それから三日に一度、大神は苗木から影分身香の袋を受け取り、自分自身の分身と手合わせをするようになった。この分身は香を浴びた時点での強さなため、分身に勝つには有効時間である三十分間で分身より強くならなくてはいけない。
だからこそ、大神は充実した思いで鍛錬を重ねていた。
「大神よ。最近何かトレーニング方法を変えたか?」
「む? どうしてそう思うのだ? 弐大殿」
数日後、いつものように終里と手合わせをした後に、その戦いを見守っていた弐大が尋ねた。
「うむ。以前と比べて無駄のない、より洗練された動きになっていたからな。ビデオか何かで自分の動きを確認して修正したのか?」
「……そんなところだな」
大神は影分身香のことを伏せて、弐大の言葉を肯定した。影分身香のことを何故伏せたのかは自分でも分からなかった。そんな二人に、終里が口を挟んだ。
「なんかよー、大神が強くなったのは確かだけど、オレのことを見ていないような気がするんだよなー」
「……そうだったか?」
「なんとなくだけどよ」
終里の言葉に気になるところはあるが、確実に強さに繋がっているため、大神は特に気にしないことにした。
「ふんっ!!」
大神は分身を捉えて拳を打ち込む。同時に香の効き目が切れて分身が消滅する。ひと段落ついたので、水筒に入ったプロテインを呷る。
影分身香のおかげで、以前よりもより実践的な訓練ができていた。自分自身と戦うことで、無駄な動きや癖を知ることにも繋がる。だが、何度も使っているうちに、三日に一度、それも三十分だけというのは短すぎると思うようになっていた。
(次は三日後か……まだ足りぬ……)
そんな鬱屈した思いを抱えつつも、大神は鍛錬後の修行として瞑想を始めた。しかし、目を閉じても脳裏に浮かぶのは先程の手合わせだった。
分身の動きを思い出す。
(あの時、こう動いていれば……いや、我なら右に動いていただろう。であれば左か……いや……)
気付けば大神は瞑想を忘れて、消えたはずの分身との戦いを頭の中で何度も繰り返していた。
そんなある日だった。
「大神さん、三日後はちょっと用事があって渡せないから、先に今日二袋分渡しておくよ」
「そうか。承知した」
「分かってると思うけど、使うのは今まで通り三日後だからね」
こうして苗木から影分身香を二袋受け取ることになった。その日の放課後、大神はいつも通り、己の分身と手合わせをしていたのだが、満足いく結果にはならなかった。
「ぐぬぅ……」
大神は悔しげに呻いた。最近の分身は付け入る隙がないくらいに強くなっている。僅かな隙や癖を手合わせする度に修正しているため、三十分という短い時間では決着がつけられないのだ。
「まだ、足りぬ……」
大神は鞄からタオルを取り出して汗を拭いつつ、その目は鞄の奥にある二袋目に向けられていた。
――――――――――
その頃、苗木はいつもの死神道具の店に来ていた。店主が気さくに声をかける。
「やぁ、前に買った影分身香は役に立ってるかい?」
「え? まぁ僕は使っていないんですけどね。かなり好評ですよ」
「そうかい。ちゃんと注意して使っているだろうね?」
「三日は空けろってやつですか?」
店主は難しい表情を浮かべながら頷いた。
「ああ。実はあれには依存性があることが分かってね。だから三日も我慢できずに連続で使用する例が多発したんだ」
「……依存性、ですか?」
「まぁ、別に身体に害があるわけではないんだがね。便利すぎて、ついつい使ってしまう死神が多いんだよ」
「癖になってしまうってことですか?」
「そんなところだ。しかも何度も使っている者の影ほど、被害が大きいそうだから参るよ。三か月分で渡してたけど、大丈夫そうかい?」
苗木はふと大神の顔が脳裏をよぎった。二袋分を渡していたが、彼女は大丈夫だろうか。真面目な性格ではあるが、トレーニングにのめり込むタイプなので、苗木は少し心配になった。無性に嫌な予感がした。
「……もし万が一、影が暴走してしまった場合は?」
「あの香の効き目自体は三十分だからな。暴走しても三十分経てば自動的に消えるらしいぞ」
三十分。『超高校級の格闘家』であり、人類最強と称される大神さくらの分身が暴れ回れば、例え三十分でも被害は相当なものだろう。苗木は念のため、大神の様子を見に行くことに決めた。
希望ヶ峰学園に戻り、道場に向かうと、道場の方から激しい衝突音が聞こえた。しかも、衝突音だけでなく誰かの悲鳴のようなものも混じっている。よく聞くと、その悲鳴は朝日奈のものだった。それに気づいた苗木の顔色が悪くなる。悪い予感が当たってしまったようだ。
急いで道場に入ると、そこには朝日奈と彼女を庇うように立ちはだかる大神、そして……禍々しいオーラを纏った大神の分身がいた。道場の中は酷い有様だ。壁や床のあちこちには大きな穴が開いており、棚などの備品も破壊されている。既に激しい戦闘があったことが伺える。
「苗木!」
朝日奈が苗木に気が付き、駆け寄る。
「一体これは……」
「さくらちゃんが二袋連続でお香を使っちゃったみたいで……」
苗木は思わず天を仰いだ。心配になって来てみれば、案の定だ。
「私が来た時にはもうこんな状態だったんだ」
「すまぬ……」
大神は目を伏せた。その隙を突いて分身が大神……ではなく、朝日奈に向かって攻撃を仕掛けようとする。それを大神が食い止める。
「我の分身の癖に、何故朝日奈を執拗に狙う……!?」
『……“弱点”を狙うのは格闘家として当然であろう?』
「っ!?」
分身が口を利いた。影分身香による分身は喋らないはずだが、暴走したことで話すことも可能なようだ。
『生ぬるい手合わせなど無用。手段を問わぬ真剣勝負をしているだけだ』
「無関係な朝日奈を巻き込むな!」
格闘家としての誇りもない発言に思わず大神は怒りの声を上げる。ましてやその発言をしているのは自分の分身だ。
「ふんっ!!」
大神の拳を分身は受け止める。そして、カウンター気味に裏拳を大神に当ててくる。大神は思わず膝をついた。
「さ、さくらちゃん……」
大神はどうにか立ち上がり、態勢を立て直す。
『我の望みは更なる高みへ至ること。無駄を削ぎ落とし、最小限の動きで相手を潰す。誰であろうと』
ふと以前言っていた終里の言葉が脳裏をよぎる。
オレのことを見ていない。
対戦相手の人間性を見ずに、ただ最適化されただけの動きで相手を圧倒する。それが分身の動きだ。
確かに無駄な動きや癖を無くすことは大事だ。だが、ただそれだけでは機械となんら変わらない。己の動きや技を磨くことに熱中するあまり、いつからか相手を見ることを忘れてしまっていた。大神は今更ながらにそれに気付かされた。
「こんな大事なことを見落とすとはな……」
『……何?』
「我の求める強さと貴様の強さは違うということだ。格闘家としての誇りも捨てた強さなど、我は求めん」
大神の言葉に分身は何も返さず、無言で大神に突っ込んでいく。そんな分身の動きを、大神は冷静に見極める。速く、鋭く、無駄のない動きだ。だが、それだけだ。
「……見える」
半歩身体をずらし、拳が空を切ったその一瞬の隙を突く。相手が自分であればどう動くか。たとえ最適化されていたとしても、攻撃のタイミングや位置は読める。分身に拳や、肘や、蹴りを叩き込む。どの攻撃も決定打にはなっていないが、確実なダメージにはなっている。
『ぐぅっ……』
「これが我の答えだ」
大神の回し蹴りが、分身を捉える。蹴りによって態勢が崩れた分身に、大神は続けざまに拳を叩き込む。その時、分身の身体に異変が起こった。
『我…は……より高みに………』
分身の言葉は最後まで続くことなく、消滅していった。効果時間の三十分が過ぎたのだ。闘いを終え、大神は静かに息を吐く。
「……恐ろしい相手だった」
「さくらちゃん!」
大神に朝日奈が抱き着いてきた。
「もう! 心配したんだから!」
「すまん、朝日奈よ」
苗木も声をかけた。
「大神さん」
「苗木……すまん。三日空けるよう言われていたのに、約束を破ってしまった」
「本当だよ。まぁ、最悪の事態にならなくて良かったけどさ」
道場はボロボロだったが、死人も怪我人も出ていない。改めて惨状を見て、大神は顔を引き攣らせる。
「これは……反省文で済むと良いのだが……」
「どうだろ……分身のせいですなんて言っても信じてもらえないだろうし」
「どちらにせよ我の落ち度だ。罰は甘んじて受けねばなるまい」
「そういえば、大神さん。念のため聞くけど、影分身香は今後も使う?」
苗木の問いに、大神は少しだけ思案した後に答えた。
「いや、今回のことで我も身に染みたからな。別の方法で己を見つめ直すことにしようと思う」
「うん、それが良いよ」
「だが、正しい使い方をすれば、非常に有益な道具であることもまた事実だ」
「……さくらちゃん?」
「いや、朝日奈よ。今は使わぬ」
「……今は?」
「……もう使わぬ」
「よろしい」
「……尻に敷かれてるね」
朝日奈の前で項垂れる大神を見て、苗木は苦笑する。この二人の関係性の一端を垣間見た気がした。
こうして影分身香による騒動は幕を閉じた。残りは、このまま苗木の部屋でしまわれることになった。