「演劇部? ないわよ?」
そして、私たちのヒーロー探しは早々に行き詰まった。
部室棟――というのは俗称で、正しくは特別教室棟――を上から下まで全部探しても演劇部が見つからず、いよいよ職員室で聞いてみた結果がこれだった。
「数年前まではあったらしいけどねえ。部員不足で、潰れちゃったんだったかな?」
「……そうですか」
担任の先生が人ごとのようにほんわかと並べる言葉に、正直に言って落胆を隠せなかった。
ないのか、演劇部。たしかにこの学校に通って一年ちょっと、そんな部活動の噂を聞いたことはないけれど。
「まあ、時代っちね。ただでさえ少子化と教員不足にあえぐ中、娯楽もどんどん多様化していって、部活動に打ち込むだけが青春じゃなくなったっち。家に帰ってゲームか動画。これが令和の最新メタっちよ」
私が落胆していると、側でふよふよ飛んでいるやつから、いらない補足情報が飛んできた。
「いずれは部活動そのものを廃止するようになっていって、舞台装置としての部活動が創作の中だけで生き続ける未来が訪れるかもしれないっち。それでもスポ根にはいつの時代にも響く強いメッセージ性があるっちから――ちっ!?」
うるさかったのではたき落とした。今まったく関係ないし、今を生きる中学生にとっては本当にどうでもいい話だった。
「夜空さん? どうしたの?」
「いえ、虫が」
「む、虫っち……!?」
なお、れくたの姿は担任の先生には見えていない。こいつをどう扱おうと、私が罪に問われることはない。
「それにしても、夜空さん。あなたが演劇に興味を持つとはね」
担任の先生はにこにこと微笑んでいた。
別に私は演劇に興味があるわけではないのだけど。本当のことを言うとややこしくなるので、曖昧に頷いておく。
「よかったら作ってみる? 部員を集めてきたら、申請できるわよ」
「いえ。そこまでやる気はないです」
「冷めてるわねぇ……。じゃあ、先生のお知り合いに劇団があるから、紹介しよっか?」
「そこまでやる気もないです……」
用があるのはヒーローであって、演劇ではない。ただでさえ私は魔法少女の成り損ないを演じるだけで精一杯だ。これ以上他のなにかになろうなんて、これっぽっちも思わなかった。
「なら……。そうだ!」
先生はぱちんと手を叩く。もう大丈夫です、とはなかなか言い出せなかった。こうも善意を発揮されてしまっては、粛々と受け取るのも生徒の仕事だ。
「高等部なんだけど、演劇部を作りたいって子がいるの。一度話してみるのはどう?」
「高等部……?」
一度は途絶えた可能性が、繋がった気がした。
この学校の生徒で、演劇部志望。自分で部活を作ろうってからには、演技の腕に覚えもあるのかもしれない。
それにあの時見たヒーローの背格好は、明らかに中学生のそれではなかった。その点高等部の生徒であれば合点もいく。
「ちょっと待ってね。たしか……」
返事も待たずに、先生はラックから資料を引き出してぺらぺらとめくりだす。ややあって、先生は資料から顔を上げた。
「高等部一年C組、
*****
「当たりっちね。間違いなく」
職員室から出るや否や、れくたは確信的に頷く。周囲に人気がないことを確かめてから、私は彼に囁いた。
「まだわからないと思うけど」
「いいや、ここまでくれば百%っち。勝ち確演出入ってるっち」
「かちかくえんしゅつ……」
胡乱な言葉を反復してみる。まあ、その、よっぽど確信があるって意味だろう。
「名前っちよ、名前。登場人物には特徴的な名前が与えられるものだっち。なんたって、覚えてもらわなきゃ困るっちからね。特に名字に天とか神とかいう字が入ってると、重要人物率は一気に跳ね上がるっち」
「何それ。名前は名前でしょ」
「夜空ほろびが言うっちかねぇ」
ちょっとむっとした。私の名前は、お父さんとお母さんがくれた人生最初の贈り物だ。そこになんだかよくわからない理屈をつけられるのは、聞いていて面白くない。
「それに加えて結城っちよ? 読みを変えれば勇気。ヒーローモノの主人公につけられるには、古典すぎるほど王道っち。これでヒーローじゃない方がおかしいっち!」
「あっそ……」
名前一つでなぜそこまで言い切れるのだろう。私にはわからなかったが、どのみち確かめればいいだけの話だ。
北館二階にある職員室に背を向け、東館にある高等部の教室を目指す。六限が終わってから三十分。帰宅部ならとうに帰っている時間だけど、天海先輩はまだいるだろうか。
高等部の入口にある、開け放たれた防火扉の前で一度立ち止まる。身だしなみを整えてから、軽く深呼吸。
「……よし」
「どうしたっち?」
返事はしない。頬をぺちぺち叩いてから、むんと一歩を踏み込んだ。
「もしかして、緊張してるっち?」
「……別に。してない、けど」
「してるじゃないっちか」
私たち中学生にとって、東館とは危険地帯を意味している。なんたってそこは高校生の縄張りなのだ。
中学生と高校生の間には生物として決定的な違いがある。背の高さがまず違う。廊下ですれ違うだけでも圧迫感があるし、口を開けば声変わりしきった低い声が見上げるほどの高さから降ってくる。向かい合うたびに妙に緊張してしまうのは、きっと私だけではないはずだ。
どだい子どもの社会というやつは、大人が思うよりもはるかに原始的にできているのだ。体が大きいやつはえらい。足の速いやつはすごい。そんな小学校から引きずってきたルールが抜けきっていない身からすれば、高校生とは自分よりも体の大きな獣に他ならない。
取って食われるわけじゃない、ということはわかっている。しかし彼らがその気になれば、取って食うことは簡単だ。そういう生き物の巣にへらへらしながら踏み込めば、隣のクラスの田島くんのように、人気のない教室に連れ込まれてガン詰めされたっておかしくないのだ。
「それはその、田島くんが悪かっただけじゃないっちかねぇ……」
れくたに小声で説明したら、呆れ混じりの感想が帰ってきた。
「でも、ほろびちゃんにも怖いものってあるっちね。昨日戦ったヨーマの方が、ずっとずっと怖かったと思うっちけど」
「だってあれは、殺してもいいやつじゃん」
「うーん、危険思想」
なるたけ廊下の隅っこを歩きつつ、高等部一年C組の教室を目指す。
東館を歩く生徒の数はまばらだ。ほとんどの生徒は帰るか部活にいったらしい。くだんの一年C組の中を覗き込んでも、ぱらぱらとしたグループが残っているだけだった。
「あ、あの……」
私が呼びかけると同時に、教室中央の男子グループから大きな笑い声が上がった。
手をたたき、机をたたき、腹の底からげらげらと声を出しての馬鹿笑い。突然の大騒ぎに、覗き込んでいた首を思わず引っ込めてしまう。
「大抵下ネタっちね。ああいう時は」
れくたが言う。あらためて中を伺うと、教室の片隅にいる女子のグループが彼らに冷たい目を向けていた。だから、まあ、そういうことなのだろう。
とにかく、出鼻をくじかれてしまったけれど。
「すみません!」
気持ち大きな声を出すと、私の声は思った以上に教室内に響き渡った。
最初に反応があったのは、ついさっき大盛りあがりしていた男子グループだ。四人の男子高校生たちが、ゆるんだ口のまま一斉に私に目を向ける。
八つの瞳と一斉に目が合う。頭上に疑問符を浮かべた彼らは、口々に呟いた。
「おー……?」
「中学生?」
「しかも女子だぞ」
「なんでこんな掃き溜めに……?」
困惑しているようだった。あと、観察されていた。頭の天辺から爪先まで、ためつすがめつ。
遠慮のない視線がぶすぶす突き刺さってくる。怯みそうになる心を、ぐっと奮い立たせた。
「あの。おたずねしたいことが、ありまして」
緊張半分に絞り出した言葉に帰ってきたのは、またもや微妙な反応だ。
「喋った……」
「喋るぞこの中学生……」
「最近の中学生って喋るのか……?」
「マジかよ、信じらんねえ……」
喋るだろそりゃ。なんだと思ってんだ。
私は緊張しているし、彼らは彼らで私という闖入者を持て余しているらしい。事態はさながら、ファースト・コンタクトの様相を呈しつつある。
なぜ人探しをしに来ただけで、ファースト・コンタクトがはじまるのか。学生社会は時々神秘的だ。
「よし。ここは俺が行こう」
そんな混沌を打ち破ったのは、彼らの中の一人だった。
「おい、お前正気か?」
「相手は中学生だぞ? つついたら死んじまうかもしれねえ」
「任せとけって、うちは猫飼ってんだ。小動物の扱いなら慣れてる」
「慎重にな。小せえけど蹴っ飛ばすなよ」
混乱する男子高校生たちの真剣(?)な作戦会議に、私は平静を取り戻しつつあった。
なんとなくわかった。たぶんこいつら、バカなんだ。猫と中学生の見分けがつかないくらいには。
「よう。どうした中学生」
やがて、ポケットに手を突っ込んだ先輩がやってくる。
なお、屈んで目線をあわせるなんて気遣いはなかった。別にしてほしかったわけでもないけれど。
「えっと、人を探しているんですけど」
「誰だ?」
「一年C組の、天海結城せんぱ――」
「天海ー! 妹来たぞー!」
最後まで聞きもせず、先輩は教室内に大きな声で呼びかける。突然目の前で大きな声を出されたので、少しだけ肩が跳ねた。
それに反応したのは、教室の片隅で話していた女子グループの一人だ。
「えー? うち、妹なんていないけどー?」
染めたというより、最初からその色で生まれてきたような明るい金の長髪。光の当たり方によっては蜂蜜色にも白っぽくも見えるそれが、立ち上がるとともにさらりと流れる。
女子にしては背の高い先輩だった。長い脚が机の間をかき分けるたびに、モデルめいた気品が漂いだす。優雅で、軽やかで。ただ歩いているだけなのに、自然と目が吸い寄せられた。
洗練された一挙一動に、思わず見惚れてしまっていたのかもしれない。気づいた時には、彼女は私の前に立っていた。少し屈んで目線をあわせ、ほがらかに笑いかける。
無邪気さと理知的な魅力が上手にミックスされた、人の心を溶かす微笑。花壇に咲く花々のような、何一つ拒絶しない柔らかな微笑み。
だと、思っていたのだけれど。
「え、ちっさ」
「……へ?」
背丈を測るように、彼女は私の頭に手を乗せる。
ほがらかな笑みをさっと取り下げて、先輩は私を観察しはじめる。代わりに浮かんできたのは別種の笑みだ。瞳はきらきらと純粋な輝きを帯び、口元は自然に弧を描いている。
例えるならば、それは。
ペットショップで子猫を見つけた少女のような。
「やっぱうち、妹いたかも」
背筋にぞくりと寒気が走る。
もしかしたら、本当に取って食われるかもしれない。本能的な部分が、そんな危機感を訴えていた。