昨日はあれから丸一日、空き部屋の掃除に時間を当てることになってしまいました。
部屋が広い分、掃除にそれなりに時間がかかってしまったためです。
あと‥‥さらりとリヴィアさんが掃除をサボって、頭数が1人減ったのも原因の1つだったりします。
なぜかアキラさんが謝っていたのが印象的でした。
相変わらず2人の関係性はよく分かりません。
今日の朝食もアキラさんとカナデさんが担当してくれました。炊事当番とは言っていますが、食事を作るのは事実上2人の専任業務と化している気がします。
メニューの種類も毎回パンとスープですし、どこかで新しい風を取り入れるためにも、別の人が食事を作るべきかもしれません。
明日か明後日にでも食事作りを変わることを打診しようと考えつつ、私は皆さんが食べ終わった食器を集めて、厨房に運びます。
アキラさんが後片付けも自分がすると申し出ましたが、これくらいは手伝わせてくださいと押し切ると、若干渋々ながらも私に片付けを一任してくれました。
やはり彼女は、責任感の強い人のようです。
厨房にはカナデさんとナノカさんがいました。
2人とも腕まくりをして、エプロンを身に着けています。今から何か作ろうとしているのでしょうか。
【星谷 セリナ】
「おー? カナデっちにナノカっち、何やってんの?」
セリナさんが私の後に続けて厨房に入ってきました。
彼女も皿洗いをすると名乗り出た1人です。私が運びきれなかった残りの食器を両手に乗せられるだけ乗せています。
【黒部 ナノカ】
「‥‥篠宮マコトに星谷セリナ。‥‥今から、お菓子作りの練習をするところよ」
【鳳月 カナデ】
「出し物と言えるかは微妙ですが‥‥私たちのグループは、美味しい食べ物を提供する方針で行こうと‥‥昨日そういう話になったんです」
詳しく経緯を聞いてみると、案の定チサさんが「パーティと言えば美味しいご飯!」と主張し始めたようです。
それをきっかけに話を詰めていき、最終的にお菓子作りをするという方向で着地したようです。
どうやら昨日の時点でもある程度練習をしていたようで、今日が2回目の練習らしいです。
‥‥そういえば、昨日空き部屋の掃除の時、ナノカさんたちのグループだけ合流していませんでしたね。
何をしているのかと思っていましたが、ここで練習をしていたのなら合点がいきます。
【黒部 ナノカ】
「それで手始めにお菓子作りをしよう、という話になったの。私は料理なら一通りこなせるのだけれど、その中でも特にお菓子作りが得意だから」
【鳳月 カナデ】
「黒部さんの作るお菓子、本当に美味しいんですよ。篠宮さんたちも食べていってください」
料理なら一通り、こなせる‥‥?
思い出されるのは数日前、リクアさんが飲んでいたあの如何とも形容しがたいスープのような、“ナニカ”‥‥。
ですが、ナノカさんの作るお菓子が美味しいと語るカナデさんの声や表情に嘘の色は見受けられません。
普通の料理は苦手だけど、お菓子作りは得意という稀有な人間なのでしょうか、ナノカさん‥‥。
私とセリナさんは皿洗いをしつつ横目で、2人のお菓子作りの光景を観察します。2人は、冷蔵庫から卵や牛乳などの材料を取り出していきます。
【黒部 ナノカ】
「パーティにお菓子を出すとなると、最低でも3品はほしいわね‥‥。昨日はパンケーキを作ったし‥‥今日は、新しくもう1品練習してみましょうか」
冷蔵庫から卵と牛乳、それに砂糖。足元の棚から小麦粉を取り出すと、ナノカさんは改めて囚人服の腕を捲り直します。
【黒部 ナノカ】
「昨日の練習でパンケーキは作れるようになったわよね、鳳月カナデ?」
【鳳月 カナデ】
「ええ。しっかりと観察させてもらいましたし、実際に自分の手も動かして作りましたから。ある程度はこなせるようになっているはずです」
カナデさんの自身に溢れた答えにナノカさんはふっと頬を緩ませると、小さく頷きます。
【黒部 ナノカ】
「それじゃあ‥‥今回はあなたにパンケーキの調理を全面的に任せようかしら」
ナノカさんの言葉にカナデさんは少し身じろぎしましたが、コクリと相槌を返します。
かくして、2人のお菓子作りが始まりました。
カナデさんは卵を素早く割りボウルに落としていくと、そこに牛乳を加えて泡だて器でしっかりと混ぜていきます。
その一方でナノカさんはその様子を少し心配そうに眺めながらも、追加の素材が必要なのか、冷蔵庫を開けて中を漁っています。
【星谷 セリナ】
「カナデっち、中々様になってんなー。ピアニストはやっぱ手先も器用なんかねー」
皿洗いをしながらセリナさんが感嘆の声を上げました。
気がつけばカナデさんは、小麦粉と少しのベーキングパウダーをボウルに加え入れて、それをかき混ぜています。
既にコンロに火を入れてフライパンを熱しているようで、作業に無駄がありません。
テキパキ、黙々と作業をこなしています。
一方のナノカさんはまだ材料が見つからないのか、ガサゴソと色んなところを漁っているようです。
何を探しているのでしょう‥‥。
【星谷 セリナ】
「さっきから何やってんの、ナノカっち」
概ね皿洗いと皿拭きを終えたセリナさんが、見かねてナノカさんの方へと駆け出しました。
カナデさんは既にパンケーキを焼き始めているようです。
表面にプツプツと穴が開き始めているのが見えます。そろそろひっくり返す頃合いでしょうか。
フライ返しを下に入れ込んだカナデさんは一瞬躊躇したようにフライ返しを引き抜こうとしましたが、意を決すると素早くパンケーキをひっくり返します。
すると、見事な黄金色のパンケーキが顔を見せました。
ジッとその様子を見ていた私の視線に今になって気がついたのか、カナデさんは顔を少し赤らめて照れてしまいました。
同じ工程を何度か繰り返しているうちにパンケーキが5枚ほど焼き上がり、その頃には私の皿洗いの作業も終わりました。
一方のナノカさんたちは、ようやく目当てのものを見つけたのか、小さな袋を手に戻ってきました。
袋にはアーモンドプードルと書いてあります。
【星谷 セリナ】
「アーモンド‥‥“プードル”ぅ? ‥‥犬?」
セリナさんが安直な事を言いました。
‥‥まあ、私も同じ事を考えていたんですけれど。
【黒部 ナノカ】
「プードルはフランス語で“粉”を意味する単語。要するにこれは《アーモンドパウダー》よ」
ナノカさんは袋を開けると、中身を私たちに示します。
薄い黄色をした粉が見えました。
【黒部 ナノカ】
「少し難易度が高いけれど、マカロンを作ろうと思って。昨日見つけたときから作ろうと思っていたの。いつの間にか棚の中が整理されていて、見つけるのに手間取ってしまったわ」
ナノカさんは必要な量を小さなボウルに出していきます。そのタイミングで、お皿に盛り付けられたパンケーキの存在に気が付きました。
【黒部 ナノカ】
「あら、上手に出来たじゃない」
アーモンドプードルの袋を置くと、ナノカさんはパンケーキの方へと近づきます。
戸棚からお皿とフォークを1組ずつ取り出すと、私たちに差し出します。
【黒部 ナノカ】
「これ、頂いてもいいかしら?」
【鳳月 カナデ】
「ええ。出来立てのうちに食べてください」
許可を得たナノカさんは素早くパンケーキを自分のお皿に移すと、フォークで小さく切り分けます。切ったところからふわっと少し湯気が上がりました。
そのままナノカさんは何もかけずにパンケーキをひとくち食べました。
すぐに表情がほころび、笑みが浮かびます。
【黒部 ナノカ】
「‥‥うん。とってもおいしく出来ているわ。何もかけなくても、これだけで満足できる」
ナノカさんはお皿を置くと、そっと手をカナデさんの方へと伸ばして‥‥頭を撫で始めました。
【黒部 ナノカ】
「よくできました」
小さく、ポツリと呟かれた一言。
その声色と表情は、大切なものを愛でる時のそれで。
ナノカさんが初めて見せた一面に、私もセリナさんも、当然カナデさんも目を丸くして驚きます。
【鳳月 カナデ】
「あ、その‥‥ど、どうもありがとうございます」
褒められるのはまだしも、頭まで撫でられると思っていなかったカナデさんは、ドギマギして少し身を縮こませます。
そんなカナデさんの反応を見て我に返ったのか、ナノカさんは伸ばした手をさっと引っ込めます。
【黒部 ナノカ】
「あ、その‥‥ごめんなさい。つい、いつものクセ、というか‥‥その‥‥気にしないで」
無意識下の行動だったのか、ナノカさんはプイとそっぽを向くと材料のある方へと戻っていきます。
【黒部 ナノカ】
「‥‥ふたりも、冷めないうちに食べてあげて。とても美味しいから」
自分のお菓子作りの作業を始めたナノカさんは、お皿に積んであるパンケーキの方を指さしました。
私たちはナノカさんの食べ方に倣って何もかけずにひとくち食べてみます。
ナノカさんが語ってみせたように、ふんわりと優しい甘みが広がっていきます。とても美味しいです。
【鳳月 カナデ】
「‥‥気に入っていただけましたか?」
心配そうにカナデさんは覗き込むように、私たちの様子を伺います。
セリナさんが食べながら、「おいしいーよ」と答えました。口に含んだまま答えたせいか、声が籠もっています。
私も続けて感想を述べると、カナデさんはパッと笑顔を浮かべました。
【鳳月 カナデ】
「よかったです! これなら、パーティでお出ししても大丈夫ですね」
カナデさんは残ったパンケーキを自分でも食べてみて、その出来具合を確認しています。
満足気に目を細めるとカナデさんはお皿を置いて、ナノカさんの方へと向かいました。
ナノカさんはザルを取り出すと、そこに粉砂糖とアーモンドプードルを入ると、ふるいにかけたものをボウルに入れています。
【鳳月 カナデ】
「あの、黒部さん。私も何かお手伝いさせてください。卵を割るくらいでしたら、お手伝いできますので」
カナデさんの打診にナノカさんは、ボウルを2つ取り出すと「それじゃあ、ここに卵白を分けて入れてくれるかしら」と頼みました。
【鳳月 カナデ】
「あ。は、はい。分かりました」
カナデさんはなぜかどもってしまいました。ボウルを自信なさげに受け取ると、パックから卵を1つ取り出して、コンコンと調理台に叩きつけてヒビを入れます。
【鳳月 カナデ】
「え、えっと‥‥」
そのままどうすればいいのか分からなくなったのか、カナデさんは硬直してしまいました。
直後、思い出したかのように、パカリと卵の殻を開けると、片側に黄身を移そうとしています。
ですが、黄身が殻の尖っている部分に当たって割れてしまいます。液状になった黄身はそのままボウルへと垂れていって、白身と黄身が混ざってしまいました。
【鳳月 カナデ】
「あ、うう‥‥」
思わず声が漏れてしまっています。
【星谷 セリナ】
「あちゃー。失敗しちゃったねえ」
セリナさんはそう言って、自分も卵を手に取ると同じように白身と黄身を分けようと試みます。
【星谷 セリナ】
「あーしとおんなじ動きをしてみなー」
セリナさんは卵をカナデさんに差し出すと、2人揃ってヒビを入れます。
【星谷 セリナ】
「これは、こうやって先に白身を落としてあげるんよ」
【鳳月 カナデ】
「さ、先に落とすんですね」
セリナさんの先導に従って、カナデさんは手の動きを真似ます。
しかし、その直後セリナさんが「あ、やべ」と呟きます。
白身は無念にも黄身と共にボウルへと滑り落ちていきました。全く同じ動きをしていたカナデさんも、同じ失敗を重ねます。
【星谷 セリナ】
「ま、まー失敗しちゃったけど、要するにこれを繰り返せばいいから。ほら、やってみ?」
セリナさんは、たははと笑いながら一歩引き下がります。失敗して気まずい思いをしたのでしょう。
カナデさんは、まだ自信なさげな面持ちでもう一度卵を割って、白身と黄身の分離を試みます。
既にナノカさんも状況を察知したのか、不安そうにその様子を見守ります。
言葉を選ばずに言えば、大方の予想通り、カナデさんはまたも失敗してしまいました。
先ほどのセリナさんと全く同じ動きを真似しているようで、結果も全く同じものになってしまいました。
【鳳月 カナデ】
「う、うう‥‥情けない‥‥」
失敗の連続で、とうとうカナデさんの目には薄っすらと涙すら浮かんできました。
見かねたナノカさんが駆け寄ると、カナデさんの背中にそっと手を当てます。
【黒部 ナノカ】
「気にしたらダメよ。まだ教えていない話を任せちゃったものね。お手本を見せてあげるから」
ナノカさんは新しいボウルを取り出すと、ゆっくりと丁寧な所作で黄身と白身を分けてみせます。2、3回同じ工程をナノカさんは繰り返しました。
その間カナデさんの目は、ジッと作業を行うナノカさんの目に釘付けになっていました。
瞳が何度も小さく小刻みに動いていて、精密なカメラのようです。口がほんの少し開いているのにも気が付かないくらい、深く集中しているようです。
【黒部 ナノカ】
「‥‥こんな感じよ。‥‥できるかな?」
ナノカさんに新しい卵を手渡されたカナデさんは、そっと卵にヒビを入れると、それをボウルの上に持っていきます。
緊張しているのか、唇を軽く噛んているようで、周囲にもその感情が伝わります。
意を決した彼女はそっと殻を開けると、素早く黄身を割れた殻の片側にそっと移してみせました。
白身がポトポトとボウルに滑り落ちていきます。そうして残った黄身を別のボウルに入れると、フウとため息を漏らしました。
【黒部 ナノカ】
「できたじゃない」
ナノカさんは嬉しそうに笑うと、また腕を頭の方に伸ばしそうになって‥‥今度はさっと引っ込めました。
さっき本人が語ったように、これが彼女のクセなのでしょう。
【鳳月 カナデ】
「で、できました‥‥!」
カナデさんは小さくガッツポーズをして、嬉しさを露わにします。
すると、セリナさんが、ガッと抱き寄せます。
【星谷 セリナ】
「できたじゃーん、カナデっち! おーよしよし!」
セリナさんはまるで犬でも撫でるように、ガシガシとカナデさんの頭を撫でます。
突然の出来事にカナデさんは「ふえ」と、普段のイメージからはかけ離れた素っ頓狂な声を上げました。
何だか私も頭を撫でたほうがいいような気がしたので‥‥ついでにそっと私も彼女の頭を撫でます。
【鳳月 カナデ】
「な、なんで篠宮さんまで‥‥」
恥ずかしくて目のやり場が無くなったのか、カナデさんは思わず目を閉じてしまいました。
もみくちゃにされたカナデさんはその後、ナノカさんがマカロンを作っている様子をジッと観察していました。
カナデさんはまたも集中して、口が半開きになっているのに気がついていないようです。
セリナさんがそっとアゴに手を当てて口を閉じると、恥ずかしそうに口元を抑えていたのが可愛らしかったです。
イラスト制作の都合により、来週は休載となります。
11月7日の投稿を予定しておりますが、状況により前後する場合があります。
ご了承ください。
以下、作者後書き
今回一度もマコトさんが喋っていません。びっくり。