学園にある道場。武術に秀でた才能を持つ生徒達が各々修練に励むことを目的に建てられた場所だ。そんな道場にて、轟音が響き渡る。
「オラアアッ!!」
「フンッ!!」
『超高校級の体操部』終里赤音と、『超高校級の格闘家』大神さくらの拳が激突する。衝撃で周囲の空気すら震えた。二人の近くでは、『超高校級のマネージャー』弐大猫丸が腕を組みながら組手を見守っている。
戦うことと食べることが何よりも好きな終里は、大神が入学したことを知るや毎日のように勝負を挑みに来ていた。大神もまた、自分に挑んでくる者を拒む理由はない。こうして二人の手合わせは、いつしか日課となっていた。そして、弐大は暴走しがちな終里の監視ということで二人の手合わせの立ち合いを務めている。
「だーー!! クッソーー! また負けたぜ!」
手合わせを終え、終里は悔しそうにそんな声を上げた。もう既に負けた回数は数十回はいっているが、堪えた様子は全くない。強い相手と戦えることが純粋に楽しくて仕方がないのだ。
「ガッハッハ! じゃが、確実に向上しているぞ! 一週間前と比べて長く渡り合えるようになっておるではないか!」
「うむ。弐大殿の言う通りだ。このまま鍛錬を続ければ、さらに高みへ到達するだろう」
弐大の言葉に、大神も静かに頷いた。
「へへっ、そうか! じゃあ、もう一戦やろうぜ!」
「バッカモン! まずは水分補給、それから休憩じゃ!」
「ええーー!?」
不満そうな声を出す終里に、大神は薄く笑った。
この日常は決して悪いものではない。何度敗れても果敢に食らいつき、強くなっていく終里との手合わせは大神としても楽しいと思っている。だが、その一方でどこか物足りない思いもあった。武の高みを目指す者として、さらに己を鍛えたい。己の全力を尽くしてなお及ばぬ強者と拳を交えたいという思いが。
もちろん、終里が弱いというわけでは断じてない。それでも、もっと己が全力を尽くしてなお届かぬような相手と戦いたい。そんな思いがあったのもまた事実であった。
――――――――――
休日、苗木はあの世で買い物をしていた。行きつけの死神道具の店で色々見ていると、ふと「大特価」と書かれた棚が目に入った。棚に並ぶ商品のうち、数十袋分のお香が入った箱が気になったのでそれを手に取る。
「お~それに目をつけるとはな。こいつは影分身香だよ」
「影分身香? これが?」
影分身香はその名の通り、自分の分身を作り出すことができる死神道具だ。何年か前に発売されたもので、今は生産中止になっていて出回っていない。苗木も実物を見たのは初めてだった。
「そう。三か月分三十袋だ。君はうちのお得意様だし、そうだな……セットの香炉も付けて三千円で売ろう。お買い得だよ」
「うーーん……」
結局買ってしまった。苗木は箱を抱えながら霊道を通って、現世に戻って来た。後で黒鶴からお説教を食らうんだろうなとやや憂鬱になりながら、学園の寄宿舎へ歩みを進める。そんな苗木に声を掛けてくる者がいた。
「あっ、苗木だ! おーーい!」
朝日奈と大神だ。二人も買い物帰りみたいでドーナツが入った紙袋とプロテインが入った紙袋をそれぞれ抱えている。
「やあ、朝日奈さん、大神さん。二人とも買い物帰り?」
「うん、新作ドーナツ! 楽しみにしてたんだ!」
「うむ。我もちょうど欲しいプロテインがあったからな」
「そういえば、今日は電車が空いてたんだよね。あそこらへんはいつもはもっと人が多いのに……」
「何? そうなのか? 満員電車では痴漢などもいると言う。用心すべきだ」
「大丈夫だって! 心配性だなぁ、さくらちゃんは」
「あはは……」
おそらく、大神を恐れて同じ車両を避けた人が多かったのだろう。そう思った苗木だったが、口には出さなかった。朝日奈は苗木が抱えている箱を見て首を傾げた。
「ところで、その箱どうしたの?」
「これ? ちょっと珍しいものを買ってね。つい衝動買いしちゃったんだ」
「あ~あるよね! そういうこと」
「……して、何を買ったのだ?」
「……えっと、影分身香って不思議なお香だよ」
苗木は影分身香について、死神道具であることを伏せつつ簡単に説明する。説明を聞いた大神は目の色を少し変え、一方の朝日奈はどこか胡散臭そうにしていた。
「なんか少し胡散臭い。葉隠とかなら借金してでも買うだろうけど、苗木がそんなのに興味を持つとか意外だね」
「……まぁ、買ってしばらく経ってから我に返ったけどさ。なんでこんなの買っちゃったんだろうって」
「しかし、自分の分身というのは興味深いな」
大神が静かに言った。
「もしそんなことが本当に可能というのなら、自分同士で鍛錬が可能ということだ」
「まぁ、そうだろうね」
この影分身香は人手を増やしたり、自分自身を相手に鍛錬を行ったりするために作られた道具である。
「……苗木よ。その香を一度使わせてはもらえないか? 無論、お金は払う」
「え? ちょっとさくらちゃん!?」
大神の言葉に、朝日奈が目を白黒させる。
「やめときなって! 絶対怪しいよ!」
「止めるな朝日奈よ。十中八九、効果のない紛い物だろうが、試しに使ってみたいのだ。己自身と鍛錬ができる機会などそうないからな」
「だからそんな効果はないって! 漫画じゃないんだから!」
「苗木よ、頼む!」
「うーん……」
結局、大神に押し切られる形で、苗木は一袋だけ大神に使わせてあげることにした。場所は大神の希望で道場で使うことにし、苗木、大神、朝日奈の三人は道場に向かった。
大神は苗木から影分身香の粉末と香炉、ライターを受け取り、香炉に粉末を入れて火をつける。しばらくすると、香炉からは変な臭いの煙が上がる。苗木は説明書に書かれた手順を読み上げる。
「この煙を二十秒程浴びてから、明るい場所に移動すること。それからしばらく経つと、影が自動的に具現化します」
「……なるほど」
「うげぇ、酷い臭い……」
朝日奈が顔を顰める。苗木や大神も同様だ。大神はしばらく立っているが、彼女の影が動く様子はない。
「やっぱりそのお香は偽物なんだよ。だって影が勝手に動くなんて普通は有り得ないもん」
「……むぅ。そのようだな」
「あれ? 二人とも見て!」
「「え?」」
苗木に言われて、視線を向けた朝日奈と大神は目を丸くした。大神の影が揺らぎ始めたのだ。やがて大神の影が形となって実体化する。今この場に大神が二人になった。
「嘘……本当に……」
「おぉ……」
苗木は影分身香のことを知っているため、二人のような驚きはない。説明書を引き続き読み上げる。
「説明書によると……影分身香の効果は三十分だって」
「なるほど。では時間も惜しい。早速手合わせとゆくぞ!」
「ちょっと、さくらちゃん!?」
大神は分身に向かって、拳を振るう。それを大神の分身は紙一重で躱すと、分身も拳を振るう。
(ほぉ、我の影なだけあるな)
大神は内心で感心しながら、打ち合いを続けていく。自分がどのタイミングで攻撃を仕掛けるか分かっているかのように攻撃を巧みに躱し、受け、一瞬の隙を突いて攻撃を仕掛けてくる。大神の顔にはどこか楽しげな笑みを浮かべていた。
「あの影本当に強い……さくらちゃんがもう一人いるみたい……」
「はあああぁぁっ!!」
大神が分身の腹に拳を叩き込もうとしたその瞬間、分身の姿が消える。
「む? あやつはどこに?」
「三十分経ったからだね。時間切れだよ」
いつの間にか三十分経っていた。
「……苗木よ。もう一袋使っても良いだろうか?」
「あ、ちょっと待って。注意書きがある」
「何?」
説明書によると、影分身香を再度使う際は、最後に使った日から最低でも三日は空けなければならないとのことだ。短い期間で連続して使うと、影が暴走して危険なことになるという。
それを聞いた朝日奈が慌てて大神を止める。
「さくらちゃん、苗木の言う通り、使うのは三日後にしようよ! だってこんな超常現象みたいなの……他に注意事項はないんだよね?」
「うん、大きな注意点はこれだけだね」
「むぅ……仕方ない、か……」
大神は、渋々ながらも頷いた。
「じゃあ、箱は僕が預かっておくよ。三日おきに大神さんに渡す。それで良いね?」
「分かった。感謝するぞ」
「うーん……それなら」
そういうわけで、苗木は大神から三千円もらい、影分身香を譲ることにした。もっとも、箱そのものは苗木が管理する。三日に一回、苗木から袋をもらう。それが条件である。