ヴェネツィアのイングリッド。狼よりも残忍なヴァルポ。シラクーザのマフィアたちにそう恐れられる殺し屋。
彼女は殺しを歴とした仕事として考えており、暗殺対象を殺し損ねるまたは逃すということは即ち職務の怠慢だと断じている。これまでイングリッドは対象を殺し損ねたことなど一度もなかった。
それは
それはなんの力を持たない非力な子供で、しかしどこか妙に達観したその身の丈に合わない知性を宿しているような……複雑で、得体の知れない存在のようにも思えた。
ドンは寛容だ。この程度の違反ならば『ディチェンテ』を破った内に入らないだろう。ただし、こう評するだろう。
彼女はこの子供に少なくない好奇心を抱いている、と。
「……んだよ。ジロジロ見やがって」
「──ん、いや。なんでもないよ、ただ……その傷。どうしてそうなってしまったのかなと気になってしまってね」
タクシーの後部座席、窓に雨が打ち付けて外の景色はあまり見晴らしが良くない。必然と、見る先は車内の隣に座った小さなお土産……アッシュに向くのは当然のことだった。
車窓に肘を付きながら、イングリッドはアッシュに嘘をついた。別に火傷痕などさして気にも留めていないし、なんならアッシュの外見的要素はイングリッドにとって全てがどうでもいいことだった。
何よりも特異に映るのは、その内面。精神性と言ってもいい。彼は道中事あるごとにイングリッドに悪態をついていた。「殺したヤツのガキを引き取るってどういう精神してんだ?」だの、「良心とか痛まないんすか?痛むなら逃がしてくれてもいいんだぞオイ女狐ェ!」だのと息継ぎもなしに何度も。
本当はそんな事を思っていないだろうに。依頼が完了し、今回もつつがなく事を終えられたと思っていた矢先、扉の先から現れたアッシュのあの時の表情には、絶望や悲しみといった感情群が一切見受けられなかった。
あったのは、「ここで死ぬのは不味いな」という利己的なものと、「少々不都合が起きたな」といったような両親に対しての愛情が欠けているようなもの。
そんな彼が悪態をついているのは、明らかに演技でしかない。
「ああ、これ?お袋が飯作ってる時に間違って突っ込んじまってさ、その時できた火傷だよ。痛々しいと思う? なら逃がしてくんね?」
「……少し心が痛むくらいには痛々しいね。腕のいい医者を紹介してやってもいい」
「……上手く俺の口撃を躱すのやめてね? 舌戦でも負けてることになるじゃん」
不貞腐れ、イングリッドに背を向けるアッシュ。それでもイングリッドの中の彼への興味は尽きなかった。
(見たところ、まだ学校にも通う歳じゃなさそうだ。 だというのに、どうして自らの親を手にかけた人間と物怖じもせず会話が成り立つのか)
これに関してはアッシュの前世を含め、楽観的すぎる部分や嘘をつくのがあまり上手でないという性分が影響して子供らしくない態度を取ってしまっているだけなのだが、それに気付くはずもなく。
(非日常に対する耐性がずば抜けて高いか、この一件で麻痺してしまった……? にしても、この泥沼のシラクーザでは重宝するものだ)
思わぬ拾い物をしたと心做しか満足気なイングリッドの視線に、なにやら気味の悪いものと認識して苦い顔をしているアッシュ。居心地の悪そうな子供らしい振る舞いも含めて、殊更アッシュの特異性を強調させているように感じた。
「……で、目的地も知らされないまま俺は乗ってんだけど。 俺らはどこに向かってるワケ?」
「──私が君を受け入れるつもりでいても、『上』がどう思うかは別でしょ? 子供同士で決めた約束事は、最終的には大人が介入して取り持つものじゃないか」
「あのさぁ……回りくどい言い方やめてくんねーか? こちとらまだ5歳児だぞ」
「ああ。ごめんね、なんだが君と話してると5歳の子供と会話してる気にならなくて。 ……向かうはファミリーのお膝元、ヴェネツィアの『家』だよ。 言わば、私たちの活動拠点だね」
それを聞いて見る見るうちに青ざめていくアッシュを横目に、くつくつと嗜虐的な笑みを堪えられないイングリッドなのであった。
アッシュちゃーん!はーい!何が好きー?
一般市民の出の、お・う・ち!♡
タクシーから出てすぐに豪邸みたいなのあったらビビるだろ。なぁ。でけぇ鉄柵の門を開けてもらって中に入っていく。入る前に、ここ入らないとダメ?ってイングリッドに聞いたら言葉ではなく首をゆっくり横に振ることで否定された。ダメだよー?って言われるより怖い、それ。
────っんでこいつは澄ました顔して俺の前を悠々と歩いてんですかね、少しは気持ち慮れやぁ……!!!憎しみが溢れすぎて豪邸がやべぇでけぇこととかそっちのけで女狐を睨んでたら扉かな?前方不注意でぶつかっちまった。鼻が痛いよ、さすさす。
「──不注意とは良くないな坊主。 しかし、我が家のイングリッドにそんな舐めた表情ができるとは大したタマだ」
「買いかぶりすぎじゃないかな。 子供って怖いもの知らずっていうじゃないか、ドン」
「ははっ、その時坊主は長生きできないってだけだ。 期待というのはすればするだけ良い。 なにせ、そこに金銭や命の取り引きが介在しない。 若い芽に向けるものならば、なおさらその見返りは大きい。
それに、イングリッド。 お前だって出会った頃は手が付けられないお転婆娘だった。 それが今やどうだ、俺やファミリーに大きな利益を齎すまで大きくなった」
「そう言ってくれるとは嬉しいね。 もう少し身重の体を労わってくれるともっと喜ばしいけど」
うーん、脳内真っ白な俺を置いて会話してる二人たち。片方は我らがイングリッドさん。もう片方は扉だと思ったら人だったさん。けっこうダンディ。
んで、このおっちゃんをイングリッドは『ドン』って呼んでて、それはつまりファミリーのドンってことで……。
あとこの能面必殺仕事人子供の頃お転婆だったんですか?おい弱みゲットだぜ、俺はプレミアボールが好き。
つまり、俺がぶつかったのは????お?不味いって脳みそが告げてる、危険信号ドパガキ。
俺がぶつかったの、ヴェネツィアの頭目じゃね?????
───────おわった。
「──くくっ、表情がころころと変わって忙しないな。 かつて俺が拾って育て上げた子供たちの中でもこんなに表情豊かなヤツは居なかったぞ」
「それが彼の面白いところだよ。 シラクーザで孤児になった子供たちはどこか自分の人生に区切りをつけて、諦めた顔をするけれど、それとは真逆だからね」
最強の失礼を働き死亡RTA最速を走った俺は灰になり舞い散ることでここから逃れようとしたが、普通に現実に引き戻され屋敷ん中に連行された。無常なり、この世。
廊下を歩いてたら、同じ白スーツに同じ白のシルクハットをを着た下っ端……下っ端っていうと失礼かなぁ!?がドンに向かって一礼してたり、なんならイングリッドに「お疲れ様です! 姐さん!」つって鬼の形相で角度90度の一礼してた。
ドンに対してはなんつーの、尊敬と愛情っていうの?それを感じる柔らかな一礼だったけど、イングリッドに対してはあれだね、恐怖と畏敬。マジでここはきっちり決めなあかんよ、みたいなビビりを感じました。どっちがドンだよおい。
あとイングリッドって立場まあまあ上なんだね、態度改めよっかな。今更遅い?分かる。
内装はね、結構落ち着いてる感じ。いやまあすげー豪華っつーか、値打ちもんはゴロゴロ飾ってあるんだけどね。実家の婆ちゃん家とかさ、年季入ってて上品で厳かな雰囲気に満ちてるけどなんだな安心するじゃん?それに近いっていうか。
絶対壊したらマズい絵画とか壺とかあるけど、ドンは笑って「いいからいいから」って許してくれそうなさ、分かれよお前らぁ!
そんなこんなで応接間に到着。入る前に扉の前に白スーツさんが二人待機してるの見えたよ。怖いね。
「唐突だが、すまなかった。 坊主の両親を殺せと命じたのは俺だ。
坊主には真っ当な権利がある。 両親の仇である俺を今殺したっていい。 今待機してる家族たちには手を出すなと言ってある。
または坊主が成人するまでの間、ヴェネツィアファミリーの庇護下に置いてもいい。 これはいつでも有効だ」
めちゃくちゃ緊張してたらドン平謝りでワロタ。しかもすっげー高待遇な条件出してくれてるんだけど。うひょー!あとドン平謝りってなんか語呂いいね。
んー、しかし。甘い汁に飛びつく前に、ちょっと冷静に考えるべきだな。
ドンが嘘をついてるとは思わない。嘘をつくくらいならさっさと殺すくらい訳ないだろうから。
あと、イングリッドのドンに向ける態度的にも影武者みたいな存在でもなさそう。あれは長年の付き合いがあるから許されるフランクなコミュニケーションだった。
ただ……そう、ただねぇ?
……自分たちの利益のためなら殺しを厭わない集団であるのも事実なんだよなー。
まずドンを感情優先でぶっ殺すルートを考えてみるか。手を出すなと言われているのはドンを殺すまでの間だ。ずっと手を出すな、なんて命令じゃないから、殺した直後には俺は一瞬でミンチになってるはず。
んじゃ、成人までのサブスク保護は?俺ァ他のファミリーとか見たことねぇから知らないけどさ、もし成人したあとの就職先がヴェネツィアファミリーに邪魔なファミリーの傘下組織だったとかなら?
……十中八九殺されるだろうな。あの時申し訳ないことをした坊主か、でも邪魔だから殺すか。これくらいの感覚で。
─────じゃあ、こっちのほうがいいよな?
ちょんちょんってイングリッドの肩を叩く。てか一応おめーもこっち側座ってくれてんのね、確かに拾ってきた側だもんな。ほんなら最悪責任の所在はこいつに押し付ければもーまんたいか!?
「先ほどのドンの話で、何か気になることでも? アッシュ」
「いんや。めちゃくちゃわかりやすかったぞ。……そーじゃなくて、俺を拾ったときお前がなんつったか覚えてる?」
うわ、俺がやりたいことを一瞬で理解しやがった。しかも意地の悪いニヤケ面してやがる、趣味悪いねぇ〜〜!いや、早く喋れよ、焦らすな俺を。
「────私直属の部下として働いてもらう……だったかな?」
顎に手を添えて、わざとらしく思い出すフリをするイングリッド。本当にしょーもないって、ええってそういう演技。
……まあ、いい。これで言質は取れたし。
調子狂ったが、改めてドンの方へと向き直る。ドンも俺が何を言いたいのか薄々勘付いてんのか、顎髭を触りながらちょっとニヤついている。何?俺ってそんなに分かりやすのか?自信喪失しそう。
「まあ、そーいうことで」
「くっ……。 あっはっはっはっはっ!!!!!はぁ……ははっ……」
え、そんなに笑う?恥ずか死〜。俺の顔が段々赤くなってくのを感じます。蛇の生殺し。イングリッドてめぇは絶対にぶっ倒すからそのニヤケ面今に見とけよ。
「はぁ……!こんなに腹から笑ったのはいつぶりだろうか。
いやぁ、面白い坊主だ。 お前みたいな義息は大歓迎さ。 ただ、少しだけ注意点だ。 俺たち家族は何よりも『ディチェンテ』……。 約束や誓約を重んじる。 分かったか? 坊主」
「あ゙──……? するってぇと、 要は身内での裏切り行為禁止……的な?」
「飲み込みが早いな、そういうことだ」
そう言うと、ドンはポンポン、と俺の頭をやさしく撫でた。年季を感じるシワだらけの手に、ちょっと懐かしさを感じちゃって胸の奥が熱くなる。じいちゃんばあちゃんとかによしよしされるとなんかクるよね。
それからドンは懐から何やら値打ちのするような美しい意匠が拵えてある首飾りをテーブルに置いた。
「これはファミリー全員に渡す紋章だ。 これがある限りヴェネツィアは必ず坊主のことを家族として護り、そして共に闘うと誓う」
横に座っているイングリッドも「私も持っているよ、ほら」みたいな感じで紋章を取り出して見せてきている。イングリッドって見た目だけならくっそしごできウーマンみてぇな見た目してるからよ、いちいち所作がかっこいいし美人なんだよな。だからこそ普通にムカつく。
「ほへぇ……」
やべっ、間抜けな声でちゃった。だってなんか幻〇旅団みたいだったんだもん!蜘蛛の刺青のナンバーみてぇなさぁ!
しかもでぃ、でぃちぇんて?ってやつもアレじゃん。団員どうしのマジギレご法度とまんま一緒じゃん。でも俺ね、知ってんだ。マジのマジでライン越えしない限りは割と判定甘ぇんだよこういうの。
「では、新しくできた家族に……改めてご挨拶といこう。
俺の名前はファブリツィオ・ヴェネツィア。 このファミリーの父であり、長だ」
ファブリーズみたいな名前してんな。清潔そうでいいと思うよ?俺は好きです。
相手が名乗ったんだ、こちらも名乗らねば無作法というもの……。
「俺はアッシュ。 ただの……アッシュだ。
これからは……
「……子供というのは愛いものだな。 いつでも尊い感情を思い起こさせてくれる」
目頭を抑えて天井を仰ぐドン。なんか段々分かってきた。この人孫とか甘やかすタイプのおっちゃんだ。心配しすぎてすげー量仕送りしてくれる感じのね。
「そんで? 俺はこれからどこで暮らしゃあいいんだ?」
「名残惜しいだろうが、前住んでいた家に戻るのはやめておいた方がいい。 今ごろ裁判所の奴らが家宅を調べ荒らしているだろうよ」
「それなら私の使ってない別荘を使うといいよ。 数ヶ月もしない内に私は裁判所に連行されるだろうからね」
「んぁ!? お前、捕まるの!?」
「心配しないでいいよ。 シラクーザ都市裁判所の掲げる法と秩序は形を成していないからね。 保釈金を払いさえすればすぐに戻れる」
えぇ……とことん腐りきってんな。すぐ戻ってくることは嬉しく思うところもあるし、普通に罪を償ってから戻ってこいよと前世の価値観で思ってるところもあってなんか複雑だわ。
「それよりもまず……君は君自身の事を心配したほうがいいよ」
イングリッドがくっそおしゃれなハンガーラックに掛けていたスーツを手に取り応接間を後にする直前、意味深なことを俺に告げた。俺の心配をしろ?余計なお世話じゃいぼけ!
『幕開く者たち』のどのシーンを見てもファブリツィオおじが悪い人には見えないのは俺だけだろうか
めちゃくちゃ親バカでしかも義に厚い良い人にしか見えない