今週の魔法少女は事情により変身できません   作:佐藤悪糖

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『天海結城』

 ステージの上で少女が舞う。

 体育館の壇上で、天海先輩は強く一歩を踏み出す。床板が軋み、ゴム底が滑りを止める。それが開幕の合図だった。

 

 あわせて敵役の男が走り出し、拳を振り上げる。俊敏に身をかがめる天海先輩。わざとらしいほど大ぶりの拳が、先輩のいた空間を通った直後、くるっと回った天海先輩のローキックがすぱっと空を裂いた。

 

 ステージの下から見ている私にとっては、どう見ても当たっている角度だった。風切り音が聞こえたし、打撃音も聞こえたような気がする。しかし実際には紙一重で当たっていないのだろう。敵役に扮した彼は、一瞬何をされたのかもわからずに戸惑い、それから思い出したようによろよろと後ずさって、仰向けに倒れた。

 

 今度は別の方向から男が走ってくる。背後からの奇襲と、ボクシングめいたワンツー。天海先輩は一撃目をスウェーで避け、二発目を互いの腕を交差させて押し留める。そして空いた腕で拳をぎゅっと固め、男の腹を殴りつけた。

 

 着弾と同時に踏み鳴らした足が、打撃音のように重々しく響く。そして敵役の男は、勢いよく後ろに吹っ飛んで背中から転がった。

 実際には当てていないはずだから、あれは彼が自分で飛んだのだと頭ではわかる。しかし直感は違う。私の感覚は、先輩が凄まじい力で彼を殴り飛ばしたのだととらえていた。

 

 壇上を駆ける天海先輩は、まるで別人だ。

 

 動きの一つ一つにキレがある。静がある。動がある。緩と急を自在に操り、その二つをジグザグと行き来してはあまねく視線を惹きつける。

 彼女が走れば、張り詰めた空気が引き裂かれる。彼女が飛べば、期待感も高揚する。口元を引き締めればはらはらとさせられるし、笑みを浮かべれば安堵が胸に湧いてくる。

 

 ステージの上を舞う彼女は、役者で、主演で、スターで。

 そして、何よりもヒーローだった。

 

「すごい……」

 

 台本が終わる。演技が終わる。それとともに、天海結城が戻って来る。名もなきヒーローから、一人の女子高生に。

 気づけば私は拍手をしていた。賛辞を伝える術をそれしか知らなかったから。もし他に手があれば、きっと迷わずそうしていた。

 

 手を叩いているのは私だけではない。体育館で部活動をしていたバレー部も卓球部も、気づけば練習の手を止めて天海先輩のショーを見ていた。近くには顧問の先生もいたが、それを咎める声はなかった。

 

「やー、どうもどうも。すみませんね、お騒がせしちゃって」

 

 気さくに笑いながら、天海先輩が壇上から降りてくる。それとともに、先輩が支配していた緊迫感が霧散する。

 魔法めいた引力が嘘のように消えて、突然に弛緩した空気に、どこからか笑い声が上がった。

 

「どうだった?」

 

 天海結城は只者ではない。

 この二分間、彼女は紛れもないヒーローだった。何をどうしたらそうなるのかまるでわからない。私が知っている“演じる”という行為とは、明らかにレベルが違う。

 

 スイッチひとつで別人に成り変わる演技力。感情をそのままリンクさせる表現力。視線を惹きつける天性の魅力。

 この人は、役者だ。

 

「おーい? どうしたー? 後輩、戻ってこーい」

「あ、えと」

 

 気づけば先輩は、私の前でふりふりと手を振っている。

 うっすらと汗ばむ彼女の頬。その汗すらも眩しく見えて。

 

「本物、ですか?」

 

 思うままに口走ってから、随分間の抜けたことを聞いてしまったことを恥じる。

 天海先輩は、茶目っ気に片目を閉じて指を立てた。

 

「実はね。内緒だぜ?」

 

 本当、なのかもしれない。

 もしかしたら、ありえるのかもしれない。この人が昨夜のヒーローなのかもしれない。

 

 才能なんて言葉に押し込めてしまうのが忍びないくらいの、凄まじい演技力。その力の前では、性差なんて些細な問題のように思えてしまう。

 事実、この人だったらできるのだろう。あの時のヒーローのように演じることも。

 

「たしかにその線はあるっちね……。スーパーヒーローの素顔は女の子だったとか、まさにギャップの基本っち。意外性なんてあればあるだけいいっちから」

 

 れくたには黙っててほしかった。

 せっかく感動してるのに、変に分析しないでほしい。なんというか、汚れるのだ。私が感じた等身大の感動が。

 

「よかったら、夜空さんもやってみる?」

「え、いや。私は」

「大丈夫大丈夫。簡単だって」

 

 天海先輩は、私の手を壇上に引いていく。

 ステージの上では四人の敵役、もとい男子高校生たちが座ったまま息を整えていた。

 

「は? 次は中学生がやんの?」

「マジで? やばくねえか?」

「おいお前ら、怪我させんじゃねえぞ。絶対だ、絶対」

「で、でも、踏み潰しちゃったらどうしよう……」

 

 彼らは天海先輩が連れてきた同級生だ。ついさっき、私とファースト・コンタクトを演じたバカたち――じゃなくて大型犬――でもなくて、先輩方である。

 相変わらず的はずれな心配をしているあたり、悪い人ではなさそうだけど、そろそろ猫と中学生の違いに気づいてほしい。

 

「かるーく小突けば、あいつらいい感じに吹っ飛んでくれるから。面白いよー?」

「いやあの、そうじゃなくて」

「あ、そっか。その服だとちょっとあれか。体操服貸そっか?」

 

 先輩はスカートの下にショートレギンスを履いている。私もさすがにあれをやるなら多少の装備はほしいというか、いやそういうことでもなくて。

 天海先輩はにこにこと私を引っ張っていく。このままでは大型犬の群れに放り込まれてしまう。かといって、モルモットにはゴリラを止める術などない。

 

 誰か助けてほしかった。しかしヒーローがゴリラになった今、私は誰に助けを求めればいいのだろう。

 そんな祈りが、届いたのかどうかはしらないけれど。

 

「おい天海。何やってんだお前」

「げっ」

 

 折良くあらわれたその人は、強制力の化身のようだった。

 肘までまくられたワイシャツ。パリッと糊の効いたスラックス。刺々しい攻撃的なベリーショート。吊り上がった鋭い目つきから放たれる、容赦のない迫力。

 

 威圧感を惜しみなく放ちながら、彼はズカズカと大股で近寄ってくる。事実威圧しているのだろう。大きな音でもないはずなのに、その足音は地響きのように体育館に響き渡る。

 

 中学生がモルモットで、高校生がゴリラなら。

 先生というのは、怪獣だ。

 

「お前ら、体育館の使用許可取ってんのか。ああ?」

 

 ガンもつけるし威圧もする。先生というか、ほぼヤクザだ。彼の手に竹刀が握られていないのが不思議にすら思えた。

 私からすればあまりにも鮮烈なコミュニケーションだったが、天海先輩はそれをけろっとした顔で迎え撃つ。

 

「いやー……。ほら、ちょっとだけっすよ? ちょーっとだけ借りようかなーって」

「部活に迷惑かけてんじゃねえ。とっとと撤収しろ」

「はーい」

 

 天海先輩が大型犬たちに「てっしゅー!」と叫ぶと、それを合図にぞろぞろと引き上げ始める。こんな風に鎮圧されるのも、先輩方にとっては慣れっこのようだった。

 それを見て鼻を鳴らした怪獣……もとい先生は、今度は私に目をつける。

 

「おい」

「え、はい」

 

 声をかけられただけで、身がすくんだ。

 男子高校生とは明らかに風格が違う大人の男性。顔が怖い。極めて威圧的。凶悪な視線。ドスの利いた低い声。そして何より顔が怖い(二回目)。それが私を見下ろしている。

 強烈な暴力の匂いに、頭がくらくらとしはじめる。気を張っていなければへたりこんでしまいそうだ。

 

「お前どうした。あいつらになんかされたか?」

「い、いえ。なにも」

「座れ」

 

 言われるがままその場に座ると、片膝に屈んだ先生は私の体を手際よく調べ始める。あっちに触れて、こっちを捻って。そうしている内に、彼の手が私の右足を捉えた。

 

「痛っ……」

 

 昨夜捻挫した足を捻られて身が強張る。その瞬間、先生はさっと立ち上がって大きな声で怒鳴った。

 

「天海ィ!」

「へ?」

 

 さっきまでとは質が異なる、鋭い怒声。

 撤収作業を進めていた天海先輩も、何かあったのかと小走りで近寄ってくる。先生は彼女をギロリと睨みつけた。

 

「お前、中学生いじめてたんじゃねえだろうな」

「えー? いじめてないですよー?」

「嘘言ってんじゃねえぞ。ああ?」

 

 大変な誤解があった。いじめられていたわけではない。少々ゴリラにウホウホされそうにはなったけれど、それだけで大罪の濡れ衣を着せるのはあんまりだ。

 左足に体重をかけるように立ち上がって、私は先生に訴えた。

 

「あの、いじめられてないです。本当です」

「あ?」

「先輩には演劇部の案内をしてもらっていました」

「演劇部……?」

 

 先生は私を見て、天海先輩を見て、もう一度私を見た。

 

「お前、学年と名前は」

「中等部二年の、夜空ほろびです」

「現国の鮫田だ。夜空。明日職員室に来い」

「……はい」

 

 しょ、職員室に呼び出されてしまった……。しかも高等部の……。

 ついさっき高校生の巣に踏み込むという試練を乗り越えたばかりなのに、今度は怪獣のねぐらに行かなければならないらしい。なんだか今日は散々だ。もしかしたら厄日なのかもしれない。

 私が肩を落としていると、天海先輩がそっと寄り添う。

 

「夜空さん。私、ついていこっか?」

「天海、お前は来るな」

「えー?」

「話があるのはこいつだ。お前じゃない」

 

 私を挟んで、ゴリラと怪獣が争い出す。なんでもいいけど、できればよそでやってほしい。

 

「わかりましたけど、先生こそ夜空さんのこといじめないでくださいね!」

「ああ? なんだって?」

「鮫田先生顔怖いんだから、手加減してあげてくださいよ。この前だって一人泣かせてたくせに。私らはいいですけど、この子まだ中学生なんですから」

「あー……」

 

 鮫田先生はバツが悪そうに顔を背ける。

 この顔、やっぱり泣く人もいるらしい。まあ、それはそうだろう。

 

「いいからお前ら、とっとと帰れ。邪魔だ」

「はいはい、帰りますって。いこ、夜空さん」

「あ、はい。失礼します」

「鮫田先生、じゃーねー!」

 

 私は礼儀として頭を下げる。天海先輩はぶんぶんと手を振っていた。高校生ってのは無敵なのかもしれない。

 そのまま私たちが、体育館を去ろうとしていた時。

 

「はじまるっちよ、ほろびちゃん」

 

 ずっと静かにしていた、れくたが。

 

「最悪ってやつは、いつだって」

 

 そんなことを、呟いて。

 

「最悪にはじまるものだっち」

 

 体育館の中央に火柱が上がる。

 床板を突き破って吹き上がる朱と橙の螺旋。轟音とともに立ち上る火炎は天井近くまで達し、熱気が波となって押し寄せる。

 混じり合う焦げたニスと鉄の匂い。荒れ狂う熱と光に顔を覆う。

 

 火柱の中で、何かが動いた。

 炎が呼吸するように脈打ち、その奥から輪郭がせり上がる。紅炎をかきわけながらゆっくりと、黒い人影があらわれる。

 

 ボロボロの黒いロングコート。銀装飾に縁取られた黒塗りのガントレット、同じくグリーヴ。地獄の炎で鍛えたような黒い仮面。

 大柄な背丈よりも更に大きい漆黒の大剣が、炎の中で真横に閃く。渦を巻く火炎は吹き飛ばされるように消え去って、火の粉が壁に叩きつけられて散っていった。

 

 それでもまだ、肌は突き刺すような熱を感じている。

 黒い仮面の奥に、赤い瞳が揺れている。そこから滲み出る激しい怒りと憎しみが、焦がすような熱を放っていた。

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