前向きな乙骨憂太   作:あばなたらたやた

9 / 9
九話:振り返り①

 

 病院の長い廊下は、どこか冷たく静まり返っていた。

白い壁に埋め込まれた蛍光灯の光が、淡く床を照らし、ところどころに置かれたベンチの影を長く伸ばしている。

 

 その一角に、乙骨憂太は一人で立っていた。黒髪が額にかかるのをそのままに、神妙な表情で視線を落としている。

 

 可愛らしい童顔は、いつもより少し大人びて見え、黒い瞳には深い思索の色が浮かんでいた。そこへ、足音も軽やかに五条悟が現れた。

 

 銀髪が無造作に揺れ、碧眼がいたずらっぽく細められている。190cmを超える長身は、病院の廊下でも異様な存在感を放っていた。

 

 彼はいつものように、掴みどころのない笑みを浮かべて乙骨に近づいた。

 

「やぁ、乙骨憂太くん。今回の件はどうだった?」

 

 声は軽薄で、天気の話でもしているかのようだった。

乙骨はゆっくりと顔を上げ、落ち着いた、しかしどこか知的で軽やかな口調で答えた。

 

「学びが多かったです。戦闘時の僕と呪霊化したリカちゃんは、かなりマイナス寄りの精神性を有しているのは重要です」

 

 その言葉の響きに、五条の眉がわずかに上がった。

 マイナス寄り——。

 乙骨がその表現を使うとき、それは明確に『人に害する性質が高い』というニュアンスを含んでいた。

 特級加重怨霊である以上、元の里香の性格よりも加虐性が増すのは理の当然だ。しかし乙骨は、心の中で静かに線を引いていた。

 

 五条が自分の意見を無視したり、都合よく捻じ曲げたりするような行動は、決して許容範囲外だと。五条は壁に軽く背を預け、腕を組んで乙骨の顔を覗き込んだ。

 

「へえ。で、君は? 君はどうなんだい、乙骨憂太くん。通常時の君なら『被害者がいる可能性』は認めても、ほとんど考慮せずに攻撃に移っていたはずだよね。

けどあの時は、明らかに躊躇ってた。どうして?」

 

 乙骨は一瞬、視線を逸らした。

 黒い瞳に、わずかな揺らぎが走る。

 彼は静かに息を吐き、穏やかな声で返した。

 

「リカちゃんがマイナスなら、僕はプラスの行動を取っている……と、そういう解釈ですか?」

「かもしれない、という話だけどね」

 

 五条は肩をすくめ、にやりと笑った。その笑みは軽やかだったが、碧眼の奥には鋭い光が宿っていた。

 

「君は案外、優しい人間なのかもしれないよ」

 

 その言葉が落ちた瞬間、乙骨の表情がはっきりと曇った。不快感が、童顔に露わに浮かび上がる。彼は声を低く抑えながらも、はっきりと言った。

 

「冗談はやめてください。優しいなら、これほど切り替えは早くないですよ。数千万人を殺してでも、価値あるものにしようと考える人間が優しいはずがありません。

僕は破綻者です。だからこそ、輝く明日を目指して光に進める人種なのでしょう」

 

 乙骨の声は穏やかさを保っていたが、その奥底から静かな熱が滲み出ていた。

 光とは、彼にとって尊いものだった。

 正しいことを、正しい時に、正しく行える——。しかし正論だからこそ、時に人を傷つけ、通用しないこともある。

 

 正論を行える人間は、精神的な逸脱者だ。そしてそれを推し進めるだけのスキルも、必ず伴う。乙骨自身がその逸脱者であることを、彼は冷徹に自覚していた。

 

 もし彼が正しいとされる世界が実現すれば、それは彼と同じような精神で全てが左右される、混沌とした優劣社会に他ならない。だからこそ、彼はそれを認めようとしなかった。

 

「僕が変なのは自覚しています。それと頑張るのは別の話です。怪物と呼ばれようと、僕は好きなように頑張ります。他の人にかけた迷惑も、かけた迷惑より作り出した価値が上回れば、帳尻も合うでしょう。数千、数万人の人に報いるのは大変ですが、諦めてしまえば無駄死にです」

 

 乙骨の言葉には、静かな決意が込められていた。しかし五条の目には、その決意の裏側にある危うさが映っていた。

 

 コンコルド効果、あるいはサンクコスト効果。

 損失が出ると分かっていながら、過去に注いだ時間や労力、命を惜しんで撤退できなくなる心理。

 

 殺した人間を惜しみ、突き進んだ結果、さらなる損失を積み重ねる未来が、五条にはぼんやりと見えていた。五条は軽くため息をつき、いつもの飄々とした調子を崩さずに言った。

 

「優しい人間が冷酷な側面を持つことも、またあり得ると僕は思うよ。逆にリカちゃんみたいな『愛する人ファースト』が、実は己の欲だって当然あるよね」

 

 乙骨はわずかに目を細め、相手の言葉を慎重に吟味するように返した。

 

「人間は多面的で、使い分けるという話ですか?」

「そうだよ。君の愛だって、恋愛的な意味の他に、友愛とかもっと広げる余地はある。全てをリカちゃんのために使うのもありだし、別の愛を見つけるのも、アリ、だ。解釈と可能性は無限にある。誰かを選ぶかは自分で決めることになるけどね」

 

 乙骨は小さく息を吐き、どこか苦しげに笑った。

 

「なんていうか……先生みたいですね」

「ははっ、僕はグレートティーチャーだよ?」

 

 五条は胸を張り、明るく笑い飛ばした。

 

「それだけ失敗や成功も積み重ねてきた、ということさ」

 

 乙骨が静かに、しかし真剣な目で尋ねた。

 

「最強も失敗してきたんですか?」

「いや、別に?」

 

 五条は肩をすくめ、軽やかに首を振った。

 

「失敗っていうのは、その経験を成功にできないヤツが使う言葉だからね。僕は違う。ただ……最強と完璧はノットイコールだけさ」

 

 二人の声が、病院の静かな廊下にゆっくりと響いていく。

 

(最強と完璧は同じじゃない。大きな失敗から学んだことが先生にもあるのかな)

 

 五条の軽やかな言葉と、乙骨の深い静けさが、奇妙に絡み合う。

 時間が来て、立ち上がる。廊下の先では、かすかな足音が遠ざかっていく。

 二人の会話は終わった。

 

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。

評価する
※参考:評価数の上限
評価する前に 評価する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。


  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

読者層が似ている作品 総合 二次 オリ

術式【適応】(作者:雨曝し)(原作:呪術廻戦)

▼ 禪院家に魔虚羅と同じ術式持ちが生まれる話。▼タグは随時追加


総合評価:1034/評価:7.06/連載:7話/更新日時:2026年04月09日(木) 13:14 小説情報

伏黒恵の調和 (タイトル変更)(作者:ゲダツ)(原作:呪術廻戦)

伏黒恵に憑依した。男は呪いのはびこってる呪術廻戦の世界に転生した 男は両面宿儺に体を乗っ取られないため 全力で未来を回避する


総合評価:631/評価:6.36/連載:21話/更新日時:2026年05月07日(木) 12:47 小説情報

モジュロ虎杖の時間遡行(作者:仰木)(原作:呪術廻戦)

死滅回遊突入時に未来虎杖と入れ替わってしまった話


総合評価:520/評価:8.43/連載:2話/更新日時:2026年03月16日(月) 07:17 小説情報

術式【搾生呪法】(作者:雨曝し)(原作:呪術廻戦)

▼ 禪院家に一人の赤子が生まれる。▼ その赤子の名は椿。触れた物の生命を奪う術式を持って生まれた怪物である。▼ そんな椿がさしす組に混ざる話。▼タグは随時追加


総合評価:353/評価:6.75/連載:5話/更新日時:2026年04月22日(水) 21:50 小説情報

呪術の世界に迷い込んだ、パラディ島の悪魔(作者:ブァッファイ小五郎)(原作:呪術廻戦)

エレン・イェーガーが呪術廻戦の世界に迷い込んじゃう!?▼ひょんなことから始まる、最高の物語!!


総合評価:365/評価:7.6/連載:12話/更新日時:2026年05月10日(日) 09:10 小説情報


小説検索で他の候補を表示>>