呪術戦国譚『太閤立死伝』   作:蓮華

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京都
応仁の乱に端を発し戦国の京都は混沌であった
将軍家には権威はあれど駒がなく
中枢公家には歴史はあれど力なく
されど様々な者がその権威と歴史を使いには来る
信長もまたわずかな手勢とともに尾張の統一者として認めてもらうために京都に訪れていた



1559 京都

 

 京都は、思ったよりもずっと腹の立つ町だった。

 

 もっとこう、都というものは上から下まできらびやかなものかと思っていた。

 公家も寺も町人も、皆まとめて眩しければ、それはそれで諦めもつく。遠いものだと思えば済む。

 だが実際に足を踏み入れてみると、そうではない。

 

 通りは荒れている。

 土壁は崩れ、板塀は黒ずみ、雨水を吸った道はぬかるみ、軒先には痩せた犬のような目をした子がしゃがんでいる。

 そのくせ、門の内側だけは妙に整っていて、牛車の脇を歩く供はやたらと偉そうで、寺の甍だけが何事もない顔で空を切っていた。

 

 木下藤吉郎は、通りの真ん中で立ち止まり、鼻を鳴らした。

 

「上から下まで派手なら、まだ妬みで済むんだがな」

 

 独り言だったが、横を歩いていた丹羽長秀には聞こえたらしい。

 少しだけ笑いを含んだ声が返ってきた。

 

「着いて早々、都に喧嘩を売るな」

「売られておりましょうよ、これは」

 

 藤吉郎はそう言って、道端を這う黒い影へ小石を投げた。

 ただの石ではない。指先で軽く呪力を通してある。

 ぱし、と乾いた音がして、影はあっけなく潰れた。

 

 蠅頭ほど軽くはない。

 だが脅威と呼ぶには足りぬ。

 そんな小さな呪いが、京都にはやたら多かった。石垣の隅、井戸端の湿り、橋のたもとの陰、屋敷の溝。そこらじゅうに、目障りな虫のようにちらちらしている。

 

「術師の本場とやらが、治安維持もできぬのですか」

 

 藤吉郎が吐き捨てると、長秀は肩をすくめた。

 

「できぬから、お前のような者にも役目がある」

「ありがたいような、ありがたくないような」

「ありがたがれ。信長様の仰せだ。都の作法を、一度正統な術師に見せておけと」

 

 藤吉郎は少し眉を上げた。

 

「丹羽殿では足りませぬか」

「私では偏る」

 

 長秀はそう言って、前方の屋敷へ視線を向けた。

 

「尾張で身につくのは戦場の術理だ。お前はもうそれで十分やれている。だからこそ、京都側の作法も知っておけということだ」

 

 気に食わぬ言い方だった。

 だが、長秀がわざわざ自分を連れてきたことには、少しだけありがたさもあった。信長は面白がって人を拾うが、育てる役はだいたい誰かへ丸投げする。その丸投げ先として長秀がいるのは、たぶん自分にとって悪いことではない。

 

 案内された屋敷は、寺ほど広くもなく、公家屋敷ほど華美でもなかった。

 だが、静かだった。

 荒れた京都の中では珍しく、呼吸の合った場所に見えた。

 

 縁先に、一人の男が立っていた。

 

 整っている、というのが最初の印象だった。

 武張った気配は薄い。だが柔らかいわけでもない。背筋がきれいで、立ち姿に崩れがない。目立つ威圧はないのに、こちらの動きを一歩先で見ているような目をしている。

 

 長秀が軽く頭を下げる。

 

「明智殿」

 

 男――明智光秀は、こちらに向かって静かに会釈した。

 

「丹羽殿。そちらが」

「木下藤吉郎。信長様のもとで使っている」

「使われております」

 

 藤吉郎がすぐ言い直すと、光秀の口元がほんの少し動いた。

 

「使われながら、動き方を覚える。悪くない」

 

 京都の人間にしては、偉そうではなかった。

 それだけで、かなりましだ、と藤吉郎は思った。

 

 光秀は縁先へ腰を下ろした。長秀もその脇へ立つ。藤吉郎は庭へ降りたまま、少し見上げる形になる。

 

「では」

 

 光秀が言う。

 

「何が知りたいですかな」

 

 藤吉郎は少し考え、それからわりと率直に答えた。

 

「術師というのは、どうすれば強くなれますかな?」

「そうですな、たとえば一つ手段はあります。木下殿、あなたの術式はなんですか?」

「は?どういうことですか、いきなり初顔の相手に自らの手札をばらす阿呆がおりますか」

 

 すると、光秀は初めてはっきり笑った。知の枠の内側での控えめな笑いであったが、嫌味ではない。

 

「おりますよ」

「おりますか」

「おります」

「変わった連中だ」

「変わってはおりますが、阿呆とも限らぬ」

 

 藤吉郎は眉をひそめる。

 光秀はその顔を見て、少し楽しそうに続けた。

 

「術式を隠すのは基本です。知られぬこと自体が優位になる。ですが、あえて開示することもまた、一つの手札になります」

「開示して、得をする?」

「ええ。縛りになるからです」

 

 藤吉郎は鼻を鳴らした。

「ようわからぬな」

 

「言葉にして示すことで、自分の術に輪郭を与える。輪郭を与えることで、精度が上がることもある。相手に情報を与えるという非合理そのものが、術理の腹を括らせる。自ら窮鼠になるようなものなので、使いどころではありますが」

 

 ふと、猿学と名付けてもらった時の事を思い出した。なるほど、自らの腹の中だけの話ではないらしい。

 

 光秀はそこで、少し間を置いた。

 

「たとえば、私の術は隠蔽です」

 

 藤吉郎は、ふうん、と気のない返事をした。

「なるほど。いかにも京都らしい」

「そうですか」

「ええ。見せぬ、隠す、奥へ引っ込める。そういう町でしょう、ここは」

 

 光秀は否定しなかった。

 その代わり、庭の石灯籠のほうへ視線を流した。

 

「では、少しだけ見せましょう」

 

 そう言った、はずだった。

 

 そのはずなのに、次の瞬間、藤吉郎は目を瞬いた。

 

 そこにいた光秀の気配が、するりと抜けた。

 

「……は?」

 

 視線は正面を向いている。

 縁先も見えている。

 長秀もいる。

 だが、ついさっきまでそこにあったはずの“明智光秀がいる感じ”だけが、まるで最初からなかったみたいに薄くなっていた。

 

 人が消えた、というほど大げさではない。

 ちゃんと見ようと思えば、まだそこに姿はあるのかもしれない。

 だが認識の焦点が合わぬ。目の端をすべっていく。さっきまで一つの像として結ばれていたものが、ふっと解けた。

 

 まずい、と思った時には遅かった。

 

「木下殿」

 

 声が、背後からした。

 

 藤吉郎はほとんど飛び上がるように振り返った。

 

 光秀が立っていた。

 

 いつ移った。

 歩いた気配はない。

 庭石を踏む音も、衣擦れも、何も聞いていない。

 

 長秀が、その様子を横で見て少しだけ笑いを噛み殺していた。

 どうやら気づいていたらしい。

 

「びっくりしたな」

 

 藤吉郎が顔をしかめると、光秀は静かに言った。

 

「開示はしましたよ。隠蔽と」

 

 それを聞いて、藤吉郎は一瞬だけ黙った。

 

 たしかに言った。

 言ったが、それだけだ。

 それでこちらは“消える”とか“隠れる”とか、そういうわかりやすい絵を思い浮かべる。思い浮かべた瞬間、そこへ別の段が紛れ込む。

恐ろしかったのは、隠蔽であるとわかっていたにも関わらずそれでもなお隠れられたことだ。

 

「……ずるいな」

 

 思わずそう言うと、光秀は少しだけ首をかしげた。

 

「戦とはそういうものです」

「術も、か」

「術も、です」

 

 藤吉郎は、まだ背中のぞわつきが残っているのを感じながら、もう一度光秀を見た。

 この男、思っていたよりだいぶ厄介だ。

 正面から偉そうにしてくるでもなく、笑って誤魔化すでもなく、淡々と相手の目先を外してくる。

 

「なるほど、京都の術師は性格が悪い」

「それは偏見でしょう」

「いえ、いまのは実感です」

 

 長秀が横から口を挟んだ。

「木下、明智殿はだいぶ親切なほうだ」

「これで親切ですか」

「本当に悪い者なら、背後に回ったことすら気づかせぬ」

 

 藤吉郎は嫌そうな顔をした。

「術師の本場とやらは、ほんに気に食わぬ」

 

 そのまま庭の外へ視線をやる。

 通りの隅に、また小さな呪いがちらついた。藤吉郎は無造作に石を拾い、指先で呪力を通して投げる。

 影が潰れる。

 

「そうして目障りなものを消す手際は、ずいぶん自然ですな」

 

 光秀が言う。

 

「大義も正義もありませぬよ。目障りなだけです」

「それで十分なこともある」

 

 あっさり言われて、藤吉郎は少し面食らった。

 京都の人間なら、もっとこう、都の理を説くものかと思っていた。

 

「明智殿は、都がこのざまでも気に食わぬとは思わぬので?」

 

 藤吉郎が訊くと、光秀は少しだけ町のほうを見た。

 

 崩れた塀。

 湿った路地。

 小呪いのちらつく陰。

 その向こうに、きれいに整えられた門や屋根が見える。

 

「思いますよ」

 

 光秀は静かに言った。

 

「乱れております。町も、作法も、役目も」

「なら、なぜ平気な顔をしておるのです」

「平気ではありません」

 

 光秀は少し笑った。

 その笑いは嫌味ではなく、どこか自分に向けたもののように見えた。

 

「だから、戻したいと思っております」

「戻す」

「都を都らしく。秩序を秩序らしく。できることなら、少しずつでも」

 

 藤吉郎は、その言葉を聞いてしばらく黙った。

 

 大きなことを言っている。

 だが、鼻につく言い方ではない。

 正義の顔をして人を見下ろす感じでもない。ただ、本当にそうしたいのだろうと思える口調だった。

 

「難儀なことを考える人だな」

「そちらほど単純ではないので」

「腹が減っていれば、まず食うことを考えますよ」

「それもまた、正しい」

 

 またそう返されて、藤吉郎は少しだけ調子を崩した。

 

 京都は気に食わない。

 町は荒れ、術師は本場のくせに小呪いすら掃ききれず、公家や寺は偉そうだ。

 だが、この明智光秀という男だけは、少なくともその“気に食わなさ”をわからぬふりはしないらしい。

 

「明智殿」

「はい」

「京都は嫌いです」

「でしょうな」

「ですが、あなたはまだましです」

 

 長秀が横で吹き出しかけた。

 光秀はほんの少しだけ目を見開き、それから苦笑した。

 

「それは光栄です」

「京都のくせに」

「その一言が余計です」

「余計なことまで込みで木下藤吉郎にございます」

 

 庭の向こうで、また黒い小影が動いた。

 藤吉郎は石を投げて潰す。

 光秀はそれを見て、今度ははっきりと笑った。

 

「雑ですが、良い術ですな」

「雑で結構。目障りなものは目障りにございます」

「それで払えるなら、立派なものです」

 

 藤吉郎は少しだけ鼻を鳴らした。

 気に食わぬ都で、ようやく一人、話していて腹の立たぬ相手に会った気がした。

 

 たぶんまた会う。

 会っても悪くはない。

 

 その程度の、小さな芽だった。

 けれど、のちを思えば、それで十分だった。

 

 

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