今週の魔法少女は事情により変身できません   作:佐藤悪糖

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そんなことよりメロンパンおいしい

 ごはん二杯。ロールパン四つ。卵三つにハム四枚。サラダ+弟が残したプチトマト。リンゴふたかけら。

 それらのものを順調に胃袋に収めて、ようやく腹六分目ってところだった。

 

「遅刻、遅刻」

 

 もうちょっと食べたかったけれど、登校時間もあるのでパンを食べながら通学路を歩く。

 弟がおやつ代わりによく食べている買い置きのメロンパンだ。とてもおいしい。

 

「うーん……。微妙に惜しいっちねー……」

 

 側をふよふよと飛ぶれくたは、なんとなく物足りなさそうだった。

 

「記号的には食パンじゃないとってのもあるっちけど、それ以上に歩きってのがよくないっちね。スピード感的には、やっぱり走っていてほしいところだっち」

はひってひひの(はしっていいの)?」

「だめっち。まだ安静にしてるっち」

 

 え、どっち?

 相変わらず意味がわからないので、れくたの言葉は聞き流すことにした。そんなことよりメロンパンおいしい。

 

 機嫌よく食べながら歩いていると、曲がり角の向こうから気配を感じた。

 走ってくる足音に足を止める。二秒も経たないうちに、誰かが曲がり角から勢いよく飛び出してきた。

 

「ん……?」

 

 見覚えのある女の子だった。

 綿菓子みたいにふんわりとした淡い桃色のセミロング。とろんと目尻が下がった柔らかい目元。一生懸命走っているはずなのに、なんだかぽむぽむした雰囲気を感じてしまうのは、仕草の節々がゆるやかなせいだろうか。

 

 そして、あわあわと正体なくふにゃけた口には、なぜか食パン(目玉焼きつき)がくわえられていた。

 

「あ、これっち。食パンダッシュ制服少女。百点満点っちね」

 

 れくたの評はさておいて、私はメロンパンの最後のひとかけらをのみこんだ。

 彼女のことは知っている。名前も、性格も、趣味も特技も才能も。十分以上に知っている。

 これから起こることだって、十パターンは予想がつく。

 

「わ、わ、わ」

 

 案の定にアクシデントが起きる。何もないところでつんのめった彼女は、芸術的なたどたどしさで脚をもつれさせ、ダンスのようにステップを踏みながら、一周回ってとても器用にバランスを崩した。

 

 倒れ込む先は当然のように私の方だ。狙ってやってるんじゃないかってくらいにピンポイントだが、この子はそういうものである。

 

「わー……?」

 

 倒れてきた彼女を抱きとめる。

 洗いたてのシーツにも似た、ふんわりとした温かい感触。ほのかにいい匂いもするのでこれで結構気分はいい。

 

 ただ、サイズがでかい。寄りかかられると中々重たい。右足に負担をかけないように気をつけながらだと、支えるだけでも大変だ。

 洋風人形のようなふわふわの塊が、もぞもぞと動いて私の方に顔を向ける。食パンをくわえたまま、彼女は器用に話しはじめた。

 

「ほろびさん? なにしてるの?」

「こっちが聞きたいんだけどね」

「パンたべる?」

「食べない」

「おいしいよ?」

 

 そう言いつつ、彼女はもごもごと食パンを自分で食べはじめる。青虫が葉っぱを食べるようにゆっくりと。彼女は幸せそうに味わっていたが、じれったいのでパンを無理やり口の中に押し込んでやった。

 

「もにゃーっ!」

 

 悲鳴を上げていた。

 この子は外的刺激の類をもっぱら苦手としている。悪いとは思うけれど、付き合っていたら日が暮れる。

 

 七村菜乃花。種族はたぶん、人間だ。

 生物学的に七村菜乃花は人間であることが確認されている。しかしそうと言い切れないのは、彼女の感性感覚常識認識才能特質時間空間その他諸々が、一般的なそれとはあまりにもかけ離れているからだ。

 

「みー……」

 

 やっとの思いで菜乃花はパンをこくんと飲み込む。カバンから水筒を渡してやると、美味しそうにくぴくぴ飲んで、そこでようやく一息ついた。

 

「ほろびさん、おはよう」

「おはよう、菜乃花」

 

 特記事項。彼女と私は友人関係にある。

 

「こんなところで何してるの?」

「何って……。なんだっけ?」

「登校中?」

「あ、うん。そうだったかも。天気もいいから、今日は学校、いかなきゃねぇ」

 

 菜乃花はほんわかと笑う。ちなみに、天気が悪かったら彼女は学校に来ない。七村菜乃花の辞書に義務教育の文字はない。

 ただし、天気が良かったからといって、彼女が学校までたどり着けるかどうかは別の話だ。

 

「学校、こっちじゃないよ?」

「……そうだっけ?」

 

 七村菜乃花の生態。毎日の通学路を平気で忘れる。

 時間感覚も人とズレている上に空間認識力もこのざまだ。彼女が生きている場所は、もしかしたら私たちと同じ次元ではないのかもしれない。

 

「食べたら眠くなってきたねぇ」

「天気もいいしね」

「今日はもう帰ろうかなぁ」

「学校で寝なよ」

「えー……」

 

 なお、菜乃花の家は学校を挟んだ向かい側にある。なぜこんな場所に彼女がいるのだろうか。たぶん、ワープでもしたのだろう。

 

「ほろびさん。菜乃花はもうここで寝たいです」

「ダメです」

「やです。寝ます」

「ダメだって」

 

 放っておいたらその辺の植え込みかなんかで眠りだしそうだった。いつかの校外実習の時、本当にそうしていたことがあったので気が抜けない。

 こうなった時の菜乃花はなかなか説得に応じないが、対処方法はわりと簡単。

 

「ほら、菜乃花」

「なー……?」

 

 手を差し出すと、条件反射的に彼女は私の手を取った。

 後はこのまま、学校まで引っ張って連れていくだけだ。菜乃花は外的刺激に弱いので、適度に強制力を働かせればなんだかんだ大人しく従う。

 そしてその役目は、小学生の頃からもっぱら私の担当だった。

 

「お手間をかけますねぇ」

「手間なんて思ったことはないよ」

「え、好き」

「ありがと」

 

 のんびり屋で、方向音痴で、当たり前のことを当たり前にやることを何よりも苦手としている七村菜乃花だが、この子は決して“だめなやつ”なんかではない。

 

 彼女にはいいところがある。たくさんある。とめどなくある。

 この程度の欠点など、軽く霞んでしまうくらいには。

 

「昨日は夜ふかしをしちゃってねぇ」

「何してたの?」

「なんと、ご本を読んでいました」

「へえ、どんな本?」

「えっとねぇ」

 

 本読みとしてその手の話題には関心を惹かれる。もしかしたら知っている本かも、なんていう淡い期待があったのは否定しない。

 しかし私は見落としていた。相手は七村菜乃花であることを。

 

「マルクスの『資本論』とマキャヴェリの『君主論』とプラトンの『国家』とホッブズの『リヴァイアサン』とアダム・スミスの『国富論』と司馬遷の『史記』とクラセヴィッツの『戦争論』とアリストテレスの『政治学』とニーチェの『ツァラトゥストラはこう語った』」

 

 七村菜乃花は人間である。

 少なくとも、生物学的観点においては、そうであることが確認されている。

 

「……一日で?」

「うん。がんばりました」

「どうだった?」

「ふぁ……」

 

 真偽を確認する必要はなかった。菜乃花は嘘をつかない。何かを騙したり、欺いたり、偽ったり。そういった器用な真似は彼女にはできない。

 だからストレートに感想をたずねると、菜乃花は大きくあくびをした。

 

「できるかなって思ったんだけど。思ったより、難しそうかも」

「なにが?」

「えっと……。国?」

 

 説明が足りない。足りたところで理解できる気もあんまりしない。

 だからこれ以上の説明は不要だったのだけれど、彼女は私にもわかる程度には、端的に説明してくれた。

 

「あのね。新しい国、作ってみようかなって思ったの」

 

 こういうことを、考えて。

 実際にやってみようとする。

 それが、七村菜乃花という生き物だった。

 

「……なんで?」

「え、えっと。笑わないで聞いてくれる?」

「笑わないよ」

「お姫様に、なってみたくて……」

 

 笑わなかった。というより、笑えなかった。

 できるかできないかは知らないけれど、菜乃花が本気だということは知っていた。その昔、この子は「朝はもう少しゆっくりしたいから」という理由で地球の自転を遅らせようと画策していたことがある。

 

「やめたほうがいいと思うよ」

「そうだよねえ、大変だもんねぇ……。地球上に発生した有機体基軸の文明がステージⅠに達するにはどう考えてもざっくりあと二百年はかかりそうでボトルネックを解消するにはなんらかの形で生命の物質化を図るのが手っ取り早いかなって最初は考えていたんだけどそもそも人間という一個種族をいつまでも霊長の長においておく必要はなくて支配的種族を物質生命に交代すれば文化的倫理的精神的な障害が一気に解消されるんだけどそれを為すにはいっそのこと新しく文明を作り直すくらいの革新的なアプローチが必要で」

「菜乃花」

 

 ぎゅっと。

 強く、彼女の手を握りしめた。

 

「え、あ、えっと」

 

 虚空を見据えていた菜乃花の瞳が、徐々に現実に焦点をあわせていく。

 しぱしぱと何度か目を瞬かせて、それから私を見て、いつものようにふにゃっと笑った。

 

「……なんだっけ?」

 

 七村菜乃花は外的刺激に弱い。こうして刺激を入力すれば、素直に彼女はこちら側に戻って来る。

 時々遠い何処かへとふわふわと漂っていってしまう彼女の手を握って連れ戻すのは、昔から私の役目だった。

 

「菜乃花は一つ、大事なことを見落としてる」

「え、うん。なぁに?」

「仮に国を作っても、菜乃花はお姫様にはなれない」

「……えっ」

「菜乃花がなるのは女王様だ」

 

 ついでに道理もつきつける。大きく目を見開いた菜乃花は、わかりやすくうろたえはじめた。

 

「……ほんと?」

「本当」

「どうにかならない?」

「ならない」

「うー……」

 

 困っていた。迷っていた。くるくると頭を悩ませていた。

 やがて、しょんぼりと肩を落として、拗ねたように彼女は言う。

 

「じゃあ、やめる」

 

 かくして、新国家樹立の野望は潰えたのだった。

 これも世界を救ったうちに入るのだろうか、なんてことを考えながら菜乃花の手を引いていく。のんびり屋の彼女の足に合わせつつ、それでいて門限には間に合うような速度で。

 そんな調整が功を奏して、門限二分前に私たちは校門に滑り込んだ。

 

「ほら、着いたよ」

「あっ……」

 

 下駄箱で菜乃花の手を離す。案内はここまで。私のミッションもこれで終わりだ。

 私と彼女は公然と友人関係にあるけれど、さすがに人目のあるところで手を繋ぐのは、ちょっと。私だって恥ずかしいところがある。

 しかし、菜乃花はそうは思わなかったようで。繋いでいた手を名残惜しそうに見つめていた。

 

「ほろびさん」

「どした?」

「教室まで、手、つないでっちゃだめ?」

 

 上目遣い。懇願。混じり気のない好意。

 いや、その、えっと。

 菜乃花が外的刺激に弱いように、私にだって、弱いものはあって。

 

「……もう。行くよ、お姫様」

「ほろびさん、好きー」

 

 上履きに履き替えてから手を差し出す。彼女は笑顔で手を取った。

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