保健室のベッドで、目を覚ました。
次第に意識が覚醒へと移りゆくと、世界は徐々に解像度を増していく。居心地が良い微睡みにもう少し浸っていたかったけれど、周囲の気配がそれを許してくれそうにない。
まだ眠たげな体に命令を出し、無理やり体を引き起こす。
無理をした影響はすぐに出た。ぼんやりとした頭は前後の記憶を繋げてくれない。何があったのか、どうしてここにいるのか。思い出すのは難しい。
「起きたっち?」
私が目を覚ますと、れくたが目の前に飛んでいた。
なんだか、こんなシチュエーションにも見覚えがあるような。
「調子はどうっち? 痛いとことかあるっち? 世界、滅ぼしたくなってたりしないっち?」
矢継ぎ早に繰り返される質問も、眠い頭には素直に入ってこない。とりあえず様子を聞かれているのだと判断して、思ったことをそのまま答える。
「おなかすいた……」
「よし。問題なしっちね」
保健室の窓から差し込む西日はだいぶ傾いていた。遠くからは今日の献立部活動を締める挨拶なんかも聞こえてくる。
下校してから今に至るまでの記憶がない。私はさっきまで何をしていたのか。覚えていないような、いるような。
「あの、れくた。何が、あったんだっけ」
「悪いっちけど、質問はまた今度っち。とりあえず無事ならそれでいいっち。僕もすぐに現場に戻らないといけないっちから」
「現場……?」
「今回は派手にやってくれたっちからねぇ。現場総動員で隠蔽しないといけないっち。それじゃほろびちゃん、また後でっちー!」
言うが否や、れくたはすぐに飛んでいってしまう。それを見送って、私は一人で頭をひねった。
前に認識調整された時とは少し違う感覚だった。あの時はまっさらになった頭に偽の記憶が植え込まれていたけれど、今は違う。記憶のある部分を私の頭が拒絶しているような、そんな感覚だ。
本当は覚えているはずだ。だけど、思い出したくない。思い出そうとすれば、頭がぼんやりと抵抗をはじめる。
その時、間仕切りのカーテンが勢い良く引かれた。顔が怖い男の人。反射的に体がびくりと跳ねる。
「おい。目、見せろ」
私の反応など一切構わず、鮫田先生は顔を寄せた。
片手で私の頭を固定し、もう片方の手で私の瞼を開く。じろりと目を見て、それが終わったらもう片目も。手つきには一切容赦がなく、このまま取って食われるんじゃないかって気もしてくる。
迫力のあるご尊顔。ほのかに漂う汗の匂い。きっと私は顔が引きつっていた。
少しして先生は顔を離す。そして、唐突に切り出した。
「覚えてないのか?」
「……へ?」
「そうか。まあ、そうなるか」
そこで先生は思案をはじめる。相変わらずの怖い顔で腕組みをすると、なんだか妙な圧がある。
この人でも悩むことってあるんだな、なんて思っていたその時。
巌のようなチョップが頭に振ってきた。
「~~~~~っ!」
「どうだ。思い出したか」
「叩いて直るわけないじゃないですか!」
「電化製品ならこれで直るんだが」
「え、なんで?」
「そういや最近のガキって、テレビとか叩かねえんだっけ」
薄型テレビの時代だもんなあ、なんてことを先生は呟く。何を言っているのかわからないが、私は頭を抑えながら必死になって記憶を手繰った。
強引に与えられた外的刺激は、少なくとも眠っていた脳みそを叩き起こす効果があった。それに伴い、霞がかっていた記憶が急速に鮮明になっていく。
やる気になった脳みそは、断片的な記憶を一つの光景へと繋げていく。
ええと、確か。放課後に私は、天海先輩と街に遊びに出かけて、そこに怒った菜乃花がやってきて、揉めているうちに“敵”が出てきて……。
よし、いいぞ。いい調子だ。眠っていた記憶が芋づる式に掘り起こされる。一度弾みがつけば、後はもう止まらない。
そのまま順調に、忘れて いた 記憶 を
思い 出 して
「なんで」
止まらなかった。
一度歯車が噛み合えば、後はもう、行き着くところまで行き着くだけだった。
「忘れたままで、いさせて、くれなかったんですか」
思い出してしまった。
あの時の感情も。
あの時抱いた衝動も。
あの時私がしたことも。
全部、思い出してしまった。
「他のやつなら、それでもよかったんだがな」
先生は腕組みをする。
「夜空。お前には強さがいる」
「強さ……?」
「まずは自覚しろ。目を背けるな。自分がどういうものなのか。自分に与えられた力がなんなのか。選ぶのはその後だ」
それは、私には酷な宿題だ。
自分がどういうものなのかなんて、これ以上自覚したくない。私は何者でもないんだから。そんな事実を今さら確認してなんになる。
与えられた力なんかもっと知りたくない。変身した私は私じゃなかった。なんとしても世界を滅ぼさなければならないという、強烈な使命感に衝き動かされていた。それが意味することなんか知りたくもない。
「逃げていいって。投げ出していいって、言ったじゃないですか」
「ああそうだ、逃げていい。でもな、自分が何に背を向けたのかはきちんと知っておけ」
「知ってどうなるんですか」
「選ぶことができる」
答えはすぐに返ってくる。
「いいか夜空。衝動に呑まれず、怒りや恐怖に流されず、自分が正しいと思ったことを貫くのは簡単じゃない。後悔しない選択をするには強さがいる。お前に必要なのはそういう力だ」
意味を咀嚼するのに、少しの時間が必要だった。
「どういう、意味ですか?」
「たとえばお前、もし今この瞬間に大怪獣がやってきたらどうする?」
「戦います」
「どうやって?」
「え、と。殴るとか、蹴るとか」
「そんなんでどうにかなるわけねえだろ」
「じゃあ……」
だんだんと先生の言いたいことが見えてくる。
もしも、なんてのは仮定じゃない。実際に起こりうる想定だ。私たちが巻き込まれているのは、そういう事態なのだから。
きっと私は戦おうとするだろう。だって、世界は守らなきゃいけないから。
それでももし、夜空ほろびの力じゃ太刀打ちできなかったら。
そうなった時、私は。
「……変身、するかも、しれません」
「本当に?」
先生は重ねて問う。
「本当にそれで後悔しないか?」
わかっている。
私が変身すれば、きっとまた今日みたいなことが起こる。
「…………でも」
だからって、私は止まれるだろうか。
目の前に倒すべき敵がいるのに、変身に頼らずにいられる強さは私にあるだろうか。
戦わない強さは私にはあるだろうか。
「いつかお前は、その力の扱い方と、お前自身のあり方を問われる時が来る。その時に後悔しない選択をするには今のお前じゃ力不足だ」
先生の言い分はどちらにも取れた。
戦えと言っているようにも、戦うなと言っているようにも。どういう答えを求められているのか、私にはわからない。
あるいは、決まった答えなんて最初からないのかもしれない。
「私は、戦ってもいいのでしょうか」
「ダメだっつったらやめるのか?」
「……それは、わからないですけど」
「それでいい、自分で決めろ。誰に言われたからじゃねえ。押し付けられた使命なんか忘れちまえ。お前はお前が正しいと思ったことをやれ」
使命とか、正しさとか。
なんのために戦うのか、とか。
まったく順序が逆だった。先にこんな馬鹿げた力を与えられて、後からその理由を考えるなんて。
だけどきっと、これもやらなきゃいけないことなのだろう。
だって私は、魔法少女なのだから。
「まあ、色々やってみろよ。間違えたっていいぞ。そん時は止めてやる」
それが、次の宿題ってことらしい。
もちろん逃げていいのだろう。投げ出していいのだろう。だけど、戦ったっていいのだろう。それで後悔しないなら。
自分のあり方と、この力との向き合い方。先生の宿題はいつだって難しい。
「……ずるいですよ」
一方で、私は知っていた。
目の前にいるこの人が、私にはそんな自由を許しながら、誰よりも使命のために戦っていることを。
「先生はヒーローのこと、呪いだって思ってるくせに」
「知らなかったか? 大人ってのはずるいんだ」
「だったら、私だって」
「お前にはまだはええよ、ガキ」
鮫田先生は大きな手を私の頭に置いて、ぽんぽんと軽く叩いた。
なんだか子ども扱いされているみたいでムカついたけれど。
……子ども扱いされているみたいで、ちょっとだけ安心もした。
「後はあれだ。あいつらときちんと話し合っとくように。悪いと思ってんなら謝っとけ。まあでも、あんま深刻に考えんじゃねえぞ」
「先生って事情知ってるんですっけ?」
「いや、知らん。でも目見りゃ何があったか大体わかる」
「なんですかそれ」
「お前も大人になったらできるよ」
そうかなぁ……。
この人を見ていると、大人とか子どもとかそういうので割り切れないくらいの隔絶した何かを感じてしまう。夜空ほろび十四才。あと四年かそこらでこうなれるとはにわかには信じがたい。
「だせえとこの一つや二つ、抱えてんのが人間だ。お前だって人の弱さを許してきたんだろ? たまには許される側も味わっとけ」
言うだけ言って、先生は私に背を向けた。授業はそれで終わりらしい。
突然にあらわれて、何もかもを制圧して、用が済んだら去っていく。相変わらずというか、なんというか。
……これだからヒーローってやつは。
「先生。ありがとうございました」
「ああ。暗くならねえうちに帰れよ」
「先生の弱さも、今度教えてください」
意趣返しのつもりで言ってみる。扉の前で振り向いた先生は、軽く鼻で笑った。
「もう少しでかくなってから言え、アホ」
……残念。
今度こそ先生は保健室から去っていく。それから少しして、二人の少女が保健室に入ってきた。一人はそろそろと様子を伺うように、もう一人は何の遠慮もなくお気楽に。
「よーぞーらーくん?」
遠慮のない方が、ベッドに座る私の顔をにこにこしながら覗き込んだ。
「いいかね、夜空くん。あまりそう思い詰めるものではないよ。君は君でいいんだ。そうさ、私たちは誰だって特別なのだから」
「うるせえです」
「夜空くん!?」
天海先輩のそれが善意であることはわかるけれど、あんまり触れてほしくなかった。
確かに私は何者でもないけれど、普段はそこまで思い詰めているわけではない。あの時私がああなったのは、大体ほとんど黒猫のせい。つまりは敵のせいであり、ひいてはれくたのせいだ。
まあでも、私がそんなコンプレックスを抱いた元凶は、そこでもじもじとしている“特別”であり。
そんな特別な彼女は、私になんと声をかけたらいいものか今も迷っているようだった。
「あ、あのね、ほろびさん……!」
真っ赤な顔で、彼女は弾みをつけて訴える。
「それでも菜乃花は、ほろびさんのことが、大好き……! だ、から……」
威勢がよかったのは最初だけ。途中からどんどん尻すぼみになっていって、最後の方なんか霞んで消えてしまった。
普段の菜乃花は引っ込み思案なところがある。思いの丈を欲望のままにぶつけるなんて、そっちのほうがこの子らしくないのだ。
「大丈夫だよ。私も菜乃花のこと好きだから」
「ほ、ほんと……?」
嘘ではない。菜乃花のそれとは意味合いが違うだけで。そのズレをわざわざ確認しようなんてことは、きっとしないほうがいい。
この子が私に向ける本当の気持ちも、私がこの子に向ける本当の気持ちも。どちらもうやむやにしてしまうくらいが、ちょうどいいのだ。
さて。
「二人とも、今日は大変ご迷惑をおかけしました」
頭を下げる。悪いとは思っているので。
「えっと……。ほろびさん、その」
「まあ、たしかに大変な感じだったけどね」
菜乃花も天海先輩も、二人揃って微妙な顔をしていた。謝罪よりも説明がほしい、という顔だ。
それはそうだろう。この二人は私の身に起きたことを知らないのだから。
「それから、もっと迷惑をかけるかもしれないんだけど……」
切り出してから少し迷う。
説明責任はあると思う。しかし、巻き込んでしまってもいいのだろうか。とうに巻き込み済みではあるはずなのに、そんなことを今さら思う。
天海先輩はまだいい。だけど、菜乃花は。この子を巻き込むのは、本当に正しいことなのだろうか。
先生が言っていた通りだった。選択をするには強さがいる。弱い私はこの期に及んで迷ってしまう。
「ほろびさん」
そんな逡巡を、知ってか知らずか。
自然な足取りで距離を詰めた菜乃花は、包むように私の手を取った。
「迷惑なんて、思ったことないよ?」
……やり返されたのだろう、たぶん。
私も菜乃花に似たようなことを言った覚えがある。だからきっと、そういうことだ。
許される側というのは思ったよりも気恥ずかしかった。私ってやつはこんな小っ恥ずかしいことをやっていたのか。顔が熱くて、菜乃花の顔をまともに見られない。
それでも、まあ。そういうこと、らしいから。
「二人に、話したいことがある」
さて、どこから話そうか。
魔法少女のこと。敵のこと。撮影のことも話してしまっていいだろうか。それから鮫田先生のことも話したいけれど、天海先輩はブラスター・スパークの正体が鮫田先生であることを知らないんじゃなかったか。
いざ話すと決めたら、これがなかなか難しい。それでも正しい選択ができた感触があった。鮫田先生から出された宿題はどれも難しいけれど、ようやく一つ解けた気がする。
一人になるな、って。
そう言われていたから。