個性:奇跡を起こす程度の能力 作:弱小妖怪
私の朝は早い。体内時計に従って、まだ日も昇らない時間に目を覚ました。
お布団で安穏とした眠りに微睡みたい欲求を信仰心で以て滅殺し、盛大な欠伸と共に立ち上がる。
部屋は真っ暗で一寸先も見えないけれど、習慣と手探りによって照明の紐を探り当て──引っ張ると、何故か二つ並んだ布団が視界に映った。
はてと首を傾げ、すぐに得心する。そういえば、昨日からお泊り会をしていたなと。
ぽけーっとする頭のままでしばらく眺めていたけれど、特に面白味もないことに気付いて視線を逸らした。
せめて寝顔だけでも見えたらマシだったろうに。
とりあえず暗い廊下の壁に手を突きながら台所まで出て冷水を顔に浴びせると、瞳にこびり付いた眠気も少しは洗い流された。
滴る水をタオルで拭き取ろうとしたけど、なかったから雑に袖で拭う。
それからまた部屋に戻ったけれど、こんもりと盛り上がった布団には全く変化した様子が見られない。
耳を澄ませば安らかな寝息も聞こえてくるし、相当ぐっすりと眠っているのだろう。
こうなると、起こすか起こさないか迷ってしまう。
健康な体を作るためには睡眠は大事なのに、私事のために削らせるのは如何なものか。いやそもそも、人の安眠を妨害するという行為自体に何とも形容しにくい罪悪感があるというか、寝れるならそのまま寝させてあげたいというか……
うん。まあ、もうしばらく待ってもいいだろう。
そう結論付けて、着替えに取り掛かる。
巫女服を纏えば、今日の業務の始まりだ。
◇
「起きてくださーい。もうすぐ朝ですよー」
体に触れる冷たい手と、断続的な揺れ。そして起床を促す柔らかな声によって葉隠は目を覚ました。
寝起きでぼやけた視界に映るのは、見慣れない天井だ。スイッチ紐式の電灯が幾重かの光輪を描いている。
「起きてくださーい。もう空も白んでますよー」
首を傾けると、枕元に早苗ちゃんが座っているのが見えた。靄懸かった思考は何故と疑問を出力するけれど、そういえばお泊り会を突発開催していたことに思い至った。
「起きてくださーい。もう雀も鳴いてますよー」
早苗ちゃんは葉隠が起床していることにも気付いていないようで、目覚ましの声掛けとしては少しズレている文言を吐き出し続けている。いくつかの訓練を経たことで見慣れてきた巫女服にも着替えており、既に活動を開始しているようだ。
本当にコスチュームじゃない巫女服も脇が空いているんだなあとか益体のない思考をしていると、ふと頭の端に何かが引っ掛かた。
昨日、早苗ちゃんからは四時には起こすと言われていて。
けれど、今はもう夜明けらしくて。
葉隠は四月中旬の夜明けの時刻なんて知らないけれど、それでも四時よりは幾分も遅いことくらいは推測できる。
となると、導き出される結論は一つだけで。
「寝坊しちゃった!?」
「おはようございます、透さん」
「おお、おはようございます」
慌てて飛び起きるけれど、早苗ちゃんは静々と頭をぺこりと下げて挨拶をしてきたから、葉隠も釣られておはようと返した。
「って、そうじゃなくて! 寝坊だよ寝坊!」
自分から準備を手伝うと約束し、無理を承知でお泊り会まで決行したのにのうのうと寝ていただなんて色々とあれである。だから 視えないことを承知で腕をぶんぶんと振り回しながら訴えかけるけれど、早苗ちゃんはただ莞爾と笑うだけ。
「寝坊なんてしてませんよ。丁度今起こしたところです」
「でも~!」
「ただの私の我が儘ですから。あるいは活動時間を奪う意地悪かもしれません」
葉隠としても、そこまで言われては引き下がる他ない。代わりに二拍の後にありがたや~と頭を下げておく。透明人間が自己を主張する上で音というものは重要なファクターなのである。
早苗ちゃんは不思議そうに首を傾げたが、切り替えるように手を合わせ、それではと口にした。
「朝御飯もあと十分からニ十分くらいで出来上がりますから、準備が終わったら居間まで来てくださいっ」
体操服に着替えたり、諸々の支度を終えて居間の方に向かうと何やら酷く芳しい香りが漂ってくるのを感じた。鼻をすんすんと鳴らしながら匂いの出所に近付いていくと、どうやら居間ではなく縁側の方が出元のようだ。
家の裏側にあるこじんまりとした空間では団扇を片手に早苗ちゃんがしゃがみ込んでいる。隣にはタレが入った小皿や小ぶりの刷毛とかが置かれている盆が鎮座していて、また、前方には光源でもあるのだろうか、薄暗い薄明の中でぼんやりとした橙色の光を放っている。
そして何より、澄んだ空気の中で霧散する白煙よ。
状況証拠は出揃った。これは、まさしく。
「炭火焼だ!」
興奮のままに歓声を挙げると、早苗ちゃんの耳にまで届いたようで、こちらを招くように手をちょいちょいと動かした。
この先は砂利も転がる剥き出しの地面であり、今の葉隠は素足である。一瞬だけ躊躇するものの、寝起きの倦怠を欠片も残さず吹き飛ばした興奮が、ついでとばかりに葛藤までも打ち壊してしまった。
足裏に慣れた痛みを感じながらも駆け寄れば、そこに坐するは彼のジャパニーズトラディショナル風物詩たる七輪である。
串を打たれた何かの身が火に炙られ、ふんだんに塗られたタレがぱちぱちと音を立てて弾けている。
かば焼きだ。かば焼きである。
鼻孔を抜ける芳醇な匂いがとめどない期待感を喚起し、じゅるりと涎が溢れた。
「ふっふっふ。今日はいつもより早寝早起きしましたからその分だけ時間が余ったんです。だから湧き水の方に行ってみたらですね、いたんですよ。例のアイツがね」
「もしかして、昨日話した……!?」
「ふふふ、想像の通りです」
「おお!」
早苗ちゃんは串で打たれた身を皿に引き上げると、刷毛でたっぷりとタレを塗り、軽く振ってから網に戻す。職人のようなテキパキとした手腕だ。
「コイツはまた癖の強いヤツでしてね。一日の二十四分の一以上を費やして面倒を見ないとポテンシャルを引き出せないんですよ」
「おお……?」
ドヤ顔で語り始める所も含めて、なんだか職人っぽい。
「〆たらさっさと血抜きして、その後に皮剥きと内臓の処理。このとき腸を傷つけたら臭くなります。めっちゃ不味くなります。それから開いて中骨を処理し、肉の臭みを少しでも抜くために日本しゅ──じゃなくって、信者の方から頂いたお米ジュースに漬け込みます。今回は妥協してますから、短めですけど。後は水気をしっかり拭き取って、串を打ってから遠火でじっくり焼き上げて、仕上げにタレを塗って炙るのを繰り返す。そしたらこれで……完成です!」
「おお……!」
「ふふん、存分に褒め称えてくれてもいいんですよ?」
途中で何だか怪しいフレーズも聞こえた気がするけれど、葉隠は努めて無視することにした。多分、飲んでないならセーフだし。
それより重要なのはこっちだ。朝日を浴びて、宝石のように輝くマムシのかば焼き。
どうも、これの料理のために相当な手間をかけていたようで。昨日の些細な会話を覚えていて、春祭りやら体育祭やらで忙しいにも関わらず時間を捻出して自分のために用意してくれたならエクサ感謝感激雨霰だ。
やっぱり申し訳なさも湧いてくるけれど、どうしようもなく嬉しくて堪らない。きっと今の葉隠の顔はによによと笑みを象っているけど、それも早苗ちゃんには見えないのだろう。
だから、葉隠はめいっぱい体を躍動させ、せいいっぱい感情を声に載せて言葉を紡ぐのだ。
「早苗ちゃん大好き! めっちゃ神ってる!」
「へあ!?」
…………何か、間違えてしまったかもしれない。
◇
「それでは! 神様方への挨拶に向かいましょう!」
元ボッチに「友達に抱き着いて大好きと言うのは普通じゃないです!」と文句を言われたりした朝食後、両手を胸の前にむんっと構えてそう宣言した友達の後を付いて葉隠は歩いていた。
朝の神社は夜とはまた違った様相を呈していて、遅咲きの桜が境内を風情たっぷりに彩っている。場所が場所なら、連日花見客が訪れて大賑わいしてもおかしくないと思われる。
葉隠もこれには感嘆の声を漏らし──ただ、それはそうとて酷く気になるものがあるせいで、視線はちらちらと揺れ動く。
早苗ちゃんが右手で持っている袋。コミカルに描かれた手足のあるジャガイモと、ジャガイモを薄く切って揚げたお菓子の写真が印刷されたパッケージ。それはまさに国民的なあのスナック菓子であり。
「早苗ちゃんやい、そいつは一体何でござんしょう」
「ポテトチップスですよ?」
「そういう意味じゃなーい!」
紛れもなく、ポテトチップスであった。
「神様へのお供え物って普通はお米とか塩とか農作物とかじゃないの?」
「その考えは甘々ですね。このポテトチップスは色々と特別なのです」
「特別」
とは言え、神様への供物にスナック菓子はおかしいと思うのもただの素人の浅知恵である。本職の巫女さんが言うならば、きっと問題はないのだろう。
だから特別と言わしめる要素は何なのだろうと立ち止まってパックを見分するけれど、どうにも検討が付かない。
「変わった要素は見当たらないけど、どこが特別なの?」
「まず、大容量のファミリーパックです」
「なるほどなるほど。二人で分けて食べるならいっぱいあった方がいいからね」
「さらにスタンダードなうす塩味ではなく、ちょっぴりレアなしあわせバター味です」
「ほうほう。しあわせバターでハッピーにってね」
「はい」
「うん」
一秒、二秒と、沈黙が春の穏やかな風と共に流れて。
「いやいやいや! 突っ込みどころ満載だよ!? 守矢神社が家庭的過ぎる!?」
「あはは、だって守矢神社は素敵なところですから。アットホームな神社ですっ」
「ブラック企業の定型句!」
つい爆発してしまったけれど、早苗ちゃんはケラケラと楽し気に笑うばかり。
最早言葉だけでは突っ込み足りぬ、物理で参る!と脇腹をていていっと突ついてやったら、呆気なく捕まって指を絡まされてしまった。
そのまま手を引かれて歩き出す。
「……早苗ちゃん、本当によく笑うようになったよねぇ」
「そうですか? あんまり自覚ありませんけど」
「そうなんだよ。透明人間にはまるっとお見通しなのだー!」
「見通されちゃいましたか」
「しちゃったのです」
実際、葉隠の言ったことは事実である。入学当初と比べて、早苗ちゃんはよく笑うようになった。
実のところ、葉隠は入学するよりも前──実技試験会場にて早苗ちゃんと会ったことがある。いや、会ったというのは語弊がある表現だろうか。正しくは、巫女服の腋がないことに気付けない程の距離から一方的に見ただけだ。
二人は同じ会場で試験を受けた。だから、葉隠は早苗ちゃんが自分の得点も顧みずに困っている人を助けようとあちらこちらを飛び回る姿も見かけていたのだ。
その姿に、葉隠は仄かな憧れを抱いた。
まあ、今にして思えば自分の実力に絶対的な自信を持つことによる傲慢か、あるいは風祝としての矜持故の振る舞いだったのだろうけど、それでも自分の人生が懸かっている場で善行に励めるのは凄いことである。
やがて家に合格通知が届いてからは彼女と再会する日を待ち遠しく思っていたし、落ちている可能性なんて微塵も考えずに、話したいことや一緒にやりたいことなんかを色々とノートに書き留めたものだ。
だからこそ、遂に訪れた入学の日、教室に入ってきた彼女の姿に驚いたのだ。やっぱり早苗ちゃんは明るくて、素直で、真面目で──けれど、どこか諦めたような、ヤケッパチのような気配を纏っていて。
下手な笑顔の裏には、いつだって陰が垣間見えていた。
「笑う門には福来るッ! 早苗ちゃんやい、今は楽しいかい?」
「えっ、突然何ですか? いやまあ、楽しいですけど。……すっごく」
「うんうん、良き哉良き哉。それじゃあお泊り会二日目早朝記念に写真を撮ろうぜ!」
「またですか? 昨日も一枚撮りましたよ」
「たったの一枚じゃ足りないよ! 写真なんて何百何千何万枚あったって良いんだから! ほら寄って寄って! はいチーズ!」
「ちょっ待───」
写真に写った早苗ちゃんは、やっぱり良い表情をしていた。
◇
ちなみに、その後神様に挨拶をしたらお供えしたポテトチップスが幻のように消え去って、宇宙の法則が乱れるのを感じたのは別のお話。
早苗ちゃん曰く捧げものが神様の元に渡るのは当たり前だとか。
守矢神社の風祝にして現人神の末裔たる少女にとって、己を偽り他者に迎合するような真似は決して許されることではない。
だから雄英高校でも今まで通り疎まれて排斥されることを覚悟していたのに、何故か受け入れられてしまった結果、愚かなことにも嫌われるのを怖れるようになってしまった。
今は昔の話である。