ありがとうございます
「......ねえ、まだ?」
何度も深呼吸を繰り返し、中古のスマコンに手をかけながらも中身を取り出せないまま30秒くらい。先にコンタクトを眼球に取り付けた彩葉さんから文句が出るのも仕方ないとは思うが、それにはちょっと言い訳させてほしい。
本来、こう言うものって段階を踏むべきだと思う。ほら、カラコンを買うのに眼科でまず受診をしなければならないみたいに、目に物を入れる行為に耐性があるかどうかを確かめてから、みたいな。
自分で自分がまどろっこしいから先言うけど、目に物を入れるのが苦手なのだ。だってすっごく痛そうだし、もし眼球の裏行ったら取り出せなくないですか?
満を持して蓋を開けると透明な2個1対のレンズ。
プルプルと震えながら眼球の上に落とせば、鏡に映る自分の瞳には、装着を示す円形の光が灯る。
なんとかなった、とたったこれだけでガッツポーズしながら畳まれた布団の上に居るかぐやの隣に座り、彼女の手を握って合図を待つ。
「いくよ? せーのっ」
彩葉さんの声に合わせて息を吸い、瞼を下す。
同時に視界を包むのは水流。縦穴の中に満たされた水の奥深くから、光へ向けて浮き上がる感触に身を任せていると、水面から弾き出されるようにして非現実と一目で理解できる場所に降り立った。
前後にある鳥居、周りを埋め尽くす灯籠。存在は知っていたが、実際見てみるとすごい物だと周りを見渡していれば、鈴の音色と共にある人物が現れる。
彩葉さんが良く配信を見ている、神棚みたいなアクリルスタンドを飾っているライバー、ヤチヨがそこにいた。
しかし、今自分の中に起きている問題は、そこではない。
「こんにちは! ここは──」
「仮想空間ツクヨミで、あなたは月見ヤチヨ......」
ぽつり、ぽつり。
おそらくはチュートリアルであろうこの歓迎の中、ゆっくりと前に歩きながら、記憶が知らないものをまるでデジャブのように吐き出し始めた。赤ちゃんで、名前も知らなかった頃のかぐやを『かぐや』と呼んだように。
その肩に乗っているモフモフは
「そのメンダコは...... メンダコは......」
と、そこで止まる。
それ以上は記憶が栓を閉めて、そこまでの間うんうんと頷きながら聞いていたヤチヨは指をパチンと鳴らしてまた、見たことがないのに知っているUIを空間に浮かび上がらせる。
服や付け耳、髪色などを入力すれば、彼女はそれ以外のチュートリアルについて説明することもなく、手を引いて『それじゃあ、行ってらっしゃい』と目の前に聳え立つ鳥居へ誘導する。
不思議な感覚だった。自分はここにいるんだけど、文字通り自分ではないみたいな。肉体は自分なのに、どこかで自分が別の存在になり変わっているような感覚があって、思わず問うてしまう。
「ヤチヨ」
「んー? どうしたの?」
「
自意識過剰みたいなその問いにヤチヨは答えない。ただ笑うだけ。
しかしほんの少し。ほんの少しだけ、その笑みには喜びに似たものが混じっていて── と、そんなことを考える間もなく顔面が床と熱い口づけを交わす。
ぶべ、と不細工な鳴き声を出して両手を地面に付けて立ち上がれば、そこには狐っぽい人とウサギみたいな人がいて、後者はどこかギャルっぽい。じっとこちらをみる2人に少し『誰だ?』なんて考えそうになったが、すぐに理解した。
「彩葉さんと、かぐや?」
「正解。 あと本名言わない」
そう言えばそうか、と口を手で塞ぐ。
ここはネット。誰が聞いているのかわからないのだから、不用意に現実での名前を口にするわけにもいかないか。ともすれば俺は大ミスをやらかしているわけだが、と頭上を指すと、それを見た彩葉さんのデコピンが襲いかかってくる。
「いてっ」
「『ワタル』って本名にするやつがあるか!」
「え? かぐやも『かぐや』だよ?」
「あんたもかい!」
一通り怒られ、ほら行くよと先を進む彩葉さんの後ろをついて行く。なんだか昔に戻ったみたいで少し嬉しかったが、それよりも凄いのはツクヨミ内の活気、そして目を引くものの多さだろう。
もちろん、現代に生きていれば情報としてツクヨミのことを知る機会はいっぱいある。動画サイトはそれ一色みたいなものだし、雑誌とかだってコンビニの片隅で何度も見かけた。
それでもこうして直に見ると衝撃を受けてしまうのは、この場が『生きている』からだろう。
流れる雲も水も、人も催しも全てが生きている。
VRと書いて仮想現実、と読むが、それもあながち間違いじゃないな、なんて今更ながら思うなど。冷たくない水に素足を突っ込みながら次々に入ってくる情報の新鮮さに鼻歌を歌っていれば、そんな自分を見て、彩葉さんがいたずらに笑う。
「楽しそうで何よりですねー?」
「うん、楽しい。歩いてるだけなのにずっと新しいことばっかりで...... かぐやに感謝だね」
「えっへへ!」
「怪我の功名みたいなものなんだから、アンタが胸張るようなことじゃないでしょうが」
まあ彩葉さんの言うとおり、なんだかんだで万円が六枚近く飛びはしたわけで激痛ではあるのだが、何より嬉しいのは上京してからの自分に、趣味らしい趣味が増えそうなこと。そして、2人と共通のものが持てそうなこと。
それだけで払った分は帰ってきている。
そして話題は見た目の話になった。もちろん現実の容姿についてどうこう、と言うわけではない。アバターの見た目とか、着ているものの話。
正直、俺はファッションみたいなものは理解できていない。小さな頃からお下がりばっかりだったし、高校生になってからはセカストで千円以下の服やら、しまむらで値引きされてる無難なやつを買ったりな訳だから。
「蜘蛛なんだ、鬼とか選びそうだと思ってたけど」
「なんか鬼だと被りそうじゃないですか?」
「賢明だと思う。ほーんと、溢れかえってるから」
その賢明という言葉に込められた心底嫌そうな意図はわからなかったけど、褒められて悪い気はしない。
付け耳とか角とか、そう言うアクセサリーはチュートリアル段階でもかなりの数があった。犬とか、彩葉さんみたいな狐の耳もそう。その中で俺が選んだのは蜘蛛の複眼みたいな赤いレンズのゴーグル。それを首にかけて蜘蛛イメージです、なんて言い張ってる。
他は正直、フィーリングでしかない。
スーツっぽい服のズボンを白、シャツは黒にして、一応『和』のイメージが強いツクヨミなのだからそういうモチーフは取り入れたいってことで、和服みたいな袖のジャケットを着て完成。
やっぱり自分で作ったものだから気に入りだし、アバターは奪われないのがいい。
しかし──
「味気ないのは、いかんとも......」
「味とか匂いとか、そういうのは全然無理みたいよ?」
まあ、仕方のないことではある。スプーンを入れて口に持って行った、映えそうな見た目のパフェからは味も匂いもしない。食感だけはギリギリあるので、感覚として言えば硬さ変幻自在の無味無臭ナタデココを食べているような、そんな感じ。
これにはかぐやも残念そうな顔を見せている。明日あたり、なにかアイスでも買ってあげようか。
かぐやがプログラミングして作った犬DOGEとじゃれあっていれば、甲高い音が一定のリズムで聴こえてくる。それは彩葉さんの目の前にHUDが如く浮かび上がった数字を点滅させ、自分たちがこの場に来ることの理由となったあるイベントの開始が迫っていることを教えてくれる。
「時間だ、行くよ」
円形のステージを囲んで、水色の光がまるで光輪かの如く夜を彩る。その光一つ一つは近づいてみればアバターのパーツが発光しているもので、自分もかぐやも彩葉さんも、服の至る所が蛍光の輝きで満ちる。
彼女から渡された電子チケットの半券を確認すれば、そこには『月見ヤチヨミニライブ(握手会つき)同行者3名まで』と。なんだか納得が行った、そういえば少し前にやたらに喜んでいる日があったな。
俗に言う推し活みたいなものと思えば完全にストレスを発散しているわけで、ちゃんとモヤモヤのやり場を持てているのはなんというか、偉いって感じ。
「──これがないとツクヨミの夜は始まらないっ!
本日のヤチヨミニライブ、今夜も完全生中継をツクヨミ各地でお届け中でーす!」
暗かった会場がバン、と明かりで包まれると、歓声と共に現れたのは犬っぽい耳をつけた少し露出度高めのMC。ほへー、なんて口を半開きにして、どこかへ行かないよう両手でお腹の辺りを押さえられているかぐやの口を閉じさせると、そのMCに向けられる視線に気づいたのか、どこか得意げな彩葉さんが口を開く。
「あの人は公認ライバーの忠犬オタ公さん。ずっとヤチヨライブのMCやってる人」
「へぇ......」
まあ、別にその情報が知りたかったかと言われれば、そういうわけじゃない。向けた視線の先には布面積の少ない服、特に胸まわりと足。ここはVRで現実ではないと分かっていても、どうにも寒くて風邪ひきそうで心配なのだ。
モモヒキとか履いたらいかがでしょう?
一方、彩葉さんがなぜこんなに得意げ...... というか調子に乗ってる風なのかと言われれば、やはりライブ現地で見れる高揚感みたいなものが彼女を包んでいるのだろうことは、すぐに分かった。
兄の朝日さんがいなくなってから2人でヤチヨの配信を見ることがあって、そこでも『ヤチヨのライブ、見たいなぁ』なんてうわ言のように言っていたのもしょっちゅう見てきた身としては、単純に良かったね、と笑みを送ってしまう。とはいえ、今彼女の方を見て笑っても『どしたの急に』と言われるのがオチ。
ここは抑え、カウントダウンと共に皆の意識が集まる鳥居の上に視線を送る。
5、4、3、2、1。周りの掛け声に気圧されながら見守ったカウントダウンを抜けると、低く鳴り響く鐘の音と共に、鳥居の上に光が集まって行く。
光子の集合。そこに現れたのは、この場の主役たる月見ヤチヨ本人。『ヤオヨロー!』とキャッチーな挨拶を受ければ、ファンたちはこれから始まる催しに胸を高鳴らせ、一際大きな歓声でその登場を迎え入れた。
あれすごい、とでも言いたいのか、感情と言葉の歩幅合わせがうまく行かずともその凄さを共有したいのか。ぴょこぴょこと跳ねながらかぐやが彩葉さんの肩を揺らすものの、彼女は動かない。無視したくて無視をしているわけではない。きっと、感動に心がついていかないのだ。
「──神々のみんな、今日も最高だったー? ......よーし、今宵もみんなを誘っちゃうよ! Let's Go on a trip!」
その掛け声と共に訪れた静寂。そして繰り広げられる幻想のパフォーマンスは全てを魅了していって、自分もすっかり口角を上げて楽しんでいる。
「綺麗な歌やね〜」
「そやろ?!」
昔、酒寄家に泊まらせてもらった時、聞かせてもらった歌。あの時の自分はスマホとか持っていなかったから何度もその記憶を反芻して、頑張って頭の中で再生できるようにした覚えがある。
そんな一曲をこんな場で聴けたことは、今後誇っていける幸運だ。
そんな幸運にも恵まれてか、ミニライブを終える頃には多幸感が体を包んでいる。別に元から頑張るつもりではあったけど、明日からも頑張っていけそうな...... 無条件に心を焚きつける力がぶわっと体にたぎる感じ。
「いやあ良かった── うわぁっ」
「ふっ、ぐっ...... ひぐっ...... ヤチヨぉ......」
感動も興奮も確かにあった。
それら含めてスッキリした感情の自分とは逆に、本物の神を信仰するが如く胸前で手を組んだ彩葉さんは顔の前面にある穴から汁を垂れ流し、ただ鳥居の上で皆に感謝を述べる彼女の名前を呼び続けていた。
好きなのは当然知っていたし、愛が深いのも当然わかる。しかしここまで心酔しているとは思わなかった...... わけではないけれど、流石にちょっとびっくりしながら彼女の目元を拭ってやっていれば、ヤチヨから通達されたのは周りがどよめくような重大発表。
「ヤチヨカップ、っていうのを開催しまーす!」
参加資格はツクヨミの全ライバーにあり、競うのは開始から終了まで1ヶ月の間、どれだけ新規ファンを集めたか。優勝者にはヤチヨとのコラボライブが行える権利が与えられる、と。
ヤチヨがコラボ、それもライブで、というのは聞いたことがない。おそらく今回が初の試みであるのは、隣で目をぐるぐる回しながら驚愕する重度のファンを見ればわかることだ。
「うっそコラボぉ?!」
「それ、すごいの?」
「ライブでやるのは初めてなんじゃないかな?」
こちらを見上げるかぐやに説明を求められながら『どうどう』と彩葉さんの背中をさすっていれば、その隙を見てするりと腕の中を抜けたかぐやがまた、彼女の肩を揺らす。
どうやら、それを聞いてかぐやの好奇心に火がついたらしい。
『彩葉も一緒にやろ!』と誘うものの、ひとつのチャンスもなく彩葉さんは不満そうな顔でかぐやをあしらった。
「私らみたいなモブとやるわけないじゃん! こういうのは誰とやるか最初から決まってんの!」
「んぅー...... じゃあ弥と一緒にやるから!」
「えぇ......っとねぇ〜......」
『甘やかすな!』という視線と頬を膨らませて腕を掴むかぐやの挟み撃ちを喰らい、生きた心地がしない。もちろんライバーをやれる程のユーモアなんて無いわけだから誘いは断らなきゃいけないけど、ここで断るとかぐやが悲しむし。かと言ってかぐやの事に首を縦に振ってしまうと彩葉さんに鬼の詰め方される。 今朝のように詰められたら心臓もたないし。
誰か助けてくれ、なんて思いながら板挟みにされるがままでいると、橋を猛スピードで渡る乗り物がひとつ。
颯爽と現れたソレの中から現れたのは3人組で、パフォーマンスが効いてるなぁ、なんて思いながらこれ幸いと2人の間から抜ける。
「よう子ウサギども! お前らの帝様が来たぜ!」
「えっ」
──と。
とてつもない俺様系のセリフを吐きながら現れたリーダー格に指を指しながら、目を点にして振り返って見れば、彩葉さんは気まずそうにかぐやの後ろで体を小さくしている。
記憶力には自信がある。一度聞いた声なんて忘れない。
しかし、こんなところで発揮して、しかもちょっと冗談にならない驚愕をする事になるとは思わなかった。
「朝日さんゲーム上手いし、プロゲーマーとかになるん?」
「どやろなぁ」
確証づけるのは広告みたいに流れ始めた映像。
プレイスタイルが記憶の中と変わらない、あの頃のまま。
最も尊敬していた人がとんでもない変貌を遂げている事に、もう、何も言えなかった。
......記憶は薄いが。
その後、かぐやが大声でヤチヨに『絶対1位になる』みたく宣言して、彩葉さんがヤチヨと握手するところ見て、これまたかぐやが体色を自由自在に変えるところをみて、この日は終わり。
久しぶりに自室の床にへたり込んで見れば、ここってこんなに冷たかったっけ、と首を傾げる。瞼を下ろして、そこに浮かんだものを考えて見ればすぐにその考えが違うってことはわかった。
たぶん、あっちが暖かかったんだろうな。