吉良と帯島。
これまで交わることのなかった二人の少女が初めての邂逅を果たしたその日の夜。
防衛任務を終えた吉良はボーダー本部のラウンジで一人の少女と交流を深めていた。
「――って事があったんですよ」
「嫉妬を受けるなんてあなたも大変ね。私がいたら、そんなこと絶対にさせないのに」
「まあまあ。たしかに木虎先輩ならそうしたでしょうけども」
でもあくまでもこれは私の問題なので、と言って吉良は目の前の椅子に座る少女、木虎を諌める。
木虎はつい先日の入隊式でボーダーに入ったばかりの訓練生であり、その戦闘訓練で9秒という驚異的な記録を叩き出していた。
その才能をボーダー隊員は皆買っており、加古もすかさず声をかけ、年齢が木虎より一つ下と年や入隊時期も近い吉良に説得するように頼み込んだほどだ。
しかも烏丸が木虎に稽古をつけたりと、木虎にとっては彼女は年下ではあるが姉弟子にあたる存在と非常に接点が近い。
「でもありがとうございます。木虎先輩もですかやっぱりボーダーに入る人って、皆優しくて頼りになって本当に心強いです!」
「……それほどでもないわ。ま、悪い気持ちではないけれど。でも本当に自分一人で対処できないようなことがあったらいつでも、早めに相談してね」
真っ直ぐな称賛を受け、木虎が少し照れ臭そうに笑った。彼女は年下の人間に対しては甘く、慕われたいという対人欲求があり、人懐っこい吉良とは非常に相性が良かったのである。
「はい。本当に大変な時には。あまりこう言うことは加古さんたちには話しにくいですし……」
「あら、そうなの? やっぱり心配をかけたくないって事かしら?」
「それもそうですけれど。加古さんはちょっと、こう言うことに対して本気になったらちょっと怖そうと言うか……」
「……まあ、たしかにね」
吉良が気難しそうな表情を浮かべると、木虎も冷や汗を浮かべて追従した。
木虎もスカウトを受けた際に一度だけ加古と直接顔を会わせている。そしてその際に彼女の年齢以上に大人びた妖艶な立ち振舞いを感じ取っていた。さらに彼女が吉良をとても可愛がっていると言うことも。
そんな彼女がもしも吉良が学校で苛めのような扱いを受けていると知ればどうするのか。たしかにどのような行動に移すのかがわからないという怖さがある。下手すれば苛めを行っていた当事者たちを想像できないような手段で追い込むのではないか。優しい存在であるからこそ、その反転が非常に恐ろしい。
「まあ、逆に木虎先輩も何かボーダーの事で相談事とかあったらいつでも相談してくださいよ。もちろん、加古隊に入りたくなったとかそういう話ならいつでも乗りますから!」
「ふふっ。ありがとう。まあ、そう簡単に気は変わらないとは思うけれど、トリガーの事とかは確かに相談するかもね」
一度手を叩き、空気を変えた吉良は年相応の明るい声でハキハキと告げる。
加古からの指示を受けたであろう発言に、木虎も自然と頬が緩み、軽い調子で返すのだった。
「それにまずは正隊員に上がらないといけないし。この前個人ランク戦とやってみたけど、どうやら私の同期にはかなり手強い相手がいるみたいだから」
「そうなんですか? でも入隊試験では木虎先輩が圧倒的でしたよね?」
「ええ。だから私も一番だという自負はあったのだけれど」
そこで木虎は言葉を区切ると、少し前に経験した苦い記憶を呼び起こし、恐る恐る続ける。
「この前その人とあたって10本勝負をしたんだけど。3対7で負けたのよ」
「木虎先輩がですか……!?」
「ええ。しかも後半の5本は一本も取れずに、ね」
木虎の説明に吉良は驚愕を隠せなかった。
何せ木虎は訓練でも優秀な成績を残しており、正規隊員からの勧誘も受けているほどだ。その才能は並外れていると言っても良い。
そんな少女が一対一の戦いで圧倒された。しかも後半は完封されたということは、木虎の戦いに相手が完全に適応して攻略したということだろう。そんなことができる存在が訓練生にいるとは考えたこともなかった。
「弧月使いと何度か戦ったことはあったけど、まるで別物ね。狙撃手界隈はわからないけど、少なくとも攻撃手、銃手たちの中では私かその人が真っ先にB級に上がるでしょう」
「なるほど。木虎先輩がそこまで言うほどですか」
いつの間にか自然と吉良の口角が上がる。
木虎は他人に自他共に厳しく、滅多なことでは相手を過剰評価しないであろうことを吉良は感じ取っていた。その彼女がこう断言するのだから、きっと間違いないのだろう。
「なら、私は姉弟子として木虎先輩の仇を取らないとですね」
しかもその相手は自分も担う弧月だという。まだ見ぬ好敵手の誕生に、吉良は闘争心を刺激されていた。
木虎の存在を名文に、吉良はその訓練生に向けて標準を定めて好戦的な笑みを浮かべている。
「それで、その人は今日も訓練には来てるんですか? ランク戦やってるなら、今からそこに参戦しても良いですけど」
「いえ。今日の訓練には参加してなかったわね。だからランク戦にもいないんじゃないかしら。……というか、あなたはそもそも訓練生じゃないんだから、ランク戦は無理でしょう」
「あっ。確かに。……訓練という形でできないのかな?」
吉良もこの間ボーダーに加入したばかりの身だ。だからこそ規格の違いへの対応も知らず、「今度機会があったら加古さんたちに聞いてみよう」と頼れる先輩たちの姿を脳裏に思い浮かべるのだった。
「それに私だってやられっぱなしと言うわけにはいかないから。……次は必ず勝つ。だからその為にも力を貸してね」
「――はい。もちろんです」
木虎は強い意志を秘めた目で姉弟子を見つめる。
負けず嫌いな彼女の事だ。きっとこの誓いの通り、次こそはやり返すのだろう。
頼られたならばその信頼には応えなければならない。吉良は短く快諾の答えを返したのだった。
「ありがとう。烏丸先輩もだけれど、本当にあなたのような子がいて良かったわ。私も話がしやすいし。よかったらこの後、少し付き合ってくれないかしら? その弧月の先輩のことも話しておきたいのだけれど」
「この後ですか? ……うーん。すみません、ちょっと難しいかも」
「ああ。そうよね、こんな遅くだもの。さすがに私が悪かったわ」
「いえ、そうじゃなくて」
訓練の誘いに対し、珍しく答えに詰まる吉良。
彼女が中学生なのだから、確かに夜遅くに付き合わせるのはまずいか。そう判断して木虎は自分の考えの甘さを悔やむが、吉良はそうではないと即座に否定する。
「すみません。この後開発室の方に呼ばれてまして。向かうことになってるんです」
「開発室に?」
「はい」
開発室、すなわちボーダー本部開発室だ。
戦闘員ならば殆ど関与することはないであろうその場所への召集に木虎が首を傾げる中、吉良は「ちょっとした仕事です」と返すに留めるのだった。
★☆★☆★☆
開かれた門から勢いよく飛び出した巨体が大きな音を立てて地に降り立つ。
その後、レーダーで何かを感じ取ったのかその個体は一直線に狙いへ向かって駆け出して行った。
標的に定めたのは一人の人間。機械の体を自由自在に操り、あっという間にその背中を切り裂くと、ピクリとも動かなくなった体から何かを取り出していた。
「――――!!!!」
凄惨なる光景に、それを目にした吉良の表情が曇る。力の限り手を握りしめ、歯を食い縛り、集中力を保ち続けた。
まだ肝心な事を読み取れていない。ここで意識を切らしてなるものかと意地で持ちこたえていた。
さらに映像が続いていく。もう3、4人と成果を挙げた後、くるりと体の向きを変えて、来た道とは異なる方角へ一目散に駆け出していった。
破壊された住宅街を器用に乗り越えていく巨体。
あっという間に戦闘地域から外れていき――突如、上空から振り下ろされた刃に切り裂かれ、その機能を停止するのだった。
「ぐっ、あ。つぅっ……終わり、ました……」
「……うぅむ。やはりこれは中々慣れぬな。ありがとう、葵ちゃん。今日はこれで大丈夫だ」
「は、い……」
映像が完全に途絶えたのを確認して、吉良は手にしていた近界民の破片を机の上に置く。
彼女と感覚を共有していた鬼怒田も両目を手で抑え、感謝の言葉を述べた。
この破片はかつての大規模侵攻で破壊された近界民の一部である。その個体が辿っていた光景を吉良が読み取っていた。
「やはりこれも狙いは街の破壊ではなく、トリオンであったか。後で分析班と解析を進めよう。敵の具体的な侵攻ルートなどがわかるかもしれない」
「そうみたいですね。まさか、あんな簡単に……」
「……うむ。葵ちゃん、前にも言ったがあまり気負いすぎぬようにな?」
「大丈夫ですよ」
鬼怒田が心配そうに声をかけるものの、吉良は気丈に振る舞った。
これは週に一回までという上限を付けて鬼怒田が吉良に依頼していたトリオン兵の解析だ。
人や物に触れてその記憶を読み取れるという吉良の能力から、かつての敵の分析をより鮮明にできるのではないかというボーダー本部司令、城戸の発案のもと実施されている。
当初は鬼怒田や加古たちから強い反対の声が相次いだのだが、他でもない吉良本人の賛同を得て、彼女の心の負担も考慮して徹底的な管理の元行われていた。
「こんなの、被害にあった方々に比べれば、痛くも痒くもありません」
本人は勿論、残された人々と比べても。
だからこそ未来の被害を減らすためにも弱音なんて吐いていられない。吉良はそう自分に言いきかせて、強気の姿勢を崩さなかった。
「……そうか。本当に、ありがとう。とはいえ疲れただろう。もう少しここで休んでおくと言い。ココアでも飲むかい?」
「良いんですか? それじゃあ、お言葉に甘えて」
そんな彼女の気概を理解して、せめて少しでも気が休まるようにと鬼怒田は優しく声をかける。吉良も彼の優しさを感じ取り、その後は彼と穏やかな時間を過ごす事となった。
そうしておよそ20分ほど。鬼怒田と他愛のない会話をしたあと、すべての仕事を終えた吉良はボーダー本部を後にした。
ただし、彼女は多くの隊員が使う安全な地下通路ではなく、近界民が出現するゲートが開く可能性がある警戒区域を徒歩で進んでいく。
(多分、このあたり……)
目的は、先程読み解いた道順の答え合わせだ。
敵の侵入経路や撤退経路から何か少しでも読み取れる事もあるのではないか。
そう考えた吉良は記憶を頼りに道を辿っていく。
とはいえ辺りは暗く、放棄された街は特に目立った目印などもないため本当に合っているという確信はなかった。
それでも何か切欠だけでも掴めればと、初めてトリオン兵の記憶を読み取った時から続けていた習慣だ。目を凝らしてじっと辺りを見渡して。
「……えっ?」
ふと、一つの人影を目にして吉良の足が止まる。
このあたりはまだ人の出入りが禁止されている警戒区域だ。ボーダー隊員以外は基本的に立ち入り禁止になっている領域。
それなのに、見たことのない私服姿の男がそこにいた。思わず吉良は駆け出し、その男の元へと近づいていく。
「あの、誰ですか!? ボーダー隊員ではないですよね?」
「なっ!?」
突然の声かけに男も戸惑いの声を挙げた。
明るい髪色に切れ目の青年だ。彼は吉良に気づくと降参だと言うように両手を挙げる。
「はい。すみません。ただの一般人です。このあたりに住んでいた者で。近くに立ち寄ったら、思わず……」
「っ。……そう、でしたか」
彼は心底申し訳なさそうに表情に陰を落として説明した。
先程辛い光景を目にしたばかりということもあって、吉良もさすがに強く糾弾することはできず、言葉に詰まる。
「……わかりました。ここは警戒区域の境界の近くですし、何かしていたわけでもなさそうですし、このまま帰るのならば何もしません。ですがここは本当に危ない場所なので、これ以上は……」
「ありがとうございます。そうですよね、わざわざすみません」
事情はわかるが、ボーダーとして仕事は果たさなければならなかった。吉良が精一杯説得すると、青年はそれ以上の反論はせず、おとなしく指示に従ってその場を去っていく。
「やっぱり、皆辛いよね……」
彼の背中が見えなくなったことを確認して、気が抜けた吉良は捜索を中断して今度こそ帰路についた。
先程見た記憶が心に小さくない波紋を産み出し、吉良を揺さぶり続ける。
直接被害に会う人だけではない。ああいう存在も減らしたい。そう願うばかりで。
「――驚いたな。ボーダー隊員の見回り時間は把握していたつもりだけど、こう言うこともあるのか。向こうも何か探しているのか? ……とにかく、このあたりを調査するなら、これからは気を付けないとな」
先程見送った青年の呟きは、吉良の耳に届くことはなかった。