「ひき肉、ネギ...... よし、おつかいはこれで終わりだね」
「んふふ、彩葉よろこんでくれるかなぁ?」
「喜ぶよ〜」
かぐやが彼女の家に居着く、となったあたりから定額制になった晩御飯の材料を買い、両手に持った買い物袋を重りとしてくるくると回り始めたかぐやを嗜めながら帰路に着く。
今日はバイトの終わりが早く、かぐやの配信も予定時刻は少し遅い。偶然が交わったからこその買い出しだったが、売っている食品の良いもの悪いものの見分け方を教える良い機会だったと言える。
こういうのが美味しいヤツだよ、なんて自分で調べるか教えてもらわないことには知らないまま。出来上がる料理に関心を持ちながらもその過程にある素材を軽視しがちだったかぐやも、店を出る頃にはすっかり素材と結果を合わせて料理として考えてくれるようになった。
「今日は芦花さん達とゲームだっけ?」
「そう! ついにかぐやもツクヨミにあるゲームに参戦っ、てかんじ? ブラック
「ブラックオニキスね〜、真実さんに怒られちゃうよ、間違えたら」
ゲーム配信、と言ってもかぐやがやってきたのはネットに転がってるフリーゲームとかそういうの。彩葉さんの家にはテレビがないから、いかんせん画面に接続してプレイするゲームみたいなのは環境上の都合で配信ができなかった。
ツクヨミにはなんでもある。それこそ無料でできるゲームもあって、時折彩葉さんがやっているのも見て来たから存在自体は知っている。
かぐやが楽しめたら良いなと思うばかりだ。
一方で彩葉さんはと言えば、模試の結果が上々だったらしい。
彼女はそういう結果とかを進んで言ってくるタイプではないものの、家に帰って来て勉強をして、息抜きに視線を落とすヤチヨの配信を見る目を覗き込めばそこにある感情はすぐにわかるのだ。
「なんですか〜これ、ヤッチョGPT?」
「もう、人の画面勝手に見んといて」
見てしまったのは上京の前。
AIであるヤチヨと会話ができる、みたいなアプリを開いた彼女のスマホに見えた履歴に少しくらりとする。
そこには彼女にとって辛いことであろう母親との関係について、切実に相談する文章。なんとかしようとしてるんだろうな、彼女なりに嫌いになれない人と分かり合えるように。その時はそう思った。
彼女はヤチヨが好きだ。それは辛い時に寄り添ってくれるような歌、元気づけてくれる配信、それらがあるからこそで、そんなヤチヨだからこそ彩葉さんは目で全てを語っている。
えらいな、という感想しか出てこない。
俺はギクシャクした関係をどうにかしたいとは思えなかった。ヤッチョGPTに相談しようにも──
「......なんなんこれ、話にならへん」
返って来た文章は文字化けしてて、しかもその後しばらく頭痛に悩まされて散々だった。
それからだったか、それとも上京してからだったか。日頃ずっと誰かからの視線を感じるのは。
まあ、今日の晩ご飯はそんな彩葉さんの模試頑張ったねのご褒美みたいなもの。
ホットケーキミックスも買った、準備万端だ。
「パンケーキ、パンケーキ〜」
「彩葉さんの皿から奪っちゃダメだからね」
「はーい」
元気な返事を受けて微笑みながら、ちゃんと言ったことを守れたら一枚増やしてあげようかな、なんて。
歩きながらかぐやが持っている袋を貰おうとして、目の前に見えた人影の存在に気づくと、その手を引っ込めて足を止める。
急なブレーキに驚いた様子でオーバーな立ち止まる動きを見せると、かぐやはこちらを見上げる。しかし、その視線に言葉を返せるほどの余裕はない。
微笑みが消える。顔が強張る。これまで消えていた鮮烈なものが、腹の底から熱を持って込み上げた。
「弥? どしたの?」
「──やっぱ弥だよな、久しぶり」
かぐやの言葉を聞いて確信を持ったか。少し気怠げなその男はこちらに向けてふにゃ、と伸ばしきらない手のひらを上げて挨拶を済ませると、左手の薬指には指輪が見える。
それを見て、つい、声を上げた。
「どこ行ったのかと──」
「何しに来た?」
被せる。相互理解はできない。
「また、何か
「......なぁ、彼女の事なら謝るからさ」
「何回謝った? 何回直すって言った? 彼女が居るなら幸せに暮らしてそれで終わりでええんやないの?
追い出したヤツに関わろうとするのがわからんわ」
「はぁ、めんどくさ...... なんで兄貴が弟に会いに来てそこまで言われなあかんの? もうええ、また別の日に会いくるわ」
どうせこの辺に住んでれば会うだろ、とその男は視界から消えて、深い息が漏れる。
蚊帳の外にしてしまったかぐやの頭を軽く撫でて、何事も無かったように『行こうか』というものの、隠しきれない空気というものは、あった。
「弥、無理してる?」
「ん〜? また、どうして?」
「顔が怖いもん」
追及され、自分の顔を掴む。
いつまでもあの存在が消えない。最後に見た時からいくらか健康的な様子だったあの顔が頭の中で繰り返して、その度にほんの数ヶ月と数週間のかぐや達との思い出で塗りつぶしての堂々巡り。
今回の競り合いは思い出の勝ちで終わったものの、ご飯を吐き戻したような感触は残ったままだ。
「......してるかな。でもこれ、彩葉さんに言っちゃダメだよ? あくまでも俺の問題だから」
しー、と人差し指で彼女の唇を塞ぐ。
これに対してかぐやがいつものようにムスッとすることも駄々を捏ねて何かを要求したりということもない。
それを見て子供が成長していくような感覚に浸りながらも、強まっていく申し訳なさから視線を逸らす。
こんな面倒な目にあわせちゃって、ごめんね。
「ねぇ、いろは〜?」
「......なに? 言っとくけどコーラはその一本で終わりだからね?」
『ぶぇーけちー』とお菓子にジュースに、夜に食うものではない甘味を味わうかぐやに対して、彩葉は机から視線を離さず、勉強の邪魔になるかぐやからの問いを軽くあしらった。
たいていこうしてかぐやが何かを聞いてくる時は碌なことではない。新曲作って、配信出て、遊んで。大概今回もそんなところだろうとかぐやに対して彩葉が意識のキャパシティを割くことはなく、目の前のノートに思考は向けられている。
「彩葉はさ、弥のー...... 親が大切にしている先に生まれた方の男の子? だっけ? その人のことは知ってんの?」
「何それ、兄弟ってこと?」
「んーん、親が大切にしている先に生まれた方の男の子」
「それを兄弟っていうの」
問答無用と話を続けるかぐやに対し、これは話してやらないとおさまらないなと確信した彩葉は振り返ってかぐやが口から放つ独特な兄弟の呼び方を指摘する。
壁には皿洗いを終えた弥が座り込んで眠っていた。最近では帰宅時間が自分よりも遅くなって来ている彼に対し、彩葉としても思うところがないわけではない。
立ち上がり、その隣まで2歩、3歩。膝をついて目元の髪を少し退かせば見えたのは深くくっきりと浮かび上がったクマ。
顔色はかぐやが来る前の時よりずっと青白く、眠る姿もまるで死んでいるかのようで、息をするたび浮き上がる肩が見えなければ人形のよう。
「弥の兄弟、知ってるけど。」
彩葉にとっては兄の友人、という程度ではあるものの、おおよそどの様な人間なのかというところは理解している。
他人には人当たりよく、家では抑圧された自分を解放するタイプ。そこには理不尽も暴力もあったであろう事は、自分の家に遊びに来た弥の姿を見ればすぐにわかった。
「まあ、弥にとっては良い人じゃないと思うよ。
で、なんでそれが知りたいわけ?」
また何かよからぬ企みを? そう言って釘を刺そうとしたがかぐやの見せた表情はそういう類のものではなく、彩葉は意外にも驚いた様子を見せる。
そのかぐやはと言えば、馬鹿正直に知ろうとした理由を口にしようとして、すぐさま『約束だから』と口をつぐむ。
感情に任せて生きているような印象を与えるかぐやが、何かを抱えたようにNOを突きつけた。その事実は少なくともその約束の相手が重要視している事であることを示し、そしてそんな兄弟の事で何かがあるのは目の前の1人だけ。
──思えば。
彩葉は、上京してから1年目の白石弥を何ひとつ知らなかった。
自分のことを語り、受け入れた相手。その相手が中学3年生の間はその身を養った相手がいるはずで、それなのに今は一人暮らし。
ご飯は作るけど食べたところは見たことなくて、眠るのだって自分どころかかぐやよりも遅い。そのくせ朝は誰よりも早く起きている。
ポケットからスマホを取り出し、ひっくり返して背面を見ればケースに挟まれているのは『大変よくできました』と潰れそうな字で書かれたシール。
あの日、膝枕されて褒められた時は焦って気にしていなかったが、見上げたところに見えた表情は微笑みなんかでは無かった。
もっと深い、諦めにも似た。
──かぐやの快進撃は、止まるところを知らない。
ツクヨミ内に搭載された対戦ゲームモード『KASSEN』のプレイ動画は本人のセンスも合わさって類を見ないほどの伸びを見せ、チャンネル登録者も右肩上がりにぐんぐんと増えていく。
その流れに身を任せ、かぐやの配信は数も時間も膨大になっていく。いつのまにか私や弥がアルバイトで貰っている金額よりもずっと多いお金を稼ぐようになっていて、比例するようにぬいぐるみやら訳の分からないトーテムポールの一部みたいなものも買ってくるようになってしまったのだからどうしようもない。
自分の稼ぎから出しているのだからまだ良いが、今では眠る場所に何かしらが侵食して来ていない時間が無いほどに、部屋全体がかぐやのもので埋め尽くされている。
そして増えたのは曲の要望もだ。
作って、というのは簡単だろうが、たとえ昔に作っておいたアーキタイプがあったとして、それを洗練して人の耳に届けて問題ないようにするのはそこそこな時間がかかる。
もちろん私にそんな時間は無い。そうなれば自分から名乗りをあげるのが白石弥という人間だった。
「作り方は見て覚えたから上手いことやれると思う。彩葉さんは勉強しててください、余裕ができたら手伝ってもらえるくらいが1番良いですから!」
そうは言うが、弥にもまた余裕はない。
そのクマはさらに濃く、隠そうとしているのだろう疲労は夜になると滲み出て来ているように体の各所に見えて、でもそれを指摘したとしても彼は大丈夫だからとしか言わなかった。
私も
そう思うと怖くなる。
「──本当に私たちも行くの?」
かぐやのファーストライブの日。
ツクヨミ大通りの階段を上がりながら、これから始まることに一切の緊張を持たなそうなライブの主演へ聞いてみれば、ニッコリ笑ってピースの形にした両手を私と弥にそれぞれ差し出した。
「なにそれ?」
同じように片手をピースの形にして、指先を合わせた。そうするとかぐやはこちらの指と指の間に自分の指を入れ、きゅっと優しくお互いを結んだ。
弥に差し出された右手も同じように。
「かぐやと2人の合図!」
「なかよしのやつ、だね」
「......ふーん」
『そ!』とかぐやが弥からの補足に返事をする。
まあ、こういうのも良いかな。