性がずっと囁いていた。

 それでも、乙骨憂太は、リカと共に歩む道を選んだ。

選ばざるを得なかった、というべきだろうか? 否である、乙骨憂太は選んだのだ。自分の意志で。

 

 

 乙骨のあらゆる愚かさと、取り返しのつかない鈍さを、リカは支え続ける。その支えは決して優しいものではなく、時に苛烈で、時に残酷なほどに真っ直ぐだった。

 リカの傲慢と独善、己の在り方を世界の中心に据えるような驕りを、乙骨はただ赦し続ける。赦すというより、受け入れるといった方が近いか。

 全てを、まるごと飲み込んで、それでも傍らに在り続ける。それは、ただ愛という名の、根源的で原始的な衝動ゆえだった。

 

 愛などという言葉が陳腐に聞こえるほどに、深く、暗く、熱く、彼らを縛り、繋いでいた。

 

 勇気と絆。

 気合いと根性。

 

 そうした、幼稚で、青臭く、どこか古臭い言葉の羅列でさえ、世界の理を越える力など、一人では到底及ばぬ。

 

 孤独な術師がどれほど叫ぼうと、呪いは呪いを呼び、死は死を呼び、絶望は絶望を増幅させるだけだ。だが、共に在る者がいるならば——話は、根本から変わる。

 

 同じ勝利の形を、深く、狂おしいほどに願う二つの心が、強く共鳴し、激しく共振する果てに。何でも願いを叶える、奇跡と呼ぶほかない現象が起こる。

 

『勇気』と『絆』と『愛』

 

 それらが起こる現象を愛などという生易しい言葉では到底足りない。

 

 それは、運命の歯車をねじ伏せ、因果の鎖を引きちぎり、世界そのものを歪めてしまう『光』だ。

 

 理の外側に在る、絶対的な「何か」。

 同じ理想を抱き、同じ道を歩み、同じ末路を受け入れた二人が、心の底から望んだときだけ、奇跡は形を得て、現実を踏み潰す。

 

 彼らは知っていた。

 この選択が、どれほど愚かで、どれほど無意味で、どれほど世界に抗うものなのかを。

 世界は決して優しくない。術師などという生き物は、最初から救われる資格など持たぬ。

 幸せなどという甘い幻想は、すぐに血と呪いに塗りつぶされる。

 それでも、二人は歩む。

 リカと共に、乙骨は在る。

 乙骨と共に、リカは在る。

 

 たとえその先に待つのが、さらなる絶望であろうと。

 たとえこの絆が、いつか二人を滅ぼす呪いそのものになろうと。

 それでも、彼らは選んだ。

 この愚かな道を。

 愛と勇気をおとぎ話を歩いている。その旅の終わりは来るだろう。だが、それまで全力で走り切る。

 二人がいる限り、奇跡は死に絶えてなどいない。リカと乙骨が、互いの愚かさを抱きしめながら歩み続ける限り——世界は、必ず、どこかで軋みを上げる。

 彼らの愛は、そんな風に、理不尽で、残酷で、それでも、どこか美しさを妊む。

 

「全力で、呪霊のみを粉砕する。リカちゃん、力を貸して」

『うん、いいよ』

 

 

 そして今——無制限の呪力が、解き放たれた。

 瞬間、世界のすべてが白く染まった。核爆弾の核心に匹敵する、超高密度の呪力の奔流が、全方位へと炸裂した。

 

 空間そのものが悲鳴を上げ、歪み、引き裂かれ、理の外側へとねじ曲がる。光が呪いをすべてを飲み込み、焼き払い、粉微塵に叩き潰した。

 

 轟音が遅れて届いたとき、すでにそこは死の領域と化していた。残されたのは——全身が焼け爛れ、皮膚は黒く炭化し、筋肉は溶け、臓器が露わに零れ落ちんばかりの、乙骨憂太の姿だけだった。人間の形を保つことすら困難な、ただの焼け焦げた肉塊。

 

 骨が露出し、血の代わりに黒い煙を立ち上らせながら、それでもなお、彼は息をしていた。意識は、かろうじて繋がっていた。胸の奥底で、リカの名を呼び続けていた。そのすぐ傍らで、リカが絶叫に近い声で再生を試みていた。

 

 彼女の呪力は限界を遥かに超え、ほとんど暴走の域に達しながら、必死に乙骨の肉体の命綱を縫い合わせようとしていた。しかし、傷は深すぎた。

 あのエネルギーの奔流は、肉体だけでなく、魂そのものを削り取っていた。

 融合を解いたリカの声が、初めて——震えた。

 

『憂太……! まだ、終わせない……! 私が、絶対に助けてあげるから!』

 

 わずかに離れた場所に、無傷のまま佇む禪院真希と、二人の子供たち。真希の瞳には、純粋な驚愕と、わずかな畏怖、そして——抑えきれない、しかし確かに存在する、羨望の色が揺らめいていた。

 

 子供たちは、言葉を失い、ただ呆然とその地獄絵図を見つめている。世界が終わったような、それでいて、まだ終わっていないような、重く、冷たい、奇妙な静寂が、すべてを包み込んでいた。

 

 五条悟はつぶやく。

 

「おお、やっぱり愛は強いね」

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