呪術戦国譚『太閤立死伝』   作:蓮華

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槍でも刀でも弓でも銃でもなく
ただの棒であるがゆえに
その武術は足軽、坊主、農民問わず開かれていた
棒術、杖術、棍術
名前、派生は数多あれど、人がいればその戦いの術は使われる


1561 訓練場

 

 桶狭間のあと、訓練場に立たされている時点で、藤吉郎はだいぶ嫌な顔をしていた。

 

「何でわしがこんなことを……」

 

 槍を持ったまま、藤吉郎はぶつぶつ言った。

 言ったところで、目の前の柴田勝家が聞き流すことは、もうわかっている。それでも言わずにいられぬのは、たぶん半分は本気で嫌だからで、残り半分は言っても無駄だとわかっていてなお言いたいからだった。

 

 勝家は腕を組んだまま、まるで岩でも置いてあるみたいに動かない。

 

「何で、ではない」

「何でにございます」

「対人の戦がなっとらん」

 

 藤吉郎は露骨に顔をしかめた。

 

「またそれですか」

「またそれだ」

「桶狭間で一応やれておりましたでしょうが」

「一応、だろう」

 

 言い返せなくはない。

 だが、言い返せるほど自信もない。桶狭間はたしかにやれた。やれたが、それは隠形も、丹羽の声も、信長の異様さも、雨も、夜の気配も、全部まとめて噛んだからだ。自分ひとりの対人武が、正統に通ったわけではない。

 

 勝家は容赦なく言う。

 

「戦国で生きるなら、対呪だけできても足りぬ。対人も要る」

 

「それはわかっております」

「わかっておらんからこうしておる」

「厳しいのう」

「甘いよりましだ」

 

 そのへんで、すこし離れたところから丹羽長秀が息を吐いた。

 

 丹羽は、あきらかに巻き込まれない位置に立っている。

 近すぎず、遠すぎず、自分や勝家が暴れても飛び火しない、きわめて丹羽らしい位置だった。

 

 藤吉郎はすぐ気づく。

 

「丹羽殿」

「何だ」

「助けてくださらぬので?」

「私はいま忙しい」

「どう見ても暇そうですが」

「忙しい」

 

 しれっと言う。絶対に暇である。

 だが、多少付き合いも長くなりこの人がこういう時だけ妙に要領がよいのを学びつつあった。

 

 さらに視線をずらすと、もう一人いた。

 

 槍を持った男が、あまり違和感のない顔で立っている。

 

 藤吉郎は目を細めた。

 

「……おったな、おぬし」

 

 前田利家がわずかに眉を上げる。

「何だ」

「桶狭間でおった」

「おったろうな」

 

「何で訓練場におるのだ、お前独断でついてきてこっぴどく叱られたばかりだろうが」

 

 そう口を挟んだのは、なぜか丹羽だった。

 

 利家は悪びれもせず肩をすくめる。

「何だ、来て悪いか」

「悪いとは言わんが」

「言っておるのと大差ない顔だぞ」

 

 そのやりとりを見ながら、ああこの人はこういう男かと思った。

 前田利家。桶狭間で見かけた時も、前に出ることを躊躇わぬ槍の男という印象だったが、こうして見るともっと単純だ。武の人間だ。まだ術の匂いは薄い。いや、あるのだろうが、少なくともいま見えるのはよく鍛えた身体と、槍の間合いが身体へ馴染んでいる気配だけだった。

 

 勝家が顎をしゃくった。

 

「ちょうどよい。手本を見せる」

「嫌な予感がするのう」

「するだけで済めばよいな」

 

 まず勝家が動いた。

 

 金棒は、あれはもう金棒というより勝家の腕の延長だった。

 重い。

 ただし重いだけではない。重さを振り回しているのでなく、重さそのものが動いているみたいだった。振るう、叩く、払う、その全部が真正面から来るのに、妙に理にかなっている。避け損ねたら死ぬというのが、遠目にもよくわかった。

 

 次に利家。

 

 槍が、きれいだった。

 

 藤吉郎はそれを見て、少しだけ感心した。

 正統派である。間合いが素直で、切っ先の運びが迷わず、無駄がない。勝家みたいな「何か来たら死ぬ」感じではなく、もっと人の武に近い。だがそのぶん、ごまかしが利かぬ強さだった。

 

 しばらく黙って見ていたが、手本が終わると小さく言った。

 

「まるで参考にならぬ」

 

 勝家の眉がぴくりと動いた。

「何だと」

「強いのはわかりまするよ。わかりまするが、わしがこれをそのままできる気がせぬ」

「できるようにやるのだ」

「それが雑なのです」

 

 利家が横で少し笑った。

「口だけは達者だな」

「口まで塞がれたら死んでしまいます」

「塞がずとも死ぬだろう、その槍では」

「やかましい」

 

 結局、槍を持たされた。

 

 利家が相手をする。

 勝家は腕を組んで見ている。

 丹羽は相変わらず巻き込まれない位置にいる。

 

「来い」

 

 利家が言う。

 槍先がぴたりと定まる。

 

 藤吉郎は嫌そうに顔をしかめた。

「もっとこう、手心というものは」

「あると思うか」

「ないでしょうな」

 

 言うなり、利家の槍が来た。

 

 速い。

 

 藤吉郎はすばしっこく避けた。

 避けはするのだが、それだけだった。槍を持っているのに、持っている感覚が薄い。長い。向きがある。切っ先を意識しなければならぬ。構えねばならぬ。どこでどう返すかを考え始める頃には、もう次が来る。

 

「ちょこまかするな!」

 

 利家が言う。

 

「ちょこまかしなかったら死んでまする!」

 

 本気で叫ぶ。

 

 その返しに、利家が思わず吹きそうになった瞬間、勝家が横から一喝する。

 

「笑うな! 手を抜くな!」

「抜いておらぬわ!」

「嘘つけ!」

 

 その隙に横へ抜けようとしたが、結局また利家の槍に追い立てられた。

 

 避ける。

 飛ぶ。

 滑る。

 槍を持っているくせに、どうにも身体が“槍の戦い”をしたがらない。突くより先に横へ流れたがるし、受けるより先に間合いから消えたがる。

 

「槍を持て!」

「持っております!」

「持っておるだけだ!」

 

 勝家の罵声が飛ぶ。

 

 最終的に藤吉郎は、訓練場の端の木へ飛びついた。

 するすると登る。

 利家が呆れて見上げる。

 勝家は額を押さえた。

 

「降りてこい」

「嫌です」

「降りてこいと言うておる!」

「槍持って降りたところでどうせまた突かれるではありませぬか!」

「当たり前だ!」

 

 藤吉郎は枝へ足を絡め、そのまま逆さにぶら下がった。

 

 完全に猿だった。

 利家はもう、呆れたように笑っている。勝家は呆れを通り越して、もはや諦めに近い顔をしていた。丹羽だけが、少しだけ面白がるような目で見ている。

 

 逆さのまま、ふてくされて手近な枝を折る。

 

 本当に、ただの八つ当たりだった。

 

 攻撃の意図はない。

 悔しいし、腹が立つし、勝家の言うことは正しい気もするが、だからといって槍が馴染むわけでもない。その鬱屈のまま、適当に枝をへし折って、そのままぽいと投げた。

 

 ひゅ、と音がした。

 

 丹羽の目が、そこで変わった。

 

「……もう一度」

 

 藤吉郎は逆さのまま、眉をひそめた。

「何です」

「いまの枝だ。もう一度やれ」

「何を」

「投げたやつだ」

「いや、ただ捨てただけにございますが」

「いいから、もう一度」

 

 丹羽が珍しく少し強く言う。

 怪訝な顔のまま、もう一本細い枝をもいだ。

 今度は意識して投げる……こともなく、やはりふてくされ半分で放る。

 

 また、ひゅ、と鳴る。

 

 さっきと何が違うのか、すぐにはわからなかった。

 だが丹羽には見えていたらしい。

 枝に、妙に素直に呪力が通っていた。

 

「降りてこい」

 

 今度は丹羽が言った。

 

「丹羽殿まで」

「いいから来い」

 

 藤吉郎はぶらりと身体を揺らし、そのままひょいと飛び降りた。

 まだ少し不服そうな顔をしている。

 

 丹羽はそのへんに転がっていた、手頃な棒を拾った。

 訓練用に置かれていたものだろう。何の変哲もない木の棒である。刀でも槍でもない。ただの棒切れだ。

 

「持て」

「……これを?」

「そうだ」

「槍の訓練では」

「気にするな」

 

 丹羽はもうそれ以上説明しない。

 藤吉郎は渋い顔をしながら受け取った。

 

 軽い。

 槍より短い。

 だが持った瞬間、妙にしっくり来た。

 

「呪力を通せ」

 

 言われるままにただ込めるのではなく、丹羽の術式も使って通してみる。

 

 その瞬間、藤吉郎は少しだけ目を見開いた。

 

 槍と違う。

 竹や木の繊維に沿って、呪力がすっと走る。硬い金属へ“詰め込む”感じではなく、もっと自然に“通る”。その手応えが、身体の中の何かとよく噛んだ。

 

「……おお」

 

 思わず声が出た。

 

 丹羽が頷く。

「それだ」

「何がです」

「お前、金物よりこっちのほうが似合う」

 

 勝家が顔をしかめる。

「そんな棒切れで何になる」

「試せばよい」

 

 丹羽は、しれっと危険圏の外から言う。

 利家が槍を持ち直した。

 

「やるか?」

 

 藤吉郎は棒を持ち替えた。

 

 向きがない。

 それが、まずよかった。

 

 槍みたいに切っ先を気にせずともいい。

 刀みたいに刃筋を立てずともいい。

 握り替えられる。

 払える。

 振れる。

 突ける。

 回せる。

 

 持つ手をずらした瞬間に、間合いの感覚が自分の身体へすっと馴染んだ。

 

「来いよ」

 

 利家が少し笑う。

 今度はさっきより気楽な顔だ。棒切れひとつ持ったところで何が変わると思うておる、という顔でもある。

 

 藤吉郎はそれにむっとした。

「あとで泣いても知りませぬぞ」

「泣くのはそっちだろう」

 

 利家の槍が来る。

 

 そこに棒を短く持って払った。

 払って、そのまま持ち替える。

 槍の穂先を外し、くるりと回して柄の中ほどで叩く。

 自分でもびっくりするくらい、動きが繋がった。

 

「……お?」

 

 藤吉郎が自分で驚く。

 

 利家も一瞬だけ目を見開く。

 すぐに立て直して次を出すが、今度はこちらのほうが先に身体をずらした。棒は向きがない。どちらからでも出せる。突くと思わせて払う。払うと思わせて、持ち替えて逆の端が来る。

 

 槍ほど正統ではない。

 だがそのぶん、自由だ。

 利家の槍が、再びまっすぐ来た。

 

 今度はこちらも、ただ避けるだけではない。

 棒を短く持ち、槍の穂先を軽く払う。そのままくるりと持ち替え、逆の端を見せる。

 

 利家の目がわずかに細くなった。

 

 最小限の間合いを測っている。

 届く距離、届かぬ距離、その一歩手前を読む目だ。

 正統派の槍使いであるこの男は、その理を身体で知っている。

 

 だからこそ、藤吉郎はそこでひとつ、意地悪く笑った。

 

 棒を、わずかに短く見せる。

 

 ほんの一瞬。

 持ち替えの流れに紛らせて、明智から盗みかけている“隠蔽”を乗せる。ただ、相手の目に映る間合いを、半歩だけ嘘にする。

 

 利家の身体が、それを読んだ。

 届かぬ。

 

 そう判断して、槍を引き絞る。

 

 その瞬間だった。

 

 手の中で棒がくるりと回る。

 向きのない武器だからこそできる、何気ない持ち替え。

 だが実際の間合いは、利家が見切ったより半歩深い。

 

「――っ」

 

 利家が気づいた時には、もう遅い。

 

 低く回った棒が、地を這うように足元へ滑り込む。

 

 足払い。

 

 利家の足首を正確に掬い、槍の理で立っていた重心を真横から崩した。

 

 ど、と土が鳴る。

 

 利家が片膝をついた。

 

 一瞬、訓練場が静かになった。

 

 自分自身が、いちばん驚いていた。

 

「……おお?」

 

 思わず間の抜けた声が出る。

 

 利家は土を払いつつ、悔しそうに顔を上げた。

「今の、何だ」

 

 藤吉郎は棒を見た。

 見ながら、自分の中でいくつかの理が噛み合った感触を反芻している。

 

「いや……何か、届かぬと思わせて届く感じが、妙にしっくり」

 

 丹羽が、少しだけ目を細める。

 

「今のは良い」

 

 勝家も腕を組んだまま鼻を鳴らした。

 

「ようやく武らしくなったではないか」

 

 利家は立ち上がり、槍を持ち直した。

 その顔は悔しさ半分、面白さ半分だ。

 

「気味が悪いな」

「褒め言葉にございますな」

「褒めておらん」

 

 にやりと笑い、棒を肩でくるりと回した。

 

 槍のように切っ先へ従う必要はない。

 刀のように刃筋を守る必要もない。

 向きのない棒だからこそ、持ち替えそのものが攻めになる。

 

 そこへ明智の“半歩の嘘”を混ぜる。

 ようやく自分の武がどこへ伸びるのかを、少しだけ見た気がした。

 

「何だそれ!」

 

 利家が思わず言う。

 

「わしに聞かれても困りまする!」

 

 藤吉郎は言い返しつつ、また持ち替えた。

 棒の端が低く回り、利家の足元を払う。利家は飛び退く。そこへ今度は短く持ったまま懐へ入る。槍だとこうはいかぬ。棒だからできる間合いだった。

 

 勝家が、腕を組んだまま低く唸る。

 

「……なるほどのう」

 

 利家が数合やって、最後に槍の柄で藤吉郎の肩を軽く打った。

 藤吉郎は「痛っ」と情けない声を上げて飛び退いたが、顔はさっきまでよりずっと生きていた。

 

「どうだ」

 

 丹羽が聞く。

 

「槍よりはるかによい」

 

 即答。

「何かこう、身体のどこも嘘をついておらぬ感じがする」

「棒だからな」

 

 丹羽はさらりと言う。

 勝家が鼻を鳴らした。

 

「とことん猿じゃな」

 

 藤吉郎はすぐさま振り返る。

 

「とことん鬼の勝家殿には言われたくありませぬ」

「何だと」

「その金棒こそ大概でございましょうが」

「儂のは武だ」

「わしのも武です」

「猿芸だ」

「武です!」

 

 言い合う二人を見て、利家がとうとう吹き出した。

 

「何だ、お前、槍持ってる時よりよほど気味が悪いぞ」

 

 藤吉郎は少しだけ得意になった。

「褒め言葉として受け取っておきまする」

「褒めてはおらん」

「ひどい」

 

 丹羽はその様子を見ながら、小さく息を吐いた。

 

 枝に通った呪力。

 木や竹のほうが流れやすいこと。

 向きのない武器だからこそ、ちょこまかした身体運用と噛むこと。

 槍にも刀にもなりきれぬ男が、ようやく自分の理に合うものを手にしたこと。

 

 それを丹羽は、わりあいはっきり理解していた。

 

「まあよい」

 

 勝家が最後に言った。

「少なくとも、さっきの槍よりは見られる」

「最初からそう言うてくださればよいものを」

「言わねばわからぬか」

「だいたい最初からわかっておる人の教え方が雑すぎるのです」

「うるさい」

 

 藤吉郎は棒をくるりと回した。

 その動きだけは、もうずいぶん自然だった。

 

 訓練場の風が、枝を揺らした。

 さっきまで逃げ込んでいた木が、いかにも不本意そうに頭上で鳴る。

 

 利家はその棒を見て、ふと桶狭間の時を思い出していた。

 雨の中、妙に目だけぎらつかせて動いていた猿じみた男。あの時も変なやつだと思ったが、こうして見るとますます変だ。

 

 だが、変であることが武になるやつもいる。

 利家は槍を肩へ担ぎ直し、ちょっとだけ笑った。

 

「その棒切れで、いつか本当に人を殺しそうだな」

 

 藤吉郎は棒を見下ろし、それからにやりとした。

 

「そりゃあ、呪力を通せば十分にございますよ」

 

 その言い方が妙に軽いので、勝家がまた額を押さえる。長秀は見て見ぬふりをする。利家だけが、なぜだか少しぞくりとした。

 

 この棒切れが、のちにどれほど嫌な武になるかを、この時はまだ誰も知らなかった

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