呪術戦国譚『太閤立死伝』   作:蓮華

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1575 長篠の戦い

 長浜は、近ごろ妙に人が増えていた。

 

 増えている、というより流れ込んでくると言ったほうが近い。田畑の様子を見に出れば、新しく見かける顔がある。市場へ顔を出せば、知らぬ訛りが聞こえる。城下の端では、勝手に小屋を建てて住み着こうとする者まで出る始末だった。

 

 木下藤吉郎――いや、もう羽柴秀吉である――は、朝からその報せを聞かされて、机に頬杖をついた。

 

「増えすぎではないか」

 

 書付を読む秀吉の前で、竹中半兵衛が静かに笑った。

 

「贅沢な悩みですな」

 

「贅沢すぎて困るわ。田は増えぬ、道は細い、井戸の数にも限りがある。人が増えれば飯も要るし、揉め事も増える。わしは人が来ぬ土地をどうにかするつもりでおったのに、来すぎるのも考えものじゃ」

 

 ねねが、隣で呆れたように言った。

 

「前は前で、人が来ぬ、銭が足りぬ、腹が減るって言ってたじゃないの」

 

「それはそうじゃが」

 

「来てくれるうちは来てもらえばいいでしょう。出ていかれるより、ずっとましだわ」

 

「だからそのうち、少し締めようかと思うてな」

 

 秀吉がそう言った瞬間、ねねの顔がすっと冷えた。

 

「何を締めるの」

 

「いや、何も追い返すとまでは言わぬ。だが、少しばかり勝手を――」

 

「だめ」

 

 即答だった。

 

 半兵衛がまた笑う。

 秀吉は顔をしかめた。

 

「おぬしまで笑うな」

 

「いえ、失礼。ただ、奥方様の仰る通りかと」

 

「半兵衛まで」

 

「人が来る土地というのは、それだけで強い。田も、町も、いずれ人が呼びまする。いま急いて絞れば、せっかく整い始めた流れを自分でせき止めることになりましょう」

 

「流れ流れと、おぬしは何でも水みたいに言うの」

 

「土地も人も、似たようなものです」

 

 さらりと言う。

 風水の男は、いつもこうだ。話の筋は通っているくせに、どこか人を煙に巻く。だがその煙の向こう側で、ちゃんと田は荒れず、村は揉めず、井戸は枯れず、変な呪いも溜まりにくい。結果だけ見ると、腹が立つほど正しい。

 

 秀吉は鼻を鳴らした。

 

「わかったわかった。来たい者は来させよう。どうせそのうち、わしのほうが音を上げる」

 

「今も上げているように見えますが」

 

「うるさい」

 

 ねねが笑った。

 その笑いに釣られて、秀吉も少しだけ肩の力を抜く。

 

 こういう時、長浜はよい、と思う。

 半兵衛が土地の流れを見て、ねねが人の暮らしへ引き戻す。自分はそのあいだで走り回っていれば、案外なんとかなる。呪いも、飢えも、戦場ほどべたついてこない。全部がきれいに収まるわけではないが、少なくとも「生きていける土地」になっていく感触があった。

 

 それは、悪くなかった。

 

 悪くなかったのだが、だからこそ嫌な予感もした。

 

 こういう時に限って、信長から呼びが来る。

 

 その日の昼過ぎ、案の定、使者が来た。

 

 書付を読んだ秀吉は、しばらく無言だった。

 ねねがじっと顔を見る。

 

「何」

 

「呼ばれた」

 

「信長様?」

 

「そう」

 

「嫌な顔してる」

 

「嬉しさ半分、嫌な予感半分じゃ」

 

 秀吉は正直に言った。

「いや、三分の二くらい嫌な予感かもしれぬ」

 

 ねねが肩をすくめる。

 

「それでも行くんでしょう」

 

「行くとも」

 

 秀吉は立ち上がった。

「半兵衛とこうして田畑見てるのも悪くはないが、やはりわしは、いくさのほうが向いておる」

 

 そう言いながら、腹の底では少しだけ別のことも思っていた。

 本当にそうか、と。

 だがその問いに長く留まる暇はない。信長に呼ばれて行かぬわけにはいかぬし、行かねばたぶん後悔する。あの人は、そういう人だ。

 

「じゃあ行ってらっしゃい」

 

 ねねがあっさり言う。

「ただし、また変なもの背負って帰ってこないでよ」

 

「無茶を申すな」

 

「無茶を言ってるのは信長様でしょう」

 

 それには秀吉も反論できなかった。

 

 長浜を発って数日、現地へ着く頃には、秀吉はすっかり「戦」の顔になっていた。

 

 長篠。

 武田勝頼。

 有名すぎるほど有名な大戦の匂いが、道中からぷんぷんしていた。織田と徳川が組み、武田を受ける。兵の数、地形、流言、補給。どれも大きい。大きい戦になるだろうとは、秀吉も思っていた。

 

 だから現地で最初に見たものには、さすがに少し面食らった。

 

「……何をしておるのじゃ、これは」

 

 目の前には、山があった。

 

 銃の山である。

 弾丸の山でもある。

 火薬、木箱、槍立て、札、布、墨、記録係、運ぶ者、詰める者、積む者、数える者、呪力を通す者。戦場というより、どこかの気の狂った工房だった。

 

 その中心に、丹羽長秀がいた。

 

 目が死んでいた。

 

「来たか」

 

 第一声がそれだった。

 声そのものはいつもの長秀だ。落ち着いているし、言葉も整っている。だが目だけが違う。焦点は合っているのに、生気が薄い。きちんとした人間がきちんとしたまま過労の向こう側へ行くと、こういう顔になるのだな、と秀吉は変に感心した。

 

「何をしておるのですか、と聞いたのですが」

 

「見てわからんか」

 

「見てわかることと、わかりたくないことは別です」

 

 長秀が小さく鼻を鳴らす。

 笑ったのだろう。たぶん。

 

「弾だ」

 

「それは見ればわかります」

 

「呪力を込めている」

 

「それも見ればわかります」

 

「なら手伝え」

 

 あまりに自然に言うものだから、秀吉は一瞬聞き返しそうになった。

 

「手伝え、と申したか」

 

「そうだ」

 

「戦は?」

 

「これが戦だ」

 

 長秀は即答した。

 

 その即答の仕方が、妙に信長っぽくて秀吉はむっとする。

 

「いや、そうではなく」

 

「武田は来る。こちらは迎え撃つ。そのために鉄砲を並べる。鉄砲に込める弾が要る。その弾へ、信長様が集めた呪力を落とす。間に合わねば撃てぬ。撃てねば死ぬ。何かおかしいか」

 

 秀吉はしばらく黙った。

 

 理屈はわかる。

 わかるが、こう、もう少し、何というか、あるだろう。戦場の花とか、主役っぽさとか、晴れ舞台とか。そういうものが、目の前には一切ない。あるのは山ほどの鉛玉と、死んだ目をした丹羽と、ひたすら手を動かす連中ばかりである。

 

「……何だか、思うていたのと違うのう」

 

「私もだ」

 

 長秀は淡々と言った。

「だが足りておる」

 

「何がです」

 

「呪力は足りている。流れも間に合っている」

 

「ならよいではありませぬか」

 

「手が足りぬ」

 

 秀吉は黙って銃と弾丸の山を見た。

 

 なるほど。

 たしかに、これは手が要る。

 

 弾丸ひとつひとつへ呪力を込める。銃へ術式の痕を通す。札で分類し、火薬と合わせ、渡し先を間違えぬよう積む。しかも量が頭がおかしい。呪力も流れも足りているのに、人の手だけが追いついていない。地味で、致命的な不足だった。

 

 秀吉はため息をついた。

 

「信長様は」

 

「向こうだ」

 

 長秀が顎で奥を示した。

 

 そちらを見ると、少し離れたところで、信長が座していた。

 座している、というより、そこにいるだけで周囲の空気の向きが決まっている。兵が近づき、札が運ばれ、銃弾の箱が積まれ、そのたびに人の緊張と期待と怯えがあの人へ寄っていく。そして寄っていったものが、熱へ変わるのが秀吉には見えた。

 

 信長の術式の本質は、怨嗟や恐れの吸引と呪力化だ。

 本来なら、あの人自身の中で焼かれるはずのもの。

 それがいま、ここでは違う形を取っている。

 

 軍の火力だ。

 兵器への分配だ。

 集権された熱が、鉄砲と鉛へ落ちていく。

 

 秀吉は舌の先で歯をなぞった。

 

「……とんでもないことを考えつくものじゃの」

 

「いまさらか」

 

 長秀の声は淡々としている。

 だが、その淡々とした声の下にうっすら疲労がにじむのが、今日は妙に面白かった。

 

「手伝え、羽柴」

 

「そう急かさずとも」

 

「急ぐ」

 

「目が死んでおりますよ、丹羽殿」

 

「お前もすぐそうなる」

 

「嫌な予言をする」

 

 そう言いつつ、秀吉は積まれた銃弾のひとつを手に取った。

 重い。

 ただの鉛の重みだけではない。まだ火は入っていないが、既に器としての重みがある。

 

 秀吉は呪力を通してみた。

 

 が、思ったほど乗らない。

 

「む」

 

「そうだろう」

 

 長秀が言う。

「ただ流すだけでは足りん。しかし信長様の呪力は濃い。濃すぎる。私の術式で中継し、薄く分け、向きを整えてようやく落とせる」

 

「丹羽殿みたいに器用に流せぬのですが」

 

「私もお前のように現場で飛んだり跳ねたりはできん」

 

「それは別にいま必要ないでしょう」

 

「うるさい。手を動かせ」

 

 秀吉はもう一度やってみる。

 やはり効率が悪い。呪力自体が足りぬのではない。こちらの手の向きと、流す先の質が合わぬのだ。秀吉の猿学は、本来もっと“盗んで使う”側であって、ひたすら均質な流れを維持する仕事にはあまり向いていない。

 

 長秀はそれでも淡々と作業を続けている。

 信長のほうから来る熱を、いったん受け、整え、分け、銃と弾と人へ流す。しかも平行でいくつもだ。無駄に器用である。いや、無駄ではないのだが、こうして横で見ると少し腹が立つほど器用だった。

 

「……待てよ」

 

 秀吉はふと顔を上げた。

 

「何だ」

 

「信長様の術を借りればよいのではないか」

 

 長秀の手が一瞬だけ止まる。

 

「どういう意味だ」

 

「信長様の呪力そのものを、信長様の術の理で一度こちらへ引く」

 

「引く?」

 

「それを丹羽殿の術理で流す。わしがやる。つまり信長様から見れば、おぬしを一人増やすようなものじゃ」

 

 長秀は無言で秀吉を見た。

 

 その顔が、過労で死んでいる目のまま、わずかに「面倒なことを思いついたな」と言っているように見えた。

 

「できるのか」

 

「たぶん」

 

「たぶんで言うな」

 

「やってみぬとわからぬでしょうが」

 

 秀吉は立ち上がると、そのまま信長のほうへ行った。

 

 あの人は、こちらが近づいても顔を上げなかった。

 上げないまま、言う。

 

「遅い」

 

「着いて早々こき使われております」

 

「そういう時のために呼んだ」

 

「ありがたいようなありがたくないような」

 

 信長はそこでようやく少しだけ口元を動かした。

 笑ったのかもしれない。

 

「何だ」

 

「信長様の呪力を、わしが一度引き取りたい」

 

 信長の目が、秀吉へ向く。

 それだけで喉が少し鳴る。

 

「ほう」

 

「丹羽殿の流しに乗せれば、手が増えます」

 

「お前が中継するのか」

 

「そうにございます。信長様の術の理を借りれば、いけるかと」

 

 信長はしばし黙った。

 

 普通ならおかしい。

 信長の本来の術式は、怨嗟や恐れを吸って呪力へ変えるものだ。ただの呪力そのものを誰かが横から引き取るのは筋が違う。違うのだが、筋が違うことを可能にするのが猿学であり、信長の理を借りたうえで信長の呪力を扱うという、この妙な例外だった。

 

「よい」

 

 信長は短く言った。

「やれ」

 

 返事が速い。

 秀吉は内心で少しだけ安堵し、少しだけ嫌な予感もした。こういう時の「よい」は、だいたい後からしんどい。

 

 案の定、しんどかった。

 

 最初のひと流しで、秀吉は歯を食いしばった。

 

「っ……!」

 

 熱い。

 

 熱いというより、重い。

 いや、重さとも違う。信長の呪力には、あの人の周囲へ集まってきたざらつきが混ざっている。兵の恐れ、敵への殺意、勝てるかどうかの不安、勝ってしまえという期待、その全部が熱へ変わったものが一度に来る。

 

「羽柴!」

 

 長秀の声。

 秀吉は慌てて意識を切り替えた。借りた理で引き、丹羽の理で流す。ひとつの器として抱え込んではならぬ。通す。整える。分ける。銃へ、弾へ、人へ。

 

 流れた。

 

 長秀の目がわずかに見開く。

 

「……通ったな」

 

「通りましたわ!」

 

 秀吉はぜいと息をつく。

「先に言っておきますが、これは長くやりとうない」

 

「私もだ」

 

「でもやるのでしょう」

 

「やる」

 

「最悪じゃのう」

 

 そのあと、二人はひたすら働いた。

 

 信長から熱が来る。

 長秀が広く分ける。

 秀吉がその一部をさらに引き受け、流し、銃と弾へ落とす。

 札を切る者、火薬を合わせる者、箱を運ぶ者、記す者、積む者。みな働く。よく働く。戦場よりよほど喋らぬ。喋っている暇がない。

 

 戦はいつか、翌週か、三日後か、明日か。戦端は神仏のみぞ知るか。なのに秀吉は、ひたすら鉛玉へ呪力を込めている。

 

「これ、わし戦に来たのですよな」

 

 手を動かしながら言うと、長秀が即座に返した。

 

「そうだ」

 

「ずっと座っておるのですが」

 

「戦だ」

 

「首の一つも取りませぬぞ」

 

「取るための矢玉を、お前はいま作っておる」

 

「嫌な言い方じゃのう」

 

「本当のことだ」

 

 秀吉は口をへの字にしたまま、また弾へ呪力を落とした。

 

 呪力は足りている。

 流れも間に合っている。

 だが手が足りぬ。

 

 その言葉が、作業を続けるうちに妙に腹へ落ちてきた。

 

 戦というと、どうしても前へ出る者ばかり目立つ。槍を振るう者、首を取る者、夜を駆ける者。秀吉自身、そういう側の人間だ。そういう側に向いていると、自分でも思っている。

 

 だが、それだけでは戦は成立せぬ。

 

 鉄砲が並ぶなら、弾が要る。

 弾があるなら、火薬が要る。

 火薬があるなら、運ぶ人手が要る。

 運ぶなら、道が要る。

 道があるなら、飯が要る。

 その全部へ、呪力の流れを落とし込む者が要る。

 

 兵站こそ戦争。

 

 そんな言い方を誰かにされた覚えはない。

 だが秀吉は、その日、鉛の冷たさと信長の熱と丹羽の死んだ目のあいだで、それを腹で知った。

 

 日が傾く頃には、秀吉もだいぶ目が死んでいた。

 

「……丹羽殿」

 

「何だ」

 

「これもまた、戦か」

 

 長秀が、珍しくはっきり笑った。

 

「ようやくわかったか」

 

「わかりとうなかった」

 

「お前は現場向きだからな」

 

「長浜へ帰りたい」

 

「私もだ」

 

 二人でしばらく無言になった。

 

 その沈黙の向こうで、また遠く、戦の音がした気がした。

 

 秀吉は手を止めなかった。

 止められなかった。止めれば死ぬのだ。自分が、ではない。前線の誰かが。鉄砲を撃つ誰かが。あるいは、信長の描く大きな戦そのものが。

 

 そう思うと、ひどくおかしかった。

 

 笑い話のようだ。

 なのに少しも笑えない。

 

 秀吉は次の弾丸を手に取り、そこへまた熱を流し込んだ。

 

 これもまた戦。

 そう思った瞬間、腹の底で何かが静かに形を変えた。

 

 

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