今週の魔法少女は事情により変身できません   作:佐藤悪糖

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【お知らせ】シリアス展開さんがアップをはじめました

 私は何と戦っているのだろう。

 菜乃花の隙をついてゲームセンターから逃げ出し、どこかに行ってしまった黒猫を探しながら、そんなことを考えていた。

 

 敵とはすなわちあの黒猫を指すはずなのだが、今はそれ以上に菜乃花が怖かった。あの子の誤解はまったく解けていないし、今だって逃げた私にぷりぷり怒っているはずだ。見つかったら何をされるかわからない。

 

 この件については天海先輩だって味方じゃない。私を弁護するどころか積極的に薪をくべ、燃え上がる炎を見て楽しんでおられる。すなわち限りなく敵である。

 そして、言わずもがなにれくたは敵。こいつは敵。疑問の余地はない。

 

「孤独だなぁ……」

 

 鮫田先生には一人になるなと言われたのに、どうしてこうなったのだろう。

 まったくもってやるせない思いが胸を包むが、誰が悪いかと言われたら私である。おそらく私は何かを間違えた。しかし何を間違えたかと言われると絶妙に納得いかないし、消化不良な思いがもやもやと溜まる。

 

 ……まあ、いいや。菜乃花のことは後で考えるとして。それより今は、倒せそうな敵を倒すことからはじめよう。

 

「こっちっちよー」

 

 倒せない敵(れくた)に導かれるまま街中を進む。

 駅前を離れ、普段は通らない道を縦に横に通り抜ける。郊外の方に向かっているらしい。進むほどに道は細く、建物はまばらになっていった。

 

 夕暮れがさしせまる町並みには、不思議なくらいに人気がなかった。どこかから車の走る音が聞こえるが肝心の車は見当たらない。あの原付きのエンジン音は一つ隣の路地を走っていったのだろうか。耳を澄ますとドバトがほうほうと高く鳴いていた。

 

 小学生の頃に読んだ、小動物の後を追いかけて妖怪が棲まう街に迷い込む物語を思い出す。あの話で追っていたのはたぬきだったけれど、れくただって似たようなものだろう。

 

 あの本が好きだった。

 妖怪に怯える主人公の女の子が、なんとなく菜乃花に似ていたから。

 

 昔から菜乃花は怖がりだった。暗いところも狭いところもすごく怖がった。ホラーなんて本当にダメで、リビングで流れていたそれをちょっとだけ見てしまったという理由で夜に震えながら電話をかけてくる。もちろん虫もすごく苦手で、小さな虫が飛んでいたら半泣きになって助けを求める。そのくせ簡単に迷子になって、すぐに変なところに迷い込むのだから始末におけない。

 

 そんなあの子を探しに行くのは、いつだって私で。

 見つけて、手を引いて、連れ戻すのは私の役目で。

 それを苦に思ったことは一度もなくて。

 泣き腫らした顔に安堵を浮かべて、ふんわりと笑うあの子を見たら、よかったなって思うから。

 だから、私は。

 

「……あ」

 

 黒猫が、いた。

 川べりの土手を降りたところに広がる、足首までの高さの草の海は、夕焼けを跳ね返して赤く輝いていた。風がさっと吹き抜けると、順に揺れて風の足跡を残していく。足跡は水面まで繋がってきらきらと輝く波を立てた。

 

 息づく街が吐きだした安堵のような河川敷。

 そこに、待ち構えるように黒猫がいた。

 七村菜乃花もそこにいた。

 

「ほろびさん」

 

 菜乃花は猫を抱き上げる。

 どうして彼女が先回りしているのかは、きっと聞くだけ無駄だった。この子は迷子の天才だ。秘密の抜け道を使ったか、道なき道を突っ切ったか、あるいはワープでもしたのだろう。

 

「この猫が、どうしたの?」

 

 災厄の猫は彼女の腕の中でなおなおと鳴く。

 菜乃花は指先で猫の喉をくすぐる。慣れたようにあやしつつも、意識は私に向いていた。

 目が笑っていなかった。

 夕暮れよりも赤い瞳が、私を見ていた。

 

「ほろびさん。隠してること、あるよね」

 

 質問ではない。確認だ。彼女は少し視線を動かし、私の側に飛ぶ小動物に目を向ける。

 

「そこになにがいるの?」

 

 菜乃花はれくたに気づいている。

 その視線はふよふよと浮遊するれくたの姿を正確に追っていた。見えてはいないはずだ。なのに捉えている。その矛盾はたった一つの言葉で説明できる。

 彼女は七村菜乃花だからだ。

 

「なんで教えてくれないの?」

 

 見透かすような視線が再び私に向けられる。

 菜乃花はきっと何もかも見えている。菜乃花ならそれができる。おっとりとしているように見えても、あの子が振るう思考の刃はぞっとするような切れ味を誇る。

 

「なんで何も言ってくれないの?」

 

 私は。

 時々、菜乃花が怖い。

 

「なんでもないよ」

「……そっか」

 

 拒絶の言葉。淡白な感想。

 風が吹き抜け、草がそよいだ。

 

「知ってるよ、ほろびさん。全部知ってる。わかってる」

 

 スイッチが切り替わる。七村菜乃花という生物が組み変わる。

 綿あめのように甘く柔らかな女の子から、

 人間の枠組みを少しだけ踏み外してしまったなにかに。

 

「最初の違和感は先週の木曜日だった。あの日のほろびさんは前日に比べて血液量が九十二ミリリットルも減ってたからおかしいなって思ったの。だけど体のどこにも怪我はなくて、なのにあちこち痛そうで、右足をかばうような素振りも十七回はしてたよね。そしたら放課後に用事があるって言い出して、その放課後に体育館での事故に巻き込まれて、これはもう絶対に何かあるなって。だけど何もなかったの。気になる匂いはいっぱいするのに、決定的な証跡が見つからなかったの。それってつまり認知が歪められてるってことなんだよ。私と世界が食い違ったなら、間違ってるのは世界だから。そこに気づけば後は簡単だった。ほろびさんの周りには意図的に隠されていることがいくつもあった。見えないなにかがほろびさんにずっとつきまとっていて、ほろびさんはあの日からずっと見えない怪我をしてて、だけど今日はその怪我も消えていた」

 

 並べられる言葉のほとんどに意味はなかった。

 それらはただの確認だった。互いの認識のすり合わせであり、次の工程に進むための手順の一つに過ぎなかった。

 

 私だって知っている。

 七村菜乃花が、どういう生き物であるかってことを。

 

「教えてよ」

 

 菜乃花は答えを知っている。途中式を一息に駆け抜けて、天啓のように正解にたどり着く。

 彼女はそういうものだから。

 

「ほろびさんは、何に巻き込まれてるの?」

 

 この期に及んで私は迷っていた。彼女が真実にほど近い場所にいると知っても、すべてを伝えるか悩んでいた。

 信用はあった。信頼もあった。友情もあった。親愛もあった。意志もあった。使命もあった。信念もあった。

 足りていないのは、覚悟だった。

 

「菜乃花は……」

 

 迷いながら口を開く。

 本当にそれでいいのか。本当にこの答えでいいのか。臆病風がしきりにささやく。

 

 やらなければならないことは、やらなければならない。そんなことはわかっているけれど。

 選択には、半身を切り捨てるような痛みが伴って。

 

「知らなくて、いい」

 

 私はもう決めている。すべてを知ったあの夜に、腹ならとっくにくくっている。

 魔法少女だとか、ヒーローだとか。そんな馬鹿げた作り話(フィクション)に、大切な友だちは巻き込めない。大切であるほど巻き込めない。

 

 たとえその選択が、決別を意味していたとしても。

 

「これは、私のことだから」

 

 だって。

 世界は、救わなきゃ。

 

「なん、で……」

 

 菜乃花の赤い瞳が大きく見開かれる。わなわなと震えて、泉のように雫を湛える。

 取り返しのつかないことを言った自覚はあった。心はちくちくと痛んでいた。それでも言葉を取り消そうとは思わなかった。

 

 無言のまま過ぎる五秒。私と菜乃花の間に置かれた十メートルにも満たない距離。

 それを、こんなにも辛く感じたのは、初めてのことで。

 

「ほろびさんの……! ほろびさんの……!」

 

 弓の弦が、きりきりと引き絞られるように。

 湖面を覆う薄い氷に、ヒビが一気に広がるように。

 よく研がれた氷のガラスを、思い切り地面に叩きつけるように。

 空高く響き渡る音色で。

 

「ばかーーーーーっ!!」

 

 ピアノの鍵盤に強く指を叩きつけるような、高く美しいソプラノの激情。

 きれいだな、なんて、人ごとのように思った。

 

 演奏には伴奏もあった。路地裏に響く音色を引き立てるように、小さな音が添えられる。

 かわいらしくも、どこか不吉を匂わせるささやかな音色。

 

「にゃお」

 

 黒猫の鳴き声だ。

 菜乃花の手の中で瞳のない猫が動く。ぐるんと身をよじらせると、二又の尾がしなやかに揺れる。奇妙な猫だった。菜乃花に負けないくらいに不思議な猫だった。その身にふわふわとした闇をまとい、ふわわふわとした手足を揺らして、猫は菜乃花の胸の中にとぷんと潜り込んだ。

 

 どくん、と。心音が、ここまで聞こえたような気がした。

 菜乃花は胸を抑えてうずくまる。

 猫の姿はない。

 それはもう、菜乃花の中に消えてしまった。

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