それで、結局どうすりゃええんすか。
鮫田先生にはうまいこと丸め込まれたけれど、何一つ解決していないことに気がついたのは、その日の午後になってからのことだった。
私の戦いに菜乃花は巻き込めない。というか、誰一人だって巻き込みたくなんかない。撮影なんていうくだらない茶番のために、大切な人たちを危険に晒すなんて間違ってる。
だけど先生には、一人になるなって言われてしまった。
鮫田先生の授業は、正直に言うとあんまりよくわかっていない。そもそもあの人のこともよく知らないし、なんならちょっぴり苦手ですらある。先生と話していると、手のひらの上で踊らされてるような気がしてくるから。
それでも、あの人の言葉には無視できない示唆が含まれていた。それがどうにも引っかかっていて、私は対応を決めかねていた。
「ほーろーびーさん?」
そんなこんなで放課後になって。
クラスメイトたちがぞろぞろと部活なり下校なりのために教室から出ていく中、菜乃花は上機嫌ににこにこと擦り寄ってきた。
朝は眠そうな菜乃花も午後になると二割増で元気になる。放課後の開放感もあいまって、この時間の菜乃花のテンションは最高潮だ。だけどベースがのんびりしているので、彼女の些細な違いに気がつくには少々の慣れがいる。
「あのねあのね、ほろびさん。なんだかお久しぶりな気もするんだけど、今日は一緒に帰ろうかなって――」
「ごめん。私用事あるから、先帰ってて」
「えー!?」
大きな声。大きな不満。今日の菜乃花は直情的だ。
一緒に帰ろうというお誘いは、つまりは学校帰りにどこかに遊びに行こうという意味で。お互いに何も用事がない日は、私と菜乃花はそうして街に繰り出しているのだけど。
「ほろびさん、昨日も一緒に帰ってくれなかった」
「昨日は先輩に呼ばれてて」
「一昨日も一緒に帰ってくれなかった」
「一昨日は委員会あったから」
「おととといも一緒に帰ってくれなかった!」
「おとととい?」
ちなみに
ほとんど一週間近く、私は菜乃花と遊んでいないことになる。中学生の一週間とは“耐え難いほどの長い時間”を意味している。菜乃花の怒りはまったくもって正当なものだ。
しかしそれでも私には、菜乃花と一緒にはいられない事情がある。
「ごめんって。今日はどうしてもダメなんだ」
「むー……」
「また今度埋め合わせるから。ね?」
私の側にいると、菜乃花が巻き込まれるかもしれない。
せめて次のロケが終わるまでは。この子とは距離を置くのが賢明だと、私はそう考えていた。
*****
私の判断は正しかった、と思う。
れくたはしきりに安心安全をうそぶくけれど、彼の言葉はまったくもって信用できない。れくたの想定ってやつはどうにも大雑把で、肝心なところで詰めが甘い。事実、そのせいで私は変身ができずに苦労する羽目になっている。
理論上は安全であっても、アクシデント一つあれば危険に直面するのが撮影だ。そんなものに菜乃花を巻き込むべきじゃない。
だから、私の判断は間違っていない。何度考え直してもその結論にたどり着く。
なのに、どうして。
どうして、菜乃花が浮かべた寂しそうな表情が忘れられないのだろう。
「夜空くんや。なにをそう不貞腐れているのかね」
「……別に。なんでもないです、けど」
一人になってはいけない。だけど、菜乃花の近くにはいられない。
そんなダブルバインドに悩んだ末に、迷い込んだのは高等部の一年C組。天海結城先輩のもとだった。
本当は誰も巻き込みたくなんかないけれど、例外があるとすればこの人だ。というより、他に頼れる人を私は知らない。
……あるいは。鮫田先生なら、こんな悩みなんて簡単に解決して、ついでに撮影のことだってなんとかしてくれるのかもしれないけれど。
そんな風にあの人に頼って、私の分まで背負わせてしまうのは、なんか嫌だ。すごく嫌だ。うまく説明できないけれど、本当に本当にやりたくない。
解決できないもやもやを抱いたまま、先輩の席の前に座って椅子の背もたれを抱く。なんとなく、席をふらふら傾けて遊んでみたりもして。
「なんかあったの?」
「なんにもないですって」
「なんかあったんでしょ」
「……だから、その」
「うちの後輩は用もなく会いに来るタイプだったかなー?」
図星だった。
天海先輩とはあれ以来仲良くやらせてもらっているけれど、交流の主導は大体向こう側だ。私から先輩をお誘いするにはまだ少し距離を感じたりはしていて、先輩はそんなことに一切構わず昨日私を映画に連れ出した。
先輩のセレクションはアメコミヒーロー。ハリウッドの力を余すことなく発揮した大迫力のアクションと、ヒーローの素顔にまつわる繊細な人間ドラマに二人揃って心をずきゅんと撃ち抜かれ、今度一緒に過去作も見ようとチャットアプリで話し合ったりしている。
「用ってわけじゃ、ないですけど」
先輩と仲良くなったとは思う、けど。
だからって、私の事情や先輩の事情を打ち明けているかというと、そんなこともなくて。
「……今日は、誰かと、一緒にいたくて」
「え、かわよ」
「あの。ご迷惑、でしたか……?」
「うんうん。そんなことないよー。むしろ今助かってる。すっごく助かってる」
え、なにが……?
背もたれを抱いたままもやもやとする私を、天海先輩はにこにこと見守っていた。よくわからないけれどなにかが助かっているらしい。なにが?
「何があったか、当ててあげよっか」
「いいですって」
「友だちと喧嘩したんでしょ」
「……えっと」
「さっさと謝っちゃった方が楽だぜー? こじれると大変だよー?」
当たらずとも遠からずだった。
喧嘩ってわけではないけれど、なんだか菜乃花とギクシャクしてしまったのは事実だ。だけどそれは、私が望んでやったことだから。
私の心をチクチクとつついているのは、菜乃花を傷つけたかもしれないという小さなトゲなのかもしれない。
「まったくもう。困ったものですな、夜空くんは」
いつの間にか、天海先輩には夜空くんと呼ばれていた。私も結城先輩と呼んでみたいのだけれど、中々機会を掴めずにいる。
「そういう時もあるよね。うまく説明できないけれど、なんだかもやもやしちゃう日も。わかりました、わかりましたよ。かわいいかわいい後輩に、そんな時はどうすればいいか教えてあげましょう」
天海先輩は周囲をちらっと確認した後、やけに神妙な顔をして、顔を寄せて声を潜めた。
「酒でも飲んで忘れるのです」
……えっ。