思えば、ツクヨミにおけるかぐやの顔は一定の人間には知られている。
それはヤチヨミニライブでパフォーマンスを被せてきた、ヤチヨを除けば1番人気であるグループ『ブラックオニキス』にさらに被せるようにして優勝宣言をヤチヨにぶつけたから、というところが大きい。
ライバーなんて見られてナンボの職業、存在。どんな原石でも知られなければ輝けないのだから、そこにおいてアドバンテージを持つかぐや持ち前の破天荒さとそこから生まれる配信、なんだかんだで上手い歌の二足のわらじでファンは爆発的に増加していた。
勿論そこには彩葉さんの友人である芦花さん、真実さんの協力もある。
知らなかったが、あの2人は有名なインフルエンサーらしい。美容とグルメ、それぞれの方向に深い造詣のある方の協力は、配信のネタとしてもかぐやの新しい側面を視聴者に見せる方法としても効果的。
タピオカ入りラーメンを食べてきた翌日の晩御飯が、彼女が作った再現ラーメンになったのは勘弁して欲しかったけれど。
「コンプライアンスってわかる?」
「え、ドジョウを虹色にするのってダメなの?」
「夢に出るよそんな事したら......」
それに破天荒もたまに行き過ぎたり。
その度にコンプラ研修じみた説教をするものの、それが効いてるのかどうなのか。少なくともその日の配信予定は着色料によるレインボードジョウの創造から包丁研ぎASMRに変更されたが、耳は破壊された。
バイトをして、ご飯作って洗濯して、一応やっとくかと夏休みの宿題に手をつけて。充実はしているものの、これまで忌避していたエナジードリンクにすら頼る始末だ。ゲームクリアまで24時間も耐久配信をやっていたかぐやのバイタリティを羨ましいと思いながらも、それはきっと好きな事だから発揮されるものだと視線を逸らす。
着ぐるみの中から見えるのは、初めての路上ライブから何倍にも観客が増えた周りと、変わらず堂々と歌うかぐや、頭上に乗っかっている犬DOGE。そして結局キーボードを持ち出してきた彩葉さん。
「かぐや姫って、絶対こんな陽キャじゃ無いでしょうよ」
なんで私がこんな事。そう言いながらも上目遣いでお願いされればすぐ受け入れるところが面白い。
結局、俺も彩葉さんも彼女には甘いんだ。
盛況のままにライブが終わり、2人に断りを入れて早々にツクヨミをログアウトすると、現実ではふらりと緩んだ足腰が、否応無しに自分の体を椅子の上に縛りつけた。
背もたれを体の横にくっつけ、疲労感から伸ばせなくなった背骨と折れ曲がる体をそこに任せる。ピークだ、ピークが体を襲っている。
どうしようもなく全身が痺れるような感覚。これはまずい、過労と脳の容量不足が全てを狭めていく。
もし東京で再会した日の彩葉さんもこんな状態だったのなら、そりゃ階段で滑って転びもするだろう。それでも深く深呼吸をして足に力を込める。
自分で立たなければ、もう2度と立ち上がれないような脅迫感が自信を染め上げる前に、その感覚から逃げるように。
俺を助けてくれる人はいない。母、父、もう1人の親族。それら全ては味方じゃない。
だから自分で立たなければ。そう頭を埋め尽くしていた思考を晴らさざるを得ないのは、ログアウトを済ませて瞼を開いた彩葉さんが見えたから。
「おかえりなさい〜」
「ふっ、なにそのポーズ?」
スマコンをケースにしまいながら微笑んだ彼女の視線の先には、驚きながら立ち上がった故になんだかおしゃれなポーズになってしまった自分の姿。
ファンサしてから戻って来るって、とかぐやの方を指差した彩葉さんに向けた顔を作って椅子を引けば、そこにゆっくりと彼女が座って、おもむろに取り出したスマホの画面には通販の、しかも水着のページが映る。
「......弥は」
「ふっ?!」
見ちゃいけないと思わず目を逸らし、耳を赤くした自分に向けられた言葉に肺の空気がいっぺんに吐き出された。こちらから、彼女の顔は見えない。
「弥は、海とか行く?」
夏だから、と彩葉さんは付け加える。
指差したカレンダーの日付はバイトも何もなくて、1日暇で、その問いに対する答えに定型文はなく如何様にだって伝えることはできる。
理由を探した。
「かぐやを1人にはできませんし」
「かぐやも来るって」
真実が話したみたいで、稼いだふじゅーで水着買ってたと指差した方には少し前に届いた段ボール箱が未開封。
スマホの画面を暗くした彼女は参考書を取り出すが、それだけでページを開こうとはしていない。
断ることは容易だ。行かないですって伝えてしまえばそこで終わり、久しぶりに体を休められる1日を過ごせるだろう。それに俺は彩葉さんの彼氏じゃない。そういうとこに異性を連れてくなら彼氏だろって、世間は言った。
それでも、その一言が出ない。
自分本位で考えられない中で、ゆらり、確認する。
「泳ぎませんよ」
「別に、芦花も真実も泳ぐために行くわけじゃないって」
「日焼け止めとか自分で塗ってくださいね」
「当然でしょ?」
ふう、と息を吐いて、その日出れないかと書かれていたメッセージに謝罪と断りを入れた。
視線をもう一度彼女に戻せば、髪に隠れてほんの少ししか見えない耳が色づいている。
「行きます」
「そ、わかった」
淡白なやり取り。しかしそれは、誘うことが苦手な人間と誘われることが苦手な人間の、精一杯のやり取りだったことは、言うまでもない。
「──ほら、できたよ」
腰と同じかそれよりも長い髪の毛に苦戦しながら、手首に引っ掛けていた四つのゴムでツインテールの形に結んであげれば、パラソルの下でじっとしていたかぐやはすぐさま立ち上がり、腰に浮き輪を身につけて海岸の方へと一目散。
前日早めに寝かせたからだろうか、いつもより元気があるその姿を制御できる自信はない。
「ごめんねー、クーラーボックス待たせちゃって」
「気にしないでください。飛び入りだから、これくらいはしないと申し訳ないですから」
右肩にかけたクーラーボックスから取り出したジュースは冷えていて、その冷気を提供するロックアイスはそこそこに重い。流石にこんなものを女子高生にもたせるのはな、と荷物持ちに名乗り出たのは自分なのだから気にしないで、と。
珍しく頭に被った帽子のつばが光を遮るよう位置を調節していると、少し遅れて着替えを終えた彩葉さんがサングラスを装着して現れる。ミントグリーンのソレに似合っているな、と思う一方で、日光を嫌ってか装着したスポーツサングラスがなんだか面白い。
砂浜にシートを敷き、不意の風で吹き飛ばないよう芦花さん真実さんに乗ってもらってから、四隅に開いた穴へちょっと信頼が薄い留め具を刺した。とりあえず俺がやるべき仕事はここまで。
そこでさっき買ってきた焼きそばを真実さんに渡して、よっこらしょとビーチチェアに腰を下ろせば、ソレをすする真実さんの視線がこちらに刺さる。
「弥くんって白いよねー、ほら、芦花といい勝負」
「スキンケアとかしてるの?」
「俺のこれは不健康なだけっていうか......」
仲間外れにしない気遣いというか、一緒にいる以上無視という扱いもできないが故の話題提供というか。
意図はどうあれ、結局取りきれなかった眠気が襲いかかる今、そうして自分を引っ張ってくれる2人の優しさが沁みる。
ゆっくりとすぎる他愛ない話の中。
こうやって現実で遊ぶ、っていうのはいつぶりだったかと考え、記憶の中を探ってはその思い出の遠さに目を伏せる。すり、と右手で左手を包みさするのは、なんとも言えない嬉しさから。
空っぽだった入れ物に意味が入って来るような、そういう幸福感は何にも変え難い。
とはいえ。
「へー、彼女とかいないんだー? イケメンなのに」
「やめてください...... イケメンって言われるほどじゃないです。もう...... 飲み物買ってきますね」
褒められるとちょっと恥ずかしい。
あー恥ずかし恥ずかしとその場から逃げ、海の家に支払った金の対価で渡されたオレンジジュースには、輪切りにされたオレンジがコップのフチに差し込まれている。
こういうの、見るたびにどうやって食う想定なのだろうとは思うが、自分の手から離れて彩葉さんのものになった今考える必要はない。
戻ってくれば、一通り海に浮かび終わったかぐやがシートの近くまで戻ってきて、防水のために袋へ入れられたスマホを触っては得意げに鼻を伸ばしている。
どうやら話している内容は変わり、かぐやのヤチヨカップにおける現状をどうするか、というところのようだ。
現在かぐやの順位は3ケタ。
最初の頃からは考えられない快進撃に満足するのが普通の人なのだろうが、そこはかぐや。何がなんでも1位を狙って足りない部分をどんなふうに増やしていくか、貪欲に思考している。
「やっぱ歌! オタクもみんな喜んでたし!」
「オタク言うな」
そして最終的な結論は歌。
まあ、言ってることはわからなくもない。ゲームも雑談もアベレージが高いものの、やっぱり1番伸びがいいのは歌。普段の元気な印象と歌の印象の違いによるギャップとかそういうところが彼女のいうところのオタクに刺さってるんだと思えば、その結論に異議を唱えることはない。
しかしそうなるとこちらを巻き込みがちなのが、ここ数日でわかってきたかぐやの定番ムーブである。
「彩葉ぁ〜新曲作ってぇ〜、伴奏もしてぇ〜?」
「これ以上バイトも勉強の時間も減らせません!」
『おねが〜い』とねだるようなポーズで彩葉さんに向けられた要望は、いつものようにキッパリと断られる。しかし彩葉さんの表情は前よりも柔らかで、今まで見せていたかぐやの無茶振りに対して辟易している、という様子は無くなっていた。
答えを受けて一転、かぐやは砂浜の上でジタバタと不満を表すよう転がり始めた。もちろんそれを止めるのは俺の仕事で、軽く受け止めて背中や腹に付いた砂を払ってあげる。
お気に入りの水着でもこういうことをするのは、物に無頓着というか、感情を優先しているというか。
「でも海来てんじゃん!?」
対して彩葉さんは余裕を持ち、マジなエリートは遊びも勉強も疎かにしないはずとサングラスに手をかける。それで睡眠時間削っているのは世話する側としては本当にやめてほしい。現状、睡眠時間が1番少ない自分が言えた義理ではないのだが。
しかし、かぐやは諦めない。
一歩引いて立ち位置を調整したかと思えば近くにいた俺を彩葉さんの隣に押し込んで、ゆっくりと顔をあげると、その目は潤んでいる。
「──かぐやのこと、助けて? 彩葉に演奏してほしい......」
「うっ、まあ、時間が空いてたら......」
「よっしゃぁー! もっと配信ッするぞぉー!!」
「ちょろは〜」
「ちょろはだねー」
「すげえ弱いじゃないですか......」
砂浜に這いつくばって不思議にも断れない自分に『なぜ......』と疑問をぶつける彩葉さんへ、3つほど追撃が刺さった。いくらなんでも、上目遣いで見られたらすぐ折れるのは流石に甘すぎだと思う。スウィート。それも彼女のいいところではあるが。
しゃがんで彩葉さんを慰めていると、視界の端から現れたのは海岸に向けて力強く決意表明をしていたかぐや。俺に対しては上目遣いを使うことなく、真正面からおねだりの様子だ。
「ねー、弥もー!」
「......うん、時間があるときにね」
まあ、俺には可愛い感じでねだる必要がない、というのは間違ってないけど。
幸いにも今回海に遊びに来れたことで、幾らかの心的余裕はできた。もう少しだけの無理を通すことはそう難しいことではないはずだ。
手を握り、開いて、再確認する。
まだ掴んだものを取りこぼしていない。かぐやも、彩葉さんも。
全部終わったらちゃんと幸せな話を書きたいですね