では、人の心はどうだろうか?
チェリーニアは舌打ちした。目の前にいるベアトリーチェの使用人、エリザが手練れであることに。
苛立ちを隠すことなく、視界一面を破壊せんと暴力的な剣閃で覆った。剣の嵐が止むと、まるで何も無かったかのようにぽつん、とエリザが佇んでいた。
「お見事です。数瞬のうちに文字通り『更地』になさるとは」
「指南役かなにかのつもりか?」
「決してそのような意図はございません。ただこのような性分でして」
日常会話のついでかのように、エリザはその腰に巻いている打刀を異様な速度で抜刀した。それに対し物質精製の剣をかろうじてねじ込ませることによって対応するチェリーニア。
つう……と頬を伝う汗からも分かる通り、チェリーニア本人も……薄々気付いている。
(私よりも、速い……!)
身体能力において力関係ではチェリーニアの方が
このままでは雑な力押しでどうにかできている現状が覆される。今は無理でも、確実に、じわじわと……エリザの刀の切っ先はチェリーニアの喉元へと近づいているッ!
「……ふむ。面白い『アーツ』ですね。物質精製……」
「『ありふれたアーツ』の間違いだろう。その腕でいくつもの死線をくぐってないわけがない……見飽きてるんじゃないのか?」
「おや、分かりますか?」
「今も涼しい顔をして
もう一度チェリーニアは辺りを薙ぎ払う。しかしどうしてもエリザに直撃したような感覚は得られない。付け加えれば、チェリーニアは先ほどから嫌な直感をエリザに対して抱いていた。
(こいつ、『アーツ』を使っていない……?
いや違う、
場合にもよるが、『アーツ』の有無は普通使用できる術師の方に軍配が上がる。しかしこの現状、チェリーニアの圧倒的物量差をものともしない事実は、鼻で笑われるような夢物語をエリザが体現しているということだ。
そう、非術師が術師に拮抗している。いいや、ともすれば上回っている。言わずもがな、元々の身体的スペックの高いチェリーニアでさえある程度の身体強化のアーツによって底上げをしている。それに対して、速度という一点で勝っているのだ。
「これも、お気付きになられましたか。
わたくしはこの身一つしかございませんから……悩みに悩み抜いた末、この『脚』と『眼』を
「それで? このバカげた速さかっ──くっ!?」
「ええ、そうです。 ここまで到達するのに長き道のりでした……その分、今ではなんでも斬れるようになりましたが」
チェリーニアとエリザの間には物質精製によって造られた何本かの剣の隔たりがあった。にも関わらず、それごとバターのように斬り裂いてみせた。
半歩後ろにに後ずさりすることでどうにか回避したチェリーニアだが、その顔に余裕の色は無かった。
(術師相手よりもよっぽどやりにくい。相手の持つ強みは、純粋な『力』だ!『アーツ』ではないっ……!)
「あと四……いいえ、三手ほどでしょうか。 それで、
「────っ! 尋常ではない殺気、もしや……!」
冒頭からそもそもだが、この状況に一番苛ついているのは他でもなくチェリーニア本人である。チェリーニアは抑圧された環境や自分を縛る人間や因果を
手詰まりと思わせるエリザの徹底ぶりが、むしろチェリーニアの『アーツ』のギアを一段階押し上げることとなった。
「私を…………舐めるなよ」
そちらが『アーツ』での土俵で戦わず、純粋な身体能力による『力』で戦うのならば…………
こちらも
剣はやがて紺の美しい狼の化身へと変わり、鋭く煌めく眼光がエリザを狙って離さない。低く唸る狼もいれば、激しく吠える狼も存在し……チェリーニアも含めれば7匹の群れであるというのに、まるで意志持つ大狼のような強大さを感じさせた。
エリザは鞘を持ち、姿勢を低くして抜刀の構えに入った。究めた眼はチェリーニアの綻びを必ず見逃さんとし、究めた脚は神速を可能にするためにその筋肉を隆起させている。
実を言えば、エリザは侮っていた。シラクーザにて名は伝わっていたが、どれだけ英雄的人物の孫娘だろうと一回り年齢の違う子供に負ける道理が無いと。
「認識を改めます。チェリーニア様、貴女をここで確実に殺さねばならない────!」
「どいつもこいつも……私を殺す、だと?
ここで私は死なん。死ぬのは…………貴様だ!!」
それを合図に、二人の居た大地が爆ぜた。常識外れの脚力によって、耳を
チェリーニアの突進に合わせるように6本の剣は生き物のように飛翔した。その一振り一振りに、まともに喰らえばひとたまりもないだろうと予想ができるほど、濃密なアーツが
エリザは物怖じせず軽い抜刀で弾いていく。今までは両断できていた『アーツ』の剣が、かなりの硬度を得ていることに目を見開くエリザ。
綻びを見出す眼を持ってしてもこの6本の剣……いや『狼』たちに弱点らしきものが見当たらなかった。
「どこにそんな力を隠し持って…………っ!?」
弾いたと思っていた剣がもう一度エリザに向かって飛んでくる。油断していたエリザは身体を斬りつけられ、動揺が顔に滲んでいる。
「────どうした、三手で終いじゃなかったのか?
あと、二手しかないが」
チェリーニアは『アーツ』の解釈を拡張していない。エリザには解析できないが、先ほどと消費しているアーツエネルギーは全く一緒だ。ならば、何が違うのか。
チェリーニアは身近に圧倒的な『アーツ』操作の使い手を知っている。無尽蔵ではないアーツを最小限に運用し、ガス切れを起こす気配もないあの火傷痕の少年を。
今、修羅場を前に、チェリーニアは『アーツ言語』に近いアーツ操作を感覚で掴みかけていた!
これにより、無駄に消費されていた発動時のアーツに余剰ができる。効率的な『アーツ』運用が可能となったチェリーニアの精製される剣はむしろ密度を増したのだ。
雑に
認めたくないが、あの生意気な少年によって見つめ直したのも事実だ。そう思うチェリーニアであったが、案外その顔には悔しさや苦々しさはなく、爽やかな笑みが溢れていた。
その表情を見たエリザは、動揺や焦燥ではなく強い嫉妬を露わにした。強く歯噛みして、打刀をミシミシと音が出るほどに握りしめている。
「…………わたくしへの嫌味ですか?
こんな……こんな生き方しかできぬ、わたくしのぉっ!」
「……ただのバカの顔を思い出しただけだ。
お前の生き方なぞ興味のかけらもない」
今のチェリーニアは圧倒的な『暴』の力と、繊細かつ流麗な『技』の力を両立させた状態にある。
推し量るに『技』のみを究めたエリザが勝てる見込みは、万一も無く……鞘から刀身が見えずとも、チェリーニアの剣撃はまず抜刀することさえ許さなかった。
絶え間ない7連撃をその身に受け、最後に大狼が大きく口を開け、嚙み潰すかのように大振りの縦斬りを放つチェリーニアの最後の一撃によって、エリザは倒された。
エリザはリターニアに移住してきた、シラクーザをルーツに持つ極東の生まれのループスである。
元々の名前は『
リターニアの種族的優位はキャプリニーやエラフィアであり、歴史的背景から属国であったシラクーザに多いループスは軽視される傾向にあった。
もちろん、極東で育ってきたエリザにとっては全く身に覚えのないことで、見当違いのことを言われ迫害されるのだから、たまったものではない。
彼女とその家族は路頭に迷っていた。母親は少ししか給金を得られない内職を手にたこができるほど行い、父親は母ばかりに苦労はさせてはおれんと職を探す片手間に靴磨きに出かけていた。
その頃は秋だった。枯葉がリターニアの街路を覆い、その風流に心を打たれた詩人が詩歌を書き留めるような時期に、日頃の不摂生が祟ったのだろう、母が病に倒れた。
それから父親は母の病を治すためか、危険な団体の依頼を請け負うようになった。その名を「巫王の余韻」と言う。
若きエリザには止めることなどできなかった。なぜならば、今の今までエリザにご飯を与えてくれたのは他でもない母であり、父であったから。
皆を生かすために、必死であることは阿呆でも理解できた。
家から出かける際、「絶対に戻ってくるから」と約束をして出ていく父がいつの日か帰ってこなくなった。
少しだけ仕事が滞り、帰る日が遅くなっただけだとエリザは思いながら、母の看病をすること2週間。
ついに、母は病に敗れこの世を去ってしまった。絶望とは立て続けに起こるもので、「巫王の余韻」は一向に戻ってこず成果を報告しにこないエリザの父を尋ねに家へと押し入りに来ていた。
目をつけられたエリザは、本人の意思とは関係なく父親の仕事の引き継ぎを強引に任されることになった。
それから、父親がどれだけ危険なことをしていたのかを思い知った。
リターニアはその当時女帝派と呼ばれる密偵や刺客が至るところに潜んでいた。「巫王の余韻」の一員でなくとも、関連する事象に少しでも関与していたならば、即首を刎ねられてもおかしくない時代だった。
そもそも、かの巫王を誅してからまだ数十年も経っていないのだ。双子の女帝はその残党狩りにかなり躍起になっていた。
自分がどれだけ悪いことに加担しているのかなんて若きエリザには分からなかった。
リターニアが我々を迫害し、リターニアが我々をこうせざるを得ない所まで追い詰めたのだから、罪を糾弾される謂れはないとさえ思っていた。
「ふむ……君は今の腐敗しているリターニアを憎んでいるのだね」
「貴方は……誰ですか……」
「私?私は……没落して久しい、貧しさに喘ぐ男爵さ」
そんな時に、ベアトリーチェの父親に出会ったのだ。彼もまた「巫王の余韻」の一員であったが、他の楽団員が巫王の時代の再来を望んでいるのに対して、彼だけは現状の体制に不満と怒りを感じていた。
男女の夜伽が終わり、ピロートークになると彼はよく自分の身の上を話してくれた。その内容はまさにエリザの境遇にそっくりで、彼女にとって同じ苦しみを理解することができる初めての異性だった。
エリザはこの男のために生涯を尽くすと決意した。妾でも側室でもなんでもいい。傍にいる彼の役に立つことならばなんだってやってやる、と。それからの毎日を彼のために過ごして、ある時のことである。
「────君に私の娘のお守りを任せたい」
「……御心のままに」
彼がこちらに一瞥もせず、書面を見つめて投げたその言葉に、『女』としてのエリザが酷く傷ついた気がした。あれ以来彼から夜の誘いもなく、従順に働く駒だと思われたのか優しい労いの言葉もかけてくれなくなった。
分かっている。彼にとって優先されるべきは双子の女帝による現体制の崩壊であって、たった一人のエリザの幸せではないことは。
腰に携えた打刀は、欠かすことなく手入れを施している。では、エリザという人間の手入れは誰が行うのだろうか?
段々と、刃こぼれしていく感覚がした。自分という刃が、刃こぼれしていくような感覚が。
けれどあの時の決意は揺らぐことはなく、チェリーニアに倒される今日この日まで消えはしなかった。
しかし、誰かを思い返して柔らかく微笑むチェリーニアを見た瞬間、「ずるい」と思ってしまったのだ。
エリザは真っ直ぐに愛せる環境と人生ではなかった。生娘のような甘酸っぱい恋愛もできなかった。
どこまでも打算的で、どろどろとした……人の心を弄ばれる恋しか経験できなかった。
エリザはベアトリーチェの父親がエリザを丸め込むために、似たような過去をでっち上げ、自分を抱いたのだと薄々気付いていた。
それでも、彼を愛してしまったからには止められなかった。実質的な「用済み」として彼の娘であるベアトリーチェと共にシラクーザへと追いやられても、文句を言うこともなく。
ベアトリーチェの手を握りこの屋敷の門を通る際、彼女はエリザの方を向かずにこう呟いた。
「わたしたちは……しあわせになる権利があるわ……エリザ、いっしょにしあわせになりましょうね」
その面影に、愛した男の血を感じてしまったエリザはまだ小さかったベアトリーチェを強く握り返すことで応えた。
彼女の呟いたしあわせは、ついぞ掴めなかったが。
なんかここまで深堀りすることの無いオリキャラの過去に筆が乗ってしまった。
歴史的に巫王討伐って近い出来事なんですよね。国が近いシラクーザにも余波が来てないわけないっていうか。