希望ヶ峰学園の本科生徒は、基本的に全寮制である。なので、死神としての仕事を終えた苗木が向かうのは、本科生徒達が暮らす寄宿舎だ。三号棟の102号室。ここが苗木の住む部屋だ。やや古いが、広いし防音設備もばっちりなので、住み心地は良い。
自分の部屋に帰った苗木は、早々に自室のベッドへ倒れ込んだ。
「はぁーーっ、疲れた」
「随分時間がかかりましたね、誠様」
先に帰っていた黒鶴が、麦茶のペットボトルを差し出した。黒鶴は、午後に契約黒猫の定例会があったので別行動を取っていたのだ。
「ありがと、黒鶴。ほら、本科校舎に霊が出てたでしょ? その原因を調べてたんだ」
「なるほど。それで原因は分かりましたか?」
「もちろん」
そう言って苗木はビニール袋に入った除霊砂時計の残骸を取り出して、それを黒鶴に渡した。続けて近くにあったカタログ本を手に取り、数ページをめくって見せる。それを見た黒鶴は顔を顰めた。
「これは……除霊砂時計ですか」
「うん。去年、本科校舎に霊がいなかったのはこれが原因だね。だけど、これを新しく用意して設置し直す……のは無理そうかな」
苗木が価格の欄を指差しながらそう言った。除霊砂時計の金額を見た黒鶴も頷く。
「まぁ、これを必要経費として請求するのは難しそうですね。
「だよなぁ……今ある人員でどうにかしろって言ってくるのが目に見えてるよ。やっぱり、本科校舎については僕達だけでどうにかするしかなさそうだな」
その時、チャイムの音が響いた。思わず苗木は、黒鶴と顔を見合わせた。
「……誰でしょう?」
「さぁ。でもまぁ、出ない訳にもいかないよ」
そう言って、苗木は玄関のドアを開ける。ドアの前に立っていたのは舞園だった。
「あれ? 舞園さん、どうかしたの?」
「引っ越しのご挨拶をと思いまして。これ、つまらないものですが……」
差し出されたのは、焼き菓子の詰め合わせだった。紙袋ごとそれを受け取ると、苗木はお礼を言った。
「わぁ、美味しそうだね。ありがとう」
こんなことなら、自分も引っ越しの挨拶用にお土産を用意しておくべきだったかと悔やむ。
「気にしなくて大丈夫ですよ。こういうのはあくまで形式みたいなものですから。他の皆さんも特に気にされていないようでしたし」
苗木の心を読んだかのような絶妙なタイミングで、舞園はそう言った。
「えっ?」
苗木は目を瞬かせた。
「どうかしましたか?」
「いや、その……今、僕が考えてたことをそのまま言われた気がして」
「私、エスパーですから」
「……え?」
苗木が思わず聞き返したが、舞園は意味ありげに微笑むだけだった。
「それじゃあ、これからよろしくお願いします」
舞園はそう言って、ペコリと頭を下げる。それを見て苗木も慌てて会釈を返した。
「あ、えっと、こちらこそ、これからよろしく」
「はい」
舞園は笑顔でそう返すと、苗木の部屋の隣へ向かう。そして何事もないように鍵を取り出し、扉を開けた。どうやら、隣の部屋が舞園の部屋だったらしい。
まさか、お隣さんがアイドルとは。これは幸運なのかなと思いながら、苗木はドアを閉じた。黒鶴に焼き菓子を渡しながら、来訪者は舞園だったことを話す。焼き菓子を美味しそうに頬張りながら、黒鶴は呟いた。
「流石は『超高校級のアイドル』にして、『彼女にしたい女子ランキング第一位』ですね。気配りも完璧です」
「あれ? 黒鶴、もしかして舞園さんのこと知ってたの?」
黒鶴は呆れた様子で言った。
「何を言ってるんですか。すごく有名じゃないですか。誠様がよく聞いている『ネガイゴトアンサンブル』も舞園様のグループの楽曲ですし」
「えっ!? あれってそうだったの!?」
本気で知らなかった。
ネガイゴトアンサンブルは、ランキングでも上位に位置している曲で、苗木もなんとなく聞いてみて気に入った曲の一つだ。だが、まさか舞園が所属するグループの楽曲だったとは夢にも思わなかった。
「それに、こまる様も舞園様の大ファンですし」
「ああ、そうなんだ」
妹の名前を聞いた途端、苗木の表情がわずかに曇る。苗木と彼の妹であるこまるとの関係は、決して良好とは言えなかった。兄である誠には死神としての能力があったのだが、妹のこまるにはそれがない。たったそれだけのことなのだが、その違いは兄妹の間に小さくない溝を生んでいた。
苗木はベッドに寝転んだ。希望ヶ峰学園での濃いクラスメイト達や、死神の仲間達、本科校舎のこと……今日は色々ありすぎて、ドッと疲れが湧いてきたのだ。そんな時、ふと謎が浮かんだ。
あの除霊砂時計は、試供品なので強い衝撃を受ければ当然壊れるが、それでもある程度頑丈に作られている道具だったはずだ。なのに、あんな粉々に壊れていた。しかも、あの男子生徒の話によれば、机の中にあったらしい。
言いようのない違和感が苗木の中にあった。ただの杞憂であれば良いのだが、胸の奥に引っ掛かったその違和感は、いつまでも消えようとはしなかった。