呪術戦国譚『太閤立死伝』 作:蓮華
城を建てると聞いて、木下藤吉郎はまず空を見た。
よく晴れていた。
こういう日はろくでもない。雨なら雨で文句は出るが、晴れている日は人が余計に働ける気になってしまう。上に立つ者はそれをよしとし、下にいる者は結局働かされる。間で走り回る者が一番損だ。
つまり自分である。
「……戦が済んだと思うたら、今度は山を削れとはのう」
ぼやくと、近くにいた若い足軽が苦笑した。
「旦那、聞こえますよ」
「聞こえたところで逃げられるか」
小牧山の裾には、人足、工兵、荷駄、木こり、鍛冶、使える手足がずらりと並び、材木と石が山のように積まれていた。まだ城はない。だが、人の流れだけ見れば、すでに城の骨が立ちはじめている。
その前に立っている丹羽長秀は、相変わらず肩の力が抜けていた。戦の時もそうだが、この男は忙しい場ほど妙にゆるい。ゆるいのに、気がつくと誰も逆らえぬ場所へきっちり立っている。
「木下」
長秀がこちらを見た。
「何でございましょう、丹羽殿」
「口が回っているなら、そのぶん人足も回してくれ」
やはり聞こえていた。
「わしに、でございますか」
「ほかに誰がおる」
長秀はそう言って、山を見上げた。
「石はある。木もある。人も集めた。だが集めただけでは城は生えん。そこはお前の領分だろう」
「領分とはまた、大きく出ますな」
「違うか?」
違わぬのが腹立たしい。
藤吉郎は肩をすくめた。
「自力で呪力を扱えるような者が、こんな小間仕事に駆り出されるのは珍しいと、昨日も言われましたぞ」
「小間仕事か」
長秀は少しだけ笑った。
「そう思うなら、それでもいい。終わるまで帰れんのは同じだ」
「言い方が雑」
「木下にだけは言われたくないな」
そのまま長秀は、ひらひらと手を振った。
「だいたいお前、百姓上がりだろう。土の匂いも木の重さも、人足がどのあたりで文句を言い出すかも、たぶんこの辺の侍よりよほど知っている」
「それはまあ、そうですが」
「なら使う」
軽い。
軽いが、もう決まっている声だった。
「信長様もそう仰せだ」
それを出されると弱い。
弱いというより、もはやそこに否はない。
「信長様に言われれば、否はありませんよ」
藤吉郎は鼻を鳴らした。
「というか、否という選択肢がまず無いでしょうが」
近くで荷を担いでいた工兵が思わず吹き出した。長秀がそちらへ目をやる。
「笑う元気があるなら、もう一本運べるな」
「は、はいっ」
声が裏返る。
長秀は怒鳴ってもいないのに、ちゃんと効く。そのあたりがこの男のいけ好かぬところだった。
藤吉郎は山を見た。
小牧山は高すぎず、低すぎず、先を睨むにはちょうどいい。ここへ城を置く意味は、考えればすぐわかる。信長の頭の中では、桶狭間などとっくに終わっていて、もう美濃の先まで盤が進んでいるのだろう。
ろくでもない。
だが、そういう遠さは少し嫌いでもなかった。
「で、丹羽殿」
「何だ」
「何をどうすれば、今日は満足してくださる」
「昼までに道を通せ。荷の滞りをなくせ。夕刻までに段を一つ上げる」
「なるほど」
「あと、浮かれるな」
「は?」
長秀は工兵たちの列へ目をやった。
「少し回してある」
言われて、藤吉郎もようやく気づいた。工兵や人足の一部に、長秀の呪力がうっすら乗っている。強く盛るようなものではない。だが薄いぶん、広く、均一に通っていた。
肩が軽い。
腰が落ちる。
足の運びが揃う。
重い材木を担いでも呼吸がずれにくい。
人が一人強くなるのではない。
仕事の流れが噛み合いやすくなる。そういう強さだった。
「ほう」
藤吉郎が目を細めると、長秀がこちらを見る。
「お前にも少し回す」
「いただけるので?」
「働くならな」
「現金な」
「誉め言葉として受け取っておく」
長秀が片手を上げた。
その瞬間、藤吉郎の腹の底へ、よく整った水のようなものが落ちてきた。信長の気を、長秀がいったん噛んで、きれいに均して流しているのだとわかる。
強い、とは少し違う。
むしろ通る。
肩の詰まりが抜け、脚が地へ噛みやすくなる。頭の中まで妙に整う。
「……嫌なくらい、整っておるな」
「信長様の気をそのまま浴びたいか」
「遠慮しておく」
「だろうな」
長秀は乾いた顔で笑った。
「だから言っている。浮かれるな。借り物の力ではしゃぐと、だいたいろくなことにならん」
「それはごもっともで」
「ごもっともで済ますな。お前のとこの連中にも言っておけ」
「はいはい」
「はいは一つ」
「では、はい」
藤吉郎は振り返った。
「おぬしら!」
人足と工兵が一斉にこちらを向く。
「身体が軽いか!」
何人かが頷き、何人かが困ったような顔をした。藤吉郎はそこで鼻を鳴らした。
「そりゃそうじゃ。少しは軽うしてもろうておる。じゃが自分が強うなったと思うなよ。借り物じゃ。借り物の力ではしゃぐな。脚が軽いならまず止まれ。腕が出るなら余計に見ろ。浮かれたら転げ落ちるぞ」
年嵩の工兵が手を挙げた。
「木下様、つまり今日は、いつもより丁寧に働け、ということでございますな」
「そういうことじゃ」
「最初からそう申してくだされば」
「最初からそう申したつもりじゃ」
笑いが起きる。
よい。少し笑うくらいのほうが、人はよく働く。
「まず道を通す! 石は右、材木は左、土嚢は中腹へ回せ! 荷が詰まったらそこで終わりじゃ。走るな、慌てるな、でも止まるな!」
人足が動く。
工兵が縄を引く。
掛け声が揃う。
藤吉郎はその様子を見て、少し驚いた。
一人一人が強くなったというより、仕事そのものが噛み合っている。石を持ち上げる呼吸が揃い、材木を渡す手が早い。段取りを変えても崩れにくい。
これか、と思う。
一人の武ではない。
群れの仕事そのものが化ける。
そういう力がある。
「旦那!」
若い工兵が駆けてきた。駆けすぎて少し前のめりになり、慌てて踏ん張る。そこがまだ素人だ。
「西の坂、ちと土が緩うございます」
「なら板を噛ませい」
「板が足りませぬ」
「足りぬなら切れ。切る木はあっちじゃ」
「はい!」
「走るな、転ぶ!」
「はいっ!」
言ったそばから少し躓く。周りが笑う。本人も赤い顔で笑っている。藤吉郎は頭を抱えたくなったが、同時に悪くないとも思った。こういう連中を使って回すのは、案外嫌いではない。
昼までに道は通った。
長秀が無言でうなずく。
それだけで十分な褒め言葉である。
だが仕事はまだ続く。段を上げ、石垣の下地を作り、材木を組む。藤吉郎は山を上り下りしながら、人足の列の切れ目や荷の詰まりを見つけては声を飛ばした。
途中、重い梁を引いていた一団の一人が、妙に気が大きくなった顔で踏み出しすぎ、危うく足場ごと崩しかけた。藤吉郎は咄嗟に飛び込み、肩で押し戻す。
「阿呆!」
梁がどさりと落ちる。
人足が青い顔をする。
「す、すみませぬ、木下様。なんぞ身体が軽うて、いける気がして」
「いける気になるなと申したじゃろうが!」
怒鳴ってから、自分でも少し可笑しくなる。ついこの前まで、自分がこういう借り物の力ではしゃぐ側だった気もする。いや、今でも少しはそうだ。長秀経由で通ってくる信長の整った呪力は、使いこなせばとんでもなく気持ちがよい。
だが、気持ちよいからこそ危ない。
「よいか」
藤吉郎は梁へ手を置いたまま、人足たちを見た。
「今の力は、おぬしらのものではない。強うなった気になるな。強うしてもろうたと思え。その上で、丁寧に働け」
年嵩の工兵が苦笑した。
「借り物の馬力ほど、怖いものはございませぬな」
「わかればよい」
「旦那もお気をつけくだされ」
「わしは元からこうじゃ」
「それが一番怖いので」
また笑いが起きる。
長秀が少し離れたところからそれを見ていて、やれやれという顔をしていた。
夕方には、山の段が一つきれいに上がっていた。
人足は泥だらけで、工兵は汗臭く、藤吉郎は腹が減って仕方がなかった。
「……減るのう」
腹を押さえると、長秀が横から言った。
「働いたからな」
「いや、それだけではないでしょう。呪力を通されると余計に減る」
「よくわかっているな」
「嫌でもわかる。身体はよう動くくせに、腹だけは余計に減る。まこと忌々しい」
長秀は少しだけ笑った。
「だが、嫌いでもなさそうだ」
藤吉郎は返事をしなかった。
嫌いではない。そこは認めるしかない。
一人で強いのとは違う。
皆でやると、仕事そのものがでかくなる。
その感覚は、腹立たしいほど気持ちよかった。
山の上から見下ろせば、まだ未完成の縄張りの向こうに、人と荷が動いている。城になる前の城だ。戦になる前の戦だ。信長はたぶん、この景色を最初から見ていたのだろう。
「……城を建てるのも戦のうちか」
藤吉郎がぼそりと呟くと、長秀が聞き咎めた。
「今さらか」
「今さらじゃ」
「遅いな」
「うるさいのう」
「そういう顔をするな。お前に向いていると言っているだけだ」
長秀はそう言って、軽く伸びをした。
「土の匂いも、木の重さも、人の腹具合もわかる。戦場だけに置いておくには惜しい」
「褒められておるのか、便利に使われておるのか、わからんのう」
「両方だろうな」
あっさり言われて、藤吉郎は吹き出した。
だが本当に、今さらだった。
土木仕事だの人足仕事だのと思っていたものが、信長の目には最初から美濃攻めの一部であったのだ。戦場で敵を斬ることだけが戦ではない。城を置き、流れを作り、人を回し、土地へ理を通す。それもまた戦だ。
なるほど、ろくでもない。
そして、少し憧れた。
「旦那」
朝の工兵が近寄ってくる。今度は走りすぎていない。
「夕餉の前に、残りの材木をどう致しましょう」
藤吉郎は少し考えた。
少し考えただけで、どこへ置けば明日の流れがよくなるか、なんとなく見えた。
「そこへ仮置きせい。夜露に当てるな。明日はあの坂から上げる」
「承知いたしました」
男が去る。
藤吉郎はその背を見ながら、妙な気分になった。
使われる側のつもりでいた。
今も半分はそのつもりだ。
だがいつの間にか、自分の声で人が動き、自分の段取りで仕事が回っている。
百姓上がりが、侍ぶって戦までして、そのうえ今度は城まで建てておる。
遠くへ来たものだ、と藤吉郎は思う。
それでも、腹の底は妙に軽かった。
この感覚は、覚えておこうとも思った。
人を集め、力を少し借り、段取りを通し、短い時間で形を立ち上げる。
なるほど、うまく真似れば、もっとひどいことにも使えそうである。
そして一つだけ、わかることがあった。
一人で強いのは気持ちよい。
だが群れで仕事が化けるのは、もっと厄介で、もっと甘い。
小牧山の夕陽の中で、木下藤吉郎はその甘さを、少しだけ覚えた。