仮面ライダーエヴィレ   作:ケサランパサラン

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出逢い

 

 変わらないことを退屈だという人がいる。

 

 当然のように季節は巡るし、空を見上げて見つける雲は、1時間後には形を変えてしまっているだろう。

 永遠なんてものは存在しないし、全てのものは必ず、いつか滅びる。今日見た光景は、明日には変わっているかもしれない。風に吹かれて葉っぱや花びらが千切れ、花は誰かの手によって摘まれているかもしれない。

 

 絶対に変わらないものなんてない。

 不変なんてものはないし、永遠なんてものはない。

 

 

「……行ってきます」

 

 

 適当な返事が返ってくる。

 強いていうなら、これは変わらないものだろうか。

 

 父と母は、昔は仲が良かったのに。何故か喧嘩ばかりの関係に変わってしまって、父は私の日常からいなくなってしまった。母は親戚の叔父さんに私を預けてどこかに消えて。

 叔父さんはただ私を家に住まわせて、あとの面倒は見ない。

 

 いつも同じ時間に起きて、同じ時間に家を出て、同じ通学路を通る。

 そんなちっぽけな抵抗をしても、日常は変わってしまう。天気だとか、季節だとか。そもそも高校に進学した時も何もかもが変わってしまったし、それはきっと大学に入ってもそうなんだと思う。

 

 永遠が欲しい。

 何も変わらない、まるで時が止まったかのような、そんな日々が欲しい。

 何もない静かさの中で、自分の好きなものがなくならないっていう安心感の中に包まれて、ただ生きていたい。

 

「………ぁ」

   

 シャッター音が耳に入る。

 朝の町の喧騒の中でも一際存在感のある音、その方向を見ると少し高い丘の上から町を見下ろして、やたら古ぼけたカメラのレンズを通して心底楽しそうに写真を撮り続けている、同じくらいの歳の女の子がいた。

 制服は……着てないけど。

 

 鼻歌混じりに写真を撮っている、まるで記録するかのように。

 

「……あ、おはよ〜」

「…えっ、あっ、はぃ」

「ん〜?ふふっ」

 

 挨拶された。

 初対面……だよね?学校でも見たことないし……いや別に、クラスメイトの顔なんかちゃんと覚えてないけど。けどそもそも向こうが制服も着てないわけで……

 

 ただ……凄い馴れ馴れしい人ってだけなのかな。

 

「………」

 

 あんなにも、世界を見る目が輝いている。

 ただ町の写真を撮っているだけなのに、あんなにも。

 

 私もあんな風に世界を見れたら、よかったのだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 人と関わることは変化をするということ。

 私も、私と関わる誰かも。

 その関係性は一定じゃない。なんでもないことで失われて、もう戻らなかったりする。

 

 不変を望むことは、おかしなことなのだろうか。

 何も変わらないものが欲しいって、ただそれだけの望みなのに。

 

 誰とも話さずに過ごす日常は、寂しいけれど落ち着く。

 失望も過度な期待もなく、私の周りには私しかいない、静かな時間が流れていくから。

 なのに。

 

「……なんで」

 

 なんで、今朝見たあの子の顔を思い出すんだろう。

 なんで、あの瞳が、ずっと頭に焼き付いて離れないんだろう。

 

 

 学校終わりの帰り道、自然と足があの丘へと向かっていた。

 当然あの時のあの子がそこにいるはずもなく、私は彼女の立っていた場所に同じように立って、同じように周囲を見渡す。

 

 昔から住んでいる町だ、変わったところも当然ある。

 遠くに見えるずっと何も無かっただだっ広い空き地は、いつの間にか大きなマンションが建設されようとしているし、近場の公園だって昔はもっと沢山遊具があったのに、最近じゃブランコすら危ないって言って撤去されてしまった。

 変わり続けるこの世界が、私は好きになれない。

 良くなるという確証もないのに、ついていけない私の心を置き去りにして変わっていくこの世界のことが。

 

 

 また、家に向けて歩き出す。

 

 

 近所に住んでいた仲の良かった子とは、もうしばらく会っていない。会ったとしても、昔のように仲良くはできないと思う。

 優しかった駄菓子屋のおばあちゃんはもう亡くなってしまって、毎春に咲くのを楽しみにしていた大きな桜の木は台風の風で折れてしまって、今は切り株しか残っていない。

 

 変わっても、良くならない。

 私の目に映る世界は、緩やかに変わり続けて、色褪せていく。

 

 母と歩いて食べ歩くのが好きだった商店街は、近くに出来たショッピングモールのせいで今はもう誰もいなくなって。

 家族でよく行っていた定食屋さんは、いつの間にかチェーン店のファミレスになってしまっていて、昔みたいな揚げ物の良い匂いは近くを通ってもしなくなってしまった。

 

 あの頃の思い出がどんどん消えていくのが、堪らなく嫌で、嫌で、どうしようもないくらいに、嫌で。

 

 

「……えっ」

 

 

 気がつけば、自分が前に住んでいた場所へと戻ってきてしまっていた。

 昔はもうちょっと白かったはずの壁も少し黒く汚れてしまって、玄関先には見覚えのない傘と、小さな自転車が並んでいた。

 

 私ものだったはずの思い出が、私のものじゃなくなってしまう。

 窓から見えるのは私の母親と父親じゃなくて、知らない家族。小さな男の子があの頃の私みたいに、心の底から幸せそうに笑っている。

 

 

「……どうして」

 

 

 どうして、何もかも。

 変わらなくて良いのに、変わらないままでいてくれたらいいのに。

 

 変わることは、怖いことなのに。

 どうして、そんなにも。

 塗り替えられて、失って、記憶も掠れて。

 

 どうして。

 

 どうして、どうして、どうして。

 

 

「どうして……っ!!」

 

 

 その瞬間、音が止まった。

 僅かな風の音や、道を歩く人々の足跡、布の擦れる音。その一切が私の耳に入ることなく、ただ自分の荒い息遣いだけが周りに響いていた。

 

「はぁっ、はぁっ……何…?」

 

 静かな、静かな世界。

 まるで夢みたいにおかしな感覚なのに、確かな現実として私の頭の中に流れ込んでくる。

 

 窓の方を覗き込んでも、ついさっきまで楽しそうにしていた男の子の姿や声は何もなく、静寂だけが支配していて。

 

 

 表札を見て、息が止まる。

 そこに書かれていたのは、確かに私の苗字。

 【土岐(とき)】と彫られた板がインターホンの上に貼り付けられていた。

 

「なんっ、で……」

 

 色んな疑問が頭の中を駆け巡る。

 ついさっきまでは確かに赤の他人の苗字が刻まれていたはずで、そもそも表札のデザインから違っていたはずだし。

 そもそもこの異様に静かな世界はなんなのか、風ひとつ吹かず、クルマが通る音もなく、静止したように動かない世界。

 

 白昼夢でも見ているのだろうか、そんな考えがいくつもいくつも湧いてきて。数え切れないほどの違和感が、考えれば考えるほど湧き出てくる疑問が、恐怖を駆り立てて、今すぐこの場から去れと、私の心に訴えかけてくる。

 

 

「———ぁ」

 

 

 そんな恐怖心すら全て塗り替えてしまうほどの、光景。

 もう届かないと言い聞かせて、望むことすら諦めていた、望郷。

 

 窓の中に映った、あの顔を見て、色んな考えがすっ飛んでしまって。

 

 

 ゆっくりと、怯えるような足取りで、震える手を伸ばして。

 

 

 ドアノブに、手をかけた。

 

 

 

 

 

「……ん?あ、おかえり。今日のご飯何だと思う?」

「………」

「…どうかした?」

 

 何の冗談だろうか。

 なんで、4年前に私を置いて出て行ってしまったこの人が、何食わぬ顔で、この家にいて、晩御飯の用意をしていて、笑顔でこの私に「おかえり」って言っているんだろうか。

 

「何か学校で嫌なことあった?」

「……ぇ?」

「ちょっと大丈夫?熱とかない?」

 

 心配そうに近寄ってきて、立ち尽くしている私の額に手を当てる。何だか妙に冷えている私のよりもずっと大きな手が額を覆った。

 

「……ないよね?」

「…ただいま」

「えっ、おかえり。…本当にどうかした?」

「ううん。……何も」

「そう?ならいいけど……」

 

 ずっと、幻を見ている。

 階段の間隔も、窓から見える景色も、母の声も、何一つ変わらない。

 やたらと夕陽が差し込んで眩しくて仕方がない窓も、建付けの悪い扉も小さい頃に私がモノを投げて傷をつけた柱も。

 

 何もかもが、あの頃のままで。

 

「ただいま〜」

「おかえりー、もうすぐご飯できるから」

「はいよ」

 

 6時を過ぎたくらいで、お父さんが帰ってくる。

 とりとめのない雑談を両親がして、ご飯が出来上がり、食卓に並べられ、3人が同じ卓について食事をする。

 

 ちゃんと考えればおかしいことだって分かるはずなのに。

 なんでなんだろう。

 

 受け入れてしまっている自分がいる。

 母と父が仲良く話して、私に最近はどうなんだって聞いてくる。私は学校でクラスメイトが話していた話を、そのまま両親に伝えて。

 

 

 母の作った肉じゃがを一口食べた瞬間に、なんだかもう、どうでも良くなった。

 きっと、夢なんだろう。

 なんて幸せな夢、私の欲しかったモノが、失くしたくなかったモノが全部ここにはあって。肉じゃがの味と匂いも、鼓膜を振るわせる両親の声も、母の冷たい手の温度も、全部が現実のように振る舞って私に伝わってくる。

 

 私にだけ都合のいい夢だ。

 

 

 だって、両親は私にそこまで興味がなかったから。

 

 

「……フフッ」

 

 別にここがなんだっていい。

 ここが、私にとっての()()()()()()()がある場所だって言うんなら、ずっとこのままでいい。

 

 何もかもが変わり続ける現実なんかどうだっていい。

 

 永遠の今が続くなら、ずっと……この場所で———

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「これが君の望む光景?」

「——へ」

 

 さも、当然のように。

 自分がそこにいることを何一つおかしなことと思っていない、そのあまりにも真っ直ぐな目で私を見つめる彼女が。

 私の隣で、私の顔を覗き込みながら、私にそう質問してきた。

 

 あの時、あの丘で、写真を撮っていた彼女が。

 

「何を、言って——」

「先に謝っておこうと思って」

 

 

 空間に亀裂が走った。

 何もない場所が急に、音を立ててひび割れて。食卓の中心で欠けた空間から、謎の手がその彼女に向けて伸びてきた。それを事前に察知していたのか、その真っ黒で歪な手が掴んだのは、すでに彼女が飛び退いたあとの椅子だった。

 

「っとと、もう……気が早いんだから」

「キサマ……余計な真似を」

 

 亀裂を手で無理やり押し広げるようにして、身体全体を出そうとするその化け物を目にして、私もようやく席を立って後ろに下がった。慌てて後ずさる私の身体をあの少女が受け止める。

 

「危ないから下がってて」

「へ…」

「あ〜、まっそりゃ飲み込めないよね、仕方ない」

 

 強引に私の手を引き摺って家の外へと駆け出して行く。

 私の望んだ停滞を置き去りにして、ぐんぐんと。

 

「さっきの怪物はエンムって言って、人の望む光景を作り出してそこに閉じ込めようとするんだ」

「……何がっ」

「飲み込めなくてもまずは話を聞いて」

 

 背後から響く破壊音、靴を履くように急かされ、扉を蹴破って、私の手を強く握る彼女はその怪物の方を気にしながら遠く、遠くへと離れて行く。

 

「心を閉じ込めて、永遠の停滞の中で心が摩耗するのを待って、奴らはそれを取り込もうとする。人の心…意思が奴らの糧。それを得るためにあいつらは人を襲うの」

「あの……あの化け物が、この場所を……?」

 

 私が見てたのは、結局ただの幻に過ぎなかった。

 ……そんなことは分かってた、それでもそれを求めたのは私の意思。

 

「なんで……」

「ん?」

「なんで邪魔したのっ」

「なんでって……ちょっと!?」

 

 強い力で彼女の腕を振り払う。

 

「あのままで良かった!私の望むものがあそこにあったのに!!……ただ、変わらないものが……永遠があれば、私はそれでよかったのに!」

「………永遠ね」

 

 いつぶりにこんなに大きな声を出しただろうか、こんなにも感情を吐き出しただろうか。それを正面から受け止めた彼女は驚くでもなく、狼狽するでもなく、ただ真っ直ぐと、私の目を見ていた。

 

「変わりたくないってのは分かるよ、怖いって気持ちも」

「何をっ……」

 

 

 何を分かったつもりで。

 だって貴方は、あの丘で変わりゆく世界を撮っていた貴方の、琥珀色の眼は、あんなにも輝いていて、楽しそうだったのに。

 

 

 あんなにも、愛おしそうに見ていたのに。

 

 

「……どうして」

 

 

 どうして、今はそんなにも寂しそうな目をしているの?

 

「でも、あたしは変わりたいって思う。だってそうじゃなきゃ、あたしは生きてるって思えないから」

「貴方は…」

 

 私の横を通り過ぎて、後ろから迫ってきていた怪物……エンムっていうの前に立ちはだかる。

 

「何者だ、オマエ」

「君に説明する義理はないかな〜、だから後ろの君のために言ってあげる」

「わ、私?」

「そっ」

 

 ニカッと笑った彼女はどこからか翠色の何かに金色のフレームがあしらわれたものを取り出して、腰に当てるとどこからかベルトのようなものが伸びて、彼女の腰に巻き付いた。

 

「自己紹介がまだだったね。えーと……あたしの名前は 七種(さいぐさ) 椿(つばき)。でもって……」

 

 琥珀色の目をした彼女はまた何かを取り出す。それはまるで、古いフィルムのような形をしていて。それを腰のそれに嵌め込んだ。

 

 

「仮面ライダーエヴィレ」

 

 

 そう言って再び怪物の方に身体を向けた後、その腰の何かについたレバーに手をかけて。

 

 

「変身」

 

 

 そう言って彼女はレバーを下ろした。

 腰の何かが稼働して、光を放つ。まるで古い映写機のように映し出された()()が次第に彼女の姿と重なり合い、完全に姿を変えた。

 

 腰についたものと同じ、翠色の身体。決して鮮やかではなく、むしろ古びた印象すら抱く霞んだ白の装飾がついたその姿に、目を奪われる。

 

「仮面……ライダー」

 

 耳に馴染みのない言葉。

 エヴィレと名乗った彼女は———七種椿は、エンムと呼んだ怪物へと向かっていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「さて、柄にもなくカッコつけちゃったけどまあ、さっさと終わらせようか」

「アァ?何を——」

 

 顔に拳がめり込んだエンムがそのまま吹っ飛んでいく。

 何か面倒なことをされる前にカタをつける、何事もこれに限る。

 

「——ワォ!」

 

 地面が揺れる。

 あの吹き飛ばされたあのエンムが物凄い勢いで地面を蹴ってこちらに向かってきたせいだろうか、あの家の中のものを破壊していた時から思ってはいたけれど凄い怪力だ。

 地面の揺れで少し浮いた身体、その身動きの取れない状態のあたしの頭を的確に狙って拳を突き出してくる。首を後ろに曲げてギリギリで回避して、そのまま身体を後ろに回転させてエンムの顎を蹴り上げる。

 

「近くでよく見れば、蟻?」

 

 顎を蹴ったって別に脳震盪を起こすわけでもなく、激昂したように力任せに拳や脚を振るってくる。地面を踏むだけで揺れを起こす怪力だ、速度と風を切る音も物凄いけれど、まあ当たらなければどうということはない。

 回避して、いなして、胴体ど真ん中を狙ってきた踏み込みの強い一撃を手で跳ね除けるようにして回避し、踏み込みに合わせるようにこちらが拳を向こうの胴体に捩じ込んだ。

 

「蟻だから力持ちなんて、安直だぁねっ!」

 

 怯んだ隙に思いっきりアッパー、浮いた体に回し蹴りをして大きく吹っ飛ばす。耐久は普通くらいだし動きも特別早いわけじゃない、単に力が強いだけ。

 変に暴れられるとあの子を巻き添えにしてしまいそうなのが気がかりだけれど……

 

「クソッ!」

「あらら」

 

 普通に近接戦闘をしても攻撃を与えられないと考えたのか、後ろの家屋をぶん殴って盛大に破壊、瓦礫にしてこちらに向けて力任せに投げまくってくる。

 当たらないし、弾けるし避けれるけれど、生身の彼女がいるせいで巻き込まないから下手に動けない。その場で捌き続けるけど段々と土煙が上がってきて視界が遮られる。

 嫌な予感がした時には既にエンムがあたしのすぐそばにまで迫ってきていて、その拳を右腕でガードして受けるが、とんでもない衝撃がやってきて後方に吹っ飛ばされ、木にぶつかって停止する。

 

「いっ……げっ!」

 

 右腕の痛みに顔を顰めていると、肥大化させた顎を大きく開いてこちらを真っ二つにしようとしているエンムが目の前にまで迫ってきていた。ギョッとして反射的に左腕でその顔に掌底を喰らわせて狙いを逸らすけれど、私がぶつかった木は見事に真っ二つに噛み砕かれていた。

 右足で押し出すようにエンムを蹴って、そのまま折られた木を挟んで距離を取りながら新しいフィルムをドライバーにセットし、レバーを引く。

 

「くらいやがれッ!!」

 

 そんな声と共に自分で噛み砕いた木を根っこから無理やり引っこ抜き、こちらに向かって物凄い勢いで投げてくるエンム。続け様に自分で噛み砕いてきた方も一緒に。

 

 2本に折られた木がそのままこっちに向かってくるのを見ながら、手元に現像された弓のシルエットを手に取って、左手で構える。エヴィレの身体と同じ翠色をしたそれの弦を、矢は持たずに指で力一杯引っ張る。

 弦を限界まで引かれた弓がギリギリと音を立て、何も掴んでいない右手の指にモヤのようなものが集まっていく。

 

 限界まで、投げつけられた木にぶつかるギリギリまで耐えて、ようやく力を解き放った。

 

 

 弦が解放された瞬間にモヤが実体を伴って飛んでいく。鋼の杭となったモヤは矢として放たれ、木の中心を捉えて———突き抜けた。木が折れる時の音を鳴らしながら、中心を貫き、裂いて、破壊しながら、2本の木を穿つ。

 

 鋼の杭が、その直線上にいたエンムの左肩を貫いた。

 投げつけられた木が裂けて、杭を放った私の周りを通り過ぎていく。

 

「ふぅ……やれやれ、派手に暴れてくれちゃって」

 

 ここが現実世界だったら大惨事になってるところだったよ。あの子は怪我してないよね…?

 

「で、どうする?このまま大人しくやられてくれるなら、サクッと終わらせてあげるけど?」

「舐めやがって……人間風情が」

 

 ここまでやってもまだ悪態をついてくる、このまま大人しくやられてくれるのが1番楽なんだけどなぁ。

 

「仕方ない」

 

 そう言ってドライバーのレバーに手をかける。

 

 次の瞬間、奴の背中…いや、腰あたりから何かの器官が生えてきて、それが離れた場所で眺めているだけだったあの子の方に向いた。

 

「ちょっ———」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「え——」

 

 急にこっちを見てきたあの化け物と目が合った。

 アリのお腹のみたいな部分を出して、私の方へと向けてきて、そこから黄色い液体のようなものを数え切れないくらい飛ばしてきた。

 

「———蟻酸!?」

 

 彼女の驚いたような声が耳に届く。

 さっきまで見ていた光景が、あまりにも非現実的すぎて、戦いの余波で驚いて座り込んでしまっていた今の私に、あんなに飛んでくる液体を避ける余裕はなく。

 

 すぐ近くにまでやってきたそれに対して、私は目を瞑って怯えることしかできなかった。

 

 

 

 

 

 けれど、それが私に到達することはなく。

 

 

「ふーっ危ない危ない、とんだ隠し玉だった」

 

 目を開くと、両手の指を使ってカメラで写真を撮るポーズのようにしてこちらを覗いている彼女の姿が目に映った。

 その指の枠に収まっている黄色い液体だけが、空中で静止している。まるで一瞬を切り取る、写真に撮られたかのように。

 

 そのままもう一枚のフィルムを取り出した彼女は、最初と同じように腰のそれに嵌め込んでレバーを引く。新しく映し出されたそれは左腕に重なり、鎖が巻き付いたような形をとった。

 彼女が左腕を一振りすると、鎖がそこから伸びてきて空中で静止した液体を全てかき消してしまった。

 

「全く、往生際の悪い」

 

 そう言った彼女は、唖然としている様子の怪物を鎖で縛り付けて身動きの取れないようにして、その上でレバーに手をかけて2回、上下に動かした。

 跳び上がり、脚を突き出して化け物の方へとまっすぐ向かって行く。鎖を巻き取りながら何かオーラのようなものを足先から出して突っ込む彼女の足は、身動きが取れず防御すらできない怪物の身体を貫いた。

 

 身体を抉られた怪物は少し呻いた後、ぐったりとして身体が塵のように崩れ落ち、そのまま静かに消え失せてしまった。

 

 

 

 

 

 

「ふぅ……大丈夫?怪我はない?」

 

 こちらを向いてそう声をかけてきた彼女の安堵した表情が、なんとなく、その仮面の向こうに浮かんでいるような気がした。

 

 怪物が消えると同時に、今までいた世界が段々と色を失い、薄くなって、また音が戻ってきた。

 風が木の葉を揺らす音、遠くで車が走る音。

 

 それらが耳の中に届いてようやく、戻ってきたのだと。

 戻ってきてしまったのだと、実感が湧いてきた。

 

「っとと、変身解かなきゃ」

 

 腰のものからフィルムみたいなのを抜き取った彼女の姿が、元の人間のものへと戻る。琥珀色の、見ていると吸い込まれそうな瞳が、私のことを見つめている。

 

「怪我は……してないね。立てる?」

「………分からない」

「ほぇ?」

「何にも、分からない」

 

 仮面ライダーってなに、エンムってなに。

 さっきまで居た場所は?あそこに居たお母さんとお父さんは?何を言われても今は何も飲み込めないし、納得できないし、どうして……

 

「どうして……放っておいてくれなかったの?」

「なんでって言われてもなあ……」

 

 困った様子で私のことを見てくる。

 自分でも混乱していて、まともに物事を捉えられてないのは分かってる、分かってるけど。

 

「ごめん。……あのままじゃ危なかったのはなんとなく分かってる。……ありがとうって、言うべきなんだよね」

「うぅぅぅん………そうだ!」

 

 何かを閃いたようにパァッと表情が明るくなった彼女は、私をゆっくり立たせて歩けるのを確認した後にこう言った。

 

「いい場所知ってるんだ、そこでゆっくり話そ?」

「……いい場所?」

 

 こっちの返事も聞かずに、彼女は私の手を引いて歩き始めた。

 私はそれを拒むこともできずに、ただ、たまに見える彼女の瞳を見ていることしかできなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 町でも人通りのない場所、その路地裏。

 近くにあった商店街は今は何もやっていなくて、人が集まるのは少し遠くに見える、新しく出来たショッピングモール。

 

 そんな場所に喫茶店がポツンとあった。

 

「いい場所って、ここ?」

「そっ。ほら入って入って」

 

 もう何が何だか。

 考えるのも疲れてきた頭に、視界が一気に色んな情報を流し込んできた。

 

 ベルを鳴らしながら開かれた扉を通って目に入ったのは、中の壁中に飾られた写真や風景画。

 古ぼけたお店の外装から見える色数の違いで、一瞬ただでさえ疲れている頭がクラクラしそうになった。

 

 

「ようこそ、『喫茶あたらよ』へ!へいマスター、ミックスジュース二つで!」

「はいはい」

 

 彼女の乱暴な注文を慣れたように受けるメガネをかけた40か50代くらいの店主さん。彼女はお店の真ん中の小さな机を椅子二つで挟んだ席に座って、私にも座るように手招きしてくる。

 インテリアとか照明とか、そんなのより絵とか写真を見ろって言わんばかりの内装に目が回りそうになりながらも、彼女の前に座った。

 

「どお?良いところでしょ」

「良いところっていうか、その……」

「壁に飾ってるの、全部あたしが描いたり撮ったりしたものなんだ」

「全部……!!?」

 

 全部って……これ全部!?

 写真ならともかく、書くのに相当時間がかかりそうな油絵の風景画とかまで沢山あるけど……

 

 同じ年頃の子ができる量とは到底思えない。

 とはいえ嘘をついているようにも見えないし……

 

「はい、ミックスジュース二つ」

「ありがと。えーとなんだっけ……とりあえず改めて自己紹介しよっか」

 

 運ばれてきたミックスジュースをストローで少し口にした後、真っ直ぐ、その琥珀色の瞳で私を見つめてくる。

 

「2回目になっちゃうけど、あたしの名前は七種椿、一応ここの店員なんだ。君は?」

「私は……」

 

 自分の名前を口にしようとして、さっきまでの出来事がフラッシュバックして口をつぐむ。土岐と書かれた表札、昔のように幸せな日常……私の望む世界が。

 

 

 きっと、ここで名乗れば何もかもが変わってしまう、そんな気がして。

 

 

「私の名前は、土岐(とき)萌霧(めぐむ)

 

 

 それでも、だとしても。

 彼女の、琥珀色の瞳に写っているものが知りたかったから。

 

 

「よろしく、萌霧」

 

 

 最初に貴方の瞳を見た時から、それが頭に焼き付いて離れない理由が、知りたかったから。

 

 

 

 高校2年生の夏

 時計の針が、進み始めた

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