警備員のお仕事〜国営企業を円満退職したのにお人好し両親が連帯保証人になっていたせいで借金返済の為に船に乗り込む武装警備員となった件について〜 作:一般指揮官
千葉県は船橋市。
広大な面積を誇る敷地の
国道296号線を挟んだ向かい側に見えるコンビニを認めつつ、男性はウィンカーを上げ、信号機が青の表示になると左折した。
良くも悪くも──苦労は多かったが、これで円満退職である。
これから故郷に向かって約5時間のドライブだ。
男性は国道を軽自動車で走りつつ、纏った背広の内ポケットから愛煙のソフトパックを取り出した。
結局、煙草は辞められなかった──
銜えて引き抜いた紙巻き煙草の先端がオイルライターの火で炙られる。紫煙を燻らせながら、軽自動車は高速道路へ入った。
ガソリンは満タン──おそらく途中で給油の必要はあるだろうが、円満に退職出来たのもあり、故郷への帰路へ就く足取りは軽い。
カーラジオを道行きの供にし、途上で給油や休憩を挟みつつの約5時間。
東北自動車を北上し、故郷がある宮城県に辿り着いた。
故郷は間近に迫っている。古川インターチェンジを通過し、更に北上する。
築館インターチェンジで男性は高速道路を下りた。
インターチェンジの近くにあるラーメンショップはまだ営業を続けているらしい。
久しぶりの故郷──最後に帰郷したのは何年前だったか。
国道4号線を北上し、築館の町中を抜けながら途中で左折。暫く走り続けていると、懐かしい山並みの姿が見えて来た。
栗駒山──その名は初夏を迎えると山頂西側に「駒姿」と呼ばれる馬の雪形が現れることに由来する故郷の山。
生まれ育った故郷に聳える山々の嶺を見ると、無性に帰って来たという安堵が心の奥深くから滲み出てくる。
やっと帰って来れたのだ。やっと終わったのだ。そう実感できた──筈だった。
保証人は、主たる債務者がその債務を履行しないときに、その履行をする責任を負う。
読んで字の如くだが、主債務者が債務を履行しなかった場合に当該債務について保証契約を結んだ者が主債務者と同一の債務履行責任を負う──この保証人の債務を保証債務と呼ぶらしい。
詳細は敢えて省くが、要するに主債務者がなんらかの理由で履行責任を果たせなくなった際に保証人が代わって履行する必要があるという意味だ。
とはいえ、どのような内容であれ、保証契約は保証人にとってみれば他人の債務を背負う可能性があるという、非常に重大かつ覚悟を必要とするものである為、口頭ではなく必ず書面や電子契約も含めた契約でなければならない。
同時に保証人は自身に債務の履行を請求した債権者へ対して、まず主債務者に請求する旨を求めることや主債務者の財産から先に執行する旨を求めることが可能である。
ただし──連帯保証となれば話は別だ。
連帯保証とは主債務者と連帯──つまりは一緒に主債務を背負うことに他ならない。従って連帯保証人には催告の抗弁や検索の抗弁の権利は存在しない。主債務者に債務履行能力の有無に関わらず、債権者に請求されれば連帯保証人は債務履行の責任が生じるのだ。
懐かしき実家、寂れた町にある小さな町工場。先の大戦から復員した曽祖父が起ち上げ、そこから祖父、そして父が営んだ町工場。油と錆の匂いが混ざった独特の空気──その工場内から見知らぬ男達が旋盤やら加工機やらを運び出す光景を目の当たりにした瞬間、男性が滲ませていた帰郷の想いは消し飛んだ。
「──北上のおじさんにね。半年前だったかしら。いつだったかな。工場の拡張をするのに銀行融資を受けたい、って言われたのよ」
「──北上……?」
北上とは──岩手県の北上市のことだろうか。伽藍堂となった工場はさっぱりと片付いているが、数世代に渡って染み付いた錆やら鉄粉、油が染み付いた建屋内部の匂いは消えないらしい。
それは、まぁどうでも宜しい。慣れ親しんだ匂いが残っているのは悪くはない気分だが、どうだって構わないのだ。
「やだ。おじいちゃんが亡くなった時に来てくれたじゃない。北上のおじさんよ、北上の」
男性の祖父が亡くなったのは、それこそ彼が高校生の時だ。工場で作業中に前触れもなく倒れたのである。救急車で岩手県は一関市にある県立病院へ搬送され、脳卒中の診断が下った。意識は辛うじてあったが、搬送から1週間足らずで鬼籍に入った。
葬儀には親類縁者、近隣の親しかった住民達も弔問へ足を運んでくれた記憶がある。いちいち遺族として挨拶するのは疲れたが。
「……北上……あの眼鏡を掛けた?」
「そうそう、眼鏡を掛けたおじさん。思い出した?」
脳内の記憶を管理するシナプス達は司書のようなものだ。膨大な資料の中から関連する情報を厳選し、閲覧者たる男性へ必要な情報を提供してくれるが──随分と大雑把な情報でもある。その大雑把すぎる外見の特徴を口にした男性へ、彼の母親は頷きを返した。
ここまで来て男性は母親が語る話を整理する。整理と言っても、ざっくりと──いや、ここまで来たら察せられてしまう。
「……そのおじさんが銀行からの融資を受けたいと言ってきて、連帯保証人の書類に署名した、と?」
「署名したのはお父さんだけどね。ひいおじいさんの妹さんの息子さんだし、断るのもアレだったから。物凄く困ってたのよ?」
曽祖父の妹の息子──半ば以上は他人である。少なくとも男性の目線から見た場合の関係性はその分類に入るのだ。
──何故、署名してしまったのか。
強く問い詰めれば良いのか──いや、問い詰めたところで意味はない。それで連帯保証人から外れるなら世話はないのだ。
「──ご飯食べる?大した物は作れないけど」
「……食べる」
俯いて、頭を抱えれば良いのか、それとも叫べば良いのか──衝動的に取ってしまいそうな行動へ移せないのは衝撃の大きさ故だろうか。
状況を理解しているのかいないのか、暢気な様子で母親が食事について尋ねると、男性は諦念を滲ませた深い溜め息の後に頷いた。
こんな状況だが──何年ぶりかに口へ運んだ母の料理は美味かった。酷い状況だが、それだけは救いに思える。
少し早めの夕食を摂り、母親が台所で洗い物を始めると男性は座布団へ胡座を掻きながらソフトパックを取り出して紙巻き煙草を銜えつつ引き抜く。
「──お袋。灰皿は?」
「──あぁ、はいはい。まったくもう。お父さんもそうだけど、あんたも程々にしなさいよ」
エプロンで手を拭いながら母親がステンレスの灰皿を持って来た。卓上へ置かれたそれを認めた男性はオイルライターの蓋を開けるなり、ホイールを回して火花を散らす。フリントとホイールの摩擦で生じた火花はオイルの染みた
居間の座布団へ胡座を掻き、紫煙を燻らせながら彼は何気なく開け放たれた襖の奥へ視線を向けた。居間は仏間と隣り合っており、そこには代々の遺影が飾られている。
──借金をどうやって返済すれば良いのやら。
良案を遺影の数々が答えてくれる筈もない。紫煙を溜め息混じりに吐き出した彼は乾燥気味の唇から除いた煙草を灰皿の上で叩き、溜まった灰を落とした。
こんな事態と状況の原因となった父親は、この場にいない。
2ヶ月前、工場で作業の最中に足を滑らせて脚立から転倒し、腰や脚の骨を折ってしまい、地元の総合病院へ入院中なのだ。
これが切っ掛けで彼は前職を──退職するのは中々大変だったが、そうなる運びとなった。かなり慰留されたが、最終的には男性の意思が尊重された形である。
出来れば半年前ぐらい前に戻りたい──具体的には父親が連帯保証人となる旨が綴られた書類へ署名する前に。
半年前──いや、色々と忙しくて無理だったかもしれない。
帰郷と帰宅してから何度目かすら定かではない溜め息が漏れ出た直後だ。
スラックスのポケットへ仕舞っている携帯電話がバイブレーションを起こす。引き抜いたそれの液晶画面へ映り込んだ着信相手の名前を一瞥した彼は銜え煙草のまま灰皿を掴んで腰を上げる。
居間と縁側を隔てる窓を横に滑らせて開く。縁側に腰を下ろした彼は傍らへ灰皿を置いた後、通話をスワイプした。
『──もしもし。随分とご無沙汰だ』
〈──あぁ、俺だ。久しぶりだな〉
流暢な英語が彼の口から放たれ、同様の言語で電話口の向こうから低い声が返される。
〈──風の噂で、お前が仕事を辞めたって聞いたんだが……〉
『……耳が早いな。何処で聞いた?』
〈──さて、何処だろうな?〉
逆に問い返される始末だ。これは答えるつもりがない──という遠回しな返答である。
〈──それはそうと、やっと
『ありがたい話だが、遠慮させて貰う。……退職して半日も経っていないのに
冗談か本気なのか──十中八九で後者だろうが、流石にそれは宜しくない。面倒な事態はこれ以上、望みたくない。
〈──それもそうか。気が変わったら、いつでも連絡してくれ。歓迎するぞ〉
『……考えはしてみるが……期待はしないでくれ。
〈──朝っていうか、まだ暗い時間だ。日の出前だ。──何かあったか?〉
『……なにが?』
〈──最後に会ったのは去年だったな。最後に話したのが4ヶ月前か。俺が知らない内に性格が変わったのか?お前が脈絡もなく話題を変えるのは不自然だ〉
仕事を何度か共にした──そのような表現をした場合、一般論で言えば関係性は希薄に感じるだろう。しかし男性や彼の知人らしき通話相手にとっては、何度か、の重要度は高いと伺える。
〈──俺の国ではストレートに話す奴の方が好まれる。何かあったか?〉
『……そうだな。それは知っている。お前がホストをやったバーベキューで散々言われたが、俺も言った筈だぞ。
〈──俺が良く知ってる
『……もう民間人だぞ』
〈──民間人になった知り合いは多いが……念の為に言っておくと、この個人用携帯の番号を知ってる奴は片手の指の本数で足りるんだぞ〉
自分は信頼と信用に足る人間ではないのか──言外に問う低い声が電話口の向こうから響いた。ややあって、男性は深い溜め息を吐き出し──現在の状況を大雑把に、しかし要点を纏めて電話口の向こうへ白状する。
〈──……なんというか、災難だな。俺の聞いた話だと、1年と半年ぶりに仕事から帰ってみたら
『それは……そっちでは有り触れた話なのか?』
〈──いいや、まさか。大概の場合は
長期に渡る
〈──解決できそうか?〉
『……どうだろうな。さっきも話したが実家の工場も機械を粗方持っていかれてしまった。お袋はパートタイムで働くと言っているし、親父も退院したら知り合いの工場で働くらしいが……』
〈──お前は?〉
『……実の両親だ。見捨てる訳にはいかない。実家の工場を継ぐつもりだったが、この有り様ではな。俺も別の働き口を探さなきゃならん』
〈──ふむ……〉
二本目の煙草が銜えられた。オイルライターの火が点けられる中、電話口の向こうからは考え込む気配が感じ取れる。
十数秒経った頃だろうか。おもむろに電話口の向こうで唇を開く音が漏れ聞こえた。
〈──お前の
その一言に紫煙を燻らせる男性の眉間へ深い縦皺が刻まれた。
「──へぇ、珍しいこと」
夜更けに叩き起こされた割には喜色を浮かべる高い声音の持ち主は白磁の如き白い肢体をシーツに包みながら、自身を目覚めさせた携帯電話を握って液晶画面をタップする。細い指の先端の形は美しい。爪の手入れを怠っていないことを伺わせた。
添付されたファイルを開き──液晶画面上へ表示された人物の情報の一覧を流し読む。
「──悪くないわね」
身を起こし、肢体を包んでいたシーツを払い除けつつベッドから降りた長身の裸体。
金糸の長髪を乱雑に掻き上げた細い指先がサイドテーブルに置かれていた紙巻き煙草のボックスを掴み、選び抜いた一本を銜え、特徴的なキーンと高い音色を奏で上げるライターの蓋を開けるなり火を点ける。
紫煙が燻る中、煙草が銜えられた艶めき、潤った、少し厚めの唇が緩く吊り上がった。