『あの勝負で大敗して以来、俺の人生は狂った……妻も子も皆いなくなりやがった……あのマックロワッサンの悪魔め……』
「……お気の毒です」
教室のロッカーに保管してあったお香の効果もあってか、悪霊化しかけていた霊たちも、少しずつ大人しくなっていた。少なくとも、苗木の話に耳を傾けてくれる程度には落ち着きを取り戻している。
戦刃やセレスに憑いていた数体の霊をどうにか浄霊し終えると、苗木はほぅと息を吐く。そんな苗木に霧切が声をかける。彼女の手には缶コーヒーが二本ある。
「お疲れ様、苗木君」
「うん? ああ、霧切さん。どうしたの?」
「差し入れよ。随分長く話し込んでいたみたいだからね」
そう言って霧切は缶コーヒーを差し出した。ずっと話を聞いたりしていたので喉がカラカラだ。苗木は有り難くそれを受け取ると、プルタブを開けて中身を口に流し込む。
「うぐっ、苦……」
思いのほか強い苦味につい顔を顰める苗木。パッケージを確認すると、砂糖が一切入っていないブラックコーヒーだった。
「ブラックは苦手だったみたいね……」
「いや、悪くは……ないよ。ありがとう、霧切さん」
「そう……」
そう答える苗木だったが、その表情は正直だ。霧切は少し拗ねたようにそっぽを向く。だが、少し気になったことがあったようで尋ねた。
「それで苗木君、さっきの霊達はセレスさんに憑いていた霊かしら?」
「まあね。お香のおかげもあってか、僕の話を聞いてくれるくらいには落ち着いてくれたよ。まぁ、憑き纏っている霊の中でも比較的穏当な方だったというのもあるけど」
「穏当……? あれで?」
霧切の目には、相当恨みが籠っていたように見えたが。苗木は首を横に振り、セレスや戦刃に憑いている霊達について説明した。
セレスに憑いている霊達は、過去に彼女との戦いで敗北・破産したギャンブラー達だ。戦刃に憑いている霊達も、彼女に殺された敵兵や民間人達だ。ギャンブラーや敵兵の霊達は、まだ話し合いの余地があった。少なくとも彼らは危険を承知でその場にいたのだから。言い方は悪いが、自己責任とも言えなくはない。だからこそ、苗木はそこを突いて浄霊を行っていた。
だが、それでも感情面から納得しない霊も大勢いる。戦刃に憑いている霊でも、特に民間人の霊は恨みの度合いが兵士のそれよりも遥かに深い。兵士でない彼らは戦争によって理不尽に命を奪われたのだ。恨みが深いのも当然と言える。彼らに関してはまだ苗木と会話すらできなかった。
そして不思議なことに、腐川に憑いている霊達もまた、戦刃に憑いている民間人の霊達と同じくらいに恨みが深かった。
苗木の話を聞いた霧切は険しい表情を浮かべた。
「もしかして、腐川さんに憑いている霊達は……彼女に殺された人達ってことはないかしら?」
「え?」
霧切の推測に苗木は思わず絶句する。
「あんなにたくさんの霊が? それに腐川さんって血を見たら卒倒するくらいなのに……」
「……そうね。私もまだ確信は持てないけれど。可能性はあるかもしれないわ」
「……」
クラスメイトが殺人鬼だとは考えたくないが、苗木は心の隅に留めておくことにした。
――――――――――
そんなことを話した翌日の放課後。苗木は創達、他の死神と現状報告を行っていた。そこで、苗木は腐川について情報を共有した。
「『超高校級の文学少女』に大量の霊、それも滅茶苦茶恨まれている……確かに妙だな」
創も険しい顔で頷いた。
「霧切さんはもしかしたら腐川さんに殺された人達なんじゃないかって言ってたけど……」
「可能性はなくもないが……」
苗木の話によると、腐川に憑いている霊はざっと二十体くらいいるらしい。それだけの数を殺して、今の今までバレていないのは謎だった。普通なら連続殺人事件として捜査され、捕まっていてもおかしくない。
その時、終一がポツリと呟いた。
「……ジェノサイダー翔」
「「「え?」」」
終一の挙げた名前に、創、苗木、楓の三人は首を傾げる。全く聞き覚えのない名前だったからだ。そんな三人に終一は分かっている範囲で説明した。
ジェノサイダー翔は、近年活動が目立ち始めた連続殺人鬼のことらしい。若くて容姿の良い男性ばかりが狙われており、全員鋏で刺殺された後に磔にされている。そして、死体の側には血文字で『チミドロフィーバー』と書かれているそうだ。
「若い男性ばかり……か。ねぇ、苗木君。その腐川さんに憑いている霊達って、ひょっとして全員若い男性だったりしない?」
楓が恐る恐るそう尋ねる。楓の言葉に、苗木の表情も硬くなる。
「憎悪があまりにも強すぎて顔とかは判別できなかったけど……確かに全員男の霊だったよ」
四人の間に嫌な沈黙が流れる。創が代表して苗木に言った。
「……とにかく、苗木は彼女に目を光らせた方が良いな。下手したら悪霊化して取り返しのつかないことになりかねない」
「う、うん。分かったよ」
創の言葉に頷きつつも、なんでそんな殺人鬼を招いたんだと、思わず心の中で希望ヶ峰学園に呪詛を吐く苗木であった。
その帰り道。寄宿舎へ向かっていた苗木の背中に、唐突に悪寒が走った。
「な、なんだ……?」
振り返ると、そこには腐川が立っていた。だが、普段の彼女とは様子がおかしい。目はギラギラと輝き、ダランと舌を伸ばしている。明らかにいつもの腐川と様子が違っていた。
「ふ、腐川さん……?」
「あ~ん、腐川だぁ? アタシをあんな根暗と一緒にすんじゃねーよ。お前、最近アタシのことを嗅ぎ回ってるみたいじゃん。コイツらから聞いたよ」
そう言って、腐川(?)は虚空を指で示した。苗木は目を見開いた。そもそも今の自分は黄泉の羽織を着ているので、普通の人間には見えないはずなのだ。
「まさか……腐川さん、霊が見えるの!?」
「だっから……アタシを……あの根暗と一緒にすんじゃねーーよっ!!」
そう言って鋏を投げつけてきた。苗木は咄嗟に死神の鎌を鞄から取り出して鋏を弾くが、腐川(?)は一気に間合いを詰めて別の鋏で突き立ててくる。運動音痴な腐川とは思えない常人離れした動きを見て、苗木はようやく彼女が腐川とは別人、正確には別人格であることを悟った。
「そうか……腐川さんは多重人格ってやつだったのか……それで今の君はジェノサイダー翔ってわけだね」
「ハッ、気付くのが遅えよ。アタシのことを嗅ぎ回ってるみたいだったから、せっかく百夜様を殺る前の前菜にしてやろうってのに、なんで避けんだよ!?」
「避けるに決まってるだろ!?」
苗木は堪らず叫んだ。
「僕はただ、君に憑いている霊を浄霊するために……」
「ああん!? アタシの推しを奪おうってのか!?」
苗木の言葉を聞いた瞬間、ジェノサイダーは激昂した。更に激しくなるジェノサイダーの鋏を防いだり躱したりしながら、聞き捨てならない言葉に苗木は思わず聞き返した。
「は!? 推し!?」
「そうだよ! アタシがこの手で殺して、死んだ後もこうして側にいる。超最高じゃん! そいつらを奪おうとか、アンタ人の心ないんか!?」
「いや、滅茶苦茶恨まれてるんだけど!」
「そりゃ推しなんだから愛憎くらい入り混じるのは当たり前だろうがっ!」
ここまで話が通じないのは初めてだった。苗木は彼女に憑いている霊達に心の底から同情の念を覚える。
「根暗はコイツらが見えないし、声も聞こえないみたいだけど、アタシはこいつらのことがよく分かる。アタシからコイツらを奪おうってんなら、世界だって敵に回してやんよ! アヒャヒャヒャヒャッ!!」
色々な意味で酷い。もう何から突っ込めばいいのか分からなかった。その時だった。
「おい、こっちだ!」
遠くから警備員らしき人の声と複数の足音が聞こえてきた。その音を聞いたジェノサイダーは舌打ちする。
「チッ、誰か来たな。そんじゃ、とっととお暇するか。アタシから推しを奪おうとするならテメェを磔にすっからな。覚悟しとけよ。ギャハハハハハ!!」
言うだけ言うと、ジェノサイダーは風のようにどこかへ逃げ去ってしまった。それから数秒後に、警備員数名がやって来た。ここにはもう既にジェノサイダーはいないし、苗木も一般人には見えないため、警備員達の目には誰もいない不可解な状況に見えているようで困惑した様子だった。そんな彼らをよそに、苗木も歩みを進める。
苗木の顔は疲れ切っていた。今日で色々なことが分かったが、解決がとても難しいことも分かってしまったからだ。
原作の学園生活(あの事件が起こる前)では、ジェノサイダー問題はどうやって折り合いをつけたんだろう……? 腐川がジェノサイダー翔であることはクラスメイトは知っていたみたいだし。
普通にしょっ引いて然るべき治療を受けた方が双方のためだと思うんだけど……