今週の魔法少女は事情により変身できません   作:佐藤悪糖

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プロローグ
今週の魔法少女は事情により変身できません


 私の地獄がはじまったのは、ある春の夜だった。

 あの日私は、夜闇にまぎれ、制服のまま、桜が散った通学路を学校に向かって走っていた。中学生が一人歩きするには遅すぎる時間だが、誰に見咎められることはなかった。

 

 胸はとくとくと高鳴っていた。夜道という小さな非日常と、与えられた大きな使命感に。

 あるいは浮かれていたのだろう。何事においても中庸だった夜空ほろびが、特別な何かになれるかもしれないという、甘い甘い飴玉に。

 

 くらっと酔わされて、私は自ずから地獄へ向かっていた。

 

「ほろびちゃん! 急ぐっち!」

 

 制服の胸元からぴょこんとぬいぐるみが飛び出してくる。それは重力に反してふわりと浮き上がり、周りをくるりと飛んだ後、私の頭上にぽふんと落ち着いた。

 

 耳があって、尻尾があって、二頭身。小動物らしい愛嬌を振りまいてはいるが、何の小動物を模したものかはピンと来ない。子犬と子猫と子狐から、それぞれ愛嬌だけを引っ張ってきたような不思議な生き物だ。

 

 この時の私はまだ、そんな姿を素直にかわいいと思っていた。だから頭に乗られても何も思わない。今の私だったら、迷わず叩き落して踏み潰す。

 

「もうすぐヨーマが出てくるっち! やっつけないと、この街が大変なことになっちゃうっちよ!」

 

 子どものように舌足らずな声。それに衝き動かされて、走る足に力を込めた。

 彼の名はれくた。自称・魔法の国の妖精だ。

 

 魔法の国から逃げ出したなんとかって怪物を追って、この世界にやってきた彼は、その怪物を封印するため魔力を秘めた少女に助けを――なんて説明を長々と聞かされた覚えもあるが、そんなことはどうでもいい。

 こいつの本性は腐れ外道の詐欺師だ。あんな説明は都合よく作られた“設定”にすぎないことを、今の私は知っている。

 

 やがて私は夜の学校にたどり着いた。どんよりとした曇り空の下、明かり一つ灯らない校舎は黒い城のようで、息を整えてもなかなか心臓が落ち着かなかった。

 

「ほら! あそこだっち!」

 

 れくたは校庭の中央を示す。そのあたりに、闇がぐるりと渦巻いていた。

 比喩ではない。その場所で、空間そのものがぐるぐるとねじれていた。それに巻き込まれた黒々とした闇がブラックホールの想像図のように逆巻いている。

 

「はじまるっちよ、ほろびちゃん」

 

 頭の上からふわりと飛び上がったれくたは、ふよふよと私の前に浮遊した。

 

「もうすぐヨーマが出てくるっち。そしたらほろびちゃんは――」

「変身して、やっつける」

「そうだっち!」

 

 スカートのポケットからスマートフォンを取り出す。昨年、中学生になったお祝いに買ってもらった宝物だ。電源ボタンを押すと、ホーム画面の背景に友達とのツーショット写真が写った。

 満面の笑みでポーズを取る少女と、控えめにピースをする顔の青白い女。写真写りの悪いほうが私だ。

 

 夜空を押し込めたように黒々しいショートヘアと、彩度高めの蒼い瞳。光の加減もあって顔色は病人めいていて、そもそもの顔立ちからして線が細い。我ながら幸薄そうな顔をしているが、これでまったく元気に生きているのが夜空ほろびである。

 ホーム画面には名前のない黒いリボンのアイコンが置かれていた。試しにタップしてみても何も起こらない。

 

「まだだっち。そのアプリは空間に魔力が満ちないと使えないっち。ヨーマが出てくるまで待つっちよ……!」

 

 れくたの表情は張り詰めている。いかにも緊張している、という演技だ。

 そう、演技。彼の言葉はすべてが虚構だ。今まさに現れようとしている怪物も、それに対峙するという私の使命も、彼にとっては作り物でしかない。

 

 そんな演技に、この時の私はまんまと騙されていた。何一つ疑うことなく、戦うことも、守ることも、すべてが私の使命であると心から信じていた。

 

「来たっち!」

 

 そして、闇がねじれた。

 

 校庭の中央で逆巻く闇が裂けていく。細い亀裂から大きな裂け目へ。裂け目の奥からは闇の粒子が漏れ出していて、それらをかき分けて灰色のものが押し出された。

 胎内から吐き出されるように、ずるりと。落下の瞬間、骨の軋む音に似た不快な振動が空間を震わせる。

 

 獣に似ていた。獣の形を無理やり真似た、なにかだった。

 四肢は不自然に長く、関節の向きが曖昧で、どこが前でどこが後ろなのか判然としない。顔と思しき部分には目が多すぎた。濁った硝子玉のようなそれらがばらばらに瞬き、無感情に周囲を映している。

 

 それが立ち上がる。匂いが変わる。湿った土。腐った血。地を這う死臭。息を吐くたびに、肺腑の奥から腐り落ちるような悪意が撒き散らされる。

 獣が、吠えた。

 闇夜を駆け昇る深い絶叫には、混沌を思わせる響きがあった。脳を直接撫でられたような強い不快感。残響となっても感覚は消えず、がりがり、がりがりと、心に爪を立て続けた。

 

「お、おお……。さすが、一話目は演出も張り切ってるっちねぇ……」

 

 耳に当てた手の奥から、れくたの独り言が聞こえた。

 

「でも、あんまり異形路線すぎると子どもウケが悪いっちから、多少のデフォルメは必要っちね」

「……?」

「後でデザインさんに発注しとかないといけないっち。それと、編集でなんとかって感じっちか?」

「……れくた? 何の話?」

「あ」

 

 れくたは一見してぬいぐるみのようだけど、その実多彩な表情を操ることができる。この時は、まずった、という顔をしていた。

 思い返せば、ここが最初の違和感だった。しかし今さら違和感を抱いたところで、私はすでに地獄に片足を突っ込んでいる。

 

「ほろびちゃん! 避けるっち!」

 

 とっさにその場から飛び退ると、寸前まで私がいた場所に、灰色の獣が駆け抜けていった。

 弾丸のようにまっすぐに、音もなくしなやかに。獣が走った地面は切り取られたようにえぐれていて、死臭の残り香が漂っている。

 

「い、今のに反応するっちか? ほろびちゃん、すごいっちね……?」

「れくた。変身しよう」

「わかったっち!」

 

 運動神経はいい方だけど、避けられたのはたまたまだ。生身で戦うのは無理がある。

 そう、戦う。これから私はあれと戦うのだ。

 魔法少女(・・・・)に変身して。

 

「スターライズ・ドレスアップ!」

 

 れくたのかけ声と同時に、私は変身アプリをタップした。

 スマートフォンから放たれる、きらきらとしたエフェクト。それは画面を飛び越えて、現実の景色を星々のきらめきに満たしていく。

 足元から立ち上る巨大な天体図。巡りはじめる黄道十二星座。一際強く輝く銀の星が、星座をふわりと抜け出して私の周りを飛びはじめる。

 

「いいっちか、ほろびちゃん! 変身アプリを使うにはいくつかの条件があるっち!」

 

 光り輝くエフェクトの中で、れくたはくるりと回った。

 

「難しいことはないっち! ぼくがこれから言うことを心に思い浮かべながら、アプリをタップするっちよ!」

「う、うん……?」

「まずは愛! とびっきりの愛で、世界を包むっち!」

 

 アプリの下部に表示された、承諾と書かれた大きなボタン。その上には、細かい文字でなにかが書かれている。

 周りのエフェクトがまぶしくて読みづらいが、出演契約書、と書いてあるように見えた。

 

「……?」

「どうしたっちか? 早く押すっち!」

「あ、うん」

 

 急かされるままボタンを押す。スマートフォンからハートのエフェクトがぱっと弾けて、星空に彩りを添えた。

 

「そして正義! たゆまぬ正義の心で、悪を討つっち!」

 

 アプリの表記が切り替わる。今度もまた、承諾と書かれた大きなボタンと、細かい文字。

 先程以上に周りのエフェクトがうるさいが、よーく目を凝らすと、危険行為に関する覚書、と書かれていた。

 

「あの、れくた。これって」

「急ぐっち! ヨーマはいつまでも待ってくれないっちよ!」

 

 危険行為の四文字と、今目の前に形をなしている脅威そのもの。その二つを天秤にかけて、私は承諾のボタンをタップする。

 大きく弾ける星のエフェクト。ポップで華やかなエフェクトに、なぜだか寒々しいものを感じた。

 

「最後に、ちょっとしたなぞなぞだっち!」

「な、なぞなぞ?」

 

 引っかかることは多々あったが、この時の困惑は少し種類が違った。

 そんな私の疑念を敏感に感じ取ったのか、れくたは口早に説明を続ける。

 

「今期のテーマは『未知なるものへのわくわくドキドキ!』だっち。ここだけの話、観ながら勉強になるものをって教育団体にせっつかれちゃってっちねぇ。その一環で、ほろびちゃんには変身するたび簡単ななぞなぞに答えてもらうっちよ」

「なにを言ってるの?」

「まま、気にしないでいいっち。今のセリフも後で編集で消しとくっちから。とにかくささっと変身するっち!」

 

 警戒心が鎌首をもたげる。なにかがおかしい。そんなことを今さらになって思いはじめる。

 しかし、疑問を抱くにはあまりにも遅すぎた。眼前には確かな脅威が存在していて、ゆっくり考える時間は私にはなかった。

 

 アプリに表示されたアイコンを恐る恐るタップする。これまたポップなエフェクトとともに、スマートフォンの画面上に出てきたれくたのアイコンが、なぞなぞを提示した。

 

「『11060359』を素因数分解するっち!」

 

 硬直。フリーズ。再起動。

 私の脳がそれらの工程を経るまでに、たっぷり十秒はかかった。

 

「……へ?」

「どうしたっち? 早く答えるっちよ!」

 

 れくたは私の周りをくるくると回っている。

 私は、錆びついた機械のような挙動で彼に顔を向けた。

 

「えっと……。なに、これ?」

「……えっ」

「わかんない」

「え、えっ? たった八桁の初歩的な計算っちよ?」

 

 れくたは想定外という顔をしていたし、私は私で頭上にはてなをいっぱい浮かべている。

 なにかが食い違っている。私たちにとって、あまりにも致命的な、なにかが。

 

「あ、あれ? この文明ではRSA暗号が日常的に利用されてるんじゃなかったっちか? 数百桁の素因数分解だって、しょっちゅうやってるっちよね?」

「あーるえすえー……?」

「もしかしてほろびちゃん、致命的に計算ダメだったりするっち?」

「失礼な」

 

 素因数分解なら知っている。それなら去年、学校で習った。

 クラスの中でも理解が早い方だったと思う。わからないと泣きつく友人の面倒を見たこともある。テストで苦労した覚えもない。

 だけど、私が相手していたそれは、せいぜい二桁か三桁だ。こんな桁数は話が違う。

 

「ひ、ヒントだっち! 答えは三桁の素数かける五桁の素数だっち! 落ち着いて素数を思い出すっち!」

「えっと、2、3、5、7……」

「そんなペースじゃ夜が明けちゃうっちー!」

 

 指を折って順番に数えていると、スマートフォンがぶぶっと震えてブザーを鳴らした。

 タイムアウトエラー。そんなメッセージが表示された後、アプリケーションは沈黙する。足元から立ち上る巨大な天体図も、周囲を巡る銀の星も、すべては幻のように消えていった。

 

 スマートフォンが光を失う。校庭が再び闇に包まれる。

 灰色の獣が、私を見ていた。

 

「はわ、はわわわ……」

「どうしよう、れくた」

「に、逃げるっち! 逃げるしかないっち!」

「でも」

 

 校庭の片隅に立てかけられていたトンボを手に取る。

 振り回すには不都合な重さをしていたが、よろっと持ち上げて、錆びた爪を獣に向けた。

 

「あれ、倒さなきゃ」

「変身なしじゃ無理っちよぉ……!」

「ほっとくわけにはいかないよ」

「だめっちー! 逃げるっちー!」

 

 灰の獣がゆらりと動いた。

 一歩、二歩と、音もなくこちらに歩み寄る。歩んだ後に流れ落ちる、黒くどろりと濁った体液。獣が歩を進めるほどに、立ち込める死臭が色濃くなる。

 

 迫りくる死の気配。握りしめたトンボの柄から伝わる、鉄錆びのざりざりとした感触。とくとくと高鳴る心臓。

 なぜだろう。

 緊張は、感じなかった。

 

「……っ!」

 

 先に走り出したのは、私の方だ。

 重いトンボを後ろ手に回し、引きずるように走り出す。獣の二歩手前でぎゅっと立ち止まり、踏み込んだ右足を軸に据えて、腰を使って体ごと回る。助走と遠心力を思いっきり乗せたトンボの爪を、灰の獣に叩きつけようとした。

 

 手応えはあった。しかし直撃はしなかった。私が振るったトンボは、先端近くの柄を獣にくわえられて押し留められていた。

 獣は、くわえたトンボを大きく振り回す。

 振り回されるトンボに、今度は私が引きずられる番だった。私の体の三十九キロは軽々しく持ち上げられ、散々に振り回され、最後は錆びた柄がへし折れる音とともに放り投げられた。

 

 校庭の砂利にしたたかに投げ出される。ごろごろと転がりながら、体のあちこちを強くぶつけた。

 

「ほ、ほら! 言わんこっちゃないっち! これ以上怪我する前に逃げるっち!」

 

 立ち上がろうと手をつくと、鋭い痛みが走った。手をついた地面に血の跡が残る。

 構うものか。へし折れて半分になったトンボを、たぐりよせて握りしめた。

 

「ちっ……?」

 

 折れたトンボを杖に立ち上がる。

 武器は短くなってしまったが、都合がよかった。これくらいの重さの方がずっとずっと扱いやすい。

 これくらいのほうが、殺しやすい。

 

「ほ、ほろびちゃ――?」

 

 迷いはなかった。

 選択だったらすでに終わらせていた。この校舎に来ると決めた、その時に。

 

「いきます」

 

 武器を構え、走る。腰だめに折れた柄を構えて、一歩ごとに加速していく。

 獣は今度も柄を狙って首を伸ばした。その動きを、思い切り横に飛んで、回り込むようにかわす。

 

 反応ではない。想定だ。獣がさっきと同じ動きをするなら、なんていう希望的観測に基づいた、運任せの回避軌道。

 何かと殺し合った経験はない。喧嘩だって好きじゃない。運動は得意だけど、それだけだ。

 

 ただの女子中学生に過ぎない私が、こんな化け物を屠るには、これくらいの博打は必要だった。

 

「せーのっ!」

 

 一瞬の空隙にねじ込むように、折れた柄の先端を怪物の首に突き刺した。

 鈍い槍が肉を切り裂く重々しい感触。どろりと噴出する粘ついた体液。こだまする悍ましい絶叫。手のひら越しに感じる、躍動する獣の筋肉。

 

 暴れる獣に強引に振り払われる。その勢いで再び校庭を転がされたが、今度はすぐに起き上がった。

 

「え、ちょっと、ほろびちゃん?」

 

 れくたに構っている暇はない。

 即席の槍は今も獣の首筋に突き刺さったままだ。灰の獣はどろどろとした体液を散らしながら痛みに悶えている。

 

 だけどまだ、死んでいない。

 私も、やつも。どちらもまだ死んでいない。

 それなら、どっちかが死ぬまで続けるってものだろう。

 

「ま、まじっちか……?」

 

 走る。跳ぶ。首筋に刺さった柄を掴む。

 後はただ、思いっきり。

 後先なんて考えず。

 力の限りを振り絞って。

 

「しねっ!」

 

 三十九キロの全力で、柄の先端を押し込んだ。

 ずぷっと、深く肉にえぐりこむ感触。天高く上がるけたたましい絶叫。撒き散らされる体液。暴れ出す獣の巨躯。

 

 必死になって柄を掴みながら、さらに深く強く押し込む。私が力をこめるほどに獣の抵抗は激しくなり、最後には思い切り弾き飛ばされてしまった。

 校庭を転がされるのもこれで三度目だ。体中が悲鳴を上げている。

 

「ほろび、ちゃん……?」

 

 ふよふよと浮いたれくたが、心配そうに近寄ってくる。

 立ち上がろうとしたら、右足首に力が入らなかった。投げ出された時に、捻ったか折れたかしたのだろう。

 不思議と、痛みは感じなかった。

 

「ほろびちゃんって、怖いとか、ないっちか……?」

「怖い?」

 

 左足に体重を預けながら、不格好に立ち上がる。

 頭から流れた血が目に染みる。それを指先で拭って口に含む。

 塩っぽい鉄臭さが、無性に生を実感させた。

 

「だって、世界は救わなきゃ」

「あっ、この子本物だ」

 

 魔法少女だとか、変身だとか。そんなことはもうどうでもいい。

 この世界には脅威が迫っていて、私はそれに立ち向かうことを託された。だったら、やることなんて一つしかない。

 この時の私を動かしていたのは、そんな純色の使命感だった。

 

「ここまで覚悟決まった魔法少女なんてシリーズ初っち……。一話目から飛ばしすぎっちよ……」

「だから、何言ってるの?」

「素質は十分以上……! ああもう、変身さえできればとんでもない魔法少女になれるっちのにぃ!」

 

 れくたの言葉の意味を理解するのは、もう少し後のことだ。この時の私は、アドレナリンにくらくらと酔った頭で彼の言葉を聞き流した。

 

 一方獣はというと、残念ながら死んでいなかった。激しく体液をこぼしているが、あの巨躯を殺し切るには槍の一撃では足りないようだ。

 殺意と憎悪に濡れた無数の瞳が私を貫く。先程までの推し量るような視線ではない。あの生き物は、いよいよもって私を敵と見定めていた。

 

 本気でこちらを殺すつもりなのだろう。

 上等だ。私だって、そのつもりなのだから。

 

「まずいっち、まずいっち、まずいっち……!」

 

 うろたえるれくただけが、緊張感に欠けている。

 この場において覚悟がないのは彼だけだ。殺すか、殺されるか。結末なんて、その二つしかないというのに。

 

「逃げられないよ。戦おう」

「それもそうっちけどぉ……! そろそろ片付けないと次が始まっちゃうっち……!」

「……次?」

「春先の校舎はロケ地として大人気だっち! これ以上長引かせるとよそに迷惑かかっちゃうっちー!」

 

 わけのわからない理由で慌てるれくた。そんな様子に、強い違和感が湧き上がる。

 その違和感は、戦いに酔っていた私の頭に、理性の光を差し込んだ。

 

「痛っ……」

 

 アドレナリンがすっと引く。それとともに、無視していた痛みが蘇る。

 苦痛に顔をしかめながら、私はれくたに詰め寄った。

 

「えっと、れくた。どういうこと?」

「だーかーらー! もう次の撮影が始まっちゃうんだっちー!」

「撮影……?」

「ええと、たしか次のスタジオは……」

 

 不意に、校庭を照らす月光が遮られた。

 校舎の屋上から見下ろす人影。首に巻かれた長いマフラーが、校庭にたなびく影を落としている。

 

 人影は夜空に大きく飛び出す。くるくると回転しながら放物線を描いたそれは、校庭の砂利を爆ぜさせながら、片手片膝をついて私の前に着地した。

 凄まじい風圧と砂塵に目を覆う。立ち込めていた死臭が、勢いよく吹き飛ばされていった。

 

「よう」

 

 奇妙な出で立ちの男だった。

 体の随所に取り付けられた機械的な装甲。両腕に装着されたガントレット型の武装ユニット。目元を覆う無機質なメカニカルバイザー。

 鋼鉄の武装に身を固めた姿の中で、古びた赤いマフラーだけが夜風にたなびいていた。

 

「待ってろ。すぐに終わらせる」

 

 全身の装備が駆動音を立てる。立ち上がった彼は、敵に向かってまっすぐに走り出した。

 さながら稲妻のようだった。人の限界を軽く振り切る速度に達した彼は、灰の獣を貫くように一息に殴りぬいた。

 

 ほとばしる雷光。轟く雷鳴。世界を塗りつぶす、鳴り響く光。

 閃光と轟音が、一瞬の内に駆け抜けて。

 

 光が収まった時、獣の姿はそこになかった。校庭に描かれた激しい焦げ跡と、ちらちらと舞いながら自壊していく灰の粒子。残っているのはそれだけだ。

 一撃。ただの一撃で、あれを。

 

「そうそう。次はヒーロー番組だったっちねー」

 

 戦闘と呼ぶには圧倒的で、現実と呼ぶにはあまりにもかけ離れた光景に、れくたは気の抜けた声で一言添える。

 

 彼は誰なのか。これは一体なんなのか。痛みに鈍った頭では、状況を整理するのは難しい。

 それでも、れくたの言葉にたくさんの嘘が含まれていたことは、なんとなく理解しはじめていた。




毎日投稿、全二十五話予定です。
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