呪術戦国譚『太閤立死伝』   作:蓮華

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1563 小牧山

 

 城を建てると聞いて、木下藤吉郎はまず空を見た。

 

 よく晴れていた。

 こういう日はろくでもない。雨なら雨で文句は出るが、晴れている日は人が余計に働ける気になってしまう。上に立つ者はそれをよしとし、下にいる者は結局働かされる。間で走り回る者が一番損だ。

 

 つまり自分である。

 

「……戦が済んだと思うたら、今度は山を削れとはのう」

 

 ぼやくと、近くにいた若い足軽が苦笑した。

 

「旦那、聞こえますよ」

「聞こえたところで逃げられるか」

 

 小牧山の裾には、人足、工兵、荷駄、木こり、鍛冶、使える手足がずらりと並び、材木と石が山のように積まれていた。まだ城はない。だが、人の流れだけ見れば、すでに城の骨が立ちはじめている。

 

 その前に立っている丹羽長秀は、相変わらず肩の力が抜けていた。戦の時もそうだが、この男は忙しい場ほど妙にゆるい。ゆるいのに、気がつくと誰も逆らえぬ場所へきっちり立っている。

 

「木下」

 

 長秀がこちらを見た。

 

「何でございましょう、丹羽殿」

「口が回っているなら、そのぶん人足も回してくれ」

 

 やはり聞こえていた。

 

「わしに、でございますか」

「ほかに誰がおる」

 

 長秀はそう言って、山を見上げた。

 

「石はある。木もある。人も集めた。だが集めただけでは城は生えん。そこはお前の領分だろう」

「領分とはまた、大きく出ますな」

「違うか?」

 

 違わぬのが腹立たしい。

 

 藤吉郎は肩をすくめた。

 

「自力で呪力を扱えるような者が、こんな小間仕事に駆り出されるのは珍しいと、昨日も言われましたぞ」

「小間仕事か」

 

 長秀は少しだけ笑った。

 

「そう思うなら、それでもいい。終わるまで帰れんのは同じだ」

「言い方が雑」

「木下にだけは言われたくないな」

 

 そのまま長秀は、ひらひらと手を振った。

 

「だいたいお前、百姓上がりだろう。土の匂いも木の重さも、人足がどのあたりで文句を言い出すかも、たぶんこの辺の侍よりよほど知っている」

「それはまあ、そうですが」

「なら使う」

 

 軽い。

 軽いが、もう決まっている声だった。

 

「信長様もそう仰せだ」

 

 それを出されると弱い。

 弱いというより、もはやそこに否はない。

 

「信長様に言われれば、否はありませんよ」

 

 藤吉郎は鼻を鳴らした。

 

「というか、否という選択肢がまず無いでしょうが」

 

 近くで荷を担いでいた工兵が思わず吹き出した。長秀がそちらへ目をやる。

 

「笑う元気があるなら、もう一本運べるな」

「は、はいっ」

 

 声が裏返る。

 長秀は怒鳴ってもいないのに、ちゃんと効く。そのあたりがこの男のいけ好かぬところだった。

 

 藤吉郎は山を見た。

 小牧山は高すぎず、低すぎず、先を睨むにはちょうどいい。ここへ城を置く意味は、考えればすぐわかる。信長の頭の中では、桶狭間などとっくに終わっていて、もう美濃の先まで盤が進んでいるのだろう。

 

 ろくでもない。

 だが、そういう遠さは少し嫌いでもなかった。

 

「で、丹羽殿」

「何だ」

「何をどうすれば、今日は満足してくださる」

「昼までに道を通せ。荷の滞りをなくせ。夕刻までに段を一つ上げる」

「なるほど」

「あと、浮かれるな」

「は?」

 

 長秀は工兵たちの列へ目をやった。

 

「少し回してある」

 

 言われて、藤吉郎もようやく気づいた。工兵や人足の一部に、長秀の呪力がうっすら乗っている。強く盛るようなものではない。だが薄いぶん、広く、均一に通っていた。

 

 肩が軽い。

 腰が落ちる。

 足の運びが揃う。

 重い材木を担いでも呼吸がずれにくい。

 

 人が一人強くなるのではない。

 仕事の流れが噛み合いやすくなる。そういう強さだった。

 

「ほう」

 

 藤吉郎が目を細めると、長秀がこちらを見る。

 

「お前にも少し回す」

「いただけるので?」

「働くならな」

「現金な」

「誉め言葉として受け取っておく」

 

 長秀が片手を上げた。

 

 その瞬間、藤吉郎の腹の底へ、よく整った水のようなものが落ちてきた。信長の気を、長秀がいったん噛んで、きれいに均して流しているのだとわかる。

 

 強い、とは少し違う。

 むしろ通る。

 肩の詰まりが抜け、脚が地へ噛みやすくなる。頭の中まで妙に整う。

 

「……嫌なくらい、整っておるな」

「信長様の気をそのまま浴びたいか」

「遠慮しておく」

「だろうな」

 

 長秀は乾いた顔で笑った。

 

「だから言っている。浮かれるな。借り物の力ではしゃぐと、だいたいろくなことにならん」

「それはごもっともで」

「ごもっともで済ますな。お前のとこの連中にも言っておけ」

「はいはい」

「はいは一つ」

「では、はい」

 

 藤吉郎は振り返った。

 

「おぬしら!」

 

 人足と工兵が一斉にこちらを向く。

 

「身体が軽いか!」

 

 何人かが頷き、何人かが困ったような顔をした。藤吉郎はそこで鼻を鳴らした。

 

「そりゃそうじゃ。少しは軽うしてもろうておる。じゃが自分が強うなったと思うなよ。借り物じゃ。借り物の力ではしゃぐな。脚が軽いならまず止まれ。腕が出るなら余計に見ろ。浮かれたら転げ落ちるぞ」

 

 年嵩の工兵が手を挙げた。

 

「木下様、つまり今日は、いつもより丁寧に働け、ということでございますな」

「そういうことじゃ」

「最初からそう申してくだされば」

「最初からそう申したつもりじゃ」

 

 笑いが起きる。

 よい。少し笑うくらいのほうが、人はよく働く。

 

「まず道を通す! 石は右、材木は左、土嚢は中腹へ回せ! 荷が詰まったらそこで終わりじゃ。走るな、慌てるな、でも止まるな!」

 

 人足が動く。

 工兵が縄を引く。

 掛け声が揃う。

 

 藤吉郎はその様子を見て、少し驚いた。

 一人一人が強くなったというより、仕事そのものが噛み合っている。石を持ち上げる呼吸が揃い、材木を渡す手が早い。段取りを変えても崩れにくい。

 

 これか、と思う。

 

 一人の武ではない。

 群れの仕事そのものが化ける。

 そういう力がある。

 

「旦那!」

 

 若い工兵が駆けてきた。駆けすぎて少し前のめりになり、慌てて踏ん張る。そこがまだ素人だ。

 

「西の坂、ちと土が緩うございます」

「なら板を噛ませい」

「板が足りませぬ」

「足りぬなら切れ。切る木はあっちじゃ」

「はい!」

「走るな、転ぶ!」

「はいっ!」

 

 言ったそばから少し躓く。周りが笑う。本人も赤い顔で笑っている。藤吉郎は頭を抱えたくなったが、同時に悪くないとも思った。こういう連中を使って回すのは、案外嫌いではない。

 

 昼までに道は通った。

 

 長秀が無言でうなずく。

 それだけで十分な褒め言葉である。

 

 だが仕事はまだ続く。段を上げ、石垣の下地を作り、材木を組む。藤吉郎は山を上り下りしながら、人足の列の切れ目や荷の詰まりを見つけては声を飛ばした。

 

 途中、重い梁を引いていた一団の一人が、妙に気が大きくなった顔で踏み出しすぎ、危うく足場ごと崩しかけた。藤吉郎は咄嗟に飛び込み、肩で押し戻す。

 

「阿呆!」

 

 梁がどさりと落ちる。

 人足が青い顔をする。

 

「す、すみませぬ、木下様。なんぞ身体が軽うて、いける気がして」

「いける気になるなと申したじゃろうが!」

 

 怒鳴ってから、自分でも少し可笑しくなる。ついこの前まで、自分がこういう借り物の力ではしゃぐ側だった気もする。いや、今でも少しはそうだ。長秀経由で通ってくる信長の整った呪力は、使いこなせばとんでもなく気持ちがよい。

 

 だが、気持ちよいからこそ危ない。

 

「よいか」

 

 藤吉郎は梁へ手を置いたまま、人足たちを見た。

 

「今の力は、おぬしらのものではない。強うなった気になるな。強うしてもろうたと思え。その上で、丁寧に働け」

 

 年嵩の工兵が苦笑した。

 

「借り物の馬力ほど、怖いものはございませぬな」

「わかればよい」

「旦那もお気をつけくだされ」

「わしは元からこうじゃ」

「それが一番怖いので」

 

 また笑いが起きる。

 長秀が少し離れたところからそれを見ていて、やれやれという顔をしていた。

 

 夕方には、山の段が一つきれいに上がっていた。

 人足は泥だらけで、工兵は汗臭く、藤吉郎は腹が減って仕方がなかった。

 

「……減るのう」

 

 腹を押さえると、長秀が横から言った。

 

「働いたからな」

「いや、それだけではないでしょう。呪力を通されると余計に減る」

「よくわかっているな」

「嫌でもわかる。身体はよう動くくせに、腹だけは余計に減る。まこと忌々しい」

 

 長秀は少しだけ笑った。

 

「だが、嫌いでもなさそうだ」

 

 藤吉郎は返事をしなかった。

 嫌いではない。そこは認めるしかない。

 

 一人で強いのとは違う。

 皆でやると、仕事そのものがでかくなる。

 その感覚は、腹立たしいほど気持ちよかった。

 

 山の上から見下ろせば、まだ未完成の縄張りの向こうに、人と荷が動いている。城になる前の城だ。戦になる前の戦だ。信長はたぶん、この景色を最初から見ていたのだろう。

 

「……城を建てるのも戦のうちか」

 

 藤吉郎がぼそりと呟くと、長秀が聞き咎めた。

 

「今さらか」

「今さらじゃ」

「遅いな」

「うるさいのう」

「そういう顔をするな。お前に向いていると言っているだけだ」

 

 長秀はそう言って、軽く伸びをした。

 

「土の匂いも、木の重さも、人の腹具合もわかる。戦場だけに置いておくには惜しい」

「褒められておるのか、便利に使われておるのか、わからんのう」

「両方だろうな」

 

 あっさり言われて、藤吉郎は吹き出した。

 

 だが本当に、今さらだった。

 土木仕事だの人足仕事だのと思っていたものが、信長の目には最初から美濃攻めの一部であったのだ。戦場で敵を斬ることだけが戦ではない。城を置き、流れを作り、人を回し、土地へ理を通す。それもまた戦だ。

 

 なるほど、ろくでもない。

 

 そして、少し憧れた。

 

「旦那」

 

 朝の工兵が近寄ってくる。今度は走りすぎていない。

 

「夕餉の前に、残りの材木をどう致しましょう」

 

 藤吉郎は少し考えた。

 少し考えただけで、どこへ置けば明日の流れがよくなるか、なんとなく見えた。

 

「そこへ仮置きせい。夜露に当てるな。明日はあの坂から上げる」

「承知いたしました」

 

 男が去る。

 藤吉郎はその背を見ながら、妙な気分になった。

 

 使われる側のつもりでいた。

 今も半分はそのつもりだ。

 だがいつの間にか、自分の声で人が動き、自分の段取りで仕事が回っている。

 百姓上がりが、侍ぶって戦までして、そのうえ今度は城まで建てておる。

 

 遠くへ来たものだ、と藤吉郎は思う。

 

 それでも、腹の底は妙に軽かった。

 この感覚は、覚えておこうとも思った。

 人を集め、力を少し借り、段取りを通し、短い時間で形を立ち上げる。

 なるほど、うまく真似れば、もっとひどいことにも使えそうである。

 

 そして一つだけ、わかることがあった。

 

 一人で強いのは気持ちよい。

 だが群れで仕事が化けるのは、もっと厄介で、もっと甘い。

 

 小牧山の夕陽の中で、木下藤吉郎はその甘さを、少しだけ覚えた。

 

 

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