悩んだ末に、もう少しだけれくたは生かしておくことにした。
撮影は止められない。来週になったらロケがはじまる。それはつまり、次の敵があらわれるということだ。
その点れくたは情報を持っている。敵が現れる場所も、時間も。その情報的価値こそが、れくたを殺さないたった一つの理由だった。
「あ、あの、ほろびちゃん……?」
「なに?」
「本当に、撮影に協力してくれるっちか……?」
朝。痛む右足を庇いながら通学路を歩く私のそばを、れくたはそろそろと飛んでいた。
彼の姿は他の人には見えないし、声も聞こえないらしい。端から見る分には、私が独り言をしているように見えるはずだ。
「撮影に協力するんじゃない。敵が来るなら、倒すだけ」
「ぼくとしてはすごく助かるっちけど……。でも、変身できないほろびちゃんじゃ無理があるっちよぉ……」
「関係ない」
最初に思っていた構図とは、随分違った。
魔法少女なんてものはフィクションで、すべては仕組まれたことで、私に期待された役割は演目の中で踊る道化で。
それでも、この世界に敵が来るということだけは、揺るぎないリアルだから。
「だって、世界は救わなきゃ」
この胸に宿った純色の使命感。それは今も穢れ一つなく、澄んだまま私を衝き動かす。
何かがこの世界を襲うなら、私はそれを倒さなければいけない。その一点だけは、どうしても譲れないものだった。
「今日もほろびちゃんは、魔法少女レベル100っちねぇ」
「どういう意味?」
「褒めてるっちよ。一応は」
れくたはふわりと周りを飛んで、私の肩に留まった。
ちょうど昨晩怪我をしたあたりだ。不快な痛みに顔をしかめて、害獣を肩からはたき落とす。
「ちー!」
ぽてんと地面に転がるれくた。そのままいなくなってしまえばいいと思ったが、れくたはふよふよと飛んで追いかけてきた。
「あとは変身さえできれば、完璧な魔法少女になれるっちのに……。つくづく惜しいっち」
「あのなぞなぞ、れくたが解くわけにはいかないの?」
「それはダメっち。今シリーズには『難しい問題も自分たちで解決する』ってコンセプトがあるっち。友だちに聞くのはアリっちけど、ぼくが隣で答えを教えたらセキュリティがイレギュラーを感知して変身シークエンスがシャットダウンされるっちよ」
「……?」
「えっと、変身が失敗しちゃうって意味だっち」
黙ったまま首を傾げると、補足が入った。横文字はちょっと苦手だ。
「そういえば中学生だったっちね。ほろびちゃん、難しい話でもするする飲み込むし、たまに大人と話してるような気になってくるっち」
「そんなことないよ」
本当にそんなことはない。難しい話をされると、わからない時も結構ある。
ただ私の場合、あんまり顔に出ないのだ。夜空ほろびの表情筋は多彩な変化を苦手としている。それでその場を乗り切って、後で言葉の意味を調べるところまでが一つのルーチンだった。
「とにかく、カンニングはダメっちよ。答えを調べるのもダメだっち。変身するには自力で解くしかないっちねー」
「なんでそんなめんどくさいシステムにしたの」
「ぼくがやったことじゃないっち。すべては教育団体からの突き上げっち。現場の人間なんて、所詮は御用聞きに過ぎないっち……」
しょぼしょぼと飛ぶれくたの背には、えもしれぬ哀愁が漂っていた。
時々、お父さんがあんな感じの背中で帰って来ることがある。お父さんだったら肩でも揉んであげるけれど、れくた相手にそんな気にはなれない。
「じゃあ、どうやって倒そうかな……」
とにかく、魔法少女の力は使えそうにない。次も生身でなんとかしなければいけないってわけだ。
それでもやりようはあるとは思う。結局のところ変身というのは一つの武器に過ぎないから、それに代わる武器があれば済む話だ。
あるいは、他に手があるとしたら……。
「ねえ、れくた。一個思いついたんだけど」
「なんだっち?」
「次の敵さ。警察に通報していい?」
「ちっ……!?」
れくたは耳と尻尾をピンと伸ばした。
「な、なんてこと言うっちか……!?」
「だめだった?」
「ダメっちダメっちダメに決まってるっち! 警察に頼る魔法少女なんて前代未聞だっち!」
「だって変じゃん。世界の危機なのに、中学生が一人で立ち向かうなんて」
「それはそうっちけどー! 世の中には暗黙の了解ってやつがあるんだっちー!」
私は
「え、ええとっちね。ヨーマはすっごく強いから、魔法少女じゃないと倒せないっち。普通の人間じゃ無理だっち!」
「錆びた棒で刺すだけで、結構殺せそうだったよ?」
「それは、その……。そ、そうだ! ヨーマの姿は魔法少女にしか見えないっち! だからやっぱり、魔法少女じゃなくちゃだめだっち!」
「魔法少女にならなくても見えてたじゃん」
「い、いや、実際には見えるっちけど、そういう設定になってて……」
「じゃあ、警察呼んでなんとかしてもらおうよ」
「そんなことされたらアニメにならないっちー!」
フィクションの織り手ってやつは大変そうだ。いつだって設定の整合性に苦しんでいる。
ただまあ、撮影なんてものにまるで興味のない私からすれば、関係のない話だった。
「真面目な話、ヨーマ……というか撮影用異星生物の存在が公になると、社会的な影響が撮影計画の想定を大幅に超過するっち。ロケ地惑星の社会に不健全な負荷をかけるのはぼくとしても本意じゃないっち! 隠蔽コストも跳ね上がるっちし、完全な原状復帰ができなくなっちゃうかもしれないっち!」
「えっと……。れくた。ちょっと、難しい」
「あー! そうっちよね! 中学生だったっちね! ごめんっち!」
あんまり難しい話をしないでほしい。理解しようとはがんばるけれど、大変なのだ。
「とにかく! とんでもないことになるから、警察を呼ぶのはやめてほしいっち!」
「あ、それはわかるよ。隠蔽体質ってやつだよね」
「なんと言ってくれても構わないっちから、通報だけはほんとのほんとに勘弁してほしいっちー!」
全力の懇願だった。よっぽどまずいことになるらしい。
まあ、そこまで頼まれたら、もう少し他のやり方を探してみようかって気にもなる。やらないとは言わないけれど、最後の手段として取っておいたっていい。
「じゃあ、他の人に助けてもらうのは?」
「だから、通報は本当にだめなんだっちぃ……」
「そうじゃなくて」
思い出すのは、昨晩助けてくれたあの人だ。
奇妙な武装に身を包み、人知を超えた力を振るって、ただの一撃で敵を屠ったあの男。
あの後、名乗りもせずにどこかへと行ってしまったけれど、たなびくマフラーの赤さはよく覚えている。
「昨日の人探して、手伝ってもらおうよ」