おびただしい数の怪物の群れが、平和だった街を蹂躙している。
それが何処から現れ、何のために破壊し、殺戮を繰り返すのかはわからない。圧倒的な暴力を前にただひたすらに逃げることだけで精一杯であった。
鼻腔には焦げ臭い煤の香りが、むせ返るような鮮血の香りが駆け巡る。
耳には何かが爆ぜる音が、切り裂かれる音が。必死に助けを求める声が、悲痛な断末魔が木霊する。
眼前には焼け落ちた建物が、体を切り落とされた人だったものが、何かを抜き取られて風穴が空いた人の姿が、変わり果てた光景が広がっている。
まるで突如この世に生まれた地獄のようだった。
何処に逃げれば良いのかもわからない。こんな天災、誰も想像できるはずがなかったのだから。
それでも立ち止まればそこで命は潰えてしまうだろう。恐怖感に駆られて、必死に足を動かして。
ついに両の足がもつれ、その場に倒れ込んでしまう。
痛みに顔をしかめ、何とか立ち上がろうと腕に手を込めた。
『--っ!』
瞬間、真上に現れた巨大な影に姿を完全に覆い尽くされてしまう。
--追い付かれた。
怪物の刃のような鋭い手が降り上がる。
疲労と恐怖で体はピクリとも動かなかった。
死ぬ。こんな簡単に、抵抗ひとつできないまま。
勢い良く振り下ろされる刃を理解しながら、その場に座り込んでしまい--
『待たせた』
その時、何処からか現れた謎の一団が、刀のようなもので怪物を一刀両断した。
彼らは次から次へとやってくる怪物達を切り捨てていく。一通りの脅威を取り除くと、戦火にあえぐ人々を安心させるように、こう言った。
『こいつらのことは任せてほしい』
『我々はこの日のためにずっと備えてきた』
★☆★☆★☆
「どうぞお掛けになってください」
「ありがとうございます」
「失礼しますね」
加古や小早川が巫女と出会ってからおよそ30分後。
他の訪問客との接待も終え、境内の後片付けが完了するまで待っていた二人は、彼女が家族と共に住んでいるという神社敷地内の自宅(邸内社と呼ぶらしい)へと案内された。
客間の椅子に腰掛けると彼女の母親からそっとお茶の入ったコップを差し出される。
「それでは、ごゆっくり」
二人が受け取って礼を告げると、少女の母親はサッと部屋を後にした。
「……それで。私に大切な話、とは何でしょうか?」
「ああ、その前にまず自己紹介をさせてちょうだい。私は加古望。先ほど話にも出ていたボーダーという組織で部隊長を勤めているの」
「私は小早川杏です。加古さんのチームメイトになります」
早速本題に切り込む前に、加古と小早川が簡潔に自分の名前と立場を伝える。
勧誘に当たっては先に彼女たち自身も所属している事を教えるのが手っ取り早いだろう。
そう思って先に話し始めたのだが、少女は驚いたように目を丸くし、口元を手で抑えた。
「部隊長、ですか。すごいですね。とてもお若そうに見えたのでビックリしました」
「ああ、別に珍しいことではないのよ。ボーダーという組織は若い人が多くて。私以外にも学生がほとんどの人数を占めているくらいなの」
「そうでしたか」
たしかに事情を知らないものからすれば、大人びているとはいえ学生の年齢に当たる加古が隊長という役職に就くとは信じがたいことだろう。
周囲の環境について説明を付け加えると、巫女は納得したのか一呼吸を置いて、
「――申し遅れました。私も名前を告げていませんでしたね。私の名前は
落ち着いた佇まいで、己の本名――吉良葵の名前を二人に提示した。
「そう。……吉良ちゃん、ね。ますます気に入ったわ」
「ん? 誰か同じ名字の方が知り合いにいらっしゃったりしましたか?」
「いえ。加古さんはイニシャルがKの女の子を積極的に部隊に勧誘しているんですよ。おそらくはそれで気に入ったんだと思います」
「なるほど……?」
たしかに加古、小早川とこの二人のイニシャルはK。そういうポリシーのようなもので人員を束ねているのならば名前で引っ掛かるのも納得というもの。
ひょっとして他のボーダーに所属しているという人達もそうなのだろうか。吉良がそう些細なことを考えていると、加古が今度こそ本題に入ろうと口火を切った。
「吉良ちゃん、ちょっとあなたの力を測らせて貰いたいの。……杏」
「はい。こちらの機械のコードを握って貰っても良いですか? 特に刺激などが発生したりはしないので安全です」
「わかりました。……こうでしょうか?」
小早川が小型のゲーム機のような機械、持ち運び式のトリオン量測定器を取り出し、その先端を吉良に向ける。
彼女が指示に従ってコードを握ると、すぐさま画面には彼女のトリオン量が大きな六角形の形となって表示されていた。
その量は正規隊員の平均値を超える、優秀な数値である。
「ビンゴね」
やはり間違いではなかった。
加古は自分の見る目は間違いではなかった事を理解して笑みを深くする。
「これはね。トリオンと言ってボーダーの人達が持つエネルギーのようなものを数値化したものなの。あなた、とても優秀よ。それこそ私と同じくらいね」
「そうなんですか?」
自信げに、得意気に語る加古。あまりにも堂々とした彼女の姿を見て、いつのまにか吉良も釣られて年相応に表情が緩んでいた。
「はい。そしてこのトリオンといものが多い人ほど、特殊な感覚を持っている場合が多いんです。――私たちはそれを
「あなたもきっとその
その中でも特に珍しい力なのだと、二人は冷静に指摘した。
「あなたも人から相談を受けていたのだから、自分の力のことはある程度把握しているのでしょう?」
「……そうですね。もちろん万能というわけではありませんが」
尋ねられた吉良は、顎先に人差し指を当てて、考えを纏めながら話を続ける。
「直接人や物に触れて、昔の情報をイメージとして受けとる。そう考えています。ただ何でもわかるわけではありません。特に人の場合は強く考えていることほど読み取りやすいですが、その人が見たり聞いたりしたことがあるものでも、意識してないものはほとんどわかりません」
「……なるほど。相手の過去でも特に思いが強いものに反応するし、その逆も然り、ってことね」
要は相手が必要だと考えているものをそのまま読み取ると言うことか。たしかに全てを把握しきれない可能性もあるというデメリットはあるが、より必要性の高いものを知りやすいというメリットも感じられた。実用性は極めて高いだろう。
「ですから、例えばそうですね。……加古さん、もう一度お手をお借りしても良いですか?」
「ん? もちろん、どうぞ?」
さらに分かりやすく説明しようと、吉良は再び加古の手を取った。ゆっくり瞳を閉じ、先ほどのように質問を投げ掛ける。
「最近、何か嫌なこととかはありましたか?」
「嫌なこと? ……う~ん。特に思いあたらないけれど」
「…………加古さんと同じくらい、あるいは年上の方でしょうか? 黒いスーツを来た長身で茶髪の男の人です」
「えっ?」
「その人と何かちょっとした揉め事、でしょうか? ラウンジの様なところで少し言い争った事があったんじゃないですか?」
「ぷっ……」
間違いない。
二宮だ。
かつては加古と同じ部隊にも所属した、同じポジションで、同じ隊長として凌ぎを削る強敵。
先月のランク戦の直接対決で敗れた直後に、ボーダー本部で偶然彼と出くわした加古が軽く問い詰めた光景を小早川も目撃していた。
まさかその因縁をピンポイントで初対面の少女に見破られるとは。小早川は思わずその場で吹き出してしまった。
「……違うのよ吉良。たしかに二宮君にはこの前こそ負けたけれど、別にそこまで気にしていないし」
「てずがその後部屋を移動して、何か的のようなものに――」
「わかった。もう大丈夫。なるほど、そうやって徐々に相手の記憶を思い起こして辿ることもできるということね」
そそくさと、それでいて丁寧に加古は吉良の手を引き剥がす。
なるほど、思いの強さというものは言動によって容易に変動するもの。揺さぶれば情報を更新させることも可能というわけだ。
とはいえここまで覗き込まれるとは末恐ろしい。
加古は身を持って彼女の便利さを、そして恐ろしさを知るのだった。
「……説明を続けさせて貰うわ。先ほども言ったように私たちはボーダーという組織に所属してるの。そして
「
「そうです。何度かテレビ等にも出てると思いますが、異世界の存在から街を守る防衛機関です」
おそらくはメディアにも広く通じる嵐山隊の姿を思い出したのだろう。知っているのならば話が早い、小早川が説明を続ける。
「その怪物と戦う人材は今も十分ではありません。少しでも優秀な人材が欲しい。そこで私たちはその人材発掘のためにやってきたんです」
「さっきのトリオンというのが戦う時に必要なエネルギー源ってわけ。他にも必要な素質とかはあるけれど。……あなた、何かスポーツとかはしてる?」
「スポーツですか? 習い事で剣道と弓道をしてはいましたが」
「剣道と弓道……!」
両親の職業のおかげなのだろうか。運動感覚が優れていれば良いと思っていたが、これもまた素晴らしい。
剣道ならば攻撃手、弓道ならば射手や狙撃手の動きの基礎となりうるだろう。
「……吉良。もしもあなたが良ければ、私達はあなたをボーダーにスカウトしたい。あなたには間違いなく素質がある。一緒に戦って欲しいのよ」
「もちろん、いきなりすぐに応じて欲しいとは言いません。少し考えては貰えませんか?」
加古は単刀直入に吉良に訴え、小早川も選択肢を提示した上でボーダーに誘った。
是非ともここでボーダーに迎えたい。二人は期待を込めた視線を吉良に送った。
「一つ、よろしいですか」
「何かしら?」
「
「……そうね」
かつて三門市を襲った大規模侵攻のニュースの事を思い出したのだろう。真剣な表情で問いかける吉良を見て、加古も真面目な顔で頷く。
「実は、私も一度だけ見たことがあります」
「えっ?」
「この村にいるんですよ。家族と家を失って、親戚の家で一緒に暮らしているという方が」
「……そう」
「その人の過去で、見たことがあります」
大規模侵攻は多くの人々を拐い、傷つけ、破壊した。
その後はボーダーが新しく家を提供したケースもあるが、三門市から去った人も数多くいる。その一人に出会い、過去を見たという経験があるのだと吉良は言う。
「元々私のお手伝いは、誰かの助けになればと始めたことです。昔から、この力は誰かの助けになれるんだよと両親に教えてもらっていましたし。その中で色んな光景を目にしましたが、やはりあの人の記憶だけは、誰よりも鮮明で、痛々しいものでした」
そこで話を区切ると、吉良は椅子から立ち上がり、外の光景へと視線を向けた。
慣れ親しんだ村を目に焼き付けるようにじっとみつめて。やがて加古と小早川の方へと振り返り、口を開く。
「私が誰かの助けになれるならば。あの光景を目にする人が少しでも減らせるのならば。――そのお話、お受けさせてください」
自分だけではない。
特殊な力を持って育ってきたからこそ、他人の悲劇を減らしたい。
そう語る彼女の姿は、窓から差し込む夕陽に照らされて優しく輝き、加古たちの目には本当の巫女のように見えたのだった。