今週の魔法少女は事情により変身できません   作:佐藤悪糖

10 / 25
授業

 翌日の昼休み。

 一歩一歩を踏みしめながら階段を登る。手すりを握る手に体を預けて、ギプスで固めた右足になるべく負担をかけないように。

 

 普段なら運動とも呼べない簡単な動作。それでも息は上がるし、体中の傷も痛む。

 たった十数段の階段を登るだけで、いつもの数倍の時間がかかった。それでも誰かに手伝ってもらうという選択肢はなかった。

 この先には一人で行かなければならない。私が、一人で。

 

 やっとのことで登りきり、軽く息を整えてから扉を開くと、清涼な風がさっと吹き込む。

 扉の向こうで、春風が踊っていた。

 

 開けた屋上に置かれた小さな花壇。ベンチに腰掛け、空になったランチボックスを脇において談笑する生徒たち。ぽつぽつと人気がある中を、張られたフェンスを支えに歩いていく。

 屋上の片隅で、校庭を睨みながら、彼が佇んでいた。

 

「鮫田先生」

「あ?」

 

 呼びかけると、先生はじろりと私を睨む。

 あるいは、ただ見ただけなのかもしれない。それでも睨まれたと感じてしまうのは、その人相の悪さゆえか。

 

「どうした。なんか用か」

「先生が呼び出したんじゃないですか」

「……ああ、お前か」

「夜空です。夜空ほろび」

「知ってるよ」

 

 昨日この人に呼び出されたので、わざわざここまで来たのだ。

 最初は高等部の職員室に(勇気を出して!)行ったのだけれど、あいにく鮫田先生は不在だった。近くの先生にたずねて探した末にたどりついたのが、よりにもよって学校の屋上。

 ただでさえ足に怪我しているのに。文句の一つは言ったっていいだろう。

 

「足痛いんですから、こんなとこまで来させないでくださいよ」

「悪かったな。他は平気か?」

 

 鮫田先生は私の足をちらりと見る。ついで、腕とか頭とか、包帯が巻かれている部分を順番に。

 質問には答えなかった。それよりも確認しなければならないことがある。

 

「先生に聞きたいことがあって」

「……ち?」

 

 かたわらに飛ぶれくたを、むんずと掴んで。

 

「失礼します」

 

 思い切り、ぶん投げた。

 

「ちー!」

 

 間の抜けた悲鳴を上げながら、れくたは鮫田先生の顔面向かってまっすぐに飛んでいく。

 しかし、直撃はしない。顔に当たる前に、鮫田先生は正確にれくたを捕球した。

 

「ち、ちぃ……」

 

 私は鮫田先生を見る。

 鮫田先生も私を見る。

 

「やっぱり。見えていたんですね」

 

 この人にはれくたが見えている。

 普通の人間であれば、見えないはずのれくたの姿が。

 

「どこで気づいた」

 

 握りしめたれくたを、鮫田先生は無造作に放り捨てる。

 怒りはない。かと言って、関心もなさそうだ。いかなる感情も宿さないまま、彼は聞く。

 

「先生だけだったんです。昨日、私の怪我を気にしてくれた人は」

 

 一昨日、私は体中に怪我をした。灰の獣との戦いの中で作った怪我だ。

 認識調整がかけられたその怪我には、昨日一日誰一人として気づかなかった。家族も、クラスメイトも、友人も。天海先輩でさえ、気にする素振り一つなく自由奔放に私を振り回した。

 ただ一人、鮫田先生を除いては。

 

「その怪我。俺はてっきり、天海のやつらにつけられたもんだと思ったんだがな」

「いじめられてませんよ。本当に」

「ならいい。……とは、言えねえか」

 

 この人はただ、本当に心配してくれていたのだろう。怪我だらけの私を見て、高校生の先輩たちによからぬことをされたんじゃないかと。

 

 この呼び出しだって、きっとそれが本来の用だったはずだ。天海先輩がいない場所で、いじめの事実を確認するために私を呼び出した。あくまでも一人の教育者として。

 しかし、彼はただの教育者ではない。この人にはもう一つの顔がある。

 

「先生がヒーローだったんですね」

 

 鮫田先生には怪我に関する認識調整がかかっていない。

 それはつまり、彼があの夜の関係者であることを意味していた。

 

「ああ、そうだ。お前は?」

「魔法少女です」

「そうか」

 

 端的に呟く。驚く素振りもなければ、特別興味を持つ様子もない。

 彼がヒーローであることは大方察しがついていた。しかし、わからないこともある。

 

「昨日の怪人騒ぎの時は何してたんですか。あんなに大変だったのに」

「ガキどもが頑張ってんだ。見守りたくなるのが大人だろ」

「死にそうでした」

「死にやしねえよ。バーン・デザイアは加減を知ってる。女子供に本気出すようなやつじゃねえ」

 

 近くで見ていた、ってことらしいけれど。

 色々とムカついた。手のひらの上で泳がされていたことも。あの戦いが子どもの頑張り扱いされたことも。バーン・デザイアとかいう怪人に、手加減されていたことも。

 

 抗議の意志を籠めて先生を見上げる。鮫田先生も私を見た。頭から爪先まで、一通り観察してから、最後に私の目を見た。

 

「お前はまだ、はじまったばかりか」

「はい。昨日のあれが二話目だそうです」

「二話目?」

「間違えました。二回目です」

 

 この人はおそらく歴戦だ。私とは違う。長くやってきたのであろう風格がある。それでも、撮影のことは知らないのかもしれない。

 そのほうがいいと思った。裏側なんか知ったところで、ただ気分が悪くなるだけだから。

 

「俺たちのようなやつは稀にいる。超常的な力と、何かを果たす使命を託されて、日々が運命にまみれちまうようなやつ。大体は敵だ。だけど味方も、たまにいる」

「先生には味方がいるんですか?」

「いや、昔の話だ。今はいない」

 

 不思議な響きをする言葉だった。

 辛さや寂しさを小さく丸めて、強がりでコーティングしたような。だけど、そんな痛みにも慣れきってしまったような。長い時を経てきたのであろう感情に含まれた複雑な色彩に、ただ戸惑ってしまう。

 

「天海先輩は違うんですか?」

「違う。あいつは」

 

 先生はそこで一度言葉を切る。

 

「夜空、察しはついてんだろ。答えてみろ」

「なんですかそれ」

「教員の特権だ」

 

 別に私は、自分の推理を聞いてほしいわけではないのだけれど。

 まあでも、先生のご指名だ。答えるのは生徒としての責務である。

 

「天海先輩は役者です。あの人はあくまで、ブラスター・スパークというヒーローを演じていたに過ぎません。人間離れした動きもちょこちょこしていましたけれど、超常的な力というほどのものは最後まで見せませんでした」

 

 一昨日の夜にあらわれたヒーローと、昨夜怪人と戦っていたヒーローは、姿形は似ていても明確な違いがある。

 戦闘力――というよりも、超常的な力の有無だ。

 

 灰の獣を一撃で倒したあのヒーローは、全身の装備を駆動させ、激しい雷光を纏っていた。しかし昨日のヒーローは、そんな不思議な力は一切使うことなく、ただただ徒手空拳だけで勝負していた。

 それでも音速を振り切る身体能力には舌を巻くが、超常現象こそが“こちら側”の証明であるのならば、あの人はやはり私たちとは違う。

 

「先輩は、概ねただのゴリラです」

「赤点だ」

「間違えました。一般人です」

「……まあ、おまけしてやる」

 

 鮫田先生はガリガリと頭をかく。短く嘆息し、言いづらそうに切り出した。

 

「天海のことは、随分昔に助けたんだ。まだまだ俺が未熟だった頃だ。思い出したくもねえくらいに無様なヒーローだったさ。傷だらけで、泥まみれで、ズタボロになりながらやっとの思いで敵を倒して、本当に間一髪ってところで助けられた」

 

 先生はフェンスの向こうに目を向ける。

 

「あいつ、あの時泣いてたよ。泣きながら、ありがとうって言ってた。泣かせちまったのは俺なのにな」

 

 晴れた空に春風が舞っている。

 

「それからしばらくして、いつの間にかヒーローの真似事なんかしはじめた。わざわざ俺に似せた装備まで作りやがって。危ねえからやめろって言ったんだが、まったく聞きやしねえ」

 

 きっと、憧れてしまったのだろう。

 私が天海先輩に見たのと同じものを、彼女はこの人に見せられたのかもしれない。どんなに泥臭くたって、強く立ち上がるヒーローの背中を。

 

 その気持ちはよくわかる。私だってそうだった。

 あんなものを見せつけられて、何もせずにいられるほど、若さってやつは大人しくしていられない。

 

「とにかく、あいつはこっち側じゃない。一応、ただの一般人ってことになっている」

「それじゃあ、音速超えていたのは?」

「知らん。なんか、超えた」

 

 なるほどな……。

 あまりにも豪快な説明に思わず頷きたくなる。しかしながら、意志の力で誘惑を断ち切り、説明を求めてれくたを見た。

 

物語因子(ストーリーファクター)の作用っちね。理想も努力も無駄にはならない。深く物語に関わった人間には、そういう補正がかかるっち。とはいえ、基本的には本人の努力って思ってもらっていいっちよ」

 

 静かにしていたれくたが突然に喋りだす。それを聞いて、鮫田先生は眉をひそめた。

 

「夜空。こいつは?」

「害獣です。戯言を放ちます」

「そうか」

 

 「ひどくないっち……?」と言って、れくたはふよふよと飛ぶだけのぬいぐるみに戻る。鮫田先生もさもありなんと頷いた。こういう不思議なものも、この人は見慣れているのかもしれない。

 

「先生がヒーローだってこと、天海先輩は知ってるんですか?」

 

 質問の答えはすぐにはなかった。言葉を整理する少しの時間。

 

「ヒーローっつうのは、つまるところ理想だ。誰かにとっての遠い憧れ。こうなりたいという理想像。曲がりなりにもそういうもんになっちまったからには、俺はそう演じることにしている。着ぐるみの中身なんか、わざわざ教えるもんじゃねえ」

「私はヒーローの中身があなただと知っても、幻滅しませんでした」

「そりゃお前が俺の中身を知らないからだよ、中学生」

 

 鮫田先生は、そこではじめて表情を見せる。

 意地悪な、からかうような、見透かすような、そんな笑み。

 

「よう、どうだ魔法少女。お前はお前を演じられそうか?」

「……私、は」

 

 ずっと、疑問に思っていたことがある。

 私が魔法少女になった理由。あの日必死になって夜道を走った理由。魔法少女になる以前から漠然と抱いていた問いかけ。

 

 私は中学生だ。

 私は魔法少女だ。

 私は夜空ほろびだ。

 私は。

 私は、何者なんだろう。

 

「すぐに答えを出す必要はない。学校ってのはそういうことを考えるための場所だ。焦んじゃねえぞ、気長にやれ」

「……とんでもない、宿題、出しますね」

「それが教師だ」

 

 数学だったら解けばいい。英語だったら覚えればいい。学校で渡される宿題なんて、どれも手順と答えが決まっていて、その通りにやるだけで花丸が貰える簡単なものだ。

 だけど、この宿題には、手がかりなんて一つもなくて。

 

「先生は、いつからヒーローを演じてるんですか?」

 

 自分で言葉にしてから、妙にしっくりと来た。

 私は道化を、先生は役割を、そして天海先輩は理想の姿を演じている。きっと私たちは、そういうものなのだろう。

 あるいは、私たちだけではなく、誰だって。

 

「十五年だ」

「……っ」

 

 何も言えなかった。

 何も言えなくなってしまった。

 私の半生よりも長い時間を、一つのことに費やすことの意味なんて、想像すらもつかなかった。

 

 私にとって、これはただの撮影で。ほんの一時巻き込まれた面倒事で。いつかは片付く日常の変調にすぎなくて。

 そういうものだと、思っていたけれど。

 

「長くない、ですか?」

「お前からしたらそうだろうな」

「いつ終わるんですか?」

「終わるといいな。ヒーローが戦わなくていい世の中なんて、そんな日がくりゃ最高だ」

 

 痛みはない。悲しみもない。軽く笑ってすらもいる。とっくに飲み込んでしまった事実のように、さっぱりとした言葉。

 だけど、本当にそれでいいのだろうか。

 想像力が膨らむ。嫌な方向に結びつく。自分だったらなんていう仮定が、境遇の親近感を材料に、急速に予感を結実させる。

 

「先生は」

 

 聞くべきではないとは、なんとなくわかっていた。

 ヒーローというのが理想像であるのなら、これはその理想を剥がす質問だ。きぐるみのチャックを開いてはいけないことなんて、子どもだって知っているのに。

 それでも私は知りたかった。知らなければならなかった。

 

「ヒーローが、好きですか?」

 

 その質問にも、彼はさっぱりと答えてしまう。

 

「好きとか嫌いとか、そんなんじゃねえ。呪いみてえなもんだよ」

 

 先生は、かすかに笑って。

 

「だって、世界は救わなきゃいけねえだろ」

 

 私にはわかった。わかってしまった。

 この人の気持ちが。彼がどんな思いでヒーローをしているのか。

 だってそれは、私と同じ答えだったから。

 

 しかし、同じようでも言葉の重みがまるで違う。十五年の月日が伴った言葉は、あまりにも遠い覚悟を帯びていた。なまじ理解が及ぶばかりに、その重さと遠さに足がすくむ。

 そんな覚悟を、この人は、一人で。

 

「……それなら」

 

 私はもともと、この人に助力を求めに来たはずだ。変身ができないから助けてほしいって。それが本来の用だった。

 そんな打算なんて、今はどこかに行ってしまった。

 

 胸の中から込み上げてくる感情を説明することはできない。どうしてこんな気持ちになっているのか。どうしてこんなにも胸が熱いのか。とめどなく湧き出すものに、頭の中がただただ必死になっていく。

 

「私も、いっしょに、戦いますから……!」

 

 声が震えていたことには遅れて気がついた。

 込み上げるものが瞳から勝手に流れ落ちていく。どうしてだろう。これはなんなのだろう。わからない。手の甲でこすっても止まらない。

 それでも私は、きっと、なにかをしたくて。

 

「泣いちまうようじゃ、まだダメだな」

 

 鮫田先生は、私に歩み寄って。

 頭を、くしゃりと撫でた。

 

「夜空、背負うなよ。逃げていい。投げ出していい。魔法少女だかなんだか知らねえが、そんなことは忘れていい。世界だったら俺が救う。だからお前は無理すんな」

 

 私たちの間には線がある。

 ヒーローとか魔法少女とか、そんなものではない。もっと当たり前で、見落としてしまうほどに些細な、大前提。

 

「お前はまだ、ガキだろうが」

 

 そのまま彼は、屋上の出口に向かっていく。その背中にかけようとした言葉は、鳴り響く予鈴に阻まれて消えていった。

 目元についたものを拭く。

 私はどうすればいいのだろう。

 

 中学生として。魔法少女として。夜空ほろびとして。何者でもない私として。私はどうすればいいのだろう。

 私は、どういう私になりたいんだろう。

 

「れくた」

「ち」

 

 答えは出ない。すぐには無理だ。これからいっぱい考えなければならない。

 今はただ、おぼろげながら抱きはじめた疑問を、そのまま読み上げた。

 

「大人って、どうやったらなれるのかな」

「さあ、どうっちかね」

 

 屋上からぞろぞろと出ていく生徒たちの波を追う。

 もうすぐ授業がはじまる。次は社会だ。いつもだったら退屈な時間だけど、今日は少しだけ身が入るような気がした。

 私も、はやく、大人になりたいから。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。