今週の魔法少女は事情により変身できません   作:佐藤悪糖

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答:C14H22N2O.HCl

 で、あれは何。

 声に出したわけではないけれど、そういう意味の視線をれくたに送る。ふよふよ飛びながら、れくたはのほほんと答えた。

 

「ヒーロー番組のロケっちね。今日はこの場所この時間でロケの予約が入ってたっち」

「先に言え!」

「ちー!」

 

 はたき落とした。近くに天海先輩がいるけれど、はたかずにはいられなかった。

 

「だ、だって、ぼくが介入したらヤラセになっちゃうじゃないっちかぁ……。それにネタバレは大罪だっちぃ……!」

 

 本当にどうでもいい理屈だった。それに頭を使うのも嫌だったので、まとめて無視する。

 とにかくあの変なのは、ヒーローの敵ってことらしいけれど。

 

「うおおおおおおおおおおおらあああああああああああああああああ!!」

 

 変なのが、吠えた。

 空気が震える。体育館が揺れる。静止していたバレーボールが、彼から逃げるように転がりはじめる。

 それが合図だった。体育館に満ちていた困惑は、オセロのように恐慌に塗り替わる。誰かが大きな声で「逃げろ」と叫び、生徒たちは我先に出口に向かって走り出した。

 

「怪人っ……!」

 

 天海先輩は、それを憎々しげに睨みつける。驚いてはいるようだが、まったくの想定外ってわけでもなさそうだ。

 

 何がなんだかわからない時は、もっと受け止め方に戸惑うものだ。主体性を見失い、誰かの判断に流されるより他にない。しかし先輩は違った。明確に敵意を向け、臨戦態勢に入っている。目の前のあれは、倒すべき脅威であると認識している。

 彼女はこれを知っている。

 

「知ってるんですか?」

「あ、いや、えっと」

 

 たずねると、先輩はわかりやすく狼狽した。

 

「夜空さん、逃げて!」

「先輩は?」

「わ、私は……! 先に行って! すぐに追いつくから!」

「一緒に行かないんですか?」

 

 疑念を籠めて先輩の目をじっと見つめる。彼女の瞳はぴちぴちと泳ぎはじめた。

 

「察してあげるっち。ヒーローにはいつだって事情があるんだっち」

 

 至極真っ当なはずの私の疑問をれくたが諌めた。まあ、そういうことらしいけど。

 ただ、怪人某なる異常事態に反応するということは、先輩がそれの関係者であるということで。

 

「あ、そうだ。こういう時は途中まで一緒に逃げて、どこかで撒けば……!」

「聞こえてますよ」

「夜空さん、一緒に逃げよう! 大丈夫、絶対にはぐれたりしないから!」

「フラグ立てるのやめてもらえます?」

 

 なんだこの、とんでもねえ大根役者は……。

 さっきまでの役者っぷりが嘘のようだ。あの魔性めいた魅力を振るって、私のために演じてくれるのなら、どんな嘘だって信じるのに。

 

 まあ、それだけ狼狽えているってことなのだろう。その点私は落ち着いている。とても落ち着いている。

 こういう時にどうすればいいか、きちんと理解している。

 

「逃げるのは嫌です」

 

 そうこうしているうちに、生徒たちの大多数は外に逃げ出していた。閑散とした体育館で、壁に立てかけられていたモップを手に取る。

 昨夜の得物に比べれば随分と軽い。感触を確かめるように、手元でひゅんひゅん回しながら、敵に向かって歩を進める。

 

「ほ、ほろびちゃん? 何してるっち?」

「決まってる。あれ、敵なんでしょ?」

「よその番組の敵だっち! ぼくらの敵じゃないっちよ!」

「関係ない」

 

 約二メートル。一歩進めば一撃が入り、一歩下がれば一撃を避けられる、一足一刀の間合い。

 その距離で、モップの先端を仮面の男に突きつけた。

 

「だって、世界は救わなきゃ」

 

 ヒーローがどうとか、番組がどうとか、そんなこと私には関係ない。

 こいつは敵。世界の敵だ。だったらそれを倒すのが、私のなすべきことである。

 

「ま、魔法少女レベル100ぅ……」

 

 れくたは頭を抱えていた。だからなんなのだろう、その胡乱なフレーズは。

 

「あァ……? なんだァ、てめえ」

 

 仮面の男は私を見下ろす。背丈は二メートルは優に超える大男だ。憎悪を塗り固めたようなしゃがれた声。瞳は怒りに燃えていて、その手には武器もある。

 

「それはさ」

 

 だけど、怖くはなかった。

 これは、殺してもいいやつだから。

 

「こっちのセリフでしょ」

「はッ」

 

 私たちは同時に動いた。

 仮面の男が剣を横に薙ぐ。男の背丈を越える漆黒の鉄が、激しく空気を巻き込む音を立てながら振るわれる。

 大質量からなる長射程。下がったところで避けきれない。防ぐなんてもっての他だ。

 

 だから、前に避けた。

 身を沈め、屈むように踏み込んで、太刀筋の真下をすり抜ける。これは想定通りの手順だった。この男、剣の構え方からして雑なのだ。雑な剣を振るうのだろうと読んでいたって、おかしなことはない。

 その読みに命をかけたって、おかしなことは何もない。

 

 屈んだ姿勢でバネを溜めて、下から上にモップの柄を振り上げる。狙ったのは男の手首だ。伸び切った腕を狙った一撃は、黒いガントレットに鈍く響き、男の手から剣を取り落とさせた。

 

「うおッ!?」

 

 漆黒の大剣が床に落ちる。鉄の塊が体育館を震わせる。

 思わぬ反撃に驚いたのか、男は一歩後ずさる。仮面の奥には、一瞬の狼狽が浮かんでいた。

 

 足りていない。

 想定が足りていない。気構えが足りていない。覚悟が足りていない。

 殺される覚悟が、足りていない。

 

「しね」

 

 モップの構えを変える。振るうための杖ではなく、突き刺すための槍へと。

 刃のついていない棒であろうと、衝撃を一点に集中させれば殺傷力は飛躍的に向上する。一瞬のインパクトにすべてをかければ、十分なダメージを期待できる。

 

 目を貫けば、致命傷だって与えられる。

 仮面の奥にある柔らかい感覚器に狙いを定める。一歩下がった間合いを詰めるように、右足(・・)で強く踏み込んで――。

 

 ぐきっ、と。

 変な具合に、足が曲がった。

 

「~~~~~~っ!!」

 

 捻挫した右足が体重を受け止め損なう。激しい痛みに声にならない悲鳴を上げ、私は頭から体育館の床に転倒した。

 転んだ拍子に、手からモップを取り落とす。頭を強くぶつけた。それ以上に足が痛い。踏み込みの力を受け止めそこねて捻った右足は、危険な痛覚信号をわーにんわーにんと訴えている。

 

 体から力が抜ける。脳は立ち上がって戦えと指示を出したが、手も足も言うことを聞いてくれない。

 痛い。すっごく。もう無理。立てない。泣きそう。

 

「……なんなんだ、お前」

 

 倒れ伏した私を通り越し、仮面の男は取り落とした剣を拾い上げる。そして。

 

「失せろ雑魚。一般人に用はねェよ」

 

 倒れていた私に、蹴りを見舞った。

 腹を蹴り上げられ、私の体が宙を舞う。そのまま体育館の床に叩きつけられそうになったところで、誰かに受け止められた。

 

「おい中学生! 無事か!」

 

 彼は大きな声で叫ぶ。天海先輩が連れてきた大型犬……じゃなくて、男子高校生の一人だ。

 彼らはまだ逃げていなかったらしい。四人揃って、鈴なりになって私を見下ろしている。

 

「無事です」

「死ぬなあああああああああああああああ!」

「無事ですって」

 

 耳元で大きな声を出さないでほしかった。鼓膜まで破れそうだ。

 心配されなくたって、本当に大した怪我じゃない。一番痛むのは右足で、二番目がぶつけた頭。蹴られたお腹は、実はそこまで痛くない。

 

 速度の乗った蹴りではなかった。足の甲で引っ掛けて、放るように蹴り上げられただけだ。衝撃というほどの衝撃は与えられていない。

 

「降ろしてください」

「救急車あああああああああああああ!」

「だから大丈夫ですってば。もう」

 

 繰り返し訴えると、丁重にその場に降ろされる。ほんの少し体重をかけるだけでも右足が鋭く痛んだ。結局は立っていられず、壁に寄りかかるようにその場に座り込む。

 

「腹立つな……」

 

 誰にも聞こえないよう、小声で呟く。

 あいつ、手心加えやがった。こっちは完全に殺す気だったのに。

 

「無理するっちね、ほろびちゃん」

「足さえ無事なら殺せてた」

「死ねとか殺すとか、あんまりそういう言葉遣いしないでほしいっちなー?」

 

 何言ってんだこいつ。殺すか、殺されるか。それが戦いってやつだろう。

 まあ、どのみち私は戦闘不能だ。さすがにこの足じゃどうにもできない。立ち上がるどころか、ほんの少し体重をかけるだけでも泣きそうなくらいに痛みが走る。

 

「おなかいたい……」

 

 その上、痛くないと思っていたお腹も段々痛くなってきた。もうアドレナリンが切れたらしい。スイッチがパチっとオフになった私の体は随分と正直だ。

 ああ、もう。なんとかならないかな、ほんとに。この状態からでもあいつを殺す方法があれば、喜んでそうするんだけど。

 

 ただ、私が無理をする必要もなかったらしい。

 あの敵を倒す役だったら、最初から用意されているからだ。

 

「うちのッ! 後輩にいいいいいいいいいいいい!」

 

 体育館前の廊下から響く叫び声。飛ばし飛ばしの大股な足音。

 凄まじい勢いで駆け込んできたそれは、床板を強く踏み込む。

 

「なァにすんだあああああああああああああああッ!」

 

 跳躍蹴撃。

 踏み込みとともにそれの姿が消える。認識を振り切る超加速。地面と並行に飛翔した人影は、音速を突き破る轟音を響かせながら蹴りを放つ。

 

 まっすぐに突き抜ける、弾丸めいた一撃。

 甲高い金属音が上がる。仮面の男は、凄まじい蹴りを剣の腹で受け止めていた。

 

「なァ。悪いの、本当に俺か?」

「お前は悪だろうがッ!」

「はッ。そりゃそうだ」

 

 仮面の男が剣を払う。蹴りを放った人影も、宙返りで距離を取る。

 それは、あの時のヒーローだった。

 

 黒いスーツの上から取り付けられた機械的な装甲。両腕に装着されたガントレット型の武装ユニット。目元を覆うメカニカルバイザー。

 素性を隠すバイザーを装備していながら、表情は極めて雄弁だ。荒く呼気を放つ口からは、烈火の怒りが漏れ出している。

 

 怒り。怒りだ。

 魂の奥底から汲み出した凄まじい発露。身震いするほどの強烈な熱量。火山めいた爆発の予感。

 口元一つ、身動き一つ。たったそれだけで、期待にも畏怖にも似た感情が湧き上がる。ほんの少しも、“彼”から目が離せなくなる。

 

 そう、“彼”だ。スーツと装甲に身を包むその人の姿は、見た目には少なくとも男の人に見えた。

 私に背を向けて立つ“彼”は、顔だけをこちらに向ける。

 

「もう大丈夫だ、夜空くん。そこで見ていろ」

「先輩……?」

「私は君の先輩ではない!」

 

 じゃあ誰なんですかね……。

 私の名前を知っていて、あんな魔法めいた演技(こと)ができる知り合いなんて、心当たりは一人しかいない。

 

 立ち振る舞いは男性のようにしか見えないが、声音までは変えきれない。よくよく注意して聞けば、“彼”の声音にはどこか女性めいた高さがある。だとしても、そうと知らなければ気付けない演技力はさすがの一言だった。

 それに、いつの間にか体育館から天海先輩の姿が消えている。だからまあ、そういうことなのだろう。

 

「待ってたぜェ、ブラスター・スパァアアアアアアアアアク!」

 

 仮面の男は歓喜に吠える。大剣を手に走り出し、それにヒーローが呼応した。

 瞬間、繰り広げられる凄まじい攻防。漆黒の大剣と鋼の拳が、超高速で火花を散らす。

 

 あの仮面の男、私相手には本当に手加減していたらしい。“彼”と対峙した男は別人のように苛烈に攻め立て、そして“彼”も一歩も引かずにそれに応じる。

 

「ブラスター・スパーク……?」

 

 って、名前らしい。

 口元で唱えると、なんというか、もにょっとした。その言葉に籠められた多くのエッセンスを受け止めきれずに、もにょっとした感情が私の中に残った。

 

 きっとその名前は、特定の誰かにとっては大変に良い名前なのかもしれないが、正直に言うと私の感性では持て余してしまったし、そのことにうっすらとした罪悪感を覚えてもいた。

 だって私、先輩に、ヒーロー好きって言っちゃったし……。

 

「どうしたオラァ! キレがねェじゃねえか、ブラスター・スパークゥ!」

 

 そんな私の罪悪感を置き去りに、怪人とヒーローの舞踏は続く。仮面の男の口ぶりから察するに、二人の間にはなにか因縁があるのかもしれない。

 

「前回は遅れを取ったがなァ! あの時のように行くと思うなァ! てめェを殺す! そのために! 地獄の底から戻ってきてやったぜェえええええええええええ!」

 

 疑問に思っていたらちょうど説明してくれた。親切な人だ。

 

「あー、そういう感じっちか。なら、すぐ終わると思うっちよ」

「え、なんで?」

「再生怪人は弱いのがお決まりっちから」

 

 なんだかなぁ……。

 こっちは楽しく見てるのに、隣でこういう知ったようなこと言われると、冷めるんだよなぁ……。

 

 この時にはもう、私の戦意はすっかり失われていた。立てないし、戦えないし、気分的には完全に観戦モードだ。私ですらそんな感じなのだから、れくたなんかどっしり座って、どこからか取り出したポップコーンをぱりぱりやり始めている。

 

「食べるっち?」

「ありがと」

 

 一つつまんだ。キャラメル味。

 私たちはそんな感じだったが、男子高校生四人組は手に汗握って戦いを見守っていた。

 

「す、すげえ戦いだ……!!」

「うおおおおおおおおおおおおおおお!」

「がんばれええええええええええええええ!」

「負けるなーーーーーーっ!! ブラスター・スパーーーーーーク!!」

 

 目、きらきらしていた。輝いていた。ぶんぶんと振り回される尻尾も見えるような気がした。ブラスター・スパークなる名前に籠められたエッセンスは、彼らにはしっかり届いたのかもしれない。

 まあ。その。うん。

 

 ただ、まったく気持ちがわからないってわけでもない。超人と怪人の戦いだ。“彼”の魅せるような動きも相まって、ビリビリとくる迫力がある。

 すごいにはすごい。たしかにすごい。

 だけど。

 昨夜のあの人は、もっと圧倒的だったような……?

 

「ライトニング――!」

 

 “彼”が拳を溜める。

 一瞬の静。それから動。呼吸と呼吸の間に、意識を振り切る超加速。

 

「ヴォルトッ!」

 

 拳の速度は、音速を超えていた。

 雷に打たれたような轟音が体育館に鳴り響く。雷鳴は艦内に反響し、残響となってゆっくりと消えていく。

 

 人を超えた超人の雷撃。

 怪人は、それを、手のひらで止めた。

 

「つまんねェ」

 

 仮面の男が受け止めた拳を強く握る。“彼”の体が持ち上げる。そのまま乱暴に投げ飛ばすと、“彼”は体育館の壁に勢いよく叩けつけられた。

 

 わずかな攻防だったが、象徴的だった。

 二人の間には力の差がある。勝敗は決せずとも、強者と弱者の間には明確に一本の線が引かれていた。

 

「お前、いつからそんなに弱くなった?」

 

 仮面の男は、倒れたヒーローを見下ろして吐き捨てる。

 “彼”は何も言わず、よろよろと立ち上がって構え直した。

 

「なんかおかしいっちねー……?」

「すぐ終わるって言ったじゃん」

「ま、まあ。ヒーローのピンチもお決まりっちゃお決まりっちから。大丈夫とは思うっちけど」

 

 話半分に聞き流す。こいつの言う事はさっきからいまいち当てにならない。

 まあ、もしもだ。もしもヒーローが負けるようなことがあれば、その時は私がやるしかない。たとえ足が千切れようと、刺し違えてでもあれを殺す。

 

 そうするにはどうすればいいのだろう。

 さっきは相手が油断していたから奇襲できたけど、次はさすがにそうもいかない。正面から戦うとなると、問題になるのは体格差と体重差だ。敵の身長は二メートルを越えているし、ウェイトなんて倍以上の差がありそうだ。となると……。

 

「今日は調子が出せねェってか? そうかそうか」

 

 そんなことを考えていると、仮面の男がこっちに向かって歩いてくる。

 四人の男子高校生を軽く押しのけた男は、ゴツゴツとしたガントレットで、私の腕を取った。

 

「へ?」

 

 怪人の片腕で、お腹のあたりを抱くように掴まれる。

 そのまま、戦利品のように持ち上げられて。

 

「なら、本気出せるようにしてやるよォ!」

 

 ひ、人質にされてしまった……。

 すっかり観戦ムードだっただけに、突然のことに面食らう。客席にがっつり絡んでくるタイプのヒーローショーだったらしい。いや、ショーではないんだけれども。

 

「ほ、ほろびちゃん!」

 

 さすがの事態にれくたも慌てだす。ひらりと飛び上がった彼は、血相を変えて叫んだ。

 

「悲鳴! 早く悲鳴をあげるっち! こういう時は悲鳴をあげるのがお約束だっち!」

 

 お前本当に何言ってんだ。もっと私の心配をしろ。

 しかし今この時、体育館中の注目は私に集まっていた。ヒーローも、男子高校生たちも、怪人も、じっと私の様子を伺っていた。

 何かを期待するような無言の圧力。それに怯んだわけではないけれど。

 

「きゃー」

 

 試しに一声、あげてみた。

 

「くっそおおおおおおおおおおおおお!」

「てめえ! 中学生を離しやがれ!」

「人質なんて卑怯だぞ変な仮面!」

「折るなよ!? 絶対折るなよ!? わかってんだろうな、鎖骨とか絶対折るんじゃねえぞ!?」

 

 それを合図に、止まっていた時間が動き出す。わんわんと騒ぎはじめる男子高校生たち(四匹の大型犬)。仮面の男もノリノリで、哄笑混じりに敵愾心を煽るような台詞を吐く。

 

 あれでよかったらしい。需要と供給。つい最近授業で習った言葉が脳裏をよぎった。

 なんだかんだで場が盛り上がっている中、一人歯を噛み締めているのが、“彼”である。

 

「夜空くん……!」

「すみません先輩、捕まっちゃいました」

「私は、君の先輩ではないが……!」

 

 “彼”は苦々しく敵を睨む。仮面の男は、勝ち誇るように嗤った。

 

「どうしたヒーロー、ちょっとはやる気も出たんじゃねえかァ?」

「くっ……!」

「それとも、それで全力だなんて言わねえだろうな。あァ?」

 

 さっさと攻撃すればいいのにな、と思った。

 見ての通り、怪人は私を抑えるのに片腕を使っている。これでは戦闘力も半減だ。攻めるには絶好のチャンスだろうに。

 先輩、今チャンスです。そんな念を送ってみるが、残念ながら届かない。それどこか“彼”はこんなことを言いだした。

 

「夜空くんを離せ!」

「ああ、いいぜ。お前が本気でやるならな」

「なんだと……!」

「とぼけんじゃねェ。雷光鋼装(ライトニング・ギア)を使えっつってんだ」

 

 らいとにんぐぎあ。

 なにそれ、と思ったけれど聞ける雰囲気ではなかった。私の役割は人質だ。必要に応じて「たすけてー」と言うのがお仕事である。

 

 実を言うと、こんな役割をちょっと楽しんでいる自分がいた。例えるならライブのコール&レスポンスだ。私が人質っぽいコールを出すと、オーディエンスがわっと盛り上がる。その一体感には、今まで感じたことのない充足感があった。

 

「それともまさか、使えねえって言うんじゃ、ねえだろうなッ!」

 

 仮面の男は“彼”を蹴り飛ばす。ガードもなく直撃した一撃に、ヒーローは地面を転がった。

 

「舐めてんじゃねえぞ! 鋼装(ギア)もねェのに、俺に勝てるわけねえだろうが!」

「く、そッ……!」

「ムカつくなァ……! 力もねえのにしゃしゃりやがって! てめェみてえのが一番ムカつくんだよッ!」

 

 苛立ち混じりに、仮面の男は片腕で剣をかざす。

 漆黒の剣に刻まれた文様が紅く燃え上がる。紅と朱が螺旋を描いて剣に巻き付く。黒の柱に絡みつく、二匹の赤い蛇。

 まるでそれは、地獄の炎のように燃え盛って。

 

爆炎鋼装(バーニング・ギア)……!」

 

 “彼”が呟く。その声に宿るかすかな絶望。それを嗅ぎ取った仮面の男は、ヒーローを見下ろして、嗤った。

 

「死ねよ、雑魚」

 

 燃える剣が、振り下ろされた。

 “彼”は避けなかった。腕を交差し、両腕に装着した鋼の武装でその一撃を押し留める。しかし、剣身から溢れる炎までは止められない。刃に絡みついた紅と朱の螺旋が一気に解き放たれ、二匹の赤い蛇が“彼”の身に食らいつく。

 

「そんなことは、関係ない」

 

 それでも“彼”は、一歩も引かず。

 

鋼装(ギア)があろうと、なかろうと。そんなことは関係ない」

 

 荒れ狂う炎の中にあって、その炎よりも熱く猛り。

 

「それでも守らなきゃいけない。それでも救わなきゃいけない。それでもお前を倒さなきゃいけない!」

 

 怯むどころか、押し返すほどに強く叫んで。

 

「私は、そういうヒーローになると決めた……ッ!」

 

 その心が爆ぜるほどに、強く激しく燃え上がり。

 

「私が憧れたのは! そういうヒーローの背中だった!」

 

 炎をかき消し、剣を弾く。

 “彼”の姿は傷だらけだ。スーツは焼け焦げ、全身の装備は傷にまみれ、ところどころ欠けてしまっている。

 それでも立つ“彼”は、強く、凛々しかった。

 

「はッ、吠えるじゃねえか! だったらこの力の差、どう埋める気だ!」

 

 仮面の男が叫ぶ。少し嬉しそうにも見えたのは、きっと気のせいではないだろう。

 “彼”が走る。音速を遥かに飛び越えて、臆すことなくまっすぐに。

 

「ヒーローの武器は――!」

 

 泥臭い一撃だ。炎もなければ、あの時見た雷光もない。全身の武装が駆動している様子もない。

 それでもそれは、煌めくような誇りと意志に満ちていて。

 

「いつだって、勇気だ!」

 

 拳と剣が激突し、火花が散る。

 ぶつかり合う力は拮抗した。しかし決着には至らず、怪人と超人は互いに互いを弾き飛ばす。

 

「いいじゃねェか……! だったら見せてみろよォ! てめェの“武器”で、どこまで俺とやれるかってなァ!」

「うおおおおおおおおおおおおおおッ!」

 

 怪人が嗤う。超人が叫ぶ。衝突する気迫と気迫に空気が震える。

 不覚にも、心が揺れた。

 世界は救わなければならない。敵は倒さなければならない。戦う力がなくたって、そんなことは関係ない。

 

 それでも戦う意志に、私は使命感と名をつけたけれど。

 “彼”は。

 彼女は。

 

「……先輩」

 

 気づけば、口走っていた。

 黙っていることはできなかった。じっとしてなんかいられなかった。体が熱くてたまらなかった。

 とくとくと高鳴る心臓の鼓動を、止める術を知らなかった。

 

「勇気もいいですけど、仲間がいたっていいんじゃないですか?」

「夜空くん……?」

「私も戦います。先輩」

 

 相変わらず体は痛い。右足は使い物にならない。武器もないし、そもそも体を拘束されている。

 状況は最悪だ。戦うどころか、逃げることすらできるか怪しい。

 

 そんなことは関係ない。

 だって、世界は救わなきゃ。

 

「あァ? 一般人のてめェに、何ができるって?」

「今日は厄日なんだよね」

 

 仮面の男が嘲るような声を投げかける。

 私はポケットに手を伸ばした。

 

「中学生だの、モルモットだの、雑魚だの一般人だの。好き勝手言ってくれちゃってさ。そんなに弱く見えるかな」

「実際てめェは雑魚だろうが。そうじゃなきゃなんだって言うんだ?」

 

 スマートフォンを取り出してロックを開く。

 ホーム画面に置かれた、黒いリボンのアイコン(変身アプリ)をタップした。

 

「魔法少女」

 

 スマートフォンから光が溢れる。

 きらめくような光が散る。星々がくるくると舞い踊って、思うがままに輝きを振りまく。

 足元から立ち上る巨大な天体図。巡りはじめる黄道十二星座。一際強く輝く銀の星が、星座をふわりと抜け出して、私の側を周りだす。

 

「スターライズ・ドレスアップ!」

 

 れくたが叫ぶ。すっ飛んできた彼が、輝きの中でくるりと舞った。

 

「ほろびちゃん! やるっちか!?」

「これでやらなきゃ、私は私じゃいられない」

「それでこそほろびちゃんだっち! 認証いくっちよ! まずは愛! とびっきりの愛で――」

 

 最後まで聞かずにアプリの承諾ボタンを押す。拘束されたこの体勢では、どのみち読んでいる自由なんてない。

 ボタンを押すと、ぱっと弾けるハートのエフェクトが、星々の輝きに加わった。

 

「そして正義! たゆまぬ正義の心で――!」

 

 これも最後まで聞かずに承諾する。さらなる輝きが、眩しいほどに周りを照らす。

 

「なんだ、くそっ、この光は……!」

 

 至近距離で放たれた眩いエフェクトに、仮面の男が身動ぎをした。

 拘束が緩む。その隙に腕の中から脱出し、左足で着地する。

 

「最後になぞなぞだっち! 今回は理科だっち!」

 

 れくたは、すっと息を吸って。

 

「リドカイン塩酸塩の化学式を答えるっちー!」

 

 聞くまでもない。

 答えだったら、最初から決まっていた。

 

「わかるかーっ!」

 

 ありったけの思いを籠めて、仮面の男の股間に、至近距離から膝蹴りを食らわせた。

 

「おうッ!?」

 

 蹴るのに使ったのは右足だ。振動が伝わった足首に痛みが走る。だけど痛いのは私だけじゃない。男だって相当痛いはずだ。

 変身は拘束を解くためのめくらまし。本命は、己の足を犠牲にしてでも相手の股間を葬り去る一撃。

 

 分の悪い賭けに命を預け、肉を切って骨を断つ。

 それが、魔法少女の戦いだ。

 

 突然の奇襲に、仮面の男は股間を抑えて前かがみになった。情けない悲鳴に、ぽたりと垂れる脂汗。頭が大きく下がる。

 いい位置だ。そして、いい隙だ。

 

「フランケン――」

 

 左足一本で跳躍し、後ろに体を倒しながら、両足の太ももで男の頭を挟み込む。

 痛むのは足首だけだ。太ももであれば力は入る。そして、この技であれば体格差はむしろ有利に働く。

 無駄に大きな図体も、歴然とした体重差も、全ては私の武器となる――!

 

「シュタイナーっ!」

 

 後方宙返りの勢いで、地面から引っこ抜くように、男の体を投げ飛ばす。

 きっちり狙って、脳天から床に叩きつけた。遅れて五体が地面に投げ出され、仮面の男は大の字になって地面に伸びる。

 

 体育館に静寂が満ちる。

 少し待っても、奴が起き上がってくる様子はなかった。

 

「変身中に攻撃する魔法少女がいるっちかよ……」

 

 静寂に包まれた体育館は、数秒の後に爆発的な歓声に包まれる。

 その最中、どこか不満げなれくたがぽつりと呟いた。




フランケンシュタイナー:飛び上がって太ももで相手の頭を挟み、バック宙の要領で回転し、相手の脳天をマットに叩きつけるプロレス技。良い子はマネしないでね。
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