久しぶりなので嬉しいですね
デザイナーズタワマン、3LDK35万円。
『コレとかどう?』と指差してかぐやが言ったのは、彩葉さんの部屋がいよいよもう足の踏み場もないと言う現状からどうにかしないといけないという彼女なりの解決策。つまるところ、スペースが無いならスペースの大きい場所へ引っ越してしまおうと言うのだ。
道端によく貼り付けられているそんな広告の下には小さな文字で多様なオプションの羅列もあり、こんなところに住んでいる人は人生勝ち組って感じなのだろう。
「こんなとこに住んでたら人間おかしくなるって......」
「ええ〜?!」
はあ、とため息を吐いて歩いていく彩葉さんと、その後ろについて行くかぐや。
どうにも、どちらの言い分もわかるのだ。
彩葉さんの言うとおり、高校生の時分からそんなところに住んだらもう暮らしのレベルを下げる事は不可能で、家賃のほとんどを払う事になるかぐやがもし大炎上したりして収入が無くなったらもう破滅するしか無い。
しかしかぐやが行動するように、現状あの家ではもうキャパシティ的にかぐやを封じ込める事は難しく、生活に不便が生まれている以上はステップアップの必要がある。そも、配信者との一部屋生活なんて現実的じゃないのだから。
「何も全部が全部考えなし、ってわけじゃないと思いますよ。少しくらい話、聞いてあげたらどうです?」
「あぶく銭で良いとこ住んだっていつか限界が来るに決まってるでしょ? こう言うのはちゃんと積み重ねた人が住む場所なんだから」
「かぐやもチャンネル登録者積み重ねてるんですけど!」
「まあまあ、かぐやも努力した結果で彩葉さんに良い思いして欲しいんだよね?」
プンスコとしているかぐやに対し、小さく囁けば彼女は深く頷く。もっとお互いにお互いをわかってあげられれば良いのだけれどそこは心の問題というか。
やっぱり頑張って説得するしかないねとか、頑張って彩葉を崩しちゃお、なんて内緒話をしていれば『2人とも置いてくよー』と少し先から声が届く。
小走りで追いつけば、彩葉さんの目がこちらを見た。意外そうな表情で指さすのは、スマコンを装着していると示す光輪が浮かび上がった俺の眼球だ。
「外で使ってるの初めて見た。ツクヨミにログインする時しか使わないって言ってなかったっけ?」
「あ〜、使ってみたら思ってたよりも便利で。値札が無くても値段が見えるの、野菜買う時に便利なんですよ」
そんな話をしていれば、2人の間にかぐやが体を潜り込ませる。嬉しそうな笑顔で伸ばした手のひらは彩葉さんと俺の手に伸びて、これではまるで家族だな、なんて。
恥ずかしそうに手を繋いだ彩葉さんに続いて、しっかりとかぐやの手を握ろうとする。
「あれっ」
しかし迎えに行った手のひらが掴むものはない。
手の中に収まると思っていたものが消えたような感覚に間抜けな声をあげれば、今度は地面が段々と近づいて来て、思わず崩れて行く身体を支えようとアスファルトの上へ手をついた。
太陽に照らされた大地が手を焼く。
だんだんと噴き出す汗は瞬く間に全身を包み、スマコン越しの視界は狭まって、今度は全てが遠くなった。
「
聞こえる声も遠くなり、息を吐き出せなくなる感覚がありながら、全身を包む汗があろうと感じるのは熱。
嫌に冷静な頭が弾き出したのはひとつの結論。
俺は、無理をしすぎた。
──家だ。
京都市にある、上京前まで住んでた家。
今自分はそこで横になって寝転がっている。さっきまで外に居たはずなのに何故寝ているのか。
そこに深い疑問を持つ事なくそういうものかと変な納得が頭を支配していると、不意に側頭部へ痛みが走る。
誰かが笑って、俺の頭を蹴っている。それだけがわかって、何故か体が動かなくて、どうにか周りを見回してみればそこには大人たち。
お父さん、お母さん。顔なんて見えないのに自分を産んだ、育てたその人達だと言う不思議な確信があって、絶えず頭に走る痛みに助けてと叫んでも自分の口から放たれるのは『あー、うー』と言う呻き声。
彼らは反応もせず、脳裏に響くのはケタケタという笑い声。
ガンガンと響く声と、硬い靴で蹴られる感触と痛み。もうやめて、助けてと心の中で叫び続けていると、ふとこれは夢だと頭が認識する。
唐突なメタ認知と共に視点は寝転がっている自分を俯瞰で見ている何者かへと変わり、瞼を開こうと何度も何度も力を込め、ばち、と音が鳴りそうなほど勢いよく開かれた瞼の先にあったのはスマコン越しの本物の天井。
物で溢れかえった周りを見回せば珍しくエアコンが冷風を吐き出しており、台所では包丁がまな板を叩く音。
勢いよく起き上がった自分の体は冷や汗でぐっしょりと濡れており、時計を見れば外出したという最後の記憶から一時間と経っていない。
......横になって寝たのは何ヶ月ぶりか。
いまだに夢は消えない。どこまで行っても、横になれば頭が『蹴られるぞ』と警鐘を鳴らす。
最悪の気分が晴れないまま、ポケットに入れっぱなしだったスマコンのケースへ目に取り付けたままだった本体をしまうと、不意に思い出すのは今日入っていたはずのバイトのシフト。
「バイト......」
ふらついた体で立ちあがろうとするが、力が入らない。
ドタっと膝をついて鳴らした音で気づいたか、台所に立っていた2人が心底ホッとした顔で近づいてくる。
「弥、しんどい?」
「バイト行かなきゃ......」
かぐやの言葉に対して会話にならない言葉を返し、震える足で立ち上がると、玄関へ壁に寄りかかりながらも向かう。
これは約束なのだ。この日この時間に仕事をしてね。仕事するからお金ちょうだいね。そう言う約束。
そして約束は守らなきゃならない。守らなきゃ、それは綺麗に生きてるとは言えない。
しかしふらつきが止まる事は無い。またも倒れそうになれば、立ち塞がるように立った彩葉さんに身体を預けるような形になってしまった。
そして見せられたのは自分のスマホ。
いつパスワード教えたっけな、なんて思っていれば、バイト用のメールアドレスから送られていたのは自分の文体ではないキッチリとしたお休みの連絡。
「休みの連絡は入れたから。だから...... もう、休んでよ......」
そう言われてハッとして、2人の顔を見る。
一瞬見せてくれた安心はいつのまにか心配な顔に変わっていて、寝ていた場所にはふかふかとしたぬいぐるみたちが集められている。
俺は2人に心配させたんだ。出先で倒れて、2人の世話をする役回りなのに世話をさせて。
──いやだ。彩葉さんから身体を離し、壁に手をつきながらも一人で立つ。
かぐやは病院に行こうと言う。
それもいやだ。
「バイト休みたくないし、病院なんていったら2、3日休めって言われるし。だから...... いやだ」
綺麗に生きたい。
休まず普通に働いて、普通に家事して、普通に過ごす。誰にも認められない自分一人の自己満足。それを失ったら自分が自分でなくなってしまうような気がして、怖くて、だから休みたくない。
これはああなりたくないと言う自分の決意だ。
兄のように誰かを頼るだけ頼って切り捨てるなんてしたくないから、それなら最初から頼らないようにすれば、自分で自分を完結させられるようにすれば、それは綺麗に生きてるって言えるだろう。
だから奪わないでと言えば、ほんの少しの間をおいてかぐやの目から涙がボロボロと溢れる。
「弥、死なないでぇーっ」
「死なないよ......」
「元から弥は綺麗じゃん! 無理言ってもやってくれるし、徹夜で動画の小道具作ってくれるし、ご飯だってかぐやより美味しく作ってくれるんだよ? それなのに、それなのにぃ......!」
かぐやが抱きついて来て、シャツが鼻水で濡れる。
泣いてるところなんて初めて見た。それだけの心配を俺はかけて、それだけの気持ちで俺を見てくれているのか。なんで?
普通に寝れない、一緒にご飯も食べられない。そんな俺を見る必要なんてないだろう。その気持ちはいつか消える俺ではなく彩葉さんに向けるべきだ。
死なない、死なないから、大丈夫だからとかぐやを宥め、ぺたんとその場に座り込む。
「彩葉さ── うっ」
すると彼女が目の前に座り、手に持ったタオルでぐしゃぐしゃと汗だくの顔を拭くと、テーブルの上へ冷蔵庫から取り出した飲み物を置いて真っ直ぐにこちらを見た。
澄んだ、綺麗な目。
どうにも直視できなくて顔を逸らすと、すぐに両手で頭を掴まれて正面を向かされる。観念して向き直ると、彼女はゆっくりと口を開いた。
「私はお母さんと喧嘩して、自分で生活費と学費を稼ぐからって言ってやっと折り合いついて、今ここで暮らしてる。
お母さんは似たような事やってたし、私も譲らなかったから、一人で生きていけるって思ってた。
そしたら早々に限界が来て、弥に助けられて......
あの日、言ったよね。どうしてそんな一人で頑張らなきゃいけないんですか、って」
確かに言った。
話を聞いて、頼ろうと思えば先に上京していた兄を頼れるはずで、それなのに何で自分一人で頑張っちゃうんだろうって。
「私は恵まれてたから。
五体満足に産んでもらって、友達にも好きな事にも。もちろん今は、かぐやも弥もいるから尚のことだけど。
......私の話はこれでおしまい」
一度、聞いた話だ。
きっと、彼女は母親の紅葉さんを嫌いになれなかったんだろうなってそう思う。でなければ母親と自分は違うから、違う道を歩むで終わり。
お母さんにもできたから一人で生きようとして。
それって普通に嫌いなことよりずっと辛いだろうって思って、だから俺は彼女のお世話をさせてくれって言ったんだ。
初めて聞いた彼女の身の上に驚いているかぐやを尻目に、彩葉さんは微笑みを作り、続ける。
「だから、弥の話を聞かせて? 綺麗じゃない話も、ぜんぶ。
一方的に話を聞いて、私とは2人で頑張ったくせに自分は1人だけなんて許さないから」
「かぐやも合わせて三位一体だよっ!」
綺麗で、軽い存在が良かった。それこそ羽根みたいな。
でもそれは理想で、今の自分は綺麗に生きることもできない。嘘つきで、ミスばっかりで、キモくて、それこそ『がんばりましょう』のシールを貼られてしまうような。
でも2人はそれでも良いと言う。聞いたって気分が落ち込むだけのことを、全部聞かせろと。
かぐやは聞いたら俺が傷つくんじゃないかって迷って表情を多彩に変えていたけど、結局は聞く方向で行くらしい。
すぅ、と息を吸って、吐く。
「俺は、何にもなれなかったんだよ」
兄の世話をするって言う名目。そのための高校の学費と生活費は自分で稼ぐ約束を取り付けて、上京した先で見た兄は酷いものだった。
アパートの部屋は荒れ果て、ところどころから腐臭みたいなものはするし、食事だってろくなものを摂っていないのか肉体的にも精神的にも不健康そのもの。
それこそ最初はザマアミロなんて思いもしたけれど、見ていくうちに自信満々で家を出て行った家族がこんな姿になっているのが辛くなって、いろいろ手助けをした。
それこそまず掃除。精神を病んでいた兄は要るもの、要らないものの区別もつかなくなっていたみたいだから、本当に重要なもの以外は全部ゴミ扱いにして捨て、物によって使い物にならないフライパンとかは全部買い換え。
この時点で一応待たされていた餞別のお金は大体なくなった。中学校の友達からもらったものもあったけど、仕方ないと使ったのを覚えている。
食事に関してはその頃料理らしい料理など作ったことがなかったから、ネットに転がってるレシピをとにかく見漁って、1ヶ月間はレパートリーの中で被りが出ないよう心がけたり。
そこまでやらなきゃいけなかったか、と言われると、多分そうでもない。
一回エンジンがかかればもう一度社会復帰出来るくらいなのだから、誰かが軽くケツを蹴ってやれば良かった。
それが出来なかったのは怖かったから。
「指に切り傷、殴られたり蹴られたり、果てはゲーム機取られたり...... 僕って一人称もとられたな」
「あぁ、そんな感じだったわー......」
だから甲斐甲斐しく世話をして、少しずつ心が持ち直して来た時には何とも言えない達成感みたいなものがあったし、感謝もしてもらえて嬉しかった。
でも良かったのはそこまで。心が回復したって言うことは今まで通りに戻るってことで、いつのまにか復活したのは暴力と理不尽。
「何でメシが昨日の残りなんだよ、サボってないでちゃんと作れや!」
「痛っ......」
痛かった。辛かった。
誰にも頼れないし、頼ってしまえば俺は向こう数ヶ月のあいだ東京で生きる術を失ってしまうと思ったから、耐えるしかなくて、殴る蹴るも背中につけられた根性焼きの跡も全て残っている。
その度に謝られたり反省したと言われては繰り返されたそれに辟易する中で、唯一前向きになれたのはとある人がいたから。
「大丈夫? 辛かったら何でも言ってね、お姉さん相談に乗るから」
若い女性の大家さん。正直に言って初恋の人で、どれだけ殴られても朝、転校先の学校に行く時挨拶をするだけで頑張れた。
顔に傷を作ったら絆創膏を貼ってくれるし、せっかく作ったご飯を不味いと言われて全部捨てられた日には晩御飯を分けてくれたりもした。好きだった。どうしようも無く好きだった。
中途採用で兄の社会復帰が決まって、卒業まであと数日。いくらか浮かれた気分で彼女の下に行き、いつものお礼として作ったクッキーを渡しに行くと、いつもならいる部屋に彼女の気配はない。
帰って来てから渡そうか。
そう思いながら兄のいる部屋のドアノブに手をかけると、中から声が聞こえてくる。知っている声だ、何だったら知りすぎている声だ。
「──弥くん、少し酷くしすぎなんじゃない?」
「いやいや、あのくらいが兄弟のコミュニケーションだよ。それよりさ、アイツが寄り付いて嫌じゃないの?」
「う〜ん、傷つけないように優しくしてるけど、なんだか汚いから...... 少しイヤ。
あなたは綺麗だから好きだけど」
ずっと、扉の前で座ってた。
兄は俺があの人を好きなことを知っていた。それを聞いて笑ってた。初恋の人は汚いって笑ってた。どこまで行っても横恋慕だったその感情をみんな、みんなみんな笑ってる。
お腹が減ったらクッキーを食べて、ずっと続く食事と同時に来る吐き気と共に次の朝まで中から聞こえてくる声を聞きながら、自分の中の全てがノイズに包まれる感覚の中で思う。
生きたい。
綺麗に生きたい。裏切らず、普通に、汚くならず、誰かを助けて重くならず、何よりも綺麗に。
綺麗に、綺麗に、綺麗に、綺麗に。
「──悪いな、彼女出来たんだ、お前も知ってるだろ?
で、流石にこの部屋は3人も居れないし......」
「わかってる、じゃあね」
「......なんも言わないんだな? つまんないわ」
奪われたのは初恋の人とか、金とか、そういうものじゃない。
明確なやりたいことを手に入れる時間と、自分をこのままでいいと思うこと。それらが無くなったその1年間で、俺は何にもなれなかった。
「面白くないでしょ?」
かぐやの方を見て、下手に微笑む。
「三位一体なんて言ったけど、俺はこんなものなんだ。取り消したっていいからね、男に二言は無いけどかぐやはそうじゃないんだから」
「──取り消さないっ!」
すると、かぐやはテーブルの下へ潜り込んで俺の足のあたりから顔を出し、ぎゅっと腹に手を回して顔を見上げる。
「ぜーったい彩葉も弥もハッピーエンドに連れてくから! 絶対だから!」
「私は関係ないでしょ?
......まあ今は3人なんだし、少し汚い...... っていうか、このワガママ姫のせいで普通に汚い家だけど、いつでも居ていいからさ。
頑張ろうよ、みんなで」
腹から離れたかぐやが台所に行くと、急いで盛り付けたご飯がお盆に乗せられ、ゴンと目の前に思いっきり配膳される。
「今日のメニューは、ネギ味噌ショウガと卵おじや、卵は2個入ってるよ! 彩葉も手伝ってくれて熱々だから、ふーふーして食べてー...... んと、無理そうだったら食べなくていいからね!」
「......いや、食べるよ」
その辺に転がっていたドンキの黄色い袋を手元に持ち、スプーンでおじやを掬う。
ふーふーしてね、という言葉通りに息を吹きかけ、少しの恐怖心と共に口へ運び、軽く噛んで飲み込む。
すれば味の感想を伝えるよりも早く吐き気が腹の底から押し寄せて、すぐさまドンキの袋に汚い声を封じ込めた。
無理しないでってば、と背中をさする彩葉さんに大丈夫と涙声で返し、軽く口を拭いてかぐやに涙交じりの笑顔を見せた。
微笑みではなく、笑顔を。
「超おいしい」
「んふっ── どやぁ!」
──夜。
見られながら食べても吐かないように体を矯正しようと努力しながら、なんとか食事を終えて眠る。
壁に座って寄りかかり、瞼を下ろそうとすれば『ねえ』と彩葉さんから声がかかった。
手をちょいちょいとこまねいて、そのジェスチャーの意味を確認しようと体を近づければ、ポンと手が頭の上に乗せられる。
「......どういう風の吹き回しですか?」
「昔、よくやってたなって」
「はは、そうですね。
ね、彩葉さん」
「んー?」
「綺麗じゃないけど、これからもよろしくお願いしますね」
「ん、三位一体だしね」