正方形の升目のような模様が一面に広がる空間に、およそ20個ほどの人形の的が設置されていた。
その模様に正面から相対しているのは、訓練生用の白い服を纏った吉良である。彼女は的を一瞥すると、利き腕である右手を体の斜め横へと伸ばし、力を籠める。
「
すると彼女の声に応じて、正方形の大きな光輝くキューブが掌の先に出現した。弾を確認した吉良はその弾を小型の細かい正方形のキューブへと分割し、そして視線の先にある的へと狙いを定め――一斉に射ち出した。
直後、鋭く甲高い音が空間中を支配する。
弾は彼女の狙い通りの軌道で、予想以上の威力を持って的を貫通していた。続けざまに出現した新手の的にも同様に頭部や体の中心を撃ち抜いていく。
すべての的が撃破されたことを確認して合成音が部屋に木霊した。
「すべての目標の撃破、確認です」
「……まだ教えて数時間なのに。基礎はもう教えることがなさそうね」
「はい。正直、驚きです」
加古隊の作戦室でこの様子を見守っていた加古と小早川、二人の隊員は新人の出来に感嘆する。
今日は吉良が初めて練習生としてトリガーに触れてみようと決めていた日。軽く彼女の適正を図ろうとしていたのだが、早くも才覚を示した吉良の姿は多くのボーダー隊員達を目にしてきた彼女達の目からも本物に映ったのだった。
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「私も
「そうなんですか?」
「ええ。先に説明した
同じ中距離戦を得意とする
だから決して簡単なことではないのだと語るが、吉良はそうは思わないのか冷静に話し始める。
「私の場合、多分
「似ている?」
「はい。弓道も射る際には矢をつがえて弓を起こし、弓を引きこんで、狙いを定め、そして矢を放ちます。予備動作としては殆ど意味合いが変わらないから、私としてはむしろ抵抗感がなく受け入れやすかったですね」
「……なるほどね。元々予備動作そのものが慣れているものだったってわけ」
それならば彼女の学習能力の高さにも合点が行った。行動の目的が同じならば、それに動きを適応させてお手本である加古の行動になぞれば良い。
この意見を里見くんにも聞かせてやりたい、と加古はこの場にはいない銃手の実力者の顔を思い返してクスリと笑った。
「だから、むしろ面白いですよ。自分の手で自在に弾を作ったり、速さとかも色々操作できるなんてワクワクします!」
「そうですか。楽しめているなら何よりです」
吉良はそう言って満面の笑みを浮かべる。
彼女にとってはありとあらゆるものが新鮮な体験だ。しかもそれが自由自在に上手く行くとなれば尚更だろう。
幼さの窺える笑顔に、小早川達も釣られて笑みを深くしたのだった。
「う~ん。でもこれなら今日のうちに
加古が顎先に指を当て、考えながら提案する。
本来の予定では今日一日は
試すならば速い方が良い。そう思ってはいるのだが。
「ただ、私が弧月については専門外なのよね。一応誰かお手本になる人と一緒に見て貰った方が良さそうだし」
「そうですね。弧月となるとスコーピオンとは勝手が違いますし、感覚も全く異なるでしょう」
「そうよね~」
困ったなと、加古はため息を溢す。
加古隊は現在弧月を使う人材はいなかった。射手は加古が担うポジションであるためいくらでも指導できるのだが、専門外の武器となればそう易々と手を出しにくい。出だしの体験がその後の成長に繋がるケースも珍しくないだけに、大切な新人には専門の教えを授けたかった。
どうしたものかと、加古はしばし物思いに更ける。
「……そうだ。彼にちょっと相談してみましょう」
「彼? 誰ですか?」
「?」
やがて一人の人物を脳裏に思い描いた加古は満足げに頷き、メッセージアプリを起動し始めた。
一体誰と連絡を取ろうとしているのだろう。当てが思い付かなかった吉良と小早川は揃って首を傾げるのだった。
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「急にごめんなさいね、太刀川くん。忙しかったかしら?」
「いいや。ちょうど防衛任務空けで暇してたところだ」
加古が訪れていたのは太刀川隊の作戦室だった。
灰色がかった癖の強い茶髪と顎髯が目立つ男性、A級一位の座に君臨する太刀川は加古と同い年であり、見知った仲である。
他の隊員たちと共に休憩していた太刀川は二つ返事で加古を出迎えたのだった。
「で? 相談があるという事だったが何か用か?」
「そうなの。実はこの前スカウトした子がとっても筋が良くて、
「……ほぉう。そこまで言うほどか」
加古は滅多に他人を過大評価しない、才能ある人間が大好きな実力者だ。それをよく知っているからこそ、彼女の口からそこまで言わせるほどの新入りが現れたのかと、バトルジャンキーである太刀川は楽しげに笑う。
「ふふっ。興味をもって貰えたみたいね」
「まあな」
勿論直接見ないことには始まらないが、前途有望な存在が現れたのはボーダー隊員としても、一実力者としても望ましいことだった。
「それで? 頼みってのは?」
太刀川は加古の問いに追従し、先の話を促す。
「わかるでしょう? 折角だからあの子には是非とも実力と指導力を兼ね備えた弧月の担い手を着けてあげたいの」
「やっぱりな、それで俺のところに来たってわけか」
「ええ。だからお願い」
そこで加古は言葉を区切り、身を乗り出す勢いで太刀川に告げる。
「少しだけでいいから、烏丸くんの時間を私たちにちょうだい」
「……んっ? えっ? 俺じゃねえの?」
加古から名前が上がったのは最強の攻撃手である太刀川ではなく。彼が率いる太刀川隊の一人、烏丸であった。
てっきり自分が指導を依頼されると思っていた太刀川は肩透かしをくらい、しばらく物思いに沈むのだった。
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「……いやー。加古さん、多分ですけど、俺が教えることなんて殆どないですよ」
「あら。嬉しい誤算ね」
パーマのかかったもさもさ髪が特徴のイケメン男性、烏丸が感心した声色で呟く。
先ほどから烏丸と吉良が弧月――鍔のない日本刀のようなトリガー――で数合打ち合い、距離が出来ると間合いを取って再び切り結ぶ。
手加減をしたとはいえ、幾度か剣を交えた中で烏丸は吉良の隙を窺うことは出来ず、切り崩すことは敵わなかった。
「冗談抜きで、動きが初心者じゃないですって。本当に今日初めてトリガーを握ったんですか?」
「そうよ。剣道の経験はあるみたいだけど」
「はい。取ったばかりですが一応級位を持ってます」
「ああ。どおりで」
ボーダーにも似たような境遇として、居合を教わっていた経験から攻撃手の実力者に成り上がった者がいる。
吉良も剣道を習っていたからだろう、狙いの良さ、相手の動きの読み、俊敏性には目を見張るものがあった。
「やっぱりすでに確固たる理想のイメージができてるんでしょうね。だからこそ動きに迷いがない。他の隊員にはない、理想のアドバンテージだと思いますよ」
「そう言って貰えると照れますね……」
吉良は謙遜するが、決して過大評価ではない。それこそ並の訓練生では慣れてないと対処する事さえ難しいだろう。
「というか、そもそもなんで俺を指名したんですか? 太刀川さんで良かったんじゃあ」
「太刀川くんは……強さは間違いないのだけど、女の子に教える光景を想像してらちょっと、ね」
「……そうですか」
たしかに顎髯を整えず、だらしない一面の目立つ太刀川は彼女の指導官としては不適か。自身の隊長ではあるが烏丸も自然と納得してしまう。
「その点初めての相手が烏丸くんならイニシャルもピッタリだし、響きも良いじゃない?」
「まあそれで満足して貰えるならば良いんですが」
言い方に含みを感じながら、烏丸は吉良へと視線を戻して彼女の方向性を思案する。
「……あえていうならば、今後は適応性を高めていく、って感じですかね。剣道の動きに慣れている分、色んな意味で地に足がついた戦いが出来そうですが、反面トリガーを使った特殊な実戦に対する柔軟性までは育ってなさそうですし」
「たしかにね。今はまだ良いけど、将来的には移動系のトリガーとかも踏まえた戦いとかも必要になるもの」
「そんなのもあるんですか?」
「はい。でも訓練生のうちは使えるトリガーが一つだけですから。本当に考えるのは正規隊員になってからになりますよ」
「へぇ~。なるほど」
小早川の説明で納得し、吉良が何度も頷いた。
たしかに烏丸の言う通り剣道の動きに慣れているからこそ対応できたが、これが他の武器や動きを組み合わされたらまず対処できないだろう。その自覚はあった。
「今のうちにその辺りも少し見ておきましょうか。烏丸くん、設定はこっちでするからグラスホッパーを使った太刀川くんの戦い、真似してくれる? あなたなら器用だからできるはずよ」
「無茶を言わないでくださいって」
「私からも是非お願いします!」
「はぁ……。やっぱり太刀川さんを呼んだ方が良かったんじゃ……?」
反対意見を告げてもその声は届かない。
無茶な提案と無邪気な声に当てられ、結局烏丸は見事に太刀川の動きを模倣しきったのだった。