昨日のことである。
「創様、これを見てください」
「ん?」
枝垂から手渡されたのは、一枚の手配書だった。悪霊の中には特殊な能力を持った者もおり、そういった悪霊に対しては手配書が回ってくることがあるのだ。
「どれ……悪霊エンセン?」
手配書に描かれているのは、般若面のような顔をした不気味な悪霊だ。枝垂が解説する。
「この悪霊、人間の嫉妬や羨望の思いが多い場所に現れるみたいなんです。そして………」
――――――――――
そんな話を創が思い出したのは、放課後に目の前で二人の女子が喧嘩をしているのを目撃したからだった。喧嘩しているのは、昨日話した九頭龍と、もう一人は佐藤とかいうクラスメイトだ。佐藤は本科生と親友らしく、予備学科で結構悪目立ちしていたので記憶に残っている。二人が繰り広げているのは喧嘩という生ぬるいものではない。お互い憎み合った罵倒の応酬だ。周囲の予備学科生達も、関わり合いになりたくないためか、足早にこの場を離れている。
「あんた、また真昼に妙なことしたの!? やめてって言ってるでしょ!?」
「はぁ? なんであんたなんかに指図されなきゃいけないの? あのそばかす女の腰巾着に」
「私は真昼の親友よ! 親友が困ってたら、止めるのは当たり前でしょ!」
憤る佐藤の言葉に、九頭龍は意地悪く鼻で笑った。
「はっ、親友? 並び立つ努力もしないで、金魚の糞でいることに甘んじてる奴が親友? 笑えるんだけど」
「じゃあ、あんたのしてることは努力だって言うの? 真昼の邪魔をすることが!?」
「……うっさい。あたしは絶対に本科に入るんだ。どんな手を使ってでもね!」
「あんたなんかが、本科に入れる訳ない! 家やお兄さんくらいしか取り柄がない、真昼の足を引っ張ることしか出来ないあんたに!」
「このっ……」
カッとなった九頭龍が、腕を振りかぶった。だが、その拳が佐藤に届くことはなかった。創が九頭龍の腕を掴んで止めたからだ。
「なっ!? あんた……」
「ちょっと! 邪魔しないで……」
「ここで暴力沙汰になれば、本科行きなんて夢のまた夢だと思うけど?」
「くっ……!」
悔しそうに呻いた九頭龍は、創の手を払いのけて、そのまま走って行ってしまった。創は、俯いている佐藤に一瞬だけ視線を向けるが、まず九頭龍を追いかけることにした。色々気になることがあったからだ。
佐藤は俯きながら、ブツブツと何かを呟いていた。
「やっぱり、あいつは駄目だ。私が真昼を守るんだ。絶対に。絶対に、どんな手を使ってでも……」
彼女の目はギラついており、とても正常な判断が出来ているとは思えないものだった。
――――――――――
九頭龍は、渡り廊下にいた。追いかけてきた創を一瞥するや、「何の用?」とぶっきらぼうに尋ねる。
「いや、ちょっと気になってな。どうして、そこまで本科にこだわってるんだ?」
「はぁ? あんただって、分かるでしょ? 本科に行ければ、特別な存在になれるんだよ」
「特別……ね」
特別な存在になりたいという気持ちは創も痛い程分かる。自分がこの計画に参加を決めたのもそういった思いがあったからだ。
「前にも言った通り、あたしのお兄ちゃんは、『超高校級の極道』。あたしはそんな『超高校級の極道』の妹として周りから見られてる」
「……そうだな」
「でも、あたしはそんなの絶対に嫌! ペコちゃんみたいに、あたしもお兄ちゃんの隣に並び立つ存在になりたいの! 下から見上げるんじゃなくて!」
「隣に……」
涙ながらの彼女の叫びを聞いて、初めてこの少女の本心が見えたような気がした。だが、創としてはまだ分からないことがもう一つあった。
「君がどうしても本科に行きたい気持ちは分かった。でもなんで嫌がらせをしてまで?」
「言ったでしょ? 本科の誰かがいなくなれば、補欠で入れるかもって。あいつがいなくなれば……」
「違う。なんでそいつに限定しているのかって話だ」
「えっ?」
九頭龍が嫌がらせをしている、佐藤の親友の本科生は、『超高校級の写真家』だ。だが、言い方は悪いが、嫌がらせの対象にしそうな本科生は他にもいる。例えば、『超高校級の幸運』とかがそうだ。予備学科生にとっては、特に妬ましい存在のはずだ。なにせ、ただの抽選で選ばれた存在なのだから。九頭龍がどうしてそういった相手でなく、その『超高校級の写真家』の本科生だけを狙うのかが、創にはよく分からなかった。
「他はよく知らないけど、あのそばかす女のことはあたしもよく知ってる。どんなことをすればあいつが傷つくのかもね。だから、あいつを選んだ……それだけよ」
「本当にそれだけか?」
「……」
九頭龍はそこでようやく振り返った。
「俺にはただ引き摺り下ろしたいだけのようにも見えるけどな。自分の近くにいた友達が、実は兄と同じ特別な存在だと知って、悔しくて妬ましくて堪らない。そんな風に……」
バチンッ!
創の頬に衝撃が走った。
「……さい。うっさい、うっさい、うっさい!! あたしは絶対に本科に行くんだ! そうじゃないとあたしはっ!」
「っ! 九頭龍……お前」
九頭龍の身体がドス黒いオーラのようなものに包まれていた。それを見て創は確信した。
(間違いない。こいつ、悪霊に憑かれてる……!)
九頭龍はそのまま駆け出してしまった。
「チッ……」
創も後を追いかける。創の推測通りであれば、このまま九頭龍を放置するのは危険だからだ。同時に、枝垂にある道具を持ってくることを指示する。
九頭龍が逃げ込んだ先は、音楽室だった。
「……さいって言ってんだよ!」
「……っ!」
他にも誰かがいるようで、激しい口論が扉越しから聞こえてきた。邪気も漏れている。ネクタイピンを外してポケットにしまうと、霊道が開いて枝垂が現れた。
「創様、これを!」
枝垂から死神の鎌と、卵型の物体を渡される。黄色の紙で覆われたそれは、所謂「鳥の子」と呼ばれる煙幕弾によく似ている。先端に付いた紐を勢いよく引き抜くと、創は音楽室に入ると同時にそれを九頭龍と佐藤に向けて放り投げた。
死神道具の中には、悪霊に取り憑かれた人間に対して悪霊を引き剥がす「分離香」というものがある。今、創が使ったのはその分離香よりも更に強力な「強制分離香」という死神道具だ。
その名の通り、悪霊を引き剥がす力が通常のものよりも強く、更には……
「……うっ」
「……ぅぁ」
九頭龍と佐藤の二人はそのまま倒れ伏してしまった。この香から出る煙は、死神には効かないが、人間を一瞬で眠らせる効果もある。更に噴出した煙は十秒で綺麗さっぱり霧散して無害になる。後からやって来た人間まで巻き込まれる心配はない。
九頭龍の身体から般若面を被った悪霊が姿を現した。
「やっぱりお前か。悪霊エンセン」
『グギギギ……邪魔しおって。あと少しで彼女は殺され、妾と一つになっておったのに……』
悪霊エンセン。人間に取り憑き、取り憑いた者の嫉妬心を増幅させる悪霊だ。それだけならまだマシなのだが、悪質なのは、本人も周囲も気付けないくらいに少しずつ嫉妬心を増幅させていき、行動をエスカレートさせていくことにある。行動をエスカレートさせ、取り憑いた相手を破滅に追い込み、死に追いやる。そして、死後に悪霊化させて取り込むのが、この悪霊の手口だ。
「手っ取り早く倒すぞ」
『グギギ……』
創とエンセンが静かに睨み合う。その時だった。
パンッ! パパンッ! パンッ!
何かが破裂するような音が響いた。創はそれを聞いて、強制分離香の欠点を今更ながらに思い出した。この死神道具は、煙が出終わると、激しい炸裂音を響かせてしまうのだ。そして、この炸裂音は非常にうるさく、通常の人間にも聞こえるレベルだ。
「しまっ……」
創が動揺する隙を突いて、エンセンは逃げ出そうと動く。ガヤガヤと外が騒がしくなった。
「……の音は何!?」
「……おねぇ、待って!」
「……でもやってるんすか!? 伊吹も混ぜて欲しいっす!」
「……待ってくださ~い!」
扉が開いたのと、創の鎌でエンセンが除霊されたのは同時だった。
扉を開けて入って来た女子達は、倒れている九頭龍と佐藤を見つけると血相を変えて駆け寄る。特に、カメラを持った少女が必死に佐藤と九頭龍を揺さぶっていた。あくまで眠っているだけなので命に別状はない。九頭龍の場合は、悪霊に取り憑かれていた影響が少なからずあるだろうが、やがて本来の自分に戻ることが出来るだろう。
包帯を腕や脚に巻いた女子が二人とも命に別状がないことを伝えると、女子達はホッと安堵の息を吐く。九頭龍と佐藤を保健室に連れて行くらしく、音楽室を後にする女子達。それを見届けた創も窓から音楽室を出ることにした。その時、カメラを持った女子が窓の方に視線を向けた。
「あれ? 真昼ちゃん、どうかしたんすか?」
「う、うん。なんていうか、誰かが見てる気がして……」
「えー!? まさか覗き!?」
「いや、そういう訳じゃないんだけど。ちょっと待ってて」
女子は一瞬でカメラを構えると、シャッターを切った。目にも止まらぬ早業で、他の女子も、そして
後日、本科のクラスで一枚の心霊写真が話題になった。
(あれ? これ日向君じゃ……)
それを見た七海は、その正体にすぐ気付いたが、何も言わなかった。そして、その心霊写真の人物は今日も浄霊作業に勤しむのだった。
悪霊エンセン:人間に憑りつき、その人間の嫉妬の感情を増幅させる。取り憑かれると、気付かれにくいように少しずつ嫉妬心が増幅していき、行動も過激なものになっていく。周囲の人間にも少なからず影響を及ぼし、取り憑いた人間を破滅に追い込む。早急に引き剥がさないと手遅れの事態になる。除霊報酬は八万円。
エンセンという名は、
境界のRINNEでは、様々な死神道具が登場しますが、本作ではオリジナルの道具も出していきます。といっても、原作で出てきた道具の強化版とかそういう感じですが。